新緑の森へハイキングに

  • 2016.05.24 Tuesday
  • 11:05

ここのところ初夏特有のカラッとした陽気が続いてほんとうに気持ちいいですね。 
日曜日には、自転車チームの飲み会の際に 「山歩きが好きで写真も好き」 という共通項で意気投合した数人で、奥多摩の高水三山へハイキングに出かけてきました。

この日も朝から気温は高めでしたが、爽やかな風が爽やかなおじさん・おばさ、ゲフンゲフン、、たちの頬をなでていく最高のお天気。  軍畑駅で待ち合わせて、高水山→岩茸石山→惣岳山→御嶽駅の散策コースへゴー!です。

2016.5.22高水22ブログ.jpg

chellちゃんをオバサンのくくりに入れたら彼女のファンにシバかれますね(笑)
2016.5.22高水10ブログ.jpg

2016.5.22高水16ブログ.jpg
(PENTAX女史撮影)

真ん中の白い構造物は西武ドーム。その先には新宿のビル群もうっすら。
2016.5.22高水12ブログ.jpg



アオさんに会うのは何年ぶりだったでしょう。 SNSでつながっているとぜんぜん久しぶりの感じがしないので不思議です。 
2016.5.22高水3.jpg



高水山にある常福院。 アヒル口の狛犬がキュートでした。
2016.5.22高水15ブログ.jpg
(PENTAX女史撮影)

2016.5.22高水4.jpg



ずうっとおしゃべりしながら歩きました。 急斜面も笑顔でのんびりと。
2016.5.22高水14ブログ.jpg


岩茸石山の山頂ではお湯を沸かして、みんなでランチとコーヒーをたのしみました。 写真はchellちゃんのシャケ缶&ショートパスタ。 みんなでわいわい食べると何でも美味しいですね。 尾根を渡る風がとても心地よくて、食後には木陰にハンモックをわたして小一時間昼寝でもしたい気分でした。
2016.5.22高水17ブログ.jpg
(PENTAX女史撮影)


このフシギなかたちの葉の名前。 いつか誰かに教わった気がするんだけどまったく思い出せません。
2016.5.22高水7ブログ.jpg



これ撮りながら、「今イチな写真だなァ」なんて首をひねっていたら、そんな私が撮られてました(笑)
2016.5.22高水23.jpg

2016.5.22高水19.jpg
(PENTAX女史撮影)



2016.5.22高水13ブログ.jpg
2時頃には下山、御嶽駅から軍畑駅までは電車で戻りました。 御嶽駅前の急流を歓声を上げながら通過していった若者たちも、流れが緩くなる軍畑大橋あたりでは祭りのあとの脱力感が見てとれました。 しかしじつは橋の上から彼らを眺めている私たちも同じ気持ちだったのです。
いつかまた機会を作って森を歩きましょうね!





 

GWにはオモチャいじってました♪

  • 2016.05.05 Thursday
  • 18:26

今年のゴールデンウィークは比較的好天に恵まれましたね。 みなさま存分に楽しめましたか?  日焼けあとがヒリヒリしている方もいらっしゃるのでは?

私も5月1〜3日に3連休をいただきました。 ただ、私の連休は身体の養生でおしまい。 と言うのも、数年前から形成されていた右下腿内側の静脈瘤にこの冬から少し痛みが出るようになったので、ついに重い腰を上げて5月1日に手術を受けて来たからです。 経過は良好で次の週末にはお散歩程度に自転車にも乗ってみようかなと思うくらいの回復ぶり。 ただ、全開走行は1ヶ月後までおあずけなので、エントリー済みの富士ヒルクライムはぶっつけ本番になりそうです。

養生と言っても、翌日までの入浴・飲酒の制限と、上記の激しい運動の制限以外は日常生活に制約はありませんので、連休中はレセプトをやっつけたり次男の愛車スーパーカブのメンテをしたりと、けっこう活躍して過ごしました。

んなことで、今回はネタがないのでカブのメンテのハナシでも(笑)

まずはキャブの分解清掃から。
SDIM0044ブログ.jpg
外観もきちゃないけど、、

DSC00489ブログ.jpg
内部もフロートチャンバーを含め、いろいろドロドロ・カペカペでした。 もちろんジェット類も抜いて目詰まりを疎通させました。
右手指の写り込みはご愛嬌(笑)

DSC00491ブログ.jpg
すっかりきれいになりました。 このあとガスケット類も交換。



SDIM0049.jpg
エアフィルターも交換。 かなり汚れてました。 右側が新品です。


最後はチェーン交換。
13128585_936484693129293_1794139644_o.jpg
チェーンだけでなくスプロケも錆びてました(>_<)   めんどくさいから今回はチェーン交換だけ。 

13129009_936484263129336_1141333902_o.jpg

DSC00493.JPG
この写真のほうが差が分かりやすいかしら。 左上が新しいチェーンから切った2コマです。



DSC00485ブログ.jpg
次男もいちおう戦力になりました(笑)  じつはニードルバルブをフロートへの嵌める際に位置を間違えてしまってキャブを2回も組み直ししたのですが、父親がオーマイガー、、な放心状態してる間にいろいろ組み着けしてくれました。

完成後の試運転は絶好調でした!  アイドリング、加速、シフトショック、すべて改善しました。 最高速はらくらくメーター振り切ります(もちろん公道ではしませんヨ。法定速度遵守です(≧▽≦))

あんまりメンテに夢中になったものだから、指紋も爪の中も油汚れで真っ黒け。 翌日からの診療に向けてその汚れを落とすとなればお風呂でふやかして洗うしかなく、手術の縫合痕に沁みるのを覚悟で湯船に浸かりましたヨ(^^;

いやあ、オモチャいじり楽しかったです! 






 

木とカッコいい男たち

  • 2016.04.28 Thursday
  • 11:56

自宅から駅に向かう途中に材木屋さんがあります。 この材木屋さん、数年前まではビルが立ち並ぶ練馬駅のど真ん前にあったのですが、豊島園寄りに社屋を移転されてうちのご近所さんになりました。

その社屋内にはおもに製材された木材が集積されているのですが、裏のテニスコート2面ほどの露天スペースにはいろいろな種類の原木が一時的に保管されます。 急ぎ足の通勤時でも、金網の向こうに何か強い気配を放つ木があるとつい吸い寄せられるように 「すいませ〜ん。写真撮らせてください!」 とお願いして中に入れてもらいます。

2016.4.21銀杏・欅ブログ.jpg
左はイチョウ、右はケヤキです。 美しくそしてすこし哀しいノコ跡の陰影と、古い脳のどこかを刺激する魅力的な香りにすっかりとらわれてしまい、写真を撮り終わっても立ち去り難いほどでした。


こちらは以前に撮らせていただいたケヤキ。 有機的な曲線で根に広がっていた幹の最下部が、不自然なほど真っ直ぐな線で切り飛ばされた木端。 ”樹”  から  ”木材”  に変えられてしまった徴を見るようです。
SDIM0163ブログ.jpg


象や恐竜の脚のように見えませんか? 職業病でしょうか私には人間の大腿骨顆部にも見えてしまいます。 
けやきブログ.jpg



人間にとって木はとくべつな存在ですよね。 神話や童話や芸術、あるいは宗教においても重要な役割を果たしてきました。 キリスト教では聖書に出てくる ”生命の木” と ”智恵の木”。 仏教やヒンドゥー教では菩提樹。 神道で木や森を表す神籬・神奈備などは磐境・磐座とともに神社の原型となりました。 

日常でも賢い人と話をしているとその声のトーンや選ばれる言葉、深い思慮が表れた眼差し、発する気配などからこちらの心が鎮まっていくのを感じますが、木や森とふれあっていても自分の中でそれと同じようなことが起こります。 木や森が調和のとれた賢明さの象徴だと感じる瞬間です。

あと、故郷の実家を建ててくれた寡黙な親戚の大工の叔父さん。 木や山が好きで 「日本の林業を救う!」 と農大の森林総合科学科へ進んだ次男の友人。 富山の森で林業の現場仕事をしながら、地に足の着いた骨太ブルーズを歌い続けるW.C.カラス。 木や森と関わる男は、なんつーかみんなカッコいいんだよなあ。







 

カブが来た!♡

  • 2016.04.19 Tuesday
  • 16:24

このたびの九州の地震でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りいたします。 またそのご家族の深い悲しみを思うと胸が詰まります。 被災された皆さまが平穏な心で過ごせる日が早く訪れますよう願うばかりです。。

こんなときに日常の些事についてブログなんか書いてるのは不謹慎なのかも知れませんが、不安定な周期に差しかかった同じ島国で暮らす以上、自分たちもいつ同じ出来事に見舞われても不思議ではありません。 何も出来ませんが気持ちばかりの支援をさせていただいて、いつも通りの毎日に感謝して過ごしていこうと思います。


以前の更新で購入を報告させていただいた次男の通学・通勤車 「スーパーカブ」 が、やっと納車になりました。

人の動きが大きい年度の変わり目に購入したため、販売店も納車整備が追いつかず、おあずけ期間は3週間におよびました。 そのあいだにドレスアップの妄想はふくらみ(←おもに私)、つぎつぎに届くパーツはリビングのスペースを圧迫。 ついには家人のひんしゅくを買う始末でした(笑)

2016.4.17カブ9ブログJPG.jpg
納車当日の写真。 1990年代に販売されていたホンダ純正のドレスアップパーツ群 ”Cubla” シリーズのレッグシールドがはじめから付いていました。 シルバーの車体にシャンパンゴールドのシールドの組み合わせがちょっとエレガントでしょ?


次男のアルバイト代で購入する約束でしたので、ただただ安さがウリの中古バイク屋で購入したうえ、2002年式という低年式の個体。 納車整備費用もタイヤ交換など最小限にとどめましたので、いろいろ手がかかるのは承知でした。 ただ何と言っても長い年月世界で活躍し続けるスーパーなカブなので、まぁまぁどうにかなるでしょと(笑)
人との出会いと一緒で車やバイクとの出会いも直感いちばん大事。 今までにもリスキーな中古の個体を何度か購入してきましたが、まず外したことはありません。



2016.4.17カブ1ブログ.jpg
予想通りオイルはまっ黒け。大風が吹いた日曜日に作業したものですから、写真でもお分かりいただけるように風にあおられて左方向にかしいでいる廃油が、この直後にサンダルや靴下、それに家の前の道路を襲っていろいろ真っ黒けなことに、、



バッテリー交換
2016.4.17カブ22JPG.JPG

プラグも交換。写真ではわかりづらいですが電極はかなり摩耗していました。
2016.4.17カブ21.JPG



外装の変更箇所は、メッキミラー、ライトバイザー、クリア色ウィンカーレンズ、コンビニフック(レッグシールド横のフック)、カブラ用キャリア、サイドカバーのチェッカー柄ステッカー。(上の写真と見比べてくださいね)
2016.4.17カブ23ブログ.jpg



2016.4.17カブ3ブログ.jpg

2016.4.17.カブ4ブログ.jpg


チェーンカバーの錆びが目立っていたので塗装しようと思ったら、ヤフオクで程度の良いものが1,100円で落札できました。 プライマー+塗料の値段より安いので即決。 ちなみにカブラの中古キャリアもヤフオクで千円台でした。 
チェーンケースの交換ついでにチェーンをチェック。 伸び伸びなうえに錆びも浮いていたのでこの日はテンション調整だけして、さっそくアマゾンでチェーン+チェーンカッターとルブも一緒に注文。 自転車の部品の価格から考えると、どれもこれも信じられないくらいの安さでうれしくなります。

あともうひとつ問題点が。 納車時には気づかなかったのですがチョークが効かないのです。 どうやらキャブのチョーク用の穴の詰まりが原因と思われます。 ふつうこのテのトラブルにはガッカリするところでしょうが、ひさびさにキャブを開けられる!とばかりにうきうきしながらキャブのガスケット類もポチりました。 エアクリーナーはまだ開けていませんがフィルターも交換しようと思ってます。 あとはそのうちフロントブレーキワイヤーくらいでしょうか。


数年前まで通勤に250ccを使っていましたので自動二輪車の運転や整備に不安はないのですが、原付の運転は数十年ぶり。 何よりの強敵は法規の 「二段階右折」 なのです。 親子で 「あーでもないこーでもない」 とシミュレーション中です(汗)







  • 2016.03.31 Thursday
  • 11:23

昨日のこと、数日ぶりに自転車で出勤してみたら通勤路の公園の桜の古木がいっぺんに花をつけていました。
23区の中で最も春がおそい練馬区でも、時期がくればちゃんと花は咲いてくれます。 まぁ、冬が寒い練馬も夏の気温では他区なんかあっという間に追いつき追い越し、全国一位の日があったりするわけですが(笑) 
ともあれ桜が咲けばいよいよ春も本番、桜の下を出勤する人の表情もすこし和らいで見えます。

おもしろいのは、人は薔薇や百合などの花冠の大きな花を見ると、まるで美しい顔の人を見つめるようにトロンとした目でその素晴らしさを語ろうとしますが、桜のばあい花が小さすぎてどこにフォーカスしてよいか分からず、桜の花そのものよりも桜のある風景や、入学・卒業など春の思い出とセットで語られることが多いように思います。 私自身、この時期の記憶を辿ってみるとその映像のどこかにチラチラ桜の気配が感じられるような。

ただ、木そのものが好きな天邪鬼の私から見ると、花の咲くこの一時期だけ桜の存在に意識を向ける風潮はすこし滑稽に映ります。 ふだんは信仰心ゼロなのに初詣のときだけ神社仏閣におしかける参拝客みたいで、、 

ソメイヨシノは接ぎ木や挿し木などの栄養繁殖でしか形質をのこすことが出来ない、いわゆるクローン植物です。
本来、種の存続のための器官であるはずの花は、ただ ”品種改良” でソメイヨシノを作り出した人間の鑑賞に供するためだけに咲くのです。

そんな辛気臭いことなんか考えないでただ花を楽しめばいいじゃん! とも思うのですが、花見で浮かれた酔客のニュースを見るたびに、つい人間の所業の皮肉を感じてしまうのです。


桜の若い木は光沢を帯びた鈍銀色の木肌ですよね。 まるで金属のようなその質感は、未成熟で繊細な心を外的な刺激から守るの鎧のよう。 ところが古木になると木肌は苔むして黒緑色にひび割れ、すっかり鎧を脱ぎ捨ててしまいます。 それは、傷つきやすいはずの心の襞を露出させても動じない自信、あるいは病や死を恐怖の対象としてではなく生の一部として受け容れる覚悟のように見えます。

老境に差しかかっても若い頃と変わらない可憐な花を咲かせる桜。 四の五の言わないで屈託のない姿で生きるところを見習いたいとは思うのですが、ひねくれ者の私には まぁムリだろうなあ(笑)

2016.3.29桜.ブログjpg.jpg







 

ヤフオクにて

  • 2016.03.16 Wednesday
  • 12:14

最近、ヤフーが運営するオークションサイト 「ヤフオク」 にドはまりしています。

貧乏性な私は、クルマでも何でも新品を使うことには気遅れしてしまいます。 キズや汚れがつこうものなら数日気分が落ち込む始末。 なので中古品を安く買って気兼ねなしに使うほうが性に合っているのです。

今回の獲物はバッグとTシャツです。

バッグはオルトリーブというドイツのメーカーのメッセンジャーバッグ。 防水性が高くタフな作りで自転車乗りの間では知られたメーカーです。 このモデルは渋谷にあるバゲージハンドラーズ ユニオンというショップの別注品です。 

2016.3.15 ORTLIEB.jpg

じつはまったく同じモデルを10年近くほぼ毎日使ってきたのですが、写真でも分かるようにかなりくたびれてきてしまいました。 同じものを買い替えようと思い調べてみたところ、バゲージ・・・にはもうオルトリーブとのコラボ商品がなくなっているうえ、オルトリーブ自体がこのスリング・イットというモデルを生産中止していたのです。 グレー×ボルドーの色やサイズ、なにより前面に書かれた 「DIVIDED WE FALL」 のメッセージがとても気に入っていたので、それほど期待はしていなかったもののやはりがっかりしました。 このメッセージはアメリカの独立戦争のときに使われたスローガン 「United we stand,divided we fall」(団結すれば立てる、分裂すれば倒れる)から拝借したのだと思いますが、私的には国家とか民族の存亡としてではなく 「全人類が助け合わないと共倒れするで!」 くらいの意味に曲訳? してぶら下げていました。

ところが昨日のこと、ダメ元でヤフオクを検索したところなんという縁でしょう、当日出品で当日終了の美品を落札することができました。 まだ届いていませんがこれでまた何年かお気に入りのバッグをぶら下げて歩けます。


Tシャツは、ひねりの効いたアメカジを提案しているVARDE77というブランドのもの。 ボブ・ディランのアルバム 「Infidels」 に収録されている曲 「Jokerman」 をモチーフにしたヒビ割れプリントが気に入りました。 Infidelsはラックにありましたし、この曲はメロディがキャッチーなのでたまに口ずさんだりしていました。 ただ、哲学的な歌詞はとんでもなく難解で、じつは未だに理解できていません。 このイラストを描いたデザイナーも同じ課題に取り組んだんだな、と思うと何となく親近感を覚えました。

2016.3.15 JOKERMAN3.jpg

このように、ヤフオクはわたしのひそかな愉しみのひとつなのですが、最近ではインターネットを開くたびに右のほうのバナーに、私のストライクゾーンにドンピシャのおすすめ出品が 「ほらほら〜♪」  と誘惑してくるので、自分との闘いがなかなかしんどいです(笑)







 

デニム

  • 2016.02.10 Wednesday
  • 16:09

生の状態からちょうど10年履いたヘビーオンスのジーンズがそろそろ壮年期を迎えたので、新しい相棒を買いました。

他人さまからの見られようなど正直どうでもよくなって来ているのですが、自分も風景の一部であるという自覚を持って過ごすことも社会に対する礼儀だと思って、なるべく自分なりにおしゃれを意識するように心がけています。

思い起こせば、私は色気づき始めた中学3年の頃に突然おしゃれに目覚めました。 両親は子どもに余分なお金を持たせない主義でしたのでお年玉も自由にさせてもらえず、建設会社の跡取りである友人に頼み込んで山奥の堤防作りのアルバイトをさせてもらったり、高校になってからはプロパンガスの運搬や年賀状配達などをして洋服やギターを買っていました。 はじめてリーバイス501(古着)を履いたのもこの頃でしたっけ。 なので、私の”アメカジ”歴もどうやら40年以上になります。
山奥では昼休みにこっそりユンボを運転して崖から転落しそうになったり、無免なのに郵便局のおにいさんのローレル(パワステなしMT)をこっそり拝借して、隣町で切りかえせず往生したりしたことはナイショです。


これが10年履いた”ウェアハウス”の1003XX、28inchです。 いわゆるリーバイスの大戦モデルのレプリカです。第二次世界大戦中、リーバイスでは物資を節約するためにリアポケットのステッチの糸を省略、ペンキで手描きされていました。 コインポケットもリベットレスです。 私の1003XXはウェアハウスの10周年記念モデル、赤ペンキでアーキュエイトステッチが描かれています。 昨年20周年記念モデルが発売され早いうちに完売したようですが、私は赤ペンキの10周年モデルのが好きだなあ。

股上はかなり深く腰周りはガバガバの文字通りのワークウェアスタイル。 ジャストサイズの28inchとインチアップで29inchの二本を変わりばんこに履いて、それぞれ同程度の育ち方をしました。

ウェアハウス.JPG


レプリカジーンズのメーカーが作るデニムは、現存台数が限られた50年以上前の旧式の力織機で織られていますので、ヴィンテージと同じく、ザラ目や糸が本来持っているムラ感がそのまま生地になっており、履いても眺めてもなんとも言えぬ素朴な風合いが感じられます。 デニムと同じように普段着や作業着として長く親しまれてきたわが国の紬や藍染めの衣料は、今やすっかり着る人が少なくなってしまい、作務衣と言えばお坊さんか焼き鳥屋のおっちゃんしか頭に浮かびません(笑) なんだか皮肉なものですね。

デニムと同様、”アメカジ” 好きが選ぶスウェットやTシャツなどは旧式の吊編み機で編まれており、”服” というより ”皮膚の延長” という着心地で、何かにやさしく包まれているような安心感があります。 1時間に1mしか編めないと聞きますし、縫製などにも手間がかかる分そこそこのお値段になってしまうので、私などはトップスはもっぱら古着を愛用しています。

電車の中や街で、上手に育てたレプリカジーンズをさりげなく履きこなしている人を見ると、この人はきっと動物や植物を大切に育てたり、時間の経過も風流に楽しめたりする人なんだろうなあ、なんて勝手にシンパシーを感じてしまいます。


フルカウント.JPG

新しい相棒は、股上の浅いストレートタイプのフルカウント1108XX。 履きやすさとヴィンテージっぽい色落ちで定評のあった1108(13.7oz)と同じジンバブエコットンを使っていますが、XXモデルは15.5ozというゴツい織りと濃紺極まった染めの濃さ。 すっきりしたシェイプと戦前テイストの生地のおいしいとこ取りです。 ここから綿糸とインディゴの風合いの変化を愛でながら、また大事に育てて行きたいと思います。







 

人類は本当に進歩しているのでしょうか

  • 2016.01.18 Monday
  • 17:15

1995年にNHKで放映された 「映像の世紀」 シリーズ。 このときは迂闊にも見逃してしまいましたが、元旦の0時から14時間34分にわたり一気に再放送してくれましたので、先日来、月に一度のペースでで放映されているNHKスペシャル「新・映像の世紀」と併せてかなり真剣に見ています。
http://www.nhk.or.jp/special/eizo/

今までただの歴史の知識だった100年前の出来事が、実際に映像で見てみると自分自身がタイムマシーンに乗って過去を覗いて来たような気になるから不思議です。 動くトルストイや「睡蓮」を描いているモネ、リウマチに苦しみながらも絵筆を離さないルノアールなどを見ていると、古めかしい書体や乾ききった絵具の彼らの作品にも、血が通う温かさが戻ってくるようです。

「新・映像の世紀」 第一回の 「百年の悲劇はここから始まった」 では、発明されたばかりのムービーカメラで撮られた、おもに第一次世界大戦にまつわるショッキングな映像が紹介されました。 毒ガス、地雷、爆撃、人類が初めて大量殺戮の方法を編み出して、実際に使用した現場の酸鼻な光景。 第二次世界大戦の映像は機会あるごとに見ていますが、軍事テクノロジーが未完成な分、かえって映像の生々しさが強調され、見ているうちに身体も心も強ばってきます。 ここから世界を覆う恐怖のスケールはどんどん大きくなって行きました。 ただ、平穏に見える日常を過ごしていると、スケールが大きすぎる恐怖は薄いヴェールのようにとてもうっすらとしていて、とくに首筋が寒くは感じていませんよね。

全シリーズの中でもっとも衝撃を受けたのは、ナチスの収容所から解放された何人もの囚人たちが、骨と皮だけになった身体で全裸のままゆらゆら歩く後ろ姿でした。 人間としての尊厳を奪われ、逃れようのない死の恐怖と向き合い続けたあと解放された彼ら。
数字で1千万人戦死したとかいわれてもピンと来ませんが、現実的な死の体験よりもよほど恐ろしい時間を過ごした人の後ろ姿は、たいへん失礼ですが生きている人には見えず、言いようのない恐ろしさを感じました。 いや、ちがいます。 恐ろしかったのは、純朴なドイツ人でさえ、正しい事と教えられればそこまでの仕打ちを平然とやってのけられたという事実だったのだと思います。
いやぁ、番組を観進めるにつけ、ほんともう人間に絶望します。 

宗教・民族・イデオロギーの違いから生まれる、恨み・憎しみ・恐怖の連鎖。 根拠のない安心感を求め、恐怖からわが身を守ってくれる社会システムへの依存はどんどん強まって行きます。 そして社会システムを維持するために有用な、金太郎飴のような人間を育てる正誤の教育に身を委ねて行くと、自分勝手なロジックで大量殺戮さえ正当化される社会の出来上がりです。

世の中で発生する揉め事のほとんどは正誤で解決できるものではありません。 いくら正誤の精度を上げてもしょうがないのです。 他人や自分、あるいは身に起こる出来事を受け容れる心、多様性を尊重して他人や自分をゆるす心を育てる教育がまったく不足しているように思います。 

政治が行う教育では受け容れる心・ゆるす心が育たないことは歴史が証明しています。 では宗教はどうでしょう。 宗教はもともと心を育てる最新の科学だったはずですが、なにしろ二千年も前の骨董品のような理論では世界中の人々に馴染むものはなく、かえっていろいろ揉め事の種になっていますよね。 もうそろそろグローバルな現代社会にフィットした世界標準の新しい理論が必要なのではないでしょうか。

優秀な頭脳を持つ人たちは、生活をほんの少し便利にするためのテクノロジーの進歩や、ほんの少し長生きするための医学の進歩に夢中になっていないで、受け容れる心・ゆるす心を育てる方法を見つけてほしいと思います。

ただ、頭脳が優秀なだけではどうにもならないようです。 20世紀初頭に、空気中の窒素からアンモニアを合成する方法を発見してノーベル賞を受賞したドイツのフリッツ・ハーバー博士は、その後第一次世界大戦において毒ガスを開発し大量殺戮に成功。 その祝賀パーティーの夜、毒ガス開発に反対し続けた化学者でもある妻のクララはハーバーのピストルで自殺を図ったのだとか。
ドイツ国家のために尽くした彼ですが、その後ナチスが台頭するとユダヤ人であることを理由に国を追われます。

人格を伴わない優秀な頭脳は凶器のようなものですよね。 そんな凶器に傷つけられ続けてもなお滅びていないのですから、人類のしぶとさも相当なものですが、、

見逃した方はNHKオンデマンドで972円を払っても見る価値ありです。 ぜひ!

title-656x369.jpg








 

安彦年朗さんの個展で

  • 2015.12.15 Tuesday
  • 17:04

日曜はひさびさに息子とサイクリングの予定でしたが、気圧の谷の通過がずれ込んだようで雨になってしまいました。
もちろん残念でしたが、自転車ももう10年ちかく乗っていますので、たまには乗れない日曜を楽しむのもわるくありません。

この日は近所の小さなギャラリーで毎年12月に開催される、木工作家 安彦年朗さんの個展へ出かけてきました。
ジョッギング中にこのギャラリーの前を通りかかり、彼の作品に魅せられて衝動買いしたのも2年前の同じころでしたっけ。

安彦年朗ブログ.jpg
その作品がこれです。


安彦さんは16才にして自然保護団体のボランティアでネパールへ入ってから、インド、アフリカ、ヨーロッパを放浪し、バルセロナでアートな照明作家として制作活動を始めました。 その後帰国し、現在は木工作家として活躍されています。

経緯は知りませんが 10代半ばで一般的な人生とはまったく違う方向へ向かう決断は、周囲にはなかなか理解されなかったことでしょう。
思えば私も17才の頃に、高校を中退してアメリカ西海岸のヒッピーのコミューンに入りたいと言って父親に張り倒されたことがあります。 私の場合は現実逃避的な思いつきだったので、父親の対応はもっともな事でした。

親の価値観で生きていた純粋な子どもからひとりの男に変わるとき、さまざまな矛盾に気づいて自分固有の価値観を構築する必要に迫られます。 しかしそれでも「人の役に立つ人間になるため」というもっともらしい口実で、実際には「自分のため」にやはり矛盾だらけの社会システムの価値観の中に生きることを選択するのがふつうなのではないでしょうか。

いろいろ謎が解ける齢になってふり返ると、たしかに10代の純粋な心でこそ見える真実があったんだなと、遠い目になってしまいます。

今回の個展で見た安彦さんの作品群は、かなり衝撃的なものでした。 以前はインドやアフリカのプリミティブな要素が濃く反映した作品が多かったのですが、展示台の上には19世紀の異端の画家 ゴヤの版画集「戦争の惨禍」を彫刻に起こした作品が並んでいいました。 

私の考えでは、芸術家は自分の人生経験の中で感じたものを表現するだけでなく、遺伝子の中に組み込まれた、宇宙の起源から伝わる本質を表現する使命を帯びた人だと思っています。 情報処理能力を主る前頭葉よりももっと古い悩の導きで生きる人ではないかと。

今のキナ臭い世界の在り方には、もちろん誰もが危機感を抱いていると思いますが、とくに創作的に生きている人が発する反戦メッセージは、たとえそれが若い人の声であっても、古い遺伝子の記憶から導かれたものであると考えて厳粛な気持ちで受け止めるようにしています。 そこには識者たちの情報処理によって構築された論理よりもよほど説得力を感じるのです。
 

今回私が購入した安彦さんの作品です。 高さは13cmほどの小品。 荒目のヤスリで削りっぱなしの本体に、滑らかに仕上げられた顔面。 蒼白に見えます。 これはゴヤのシリーズではありませんが、それらのショッキングな作品と並べて展示されていたので、おそらく受け容れがたい出来事を目の前にして表情を無くしてしまった人の象徴なのだろうと理解しています。

安彦年朗3ブログ.jpg








 

  • 2015.11.16 Monday
  • 15:13

いや、わたしが孫を授かったわけではありません。 当院のスタッフ女史のお嬢さんが、数日前に元気な女の子を出産されたのです。
私より五歳も若いスタッフ女史は、ちょっと若すぎる ”おばあちゃん” になってしまいました(笑)

潤ちゃん3ブログ.jpg
(撮影:スタッフ女史)


はじめてお嬢さんに会ったのは中学生のころだったでしょうか。 それから10年、今回の出産に向けて身体のメンテナンスに来院してくれるたびにどんどん母の顔になっていくのを見て、ほんとうにりっぱな大人の女性になったなぁ、と感心するばかりでした。

よそさまのお祝い事とはいえ、報告をいただいた朝は何だかお日さまの光がいつもより明るく感じられ、何ともうれしい一日になりました。

高度成長期からバブルの時代と、ものすごくヌルい時代だけ生きてきた私は、 若い世代と話すときに「子どもを授かって育てることはすばらしいこと」 などともっともらしく語ってはいますが、じつはこの齢になっても 「生まれてきて生きること」 の意味がよく分かっていません。 もし自分が今の時代に適齢期を迎えたとして、果たして結婚や子どもを持つことを選択できたかどうか、まったく自信がありません。 この若い夫婦も、浮かれてばかりはいられない未来に向け、子どもを産んで育てる決意を固めるまでには、相当な覚悟が必要だったことでしょう。 

前にも書きましたが、わが子につける名前は、どういう育て方をするのかという親の宣言のようなもの。
聞いたところによると候補に挙がっている名前は、自分を主体として生きて行くのではなく、ひとの心や社会をやさしく潤す人になってほしいという願いが込められているようです。 それはこれからの世界を生きる人として、何より求められている資質ではないでしょうか。 

どうかこの子の時代が、生まれてきてよかったと思える世の中でありますように。。

潤ちゃんブログ.jpg
(撮影:スタッフ女史)








 

calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< October 2017 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM