河岸忘日抄

  • 2017.03.09 Thursday
  • 11:16

 

眠ることが好きな私は、7時間眠れることが日々の小さな幸せです。 ただ、そうすると帰宅後の自由時間は90分をひねり出すのが精いっぱい。 ここのところはずっとamazonのプライムビデオで映画を観て過ごしていましたが、読みさして机の上に置きっぱなしてあった本にふとうしろめたさを感じて4ヶ月ぶりに頁を進めました。

 

堀江敏幸の作品は芥川賞受賞作「熊の敷石」以来何冊か読んでいましたが、この「河岸忘日抄」もほかの作品と同じように、不思議な浮遊感を味わいながら彼の心の中を遊ぶ、まるで仙人のひとり言を聴くような小説でした。

 

300頁を超える長編なのに、この小説にはストーリーらしいストーリーがありません。 日本で忙しく過ごし、少し働きすぎたと感じた主人公の「彼」は、以前暮らしたことがあるフランスの街にしばらく逗留していわゆる充電を決め込みます。 知り合いの所有する係留された船に庵を結び、備え付けられていた本を読んだり音楽を聴いたりコーヒーを淹れたりして過ごす内省的な時間をそのまま文章にしただけの内容です。

 

とくに印象に残ったのは、直流・交流の話でした。 小学校の頃の理科の実験で先生が直流・交流の違いを教える際、まず交流で点灯された豆電球の明るさを生徒たちに見せ、次に直流に繋ぎ直して、ぱぁっと明るくなったときに生徒たちから歓声が上がるシーンは誰の記憶の中にもおぼろげに刻まれているはずですが、主人公はその明るさが変化しない並列つなぎの方に強く惹かれるタイプだったというくだり。 

 

もちろん私を含めてふつうの生徒たちは、ただ直流の魔力に魅かれたのではなく、物理の不思議さに讃嘆の声を上げたのだと思います。 おそらく作者自身もそこは同じだったのではないでしょうか。 ただ、この比喩には直流型の人間が作る直流型の社会に対するやんわりとした皮肉が込められているのだと思います。 思うことを口にすると「変わってるね」と言われ続けてきた私などは、「彼」という三人称ではぐらかしてはいますが、他ならぬ堀江自身と思われる主人公の人格に深く共感しました。

 

だいたい堀江敏幸は、インタビューでも 「ずっと流れのままに生きてきました。自分の書きたい文章を自分の好きなペースで書いてきて、いつのまにか作家といわれるようになっていました。けれど、自分からそうなりたいと思ったことは一度もありませんし、そうなるためにどこかに働きかけるといったことも、一切してきませんでした。」 などと答えるような人です。

 

誰の心の奥底にも潜んでいるエゴイスティックなどろどろを、自らの心身を削って表現することが芸術としての文学なのだとすれば、ずいぶん肩の力の抜けた彼の作品を物足りなく思う文学ファンも多いのではないかと思います。 たし算がたし算でないと気が済まない直流型の人が読み始めたとしても、10頁くらいで放り出すのが目に見えるようです(笑)

 

ものすごく才能のある人がほどよく力を抜いて書いたこの小説は、たとえばCTIレーベルのjazzを聴いているような、あるいは大谷翔平にキャッチボールをしてもらっているような感覚?  そりゃもちろん大谷の試合での全力投球を観るのは興奮はするけど、直に感じることは出来ませんもんね。 素っ頓狂な例えですが、なんとなく分かってもらえるかしら(笑)

 

ともあれ、世俗の価値観や成功への野心とは縁のない ”世捨て人臭” ぷんぷんな彼の作品は、私にはものすごくしっくり来るのでこれからもずっと読み続けることになると思います。

 

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旧作映画な日々(その7)

  • 2017.02.20 Monday
  • 16:40

 

最近はまた読書を再開しましたので、旧作映画鑑賞はペースダウンしてます。 それでも週2本は観てますヨ。

 

「コンセント」★★★★★

2001年公開。 とても興味深い内容の映画でした。 現代医学はシャーマン的意識状態を病気と見なしていますが、時代をさかのぼればシャーマンは社会にとって、なくてはならない存在でした。 映画はその資質を持った主人公の女性が、苦しみながらもその能力を自覚し、精神的に傷ついた人に救いをもたらすことの喜びに目覚めるというお話し。 監督は中原俊。 東大文学部宗教学科を出たあと日活でロマンポルノを撮っていたという、ちょっと変わったキャリアを持つ人。 しかしこの映画はそのキャリアがどちらも充分に生かされた内容でした。 スピリチュアルな要素をクールに分析していくので胡散臭さは感じませんでしたし、たびたびおとずれる濡れ場のシーンも自然な印象。 主演の市川美和子のお人形さんっぽい個性的なルックスと棒な感じのセリフ回しが、いかにも ”自問する人” という風に見えるので、かえって映画のメッセージを伝わりやすくしていた気がします。

信心するにせよしないにせよ、現代においては世界中の人の宗教観はだいたい三大宗教の影響を強く受けてしまいますよね。 昔は世界中に無数に存在したシャーマニズムや新興宗教も今ではサブカルチャー扱いされる傾向ですが、しかしそれでないと救われないという人が居るのも事実なんですよね。 いや、わたしは無宗教ですが ←誰へのイクスキューズやねん(^^;

 

 

「メゾン・ド・ヒミコ」★★★☆☆

2005年公開。 こちらは性的マイノリティのお話し。 主人公の女性(柴咲コウ)に、何年も会っていないゲイの父親(田中泯)がガンで余命いくばくもないので看取ってほしいと告げに来たのは、父の愛人のイケメン(オダギリジョー)でした。 父は伝説のゲイバーを閉めたあと、海岸沿いのラブホを買い取ってゲイ専用の老人ホームの館長をしていました。 そのホームにアルバイトに通うようになり、思い込みを克服して正面から向き合う覚悟を決めた主人公ですが、彼ら?との関係が近くなるに連れ、その深い苦悩を知ります。

LGBTの人たちの生きにくさは何となく想像できますので、「性的描写を見て自分も目覚めてしまったらどうしよう」 という恐怖からついついこのテーマの作品は避けてきましたが、「龍馬伝」の吉田東洋役で田中泯さんを知って以来、本業の舞踊の独演も見に行ったくらい彼のファンなのでついつい見始めてしまいました。 

ここのところ、世の中の流れは少しづつLGBTの人たちを理解し応援する方向に向かっていると感じています。 いわゆる”ノンケ”ではありますが、私も応援してますヨ! ←これも誰への言い訳やねん(≧▽≦)

 

 

「バンク・ジョブ」★★★★★

2008年公開。 舞台は1971年のロンドン。中古車店を経営するも借金取りに追われる毎日の主人公(ジェイソン・ステイサム)は、幼馴染みの女性から銀行強盗計画を持ちかけられます。 地下の貸金庫には王室のスキャンダルの写真が隠されており、事件はMI-5やギャングを巻き込んだ大騒動に発展していきます。 私はこの時代の車、とくにイギリスの小型車が大好きでしたので、冒頭に主人公の店に並んだ車を見たときにはよだれが出そうでした。 写真の左側は ’62シンガー・ガゼル、右側は '56ビッグヒーレー。ヒーレーの横にはMG1300も並んでいます。ほかにもフォード・トランジット、トライアンフやウーズレー、ミニ、ジャガー、ベンツ、ルノーなどが登場。 ため息が出ます。 私も20代の頃にはジョン・クーパーチューンのミニに乗っていましたが、これは過去に乗った車のなかでももっとも思い入れの深い一台です。

車のハナシばかりになってしまいましたが、映画はとても良く出来ていて楽しめましたヨ。 ここのところシリアスなテーマの邦画ばかり観ていましたので、よい息抜きになりました。 ノンクレジットのチョイ役でミック・ジャガーが出ていたのですが、それを知らなかった私は 「あれ?彼に似てるなァ」 と3回も巻き戻してしまいました。

 

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こちらが今から30年前に私が乗っていたMini。1971年に生産中止となったミニ・クーパーですが、1987年に日本のミニ丸山というショップが当時ご健在だったジョン・クーパー氏に依頼して新たにチューニングパーツを開発。 これはその1987年モデルでした。 ノーマルの42馬力から65馬力まで引き上げられており、峠道をスポーツドライブするにはほんとうに楽しい車でした。 当時ミニ用のエアコンは効率が悪く8馬力も食われてしまうので、夏は扇風機でしのいでましたっけ。 その後、結婚を機にステーションワゴンに乗り換えてしまったので、この車はレース車両として友人にドナドナされて行きました (T_T)

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「沈黙」サイレンス(ネタバレあり)

  • 2017.01.31 Tuesday
  • 12:13

 

すこし前になりますが、封切り初日に映画 「沈黙」 を見てきました。

 

遠藤周作の原作は読んでいませんでしたが、有名な小説ですのでおおよそのあらすじは把握していました。 見る人によってさまざまな解釈が可能な映画だと思いますので、無宗教ではあるものの人間がなぜ宗教を必要とするのかということには関心が高い一観客の感想としてお読みいただければ幸いです。

 

江戸初期、おもに政治的な理由から幕府は禁教令を発布します。 その後、島原の乱を経てますますキリシタンへの弾圧は激しさを増していくのですが、そんな中、布教の使命感に燃えた二人の若いポルトガル人司祭が長崎のある村へ上陸します。

 

現地の司祭がことごとく連行されてしまったため、道標を失っていた信者たちは彼らの訪日を大いに喜びます。 しかしほどなく密告によって二人とも捕縛されてしまうのです。 一人は信徒を救おうとして殉教してしまうのですが、残った一人は牢に繋がれます。自らは拷問を受けず、その代わりに来る日も来る日も信徒たちの拷問や死を見せられて、ついには棄教してしまいます。

信徒を処刑しても彼らは殉教と受けとめて喜んで死を受け容れたため、幕府は信徒を拷問にかけ、それを指導者である司祭たちに見せて棄教をせまるという手段に方針転換していたのです。 

 

主人公の司祭の苦悩は、信徒の苦しみを見かねたからという単純なものではなく、「殉教」に至るにも複雑な教義があることを知らず、信心をつらぬいて死を得れば必ず天国に行けるという誤った思い込みで死んでいく信徒を見送ることに対する罪悪感。 そして布教の際の民衆や投獄後に接した現地の役人の哲学的な理解度を知るにつけ、自分の行いが思想的に真っ白の未開の地で教えを説いているのではなく、文化的・思想的水準の高い国にある意味戦いを挑む行為であり、はざまに立つ信徒たちにかえって苦悩をもたらしていることへの気づきから来るものでした。 そして何日も苦悶に喘いだあげく、幻聴とはいえ直接神の声を聞いたときに決断するのです。

 

棄教のあと、その司祭は武士として幕府のために働くことになるのですが、その辺はほとんど描かれていません。ただ、彼が亡くなった際、日本人の妻はなんと火葬される彼の手に信者から受け継いだ木彫りの十字架をひそかにしのばせるのです。

 

棄教後の司祭がどう生きたのかは、このラストシーンだけで理解できました。 教義を説いて信者を増やすという大きな達成感を伴う聖職者としてのキリスト教ではなく、教義抜きの実践のキリスト教を生きて、彼自身や彼に関わった人を救ったのだと。

 

 

監督のマーティン・スコセッシはインタビューで試写を見た神父の言葉を紹介していました。 幕府の拷問は疑いようもない暴力ですが、宣教師が民衆に 「これが普遍的な唯一の真実である」 と思い込ませたことも、ある意味暴力なのではないかと。

たしかに、本国の教会からすればキリスト教の影響力を広めていくために信者を洗脳し、消耗品として現地の宗教や政治体制と戦わせることは、自らの腹の痛まない ”戦争” だったのだと思います。

 

宗教は、人の心を救済したり社会に秩序をもたらしたりと、その権威が行き届く範囲ではとても有益なものですが、ひとたび他の宗教や同じ宗教の他宗派との対立の構図が生まれてしまうと、とたんに表情を変えて無慈悲な行いを厭わなくなります。

それは過去の、いや現在に続く歴史が証明していますよね。 フォロワーさんを失いたくないのでこれ以上は書きませんが(笑)

 

 

この映画、スコセッシ作品ということで気合いが入ったのか、俳優たちの身体は干物みたい仕上がっていますし、アカデミー賞撮影賞にノミネートされたように映像の迫力はもの凄いです。スタッフ全員がこの映画に込めた熱量がビシビシ伝わってきました。 なかでも私がいちばん印象に残ったのは、自身も映画監督である塚本晋也が演じるモキチの演技でした。 ”水磔”(干潮のとき磔にし、満潮になると溺死に至る拷問)でなかなか死にきれないシーンの撮影では、日米のスタッフ全員が涙したそうです。

彼の表情や演技を見るだけでも、この映画を観に行く意味があると思います。

 

予想通り 「沈黙」  は今回のアカデミー賞作品賞にはノミネートもされませんでした。 キリスト教社会では受け容れられにくいテーマをあえて映画化したマーティン・スコセッシ監督に敬意を表したいと思います。

 

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旧作映画な日々(その6)

  • 2017.01.17 Tuesday
  • 17:50

 

録画しておいたテレビのお正月特番もひと通り見終わり、またまた旧作映画な日々がもどって来ましたヨ♡

 

 

「レスラー」★★★★☆

2008年公開。 当時56才のミッキー・ローク主演で、'80年代に全米のスターだった初老(中老?)の現役プロレスラーの苦闘の日々を描いた映画です。 私と同年輩の主人公を見ているとすっかり身に詰まされてしまって一度では観きれず、何回にも分けてやっと観終えました。

仕事も私生活もうまく行かず、齢を取って男性ホルモンの分泌も低下して行き、何か心細くなって今までほったらかして来た娘や心を寄せる女性にすがってみるもののうまく関係を構築できず、最後に自分を救ってくれたのは、、

プロレスラーの日常が、そこまで曝す?ってくらい赤裸々に描かれていて、プロレスファンな方はがっかりしてしまうかも知れません。

思えば、同じ’80年代に 「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」 「ナインハーフ」 でブレイクしたあと、スキャンダルや2度の離婚などもあり、すっかり影を潜めていたミッキー・ローク。 主人公のプロレスラーに自分の人生を重ねたのではないでしょうか。

 

 

「マシンガン・プリーチャー」★★☆☆☆

2011年公開。 実話です。 麻薬密売人のサム・チルダース(実名)が、ある事件をきっかけに更生し、現在も内戦状態が続いている南スーダンに孤児院を建てるまでを描いた作品。 

ウガンダ北部と南スーダン南部で活動する反政府組織LRAのリーダー、ジョゼフ・コニーは集落を襲っては子ども達を誘拐し、強制的に戦闘員や性的奴隷にしており、その数は2万人以上に上るとのこと。 本来被害者であるはずの子ども達が殺戮を繰り返すことが問題をより複雑にしているようです。 日本の自衛隊が派遣されている国がどのような状況なのかを知りたくて見てみました。

 

先進国の人々に現地の状況を知らしめるためには意味のある映画だとは思いますが、マシンガン・プリーチャー(牧師)と呼ばれる主人公チルダースにすっかり感情移入してしまうと、観る人によっては、ものすごく複雑な経緯で生まれた状況を正義と悪の二元論的な思考で認識してしまう怖れがある気がします。 その感覚こそが今の世界の状況を難しいものにしている根源。 いかにもアメリカの映画だなあ、というのが率直な感想です。

 

 

「トト・ザ・ヒーロー」★★★★★

1991年公開。 ベルギー・フランス・ドイツ合作。 子どもの頃から妄想癖のある主人公にはある種の ”形質” が感じられます。

その彼が老人になり、自らの人生を振り返るのですが、回想された事実も混乱を極めたものになります。ただ彼の中でひとつだけゆるがないのは、向かいの家に住む幼馴染みへの嫉妬心。 

この映画の主人公にははっきり ”形質” が見てとれますが、世の中の「自分はまともだ」と思い込んでる人にも程度は違えど必ずなんらかの形質は潜んでいるものです。 社会に適応しにくい主人公を病的な形質と突き放して見るか、彼に自分を重ねて見るかで受けとめ方が変わる映画だと思います。

ラストシーンで主人公は火葬されてしまうのですが、遺言なのでしょう、遺灰は飛行機から撒かれます。 このとき初めて彼の魂は解放され、ほんとうの幸せを感じるのです。

監督の、ポジティブな意味での死に対するあこがれが色濃く反映した映画です。 ものすごく共感しました。

 

 

「ミッドナイト・イン・パリ」★★★☆☆

2011年公開。 脚本・監督ともにウディ・アレン。 婚約者とパリを訪れた小説家が、ある夜単独行動することになり、道に迷ってひと息ついた路地に横づけされたのは1920年代製のプジョー。 車内でどんちゃん騒ぎする男女に誘われるまま車に乗り込み、着いたクラブでは、本物のコール・ポ−ターがピアノを弾いており、スコット・フィッツジェラルドやヘミングウェイが哲学的な議論を楽しんでいました。 そうです、主人公は1920年代にタイムスリップしてしまったのです。 

ほかにもゴーギャン、ドガ、ダリ、ガートルード・スタイン、T.S.エリオット、マン・レイなど、私の知っている範囲だけでもそうそうたる顔ぶれの創作家たちが登場します。

とくに心に残るものはありませんでしたが、なにしろ奇想天外な着想とよく書けている脚本のおかげで、とてもおもしろく観れました。 

 

 

「捨てがたき人々」★★★★★

2014年公開。 原作は 「銭ゲバ」「アシュラ」 などで人生のブルースを描いて、人の心の深層に哲学的な問いを投げかけ続けるジョージ秋山の漫画です。

主演は大森南朋。 「ヴァイブレータ」を観て、もうすこし彼の出演作が見てみたくなり、リストを検索してこの作品にたどり着きました。

親からの愛を充分に受けず、自己肯定感を持てないまま成長してなげやりな人生を送る主人公。 シニカルな言動の奥には心のつながりを渇望する自分が居るのですが、また裏切られることが恐くて、女性との身体の関係にしか人の温かさを見出せないで生きてきました。  あるときそんな彼が強姦同然の行為で子どもを授かりました。 さて、彼の心に何か変化が起きたのでしょうか。

それから何年か経って迎えたラストシーン。ひとり海辺を歩く彼の心が満たされたのか、あるいはより絶望が深くなってしまったのか、はっきりとした答えが示されていません。 それを観客に考えさせることが、すなわちこの映画のテーマなのかも知れません。

 

 

「ムーンライズ・キングダム」★★★★★

2012公開。 ウェス・アンダーソン監督の作品は「ダージリン急行」しか観ていませんでした。 ヒューマンコメディの 「ダージリン・・・」 は、なにしろ水平移動のカメラワークと全編を通じてのキッチュな色彩が強い印象として残っています。

この 「ムーンライズ・・・」 では、それにも増してものすごく長いレールで撮ったと思われる、まるでドールハウスを見るような水平移動による撮影法、そして’60年代という時代設定にもとづいて当時流行したシャーベット・トーンで彩られた映像は一度見たら忘れられないインパクトです。

ボーイスカウトのキャンプに参加している12才の少年は、空気が読めずまるで集団生活に適応できません。 キャンプ地近くに住む少女も同様の形質。 偶然出会ったふたりは魅かれ合い、脱走&家出による駆け落ちに踏み切ります。

私の記憶が正しければふたりとも最後まで一度も笑顔を見せることはありませんでした。 絵画など突出した才能や知能はあるものの共感能が欠落したふたり。 明らかに "ある形質" をもった彼らを最後には周囲がゆるしサポートしていくストーリーは、現実世界ではなかなか起こりにくいファンタジーです。 ただ、ほんとうにそんな心豊かな社会が実現すればいいなあ、と温かい気持ちになりました。

 

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2017年は元旦からスターウォーズ

  • 2017.01.02 Monday
  • 17:50

 

暮れから続くおだやかな陽気で、ほんとうに良いお正月になりましたね。

旧年中は拙ブログにおつき合い頂きまして、ほんとうにありがとうございました。 みなさまのアクセスが励みになって、飽きっぽい私がどうにか3年半も書き続けて来られました。 今年もときどきのぞいてみてくださいね。

 

私は元旦生まれなので正月のたびに齢を取ります。 なので私にとってのお正月は、自分を見つめなおして成長と老化を評価するための、なかなか厳しい機会でもあります。

 

さて、子どもたちもみな成人してお正月はそれぞれの都合で過ごすようになったので、私ものんびり好きなように過ごさせてもらいました。 元旦は午前中から近所のシネコンで 「スターウォーズ ローグ・ワン」 を観てきましたヨ。

 

ご存知のようにスターウォーズシリーズはハリウッドのドル箱作品です。 題材は文字通り宇宙戦争。 40年前に最初の作品であるエピソード4が公開されたときには、共和制が崩壊して帝国制になった宇宙にふたたびデモクラシーによる共和制を取り戻すべく抵抗する反乱軍の活躍に正義を認めた、わりと分かりやすいテーマでした。 帝国軍の将校はナチス風の衣装に身を包んでおり、兵たちの呼称もストームトルーパー(ナチスの突撃隊シュトルムトゥルッペンが語源)で、いかにも第二次世界大戦の同盟国軍と連合国軍を象徴するような設定でした。 しかし映画公開当時は東西冷戦まっただ中でしたので、観客は帝国軍にナチスというより全体主義という共通点からソ連をはじめとする共産主義の国々を見ていたのではないでしょうか。 

 

それが時代が下って冷戦が終わり、スターウォーズもシリーズが進むにつれ、その主題は政治や戦争ではなく哲学的なことに変化していきます。 主役のひとりアナキンは 「愛する人を救いたい」 という純粋な思いが強い執着に変化していき、生前から授かる強大な力で自分の周りの状況をコントロールしようとしてダース・ベイダーとなり、宇宙のバランスに大きな影響を及ぼします。 

 

〇×を判定したり、優先順位を決めたりする能力を競わせる教育で育つ現代人に対して、世の中は正義と悪で出来ているわけではなく、それぞれの心の中には葛藤があるのが自然なことで、それをバランスさせることこそが絶対的な正義(フォース)であるというメッセージが伝わって来ます。 これってなんとなく古来の修験道や神道的な感覚ではないでしょうか。 日本刀風の武器であるライトセーバーや衣装を含め、そこここに日本の伝統的なアイコンが顔を出すことからも、監督のジョージ・ルーカスが精神性においても多分に日本の影響を受けていることがうかがえます。

 

近年日本のアニメがこれだけ世界で認められているということは、とりもなおさず日本人の精神性がリスペクトを受けているということですよね。 資源のない日本が輸出するべきはテクノロジーよりも、私たちの心の奥に伝わる高い精神性なのではないでしょうか。 それこそがフォースを受け継ぐ私たちの使命であるように思います。 そしてそれが世界の平和につながるという皮算用です。 て、何もしないくせにどんだけ大風呂敷やねん(笑)

 

ハナシが大きくそれてしまいましたが、ローグワンは過去の作品のような哲学的なメッセージはほとんど感じませんでした。 昨年公開されたエピソード7もそうでしたが、シンプルな戦争映画という感じ。 それでもスターウォーズファンならこれはぜったい観るべきです。単純におもしろい! 第1作であるエピソード4からまた1周見直したくなること請け合いです。 

 

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旧作映画な日々(その5) 邦画編です

  • 2016.12.28 Wednesday
  • 18:34

 

amazonプライムビデオを観はじめて3ヶ月が経ちましたが、もう40本近く観たでしょうか。 なんでこんなにハマッっちゃったんだか(^^;  ここのところは邦画づいてて数本続けて観ましたので、ご紹介させていただきます。

 

「しあわせのかおり」★★★☆☆

2008年公開。 中谷美紀主演ですが、実質的な主役は助演の藤竜也だと思います。

金沢のはずれにある小さな中華料理屋の主人の王さん(藤)の料理は、市内でも評判でした。 そこへ地元デパートの社員で、王さんに出店してもらえるよう交渉を任された貴子(中谷)が訪れます。 しかし王さんは 「料理は客の顔を見ながら作りたい」 と取り合いません。 客として辛抱強く店に通ううちに王さんの料理に魅せられていく貴子。 そんなある日、王さんは脳梗塞で倒れ料理が出来ない体になってしまいます。 そこで貴子は大きな決断を下すのです。

若い頃の藤竜也は、やたらとシブがるだけで演技力は?の印象でしたが、久しぶりに見た彼は素晴らしかった。 その眼差しには大らかな人間愛が込められていて、彼のやさしい言葉にはうそがありませんでした。

あと、王さんが貴子を伴って故郷である上海・紹興へ里帰りするシーンでは、現地の人々の穏やかな日常や空気感がとても印象的だったなあ。

 

 

「恋せども、愛せども」★★★★☆

2007年公開。 もともとはWOWWOWが制作したの2時間ドラマを映画で公開した作品とのこと。 レビュー欄での高評価に釣られて観てみました。 血の繋がらない、それでもそれ以上の固い絆で結ばれた3世代女性4人の家族。 複雑な家族構成のうえに、恋愛してみたら相手が実の兄弟だったとか、、 これでもか!ってくらいこねくり回したストーリーは、まるで少女漫画のおとな版です。 かなりわざとらしいストーリーなのに、そこにはまったくわざとらしくないbluesがありました。 それは内省的な気持ちを誘う画面のトーンやスチールカメラ的な画、主演の長谷川京子の独特のセリフのタイム感に依るところが大きかったのではないかと思います。 良い映画でした。

 

 

「滝を見にいく」★★★☆☆

2014年公開。 紅葉と滝を見に行くバスツアーに参加した7人の40〜70代のおばちゃんたちが、頼りにならない新米添乗員に置き去りにされ、山中で一夜を明かすお話しです。 女優さんたちは全員オーディションで選ばれたそうで、主婦やアマチュア劇団員、ロケ地のサポートスタッフだった人など、プロの女優ではない人たちがそれぞれの人生が刻まれた顔で演じるものですから、「あー! こんなキャラのおばちゃん身近にいるし」 となること請け合いです。 いがみ合ったり寄り添い合ったりしながらピンチを切り抜けていく様子のなかに、そこそここなれた年代の女性たちのタフさと可愛らしさがとてもよく描かれていました。 ストーリーはかなりブッ飛んでいますので好みが分かれるかもです(^^;

 

 

「ヴァイブレータ」★★★★★

2003年公開。 建て前で成り立つ人間関係にリアリティを感じられず、酒と”食べ吐き”でかろうじて自分の心のバランスを取っているフリーのルポライターの寺島しのぶは、酒を買いに入ったコンビニで長距離トラックの運転手大森南朋と目が合います。 そこで彼女の 「いいかんじ」「あれ食べたい」 というモノローグ。 彼の後を追いトラックに乗り込んで新潟までの納品に同行します。

中学もきちんと卒業しないでホテトルのマネージャーなど裏稼業を数年やって足を洗い今の仕事にたどり着いた彼の人柄は、やはり彼女のモノローグが見事に評しています。「この人が優しいのは感情じゃなく本能だよ。感情が無くとも優しくする。柔らかいものには優しく触る。桃にやさしく触るのと同じこと。動物みたいなもんだ。でも桃傷んでても気にしないやつとかさ、、いい男じゃんこいつ。」 3日間を共に過ごして自分が求めていた種類の ”やさしさ” に触れることが出来た彼女は、元のコンビニでトラックを降ろしてもらう頃には、自分の人生にもう一度価値を見出していました。

動物的な感覚がつなぐ、打算のまるでないヒリヒリするような男と女の話し。 良かった!

 

 

「春との旅」★★★★★

2010年公開。かつてはニシン漁でにぎわった北海道増毛の町もすっかり廃れてしまい、妻や娘に先立たれ、自らも脳卒中の後遺症で身体が不自由になった老漁師を演じるのは仲代達也。 ともに暮らす孫娘の世話になっていましたが、給食作りで彼女が勤務していた小学校が廃校になってしまい、彼女の人生のお荷物になることを嫌って生れ故郷の宮城県に住む兄弟たちに自分の面倒を見てくれるよう頼んでまわりますが、、

羽振りのよかった頃に尊大な態度で接していた老人が、大滝秀治や柄本明、淡島千景演ずる兄弟たちに頭を下げに行ったときの、名優同士バチバチ火花が飛ぶようなやりとりは、見ているこちらも緊張感で血圧が上がりそうでした。

当初は手のかかる老人から解放されたいと思っていた孫娘の春の気持ちが、老人と旅をするうちに少しずつ変化していく様子は、齢とともにいろいろ自信がなくなってだんだん心細くなってくる私ども世代には心に沁みるものがありました。 やっぱり若い人にかわいがってもらえる年寄りを目指さネバダ!  しみじみこの映画良かったなぁ。

 

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「この世界の片隅に」 を観てきました(たぶんネタバレないと思うんだけど(^_^;)

  • 2016.12.21 Wednesday
  • 16:04

 

もう10年以上通院されているアニメの作画監督の患者さまから、「すばらしい映画の制作が進んでいますのでぜひ観て下さい」と聞かされたのがもう2年くらい前の話だったでしょうか。 それがいま公開中の「この世界の片隅に」でした。 その患者さまが携わる仕事ではないものの、原作のすばらしさやクラウドファウンディングという資金調達法、片淵須直監督をはじめとする製作スタッフの陣容などから、この作品に対して業界内では大きな期待がかけられているということを話してくれました。

 

舞台は戦時中の広島と呉の街。 絵を描くことが好きな天然キャラの主人公すず。 窮屈な時代にもかかわらず空想の世界にあそべる彼女はいつも2つの世界を行ったり来たりしているので、すなわち常に自分に逃げ道を用意してあるので、人や出来事をゆるして現実の受け容れが上手な女の子。 彼女を演じるのは女優の「のん」です。 評判どおりの好演でした。 公私を隔てるフィルターを通すことなく心をそのまま声にしてもどこにも嫌な臭みがない主人公のキャラ設定は、逆にのんをモデルに描かれたのではないかと思うほどでした。

 

そんなすずでも戦況の悪化とともに、また戦争で大切な人がひとりひとり失われていき、ついには自分自身も心身に傷を負うに及んで空想に逃げ込む余裕がなくなり、だんだん本当の自分を見失いそうになります。 しかし夫や家族と支え合い、どうにか生きて終戦を迎えます。 ラストシーンは廃墟の広島。 そこで起こる小さな出会いが物語に大きな救いをもたらします。

 

 

水彩画のようなパステルトーンと毛筆で引いたような柔らかな線で構成される映像は、どこか現実の世界を傍観するように生きるすずが視ている ”この世界” を表現しているように思います。 多用される彼女自身のモノローグもその効果を強調していました。

 

私などは愁眉なシーンをリアルに描いて戦争の悲惨さを強く打ち出した映画では、つい脳が勝手に登場人物への共感をシャットダウンしてしまい、客席で映画を観ている素の自分に戻ってしまいます。たぶん自分の心を守ろうとしてしまうのだと思います。 それでは発信者が伝えたい大切なメッセージはかえって伝わりにくいのではないでしょうか。 この映画はリピーターが多いことも特徴のようで、患者さまの中には10回以上観たという人がいるほどです。 あまりにキツい描写だと何回も観る気にはなりませんよね。 悲惨な戦争を浮世離れしたすずの目線や、やわらかいタッチで表現したこともこの映画の成功の要因になっているように思います。

 

劇場では後端の席を選んで泣く気まんまんで臨んだのに、なぜか泣けませんでした。 しかしよく考えてみると、泣いてスッキリしてしまうと途中の辛さを忘れてしまうことってありません? 観客の感情を誘導して泣かせる演出をする映画が多いなか、この映画のように大切なことを忘れさせないために、あえてカタルシスを与えないイケズなやり方もありかなと思いました。

 

 

最後に、戦時に青春時代を過ごされた当院の患者さまのお話しを載せさせて頂きます。

 

「ドラマや本における戦争は限られた時間やページ数で完結させる必要があるため、コントロール不能なものすごいスピードで戦争に突入していったように描かれることが多いものだが、日常の時間の流れはその変化に気づかないほどゆるやかにそこに向かい、気づけば恐ろしい波に巻き込まれていた」 

 

しずかに話される彼の頭の中にはどんな映像がよみがえっていたのでしょう。

 

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ボブ・ディランー音楽も文学!?

  • 2016.12.14 Wednesday
  • 17:46

 

「先約があるから」 とついにノーベル賞の授賞式を欠席したボブディラン。 

それでも 「名誉ある賞を光栄に感じている」 というコメントを出したようで、彼もずいぶんオトナになったなと感じました。

 

昨夜、NHKスペシャル「ボブ・ディラン ノーベル賞詩人 魔法の言葉」を録画で見ました。 しかしなんとまぁ陳腐なタイトルをつけたものでしょう(笑)

 

番組ではディランの詩についていろいろ分析していましたが、文学や音楽は分析したり解説したりした時点で力を失う気がします。 それはたとえその解説が表現者本人によるものであっても。

作品と出会ったときに、読者や聴衆自身が強いインパクトとともに瞬時にそのキモを理解してはじめて、その作品の霊力が伝わるのではないでしょうか。 ディランがメディアに露出しないことも 「分かるやつだけが分かってくれればいい」 という彼のメッセージのように思えるのです。

 

彼は社会のあちこちにある不条理への怒りを歌にして世に出たわけですが、共感してくれていると感じていた自分のファンのほとんどが、世の中の対立軸を正義と悪の二元論でしか考えることしか出来ないステレオ脳であったことは、彼にとって大きな誤算だったのではないでしょうか。 彼はただ正義感に燃えてプロテストソングを歌ったのではなく、たまたま人に認められそうな社会問題を題材に選んだだけで、彼がほんとうに表現したかったのはそこにある人間の ”業” なのです。

 

Nスペでは、ハーバード大の文学部の教授がインタビューで彼のことを 「”人間とは何か”  を捉える能力が傑出している。文学が担ってきた役割を音楽活動によって果たしている」 と評価していました。 まったくその通りだと思います。 番組自体はしょっぱかったのですが、このコメントには拍手したい気持ちになりました。 ディランについてだけでなく、文学の役割をひと言で言い表してくれてすっきりしました。

 

スウェーデン・アカデミーが発表した受賞理由も 「米国音楽の偉大な伝統のなかに新たな詩的表現を創造した」 こと。歌詞についてだけでなく音楽をも含めて文学的価値が評価されたということのようです。

 

 

しかし自伝を読むと、彼は自分のことを特別な人間とは思っておらず、「同じ感覚を持って生きる人たちの中で少し表現が上手いだけ」 と自己評価していたのだと思います。 盗作や引用はお手のもの、離婚の慰謝料でお金が苦しくなればツアーに出たりと、他人が勝手に作り上げた虚像を演じる気はさらさらないので、まぁ人間臭いことこの上ありません。 

 

「ふつうの自分に気づけたことなんだから、君たちにだってもういいかげん分かるだろ? あとは自分で考えろよ」 という彼の声が、冬枯れの街を渡る風に乗って聞こえてくる気がします。

 

最後に、以前「ボブ・ディラン自伝」について書いたときにも引用した彼の文章をもう一度紹介させて頂きます。 おこがましいのですが、この感覚は年齢とともに謎が解けてきた今、なんだかとてもよく分かるんです。

 

「来るべきもののかすかな予兆があったとしてもそれに気づかないこともある。 しかしそういうとき、身辺の出来事をきっかけにして世界が変わる。 未知の世界に飛び込んで直感的に理解する。 自分は解放されたのだと。 そういうことは急激に、魔法のように起こるものだと思いがちだが、本当はそうではない。 小さな音がしてその瞬間が訪れ、眼を開けたとたんに頭の回転がよくなって、何かに確信を持つというのではない。 それはもっとゆっくりとやってくる。」

 

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旧作映画な日々(その4)

  • 2016.11.21 Monday
  • 17:39

 

わたしの旧作映画な日々もしつこく続けて第4回をかぞえました。 最近ではガッキーや校閲のドラマに時間を取られてペースは落ちてきましたが、ちゃんと観てますヨ。 今回はシリーズ物です。「ビフォア・サンライズ」 「ビフォア・サンセット」 「ビフォア・ミッドナイト」の3部作。

 

「ビフォア・サンライズ」★★★★★

1995年の作品ですが古さはまったく感じません。なぜならほとんどのシーンが若い主人公2人の会話のみで成立しているので、風景や脇役には意識が行かないからです。 それほど2人の俳優の息の合った演技がすばらしいとも言えます。

パリに向かう夕刻のユーロトレインの中で偶然出会うアメリカ青年ジェシー(イーサン・ホーク)とソルボンヌ大学に通う女学生セリーヌ(ジュリー・デルピー)。 青年は母国へのフライトを翌日にひかえ、「無為に過ごしてしまった欧州旅行を印象的なものにしたいのでウィーンで列車を降りて翌朝まで一緒に街を観て歩いてほしい」 と女学生に持ちかけます。 一見粗野に見えて、絶えず哲学的な自問に遊ぶ青年に興味を持った彼女は少し迷ってOKし、物語ははじまっていくのでした。

 

じつは私自身、似たような経験がありました。 大学2年か3年の夏、高知への帰省から東京へ戻る際の新幹線。 京都から乗って来て、隣りの席に座ったのはクラリネットのケースを抱えた清楚で美しい女性。 某音大の学生さんでした。 エレキギターにロン毛の私は彼女ことが気になってしかたありません。それは向こうも同じだったようです。 きっかけが何だったか思い出せませんが、話しかけないとかえって不自然なちょっとした出来事に助けられ、東京までの3時間を楽しく過ごしたのです。

ただ、つき合っている人がいることはカミングアウトしましたので、主人公たちと同じように連絡先は聞かないまま東京駅でさよならしました。 今でも彼女の名前を憶えているのは未練がましい男のサガですね(^^; 

 

 

 

「ビフォア・サンセット」★★★★★

2004年に 「ビフォア・サンライズ」 の続編として公開されました。 ’95のあの夜を題材にした小説を書いて成功し、キャンペーンでパリを訪れたジェシーは、ある本屋で記者会見を開きます。 その店の片隅にはセリーヌの姿が、、

半年後の約束の日に逢えなかったふたりは、9年ぶりに再会したのもつかの間、ジェシーの帰国のフライトまでは85分しかありません。 あの頃23才だったふたりも32才。それぞれの人生は次のステージへ進んでいましたが、パリの街を歩きながら弾む息の合った会話は、あの夜と同じようにふたりの心を高揚させます。

ラストシーン、セリーヌを部屋まで送ったジェシーは、ギターで歌を作っているという彼女に1曲だけ聴かせてとおねだり。 この歌がものすごく沁みました。 映画はここでフェードアウト。 その後のふたりがどうなったのか、想像させるだけさせといて、またもやイケズな終わり方(≧▽≦)

 

 

 

「ビフォア・ミッドナイト」★★★☆☆

出会いから9年後に撮られた前作。そのまた9年後の2013年に公開されたのが本作です。 前2作と同じ監督、同じ主演俳優ふたりで撮られたこの映画は、脚本もその3人によって書かれたそうです。

前作のラストシーンのあと、ふたりはその後の人生を、理性と情熱のどちらに委ねたのでしょう。 冒頭で一目瞭然ですがそれは観てのおたのしみ。

前二作までの主人公ふたりの間には、お互いの価値観をきちんと相手に伝え、日常に議論は絶えなくても懸案事項はうやむやにはしない、というコンセンサスが成立しているように見えました。 感情に任せた発言はなるべく控えて論理的に問題を解決していたのです。

ところが本作では、お互いの感情が大爆発します。 観客はロマンティックないい話だった前二作から、いきなり身に覚えのある現実世界に引き戻されることでしょう(笑) もちろんご多聞にもれず私にも覚えがありますので、生々しすぎるぶん減点で星三つとさせていただきます(≧▽≦)

 

 

ここまで観てしまったので、6年後にきっと公開されるであろう続編も観ないわけにはいかないだろうなあ(笑)

 

 

第二作「ビフォア・サンセット」のラストシーンのセリーヌの歌。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

尾根みちサイクリングのあとW.C.カラスのライブへ

  • 2016.11.15 Tuesday
  • 20:34

 

秋もどんどん深まってきましたね。 木枯らし1号が吹いた日など、骨皮ベリィスジスジな私はどこかにひらひら飛んでいってしまいそうでした。

さて、1年ほど前にKOTEZのライブを聴きたくて初めて訪れた小手指のライブハウス ”たらまガレージ”。 誘われるに任せて打ち上げまで参加させて頂き、その席で隣り合わせたのがサイクリストのT巻さんでした。 日曜日にはその彼と奥武蔵グリーンライン経由でたらまガレージを再訪し、W.C.カラスを聴いて来ました。

 

 

尾根道へは関の入線からアプローチ。 たまたまふたりともMTBのシューズでしたので、以前から気になっていた ”五常の滝” を見てきました。 ”五常” とは儒教で説く五つの徳目、仁・義・礼・智・信のことだそうです。 それがこの滝とどう結びつくのかはよく分かりませんが、心が鎮まる趣のある滝でした。

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ご一緒いただいたT巻さん。 自転車でははじめてのお手合わせでしたが、幸い脚が合ったのでのんびりおしゃべりしながら楽しく走れました。

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グリーンラインでいちばん好きな場所。

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刈場坂峠が通行止めでしたので、はじめて高山不動尊の林道を下ってみました。この林道、下りでも気を使うくらいの斜度でした。ぜったい上りたくないです。 おまけにマムシトラップ付き。この銭形模様は何度見ても背筋が強ばります。 ヘロヘロになった上りでこんなの踏んだらと思うとゾッとしますねえ(◎_◎;)

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小手指のスーパー銭湯でさっぱりして、いざたらまへ。 この日のカラスはいつもに増して絶好調でシャウトも3割増し。 あの絶好調ぶりは、聴衆の中に若くて魅力的な女性客が何人も居たことと無関係とは思えません(≧▽≦)

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打ち上げはいつも通りおとうが大活躍。 若い人をもドッと沸かせる軽妙な受け答えをはさみながら、82才とは思えない艶のある声とタイトに決まる三線のリズムでみんなをハッピーにしてくれました。

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打ち上げの際、カラスは 「率直な意見を聴きたい。ときには批判も聴いてみたい」 と言っていました。

 

たしかにふつう日本人は面と向かった相手を批判することが苦手ですもんね。 ただ、カラス自身はわりと率直に物を言う人という印象。そういう人は自分も他者からの率直な評価を聴きたいと願う傾向です。 配慮よりも誠意が優先されるタイプなのだと思います。 じつは私もそんなタイプなので、今まで何度言葉の選び方で痛い目にあったか分かりません。

 

面と向かうシチュエーションに限らず、自分の心の声が口から出るとき配慮のフィルターがオートマティックに機能するのが日本人の仕様なのに、中にはマニュアルでしか操作出来ない人も居るんです。そしてその操作が苦手という、、(>_<)

 

しかし、表現者たるものそれで良いのだと思います。 自分を語るにせよ自分以外を語るにせよ、聴く人に配慮した表現などに魅力は感じません。 これからも自分の内面をさらけ出して、もっと言えば心の局部を隠さずにステージに立って、「本当の自分を知ることを恐れるな!」 と叫び続けてほしいです。

 

この夜、スキップ・ジェイムスのスタイルで2曲演ってくれたのですが、これは良かったなあ。 カラスのマイナーブルースは絶品です。 局部まる出しでした(≧▽≦) 

 

 

 

たらまの飼い猫”カル”。 所在なさげにステージをお散歩中。 また聴きに来るよ。

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