成長とか老化とか

  • 2015.07.03 Friday
  • 19:03

若いころは子どもが苦手でした。 わがままでうるさくて思慮が浅くて、、 

それが自分に子どもが出来たとたん、自分の子どものためなら迷わず死ねると思いましたし、仕事のストレスも半減しました。
そしておもしろいことに、他所のお子さんまでみんなかわいくてしょうがなくなったのには驚きました。

自分自身の脳の情報処理パターンに、それほど大きな変化が起こったのは初めてのことだったのでかなり戸惑いましたねえ。

人間も動物ですので、種の存続のためにはたくさんのエネルギーをつぎ込みます。
自身の知力・体力の向上を図り、同性・異性に対して優秀な遺伝子の継承者であること、また目的のために努力を継続できる個体であることを証明し、優秀な子孫を残していく。その目的を達成するまでは何よりも自分の事を大切にするべきで、その頃は自分以外の人に対してのやさしささえも、結局自分自身を生きやすくするための知恵によるものだと思います。

ただ、子に恵まれ、その子どもたちが自立したあとは、もう何かを証明するための努力に意味を感じるのは難しくなってきました。 ここから先、自分を大切にして生き残るための努力をすることは、自分のためにも社会のためにもかえって負担になるような気が、、
昔の人が早死にだったのも、医療技術の水準というより、隠居したあとの家族や社会からの疎外感や退屈が原因していたのでは? という説も頷けます。

最近では、選挙権年齢を18才に引き下げることが決まりましたね。 独身時代〜我が子が小さかった頃までは、子供たちが暮らす自分の国を守るためには戦争も致し方ないと考えていましたが、今は息子たちが戦場で人を殺してその罪悪感で苦しむような悲しい時代なら、無理に生き延びてくれなくてもいいよ、って言ってあげたくなります。 この思考パターンの変化にも我ながらびっくりです。

やはり政治の方向性は若い人優先で決めていくべきだと思います。 齢を取ってミョーにマイルドになったり、逆に過激になったり。 ぼんやりしたりした頭で考えても、現役世代にとって最善の政治判断が出来るとは思えません。 今の自分の劣化ペースから考えると、そうだなぁ、65才くらいで参政権を取り上げてもらえば、疎外感が感じられるようになり、現在の異常な長さの平均寿命も世界の平均に近くなれるのではないでしょうか ←これは完全に言いすぎましたね(笑)

今日はひどい雨で患者さまが少なかったのと、朝の通勤路でほどよく褪せた紫陽花の写真なんか撮ったものだから、くだらないことをつらつら書いてしまいました。 いつも以上に自分に向けたひとり言みたいなものです。 あんまりマジメに読まないでくださいね。

ブログ.jpg













 

空に向かって跳びはねてみませんか?

  • 2015.05.20 Wednesday
  • 14:05

5月4日に再放送されたNHKの 「君が僕の息子について教えてくれたこと」 を観ました。
重度の自閉症をもつ詩人で絵本作家の東田直樹さんと彼を支える人、そして彼の本に救われた人たちのお話しです。

連休明け、当院のスタッフ女史にその番組の感想を話したところ「彼の本、うちにあります」 とのこと。 すでに昨年の初回の放送を観ていた彼女は、そのあとすぐ東田さんの 「跳びはねる思考」 というエッセイ集を読んでいたのです。

成人しても自らの形質に気づかず適応に苦しみ、それを身体の症状として自覚して受診する患者さまも多いのですが、そんな彼らのことを知るために、すすんで自閉症スペクトラムについて勉強していた彼女には頭が下がりました。

さっそく私も借りて読んでみました。

ぜんぶで37のエッセイのうち、はじめの3タイトルは「僕と自閉症」「刺すような視線」「障害を抱えて生きること」 で、自閉症を生きることについて書かれていました。 これらはとても重要な内容なのですが、自閉症を紹介する本はほかにもたくさんありますので目新しくは感じませんでした。

4つめのエッセイのタイトルはとつぜん「夏が来るたび」。  ここからは彼が心を奪われるほど好きなもの、心が安らぐ時間や対象がいくつも紹介されます。 そのどれもが私の好きなものと重なるので、ついブログに上げてしまいたくなったのです。

「夏」「植物」「水」 どれも私がとくべつに思いが強いものばかりです。

「夏」 の強烈な陽射しや朝の草いきれは、故郷の室戸への郷愁を誘いますし、何より夏は、目に入るもの、耳に聴こえるもの、肌に感じるもの、そのすべてがにぎやかで、落ち着きのない自分の心を開放しても許される気がして安心できるのです。

「植物」 以前このブログにも書きましたが、もし生まれ変われるなら、湖を見下ろす斜面に立つ梢の高い針葉樹になりたいと思っています。 なぜか、と訊かれてもうまく説明できませんが、私にとって植物はとても純粋な命に思えるのです。 しずかな心で光や風や四季を感じて過ごしてみたいなあ。

「水」 これもやはり子どもの頃、川や磯や浜で海に潜ったときの身体の自由度や心の開放感は、今でも鮮烈な記憶として刻み込まれており、ふたりの息子にも水に関わりのある名前をつけたほどです。

こんな純粋で感性のゆたかな人と好きなものがいくつも共通するなんて、うれしいかぎりです。


最後に 「言葉」 というエッセイの一文を引用させていただきます。

「話ができず不便だったり、大変だったりすれば、どうしたら少しでも言葉が伝わるか、自分でも工夫し、何とかしようとするはずです。 これは、報われるためではなく、生きるための努力なのです」

一般に自閉症スペクトラムの人は、他人の心を理解するのが苦手なのですが、自らの心を記述するトレーニングをすることで、少なくとも他人に自分を理解してもらうことができるようになり、コミュニケーションの糸口がつかめる。 そんな達成感が自己肯定感につながるという意味だと思います。 共感能が心もとない私自身もまさしくそうやって対人関係を維持してきたので、彼が言わんとすることが痛いほど理解できました。

彼らと同じ 「形質」や「素因」 は、多かれ少なかれ誰にも存在するもの。 自閉症の人の心を知ることは、いわゆる 「健常者」 であるあなた自身の純粋な心を再発見することにつながるかもしれませんよ。

DSC_0156.JPG













 

薔薇と手

  • 2015.02.08 Sunday
  • 16:42

数日前の昼休み、患者さまから頂いた薔薇のしおれ方に魅かれ、カメラを構えたその自分の手背に目が留まりました。

普段わざわざ見ることもありませんが、何かのおりに鏡の中の自分と目が合ったり手に目が行ったりすると、ほんのわずかな時間ではありますが心が動揺します。 ずいぶん長く生きてきたものです。 
もちろん、平均寿命ちかくを悠々と過ごしている諸先輩からすれば洟垂れの戯れ言ですが。

40代までは、遠い昔に幼なじみと肝試しに飛び込んだ台風前の室戸の波のように、逆らおうとするだけ消耗してしまう暴力的な時間の流れに翻弄されて過ごしていました。 
ところが50をとうに過ぎ、この腕や脚や頚や心をさんざんにへし折ったものすごい力の波は遠く岸辺に砕けて、のどかなうねりに取り残されぷかりぷかりと浮かんでいる自分に気がつきました。


自慢ではありませんが私には若い友人がたくさん居ます。 下は中学生くらいから。 彼らはどうやら私のことを大人だと思ってくれていないようです。 ふつうは皆さん意識しなくても 「大人と子供」 「男性と女性」 「治療家と患者」 など、相手との関係性を明確にしてからコミュニケーションを取っていると思うのですが、裸一貫がデフォルトの私はそれが苦手なのです。 人を値踏みしない者同士だと仲良くなるのは簡単ですよね。

若い日々を生きる人たちは、毎日がほんとうに大変だと思います。 親や社会の期待に応える。さまざまな衝動や欲求を実現する。何もうまくいかず無為に日々を過ごす自分を受け容れる。など、大人の目からはもどかしく見えても、彼らは生まれてきた意味を証明するために毎日が必死です。 真摯に自分と向き合う彼らを見ていると、何の価値もなかった自分の若い日々もひょっとしたら少しは輝いていたのかもしれないと思えてきます。

自分や親や友人や社会やぜんぶが大嫌いで、ぜんぶ殺してぜんぶ死にたいと思った若い日々。
今、自らの老いの兆候はたしかにさみしくもありますが、若い頃の苦しさを思えばそれ以上にありがたくうれしいものです。
若い友人たちには、永遠に続きそうに思える不安で苦しい日々を過ごしていても、とくに何かを成し遂げられなくても、いつかきっと自分と同じように、いろいろ忘れっぽくなって受け容れが楽になり、おだやかな海をプカプカたゆたうように過ごせる日が来ることを、うそっぽくならないようにどう話したものか考え中です(笑)


薔薇完成形1ブログ用.jpg

薔薇完成形3ブログ用.jpg









 

今年もお世話になりました

  • 2014.12.30 Tuesday
  • 18:02

タイトルは暮れのごあいさつなのに、カテゴリーを「身体や心のこと」に分類したのには理由があります。
じつは、今年を振り返りながら年賀状を書き終えた翌日、仲間たちと出かけたマウンテンバイクの走行会で鎖骨を骨折してしまったのです。

2014.12.14MTB1ブログ.jpg

2014.12.14MTB3ブログ.jpg



恥ずかしい出来事なので、さらっと流したいところですが、紺屋の白袴ネタもおもしろがって頂けるかしらと、右腕のリハビリを兼ねて、出来事の顛末を書いてみようかと思います。


2014.12.14MTB4.jpg
このあたりまでは楽しかったっけなあ。。

2014.12.14MTB6.jpg

2014.12.14MTB2.jpg




シングルトラックも終盤に差しかかった頃、どうということのない右ターンの際、前輪が枯葉に隠れた木の根を踏む角度がいけなかったらしく、息をのむ間もなく右肩から地面に叩きつけられました。 行程の後半はとくに油断禁物と自身に言い聞かせながら走っていたので、かえって精神的なショックは大きかったです。

2014.12.14MTB7.jpg
この写真はジャンプの着地失敗時のもので骨折時のではありません。 ただ、思い起こせばこのあたりから雲行きは怪しかった気もします。。


木の根にしたたか打ちつけた頭が像を結び始めるまで待って立ち上がり、どうやら頭は大丈夫そうだとホッとしながら違和感を感じる肩を動かしたとき、すっかり離断してしまった骨片どうしがきしむクリックを感じました。鎖骨骨折の典型的な受傷部位である中外1/3部に触れてみましたが痛みはありません。 覚悟を決めながら外端部を押してみると、はっきりと骨折特有の限局性圧痛がありました。 外端部は安定性が悪いため、ほとんどの症例が手術治療になってしまいます。 癒合期間も余分にかかるし、、自分の舌打ちが聞こえました。。

痛みで背中を丸くしたくなりますが、炎症症状が進んで痛みが大きくなる前に、気合を入れてバキボキ音もろとも鎖骨骨折の固定肢位まで胸を開きセルフ整復。健側の左腕で右腕を支えながら数キロを歩いて下山しました。 このとき あしびな の店長さんは、徒歩でもきついシングルトラックを2台押しで同行してくれました。 彼は自転車に乗るのも上手ですが、こんなすごいテクニックまでマスターしていたとは(笑) 

駐車場に着くと、仲間が三角巾と鎮痛剤を調達してくれてありました。 三角巾がどれほど有用かを思い知りましたねえ。患肢を吊るだけで痛みは半減。 三角巾は自転車乗りの救急セットにはマストだと確信しました。

都心方向に向かう全員が、私の職場の接骨院まで送ってくれました。 仲間に固定法を説明しながら専用の鎖骨ベルトを装着してもらったときには、またまた感動するほど痛みが激減。 休診のお知らせまで貼り出してもらい、当日するべきことはすべて完了することができました。 ほんとうに感謝感謝です。

翌日、懇意にしていただいている整形外科を受診しました。 レントゲンでは骨折面5cmほどの斜骨折でした。 幸い烏口鎖骨靭帯は部分断裂で済んだらしく、中枢骨片の跳ね上がりもほとんど見られません。 外端部骨折のわりには安定性が良さそうなので、先生と相談の結果保存療法で様子を見ることになりました。


受傷後2週間が経過し、固定性が良ければそろそろ骨折部の断端が線維性に結合し始める時期なので、ためしにベルトを外してみると、まだどうにも腕の重さが支えきれず数分でギブです。 骨折は骨に貯蔵されている血液がいっぺんに放出され、出血量もそれなりに多くなるので皮下溢血斑もしっかり残っています。 
通常ならレントゲンを撮って経過をチェックする時期なのですが、破骨細胞が骨折片の断端を地ならし中のこの時期にレントゲンを撮っても、画像上は骨折線の乖離が大きくなっているように見えるだけなので、仮骨が見え始める4週目まで診察は免除されており、経過の判断は臨床症状が頼りです。 可動域の訓練開始は3週目からかなあ。 患者さまの焦る気持ちがよく分かります。



受傷当初は、この1ヶ月を思索にふけって有意義に過ごす腹づもりでしたが、忙しい日々の就寝前のひと時とちがい、時間無制限で深く自分を見つめ直す試みは、ポッカリ口を開けた暗いほら穴の前に立ったような気持ちでとても恐ろしく、かと言ってテレビとPCを眺めながら「食っちゃ寝食っちゃ寝」生活も、それはそれで現実の社会から切り離されていくような寂しさが侵み入ってきます。 予定された療養期間も折り返し地点を過ぎ、この先心や身体がどう変化していくのか、得られるものや失うものが何なのか、観察して行きたいと思います。

ということで今年最後の更新は、なんとも辛気臭い内容になってしまいましたが、来年もどうか懲りずにおつきあいくださいませ〜






 

「名は体を表す」

  • 2014.10.06 Monday
  • 18:01

先日、親戚に新しい命が誕生しました。 私自身も初めてわが子を授かったときには大きな喜びに飛び上りましたが、同時にそれまで感じたことがないほどの責任感に身が引き締まったことを思い出しました。 まだ目も開かず子猫のように細い声で、それでも力いっぱい泣いて母親に自分の居場所を知らせるしわくちゃな顔を見つめながら、一所懸命名前を考えたことも。

よく 「名は体を表す」 と言います。 これは当たってるなあと感じることが多いのですが、いろんな人を見ていると、すっかり自我が確立してから、努力によって我が名に負けない人間になったとは思えないんです。

親が子に名前をつけるとき、どういう人間になってほしいかをイメージしてつけますよね。
「世のため人のためになるような人間になってほしい」 「 
競争社会を生き抜いて成功してほしい」 「 たくさん勉強して正しい判断が出来る人になってほしい」 「 目に見える成果を上げる人になってほしい」 「 目にみえないけれど大切なことを理解できるひとになってほしい」 「 哲学的に生きて本質を知る人になってほしい」 「 やさしい人になってほしい」 「幸せな人生を歩んでほしい」 「きれいな女性・かわいがられる女性になってほしい」 などの親の願いが込められた名前はすなわち、そういう人間に育てますという親自身の宣言のようなもの。
三つ子の魂百まで」 の教えの通り、幼少期に形成された価値観はその人の価値判断の基礎となり、大人になってさえいい意味でも悪い意味でも、人間性の形成にどこか誘導がかけられていくのではないでしょうか。

いろいろな個性の人が補い合って社会を形成しているわけですから、自分を優先しようが社会を優先しようが、あるいはスピリチュアルなものを優先しようが、どの個性も否定されるべきではありません。

昨今、流行っているキラキラネームも、漢字の意味なんかより ”音” のひびきなどの原始的な感覚が大切、という主張とも考えられますし、既存の価値観にしばられない独創的な人になってほしい、という親の愛が感じられますので、それはそれでアリかなと思っています。 ずいぶん世代が違うので、そりゃもちろん自分としては少しの違和感はありますヨ(笑)

ともあれ、名前による自己流の性格判断は、血液型占いよりはよっぽど当たると思っています。

あ、もちろん名前とぜんぜんちがう人格の人が居ないわけではありません。 そういう人に出会うと、この人はきっと、脳の中で誘導という磁場を発生し続ける親の幻影との厳しい闘いを乗り越えてきたんだろうな、などとろくに知りもしないその人の半生を、勝手に想像するのが私のひそかな愉しみです。


木馬ブログ用2jpg.jpg







 

安心とか不安とか、快とか不快の線ってどこ?

  • 2014.05.12 Monday
  • 18:43

出勤前に自宅前の大きなケヤキの若葉の写真を撮りました。 何の気なしにモノトーンにしてみたところ、かなりコワい画像に。
おだやかな朝の陽光を半分くらい透過させて、シャルトリュージュにかがやく若葉のはずが、嵐の夜の洋館の庭のようなことに。。

心地よい空気や風景に身を置いたときには、思考よりも感覚が優先されますよね しかし自らを振り返ってみても、ほんとうに心が疲れてしまったときって、思いや考えが勝ちすぎてしまって心地よい風景が目に入らなかったり、見えてはいても光や匂いが感じ取れなかったりで下の写真のように見えていたような。 私が週に一度きりの休みに、毎週自転車で自然ゆたかな場所に出かけて行かないと落ち着かないのも、心をなぐさめる空気や風景をきちんと精神・肉体で感じ取れているかをチェックする本能が働いているのかもしれません。 非常設備の点検的な。



私たちの世代は生存の不安に突き動かされて生きてきましたが、今の若者たちはそれよりも実存の不安が優先されて、他者に承認されることを目的として生きる世代なのだとか。 自己実現までの過程がより複雑になるということは、それだけ社会が成熟しているということなのでしょうけれど、世代間の価値観の乖離ははっきり感じられます。
「自分が大勢の中の一人であり、同時にかけがえのない唯一の自己という矛盾の上に安心して乗っかっていられること」こそが社会人としての成熟だということを聞いたことがあります。
どんな世代においても、自分と違う価値観をただ記号的に認識するだけでなく、とりあえず自分にもインストールしてみるくらいのイマジネーション力がないと、適応はむずかしいのではないでしょうか。

若者にかわいがってもらえるおじいさんになりたいです。










 

「重さ」が先か「力」が先か。

  • 2014.04.01 Tuesday
  • 15:30

日曜が雨だったので自転車に乗れず、ブログのネタがありませんので、ひさしぶりに身体のことについて少し。
いつも言いますが、ここに書くことはまったくの私見であり、自分自身でさえ結論の出ない、いわば妄想のような内容なので 「ふ〜ん、身体の事をそういうふうに考える人もいるんだね〜」 くらいに受け止めて下さいね。

以前に 「骨盤とかのことについて少し」 http://blog.matsumoto-sekkotsu.com/?eid=86 というタイトルで書いた内容を、なおもう少し細かく書いてみようと思います。

骨格筋の解剖学的な形態は、大きく分けて羽状筋(例.大臀筋)と紡錘状筋(例.大腰筋)に分類されます。 解剖学的断面積は同じでも、筋線維の走行に対して直角に切断した場合、断面積(生理学的断面積)は羽状筋のほうが大きいことが分かります。 筋力が生理学的断面積に比例することを考えれば、羽状筋のほうが大きな力を発揮できるということになります。




筋線維長の側面からみると、筋線維が長い紡錘状筋のほうが羽状筋よりも収縮スピードは速いと言われています。
筋節をひとつのエンジンと考えてみると、エンジンが並列に連結された場合、それぞれのエンジンの力が加算されて大きな力を発揮します(羽状筋)。 直列の場合は発揮できる力は大きくありませんが、それぞれのエンジンの収縮速度が加算されて収縮速度が上がることが分かります(紡錘状筋)。



羽状筋は、ひとつの関節を大きな力で駆動する単関節筋に多く見られますし、紡錘状筋は複数の関節を駆動して、関節のモーメントを決定する役割を担う多関節筋に多く見られます。 大腿部のMRIを検証したデータによると単関節筋が主体の大腿四頭筋は断面積がとても大きく線維長は短いですね。 対して多関節筋が主体のハムストリングは断面積は小さく線維長は長めです(大腿二頭筋は長頭に限ればもっと顕著なはず)。




もうひとつ。 筋肉はミクロの単位では、筋線維の組成によっても分類されます。 速筋線維・遅筋線維という言葉は、わりと知られていますよね。 「サイズの原理」では、運動強度が小さいときはまず遅筋線維が動員され、強度が大きくなるにつれ速筋線維が動員されると言われています。 しかし、今まで書いた内容からお分かりのように、固有名のつく筋では、皮肉なことに遅筋線維が主体と言われるインナーマッスルに多く見られる多関節筋ほど収縮スピードが速いように思えます。


以上の事から、歩行動作を例にとって類推すると、まず頭部を含めた骨盤以上の重さをなるべく前方へ落とすべく、インナーマッスル(多関節筋主体)の連携が小さな力で素早く位置を決め、その後必要に応じてアウターマッスル(単関節筋主体)が大きな力を発揮して身体全体を前方へ運んで行くのが理想ではないでしょうか。(ここでもう一度「骨盤とかのことについて少し」を読みかえしていただければ幸いです)

以前にNHKの番組で横綱白鵬のハムストリングのMRI像を見たことがありますが、他の力士に比べて圧倒的なボリュームでした。 おそらく大腰筋も同様であると思われます。 立会いで、彼は相手が立った様子を見極めてから立つにも関わらず、自分有利な組手に持ち込みます。 他の力士が単関節筋主体の大臀筋・大腿四頭筋・下腿三頭筋などのモーメントを統合するのに時間がかかっている間に、収縮速度が速く複数の関節のモーメントを一度に決定できる多関節筋で、瞬時に自分の全体重を生かせる方向を決定して飛び出して行けるのだと考えます。

このような身体の使い方を実現するためにもうひとつ重要なこと。 大腰筋などのインナーマッスルの連携をシャフトに例えれば、スリーブの役割をする体幹の外殻の筋群も整っていなければならないということも書き添えておきます。


どんな競技であれ、あるいはアスリートではなくとも、あるいは筋肉の量が減っていく老後においてはなおさら、四肢の筋力に頼らずバランスで身体をコントロールすることが重要だと考えています。


※資料は、京都大学医療技術短期大学部の論文「筋力トレーニングの基礎知識ー筋力に影響する要因と筋力増加のメカニズムー」より拝借しました。






 

個性? それとも。。

  • 2014.03.13 Thursday
  • 13:08

身の回りにも「ちょっと変わったひと」「天然でおもしろいひと」「空気がよめないひと」っていますよね。
そんな個性が、「性格」などという曖昧なものではなく、ひょっとしたら脳の構造によるものかも知れない、なんて考えたことがありますか?

知能には問題がないものの、社会性の障害および想像力の障害を持つ群を、最近、「高機能自閉症スペクトラム障害」と呼ぶことに決まったようです 。 以前には高機能広汎性発達障害(アスペルガー障害を含む)とも呼ばれていた群とも重なりますが、いくつかの分類が統合されて呼称が統一されました。
自閉症スペクトラム障害の出現率は1.5%(昨今増加傾向)。 障害という診断名はつかないものの、素因を持つ人はその5倍といわれています。 上記の個性を持つ人が、この素因を持っている確率はかなり高いことが分かります。
杉山は、素因を保有する群を 「発達凸凹」 と名付けました。 よい名称だと思います。

発達凸凹+適応障害=発達障害

たしかにこう考えればすっきりします。 素因を持っていても、親や周囲の愛情や理解が深く、自己肯定感を持って社会に適応できれば、発達障害に移行せずに済むケースも多いということです。 ところが、知能に問題がないがゆえに、親は子供の素因を認めにくく、より添うどころか 「なぜこんなことも分からないの!」 と叱り続けたり、虐待に及んだりしがちです。
この素因は、遺伝的因子の影響が大きいとのこと。 自身も素因を持ちながら、周囲に適応を助けてもらって大人になったにも関わらず、自分の子供を理解してあげられない親が多いのです。 幼稚園や小学校の先生が何人か患者さんでいらっしゃるのですが、アドバイスをしても受け容れてくれる親御さんはとても少ないと聞きます。

なぜ、突然こんな題材について書くかというと、私自身が素因を持っているからです。
心のつらさを身体のつらさに現わす患者さまに対応するために、発達障害や依存症、精神分析の本は何冊か読んでおり、自分にも該当する項目が多いなと、うすうす気づいてはいました。
しかし、発達障害の支援施設を運営する大学時代の友人や、同じく発達障害児のための音楽療法のNPOを主宰する友人に、きっちり指摘されて確信に至りました。

健常な方でも人間関係で悩むことは多いと聞きますが、他者の心を読む機能が備わっていない、あるいはその機能が充分でない者にとっては、コミュニケーションは命懸けです。 そういう個体であるほど共感に飢えているにも関わらず、心を通わせる方法を知らないのです。
幸い私は、環境に恵まれて育ったため、家族や友人との数多い心のすれ違いを経て、心を理解することは出来ずとも、相手の反応を統計学的に処理するという方法で、共感能力の欠落を補ってここまで来ました。 自身の経験から、素因を持っていても適応を助けてくれる環境さえあれば、ハンデをストロングポイントに転換できると確信しています。


競争社会の現代、繁栄だけを目的とするのであれば、たしかにハンデを持つ群はロスなのかもしれません。
しかし、トーマス・ジェファーソン、アインシュタイン、ダーウィン、ビル・ゲイツなど、素因が強く疑われた人格でも、常識はずれた発想力で社会に貢献した人が多いのも事実です。 
父母の46本の染色体がいったんほどけて、卵子の23本と精子の23本が新たに組み合わさり、新たな遺伝子の一対を組み上げるという、リスクを含んだ作業が繰り返される意味は、環境の変化に適応するためだとも言われています。

身の回りの 「ちょっと変わったひと」 にやさしくしておくと、健常なあなたに処理不能な事態が発生したとき、助けてもらえるかも知れませんよ(笑) 



ひとをゆるせる人になるヒントが書かれている良著です。








 

寒さに負けない呼吸

  • 2014.02.10 Monday
  • 19:47

週末の雪にはおどろきましたねえ。 皆さまも、シュールな景色とシュールな時間を存分に楽しまれたことと思います(笑)

寒さが厳しくなると、知らず身体全体が強ばってしまいがちですよね。 それもそのはず、身体の熱の8割は筋肉が作っていると言われています。 寒さに負けないように生命活動を維持するには、筋肉の活動が不可欠なのです。

ただ、同じ筋肉の活動でも、「気をつけ」 のように拮抗する筋肉をぜんぶ緊張させて熱を産生していると、筋肉それぞれの長さの変化が小さいため、代謝のポンプが働きにくく、すぐに疲労してしまいます。
また、肩甲骨や骨盤まわりを含めた四肢に先に力を入れてしまうと、体幹の自由な動きが妨げられて呼吸まで浅くなりがち。

動物の根源的な運動は呼吸です。 まず四肢を脱力して、大きな筋肉でもある横隔膜をゆったりと動かして呼吸することを優先してみましょう。 横隔膜がダイナミックに動くためには体幹のすべての筋肉が律動的に伸び縮みする必要があります。 伸びやかに身体を使い、呼吸主導で筋肉の長さを変化させながら熱を産生していれば、身体全体の強ばりや疲労感がずいぶん違うはずです。


木々の花芽もふくらんで春はすぐそこですね。 今頃は、動物も自己保存モードの冬眠から目覚めて活動期に切り替わる時季。 人間も動物の端くれです。表面的には昨日と同じ身体でも、動物と同じように環境に合わせて中身は変化しているのではないでしょうか。 いわゆる「木の芽どき」で体が調わないことを嘆くばかりではなく、ちがう自分に変化していく日々を感じて楽しんでしまうというのはどうでしょう?












 

頭を背骨の上に? 背骨を頭の下に?

  • 2013.11.11 Monday
  • 19:04
 
ネタがないので、久しぶりに身体の使い方について書いてみます。

タイトルは、患者さまに姿勢のことを説明するために思いついた言葉です。
禅問答のようで、ワケが分からないと思われるかも知れませんが、まぁためしにそれぞれの意識で姿勢を作ってみて下さい。

以前からお話ししているように、頭の重さは成人男性で約5kgと、ペットボトル満タン2本半の重さ。 筋力で支え続けるのは大変です。 そこで背骨を頭の下にあてがって姿勢を作りたくなるのは当然のこと。

このときに、より楽に姿勢が作れるのは前者の「頭を背骨に乗せる」方法です。
子どもの頃から、親や学校の先生に「アゴをひいてシャンとしなさい!」と言われたことがない人は居ないのではないでしょうか。 これはオフィシャルな場の空気を読んで、やる気を示すための共感ベースの姿勢。社会的な動物である人間としては、身に着けておけば世渡りに有利になるという親心から、そう躾けられることが多いものです。
頭の重さをを背骨の上に乗せて腰が落ち、アゴが上がった姿勢で無理やりアゴを引くと、脊柱は自由に動けませんし、横隔膜の動きにも制限がかかるので、呼吸も浅くなってしまいますね。
毎日、さまざまな年齢層の患者さまを診させて頂きますが、筋力が衰えた高齢の方ほど頭を背骨に乗せようとして、苦しい姿勢になっていくように思います。 これは、同一の患者さまが10年経ってどう変化するかを観察しても同じ印象です。

これに対して、頭が宙に浮いていて、その下に柔かく背骨をあてがう意識だと、脊柱が自由に動けることが感じられるはずです。 呼吸もより深く楽になりますね。
小学生の頃、掃除の時間にほうきを逆さまにして、柄を掌に乗せてバランスさせて遊んだあの感覚です。 脊柱をしなやかなほうきだと思って下さい。
この姿勢は、絶えずバランスを取り続けることが必要となりますので、脊柱周辺の筋群は収縮弛緩をくりかえします。 しかし、そういう質の運動を続けてもインナーマッスルは遅筋線維主体の組成。筋肉の長さが絶えず変化して代謝のポンプが働き続けるかぎり、そうそう疲労することはありません。
このとき重要なのは、肩甲骨以下の上肢や骨盤以下の下肢の脱力と、ゆったりとした腹式呼吸を意識することです。


このように対比すると、バランスのとれた姿勢の人は、まるで空気が読めないような人だという書き方になってしまうなあ。 実際、ちょっとだけマイペースな人が多いかな、と感じていることはナイショにしておかないとです(笑)

かく言う私も、若いころに比べると重力に負けた姿勢になってきていることが自覚されます。
元気な老後のために、ほかのどんなタスクよりも重力を感じることを優先して過ごしたいと思います。


 

calendar

S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< October 2018 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM