奥武蔵へようこそ!

  • 2018.06.19 Tuesday
  • 10:21

 

いつもフェイスブックのモンテラックグループで なりちゃんが企画してくれる奥武蔵サイクリング。

ときどき首都圏のあちこちからチームメイトが参加してくれるのですが、日曜日には相模原に住むシゲさんが奥武蔵に初上陸してくれました。

 

天気予報は曇りのち晴れの予報。 朝9時ころ越生の平地から見る山方面はすっかり雲に隠れていたものの、きっと晴れてくるんでしょ、と高を括って都幾川を遡上。

 

 

開いたばかりのムクゲの花びらは前日の雨に打たれて少しうつむき加減。 きっとまたお日さまを浴びれば元気がもどるでしょう。

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上の写真を撮っている私の様子がよほど滑稽だったのか、畦の草刈りをしていたおじさんが笑顔で声をかけてくれました。

私の実家も兼業農家で米を作っているので、ひとしきり稲作談義に花が咲きました。

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派手な支度にこのへっぴり腰。たしかにかなり滑稽ですね(^^;
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スバル360は1958年から1970年まで生産された名車です。私が大学生の頃、先輩が中古で購入した黒のスバル360にときどき乗せてもらいました。 若い女性に大好評でしたっけねー、シゲルさん(≧▽≦)

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遠くから来てくれた仲間にサイクリストの名所「白石峠」をご案内しなくてどうすんの?ということで3人でスタートしました。 ところが途中でスイッチの入ったなりちゃんがスパート。 1ヶ月前までは体重が落とせなくてヨロヨロしてたくせに再先着。 追ったシゲさんもこの汗。 哀れおじいちゃんは置いてけぼり(T_T) 3人が1分刻みでゴールでした。 富士ヒルクライムのリハビリでのんびり上ろうねって言ってたのに、おもてなしが過ぎるよ、なりちゃ〜ん(*´Д`)

 

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グリーンラインの稜線は霧の中。 走り慣れた者にとって、たまに出会えるこの幻想的な情景はレアで悪くないのですが、初上陸のシゲさんには刈場坂峠や堂平山からの眺望を楽しんでほしかったなァ。

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ゆるい上りでシゲさんが撮ってくれてました。 この日はだいたいこの順番で走りました。 カートレース経験者のなりちゃんはいつも下りはかなりのハイペースです。 オートバイに乗っていた私でもついて行くのにかなりの緊張を伴うのですが、この日はお客さんがいるのでとてもジェントルでした。

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天目指峠の上りでは予期せぬ小雨に遭いましたが、下った名栗みちは雨も霧も心配なさそうでしたので、ゆっくりランチでも、と「ウクレレ喫茶 ヤナギコーヒー」へ。 思えば数年ぶりにウクレレを弾こうと思い立ったのは、去年の秋になりちゃんに誘われて初めてこの店を訪れたことがきっかけでしたっけ。

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いつもヤナギコーヒーの玄関先で店番してるビーグル。伸びをしている様子が可愛かったので写真を撮ろうとしたら、どんどん離れて行って名栗川へ落ち込む塀まで逃げられました。カメラが嫌いだったみたい。わるいことしたね(^^;

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なりちゃんの人柄のおかげで、いつも参加するみなさんが満足して帰ってくれる奥武蔵サイクリング。 グリーンラインはこれから迎える暑さきびしい夏でも気温が30℃を越えることはありません。 ぜひみなさまおいでませ〜(^_-)

 

 

 

 

ところで昨日の診療中、患者さまヤマモモをお持ちくださいました。私の大好物と知って以来、毎年この時季になると庭からたくさん捥いで来てくださいます。 ヤマモモの木は私のふるさと高知県の県木です。 さっそく昼食・夕食のデザートにいただきました。

あぁ、しゃーわせ♡

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富士ヒル雨だって、走る?やめる?な週末でした(^^;

  • 2018.06.11 Monday
  • 18:43

 

日曜日には2年ぶりに「Mt.富士ヒルクライム」を走って来ました。11年前からときどき参加していたこのレースも昨今の自転車ブームに乗ってか、今や1万人もが参加する一大イベントに成長していました。

 

競走嫌いな私でも40代の頃は身体を追い込むことをそれなりに楽しめました。しかし還暦がすぐそこに迫った今、自転車は週末の奥武蔵の山々や時折り出かける旅においてのんびりひとりの時間を楽しむときの相棒であり、もう息が弾むほどのペースで走らせることはなくなってしまいました。

 

なので昨年あたりにはレース引退を決め込んでいたのですが、今回の富士ヒルは闘病中のチームメイトが一時帰宅のタイミングで出走するかもと聞き、居ても立ってもいられず勝手に伴走を買って出たのです。

 

ところが一時帰宅のタイミングがレース間際になってしまったので彼の身体の準備が整わず、出走は叶いませんでした。それでも出走する奥さまの応援を兼ねて、前日受付の会場や当日の会場ではみんなの前に元気な姿を見せてくれたのです。みんなでハグしまくりでした(#^.^#) 引き続き治療頑張って!

 

 

 

 

車中から眺めた土曜日の山中湖。富士山は雲の中。

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前泊はもちろんチームの本拠地である「ペンション・モンテラック」

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駐車場に咲き乱れる花。雑草を処理しすぎないオーナーはんくまさんのセンスが大好き。

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お天気が良ければモンテラックのお風呂の窓からは真正面に富士山が見えるのですが、この日は残念ながら厚い雲の中。

明日のレース当日は雨の予報です。

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前夜祭での乾杯。チームのエース「ミヤケン」。もう50才近いのに今年も60分切り。自己ベストを更新したそうです。

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前夜祭がお開きになる頃も当日の天気予報は高い雨確率。メンバーの半数以上は出走しないつもりでいました。古株メンバーはだいたいこの時期の五合目からのみぞれの下山を経験しており、あの絶望的な寒さを思い出しただけでげんなりしちゃうのです。

それでもいちおうゼッケン付けてみましたヨ。去年サボったからか、同じ申告タイムの仲間の倍くらい重い番号を背負わされました。スタート時刻もずいぶん後ろです。

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当日朝5時。朝食を終えてモンテラック本館から別館のコテージを見下ろしたところ。この時点では雲の間から青空も望めました。

さてこのあとお天気どうなることやら。

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ミヤケンはじめスタート時刻の早い仲間をみんなでお見送り。ここまで来たら覚悟を決めて楽しむしかありません。みんないい表情。

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(タカトリ撮影)

 

 

 

私です。写真からひしひしと伝わる戦闘意欲ゼロ感(^^;

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(カスヤさん撮影)

 

 

 

なんとかゴールしました。二合目くらいまでポツポツ降ってた雨も標高を稼ぐにつれて止んでくれて、気象コンディションは問題ありませんでしたが身体の劣化は予想通り相当なもので、ゴールタイムはついに110分を越えてしまいました。平均心拍は145と自分としてはかなり頑張ったんだけどなぁ(^^;

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(タカトリ撮影)

 

どんどん厚くなる雲の下、ゴール後は息つく間もなく秒で支度して下山。三合目くらいからは降られましたが、それほど冷たい雨ではありませんでした。

 

 

いろいろ不確定な要素が多くてハラハラやきもきした大会でしたが、やっぱりみんなと汗かくのも楽しいなと再確認した2日間でした。いや頭で再確認しただけで今日あたり身体は「もうヤメテ」と泣いており、昼休みを待って全身にセルフ鍼した次第です(^^;

 

 

 

 

 

 

旧作映画な日々(その8)

  • 2018.06.05 Tuesday
  • 19:51

 

陽気の加減か、仕事以外のことは何もやる気がしないので、久しぶりにamazonプライムビデオでおすすめ映画リストを見つくろっていると、昨年ケイシー・アフレックがアカデミー賞主演男優賞を受賞した作品「マンチェスター・バイ・ザ・シー」が目に留まりました。

 

マンチェスターといってもサッカーで有名なイングランドのあの街ではなく、アメリカはボストン近郊にある小さな港町マンチェスター・バイ・ザ・シーが舞台のヒューマンドラマです。

 

海から眺めた街の全景から始まる冒頭部分は油彩画のようなノイズやトーンがとても印象的。ものの数分で内省的な心に誘導されてしまいます。

 

主人公はボストンでアパートのメンテナンスを仕事をしているリー。3人の幼い子を持つ子煩悩な父親でしたが、何気ない日常のなかで起こった衝撃的な事故が原因で離婚し、故郷のマンチェスターを離れて暮らしています。

いちどは家族を持ってその家族をとても大切に思って過ごしていたのに、不本意なきっかけから失うことになったリーは、その喪失感からすっかり表情を失い、人生を前向きに考えるきっかけを探すことさえ疎ましく思える日々を送っていました。

 

そんなある日、故郷で暮らしていたリーの兄が急逝してしまい、リーはその兄の息子パトリック(16才)の後見人になります。兄にも離婚歴がありました。日常生活には問題がないものの、あまり予後の良くない病気を持っていた兄は、息子のことはもちろん、気の塞いだリーのことも心配していたので、リーの了承を得ないまま遺言に後見人のことを書いてしまっていたのです。 2人の揺れ動く心と表出される言葉や態度。 交わされるコミュニケーションにおける齟齬とそれを埋める深い愛情。

 

ストーリー展開にはまったく関係ない何気ない会話のシーンにおけるセリフや間がすばらしく、登場人物のそれぞれが受け容れがたいことを抱えながらも受け容れようとする際の葛藤や、人物同士の関係性における微妙な感覚のちがいや距離を表現するときの空気感が、ヒリヒリするほどリアルに伝わってきます。このあたりはちょっと日本映画的かもしれません。

 

たとえば、パトリックの父親が安置されている病院の前に停車した車の中で、遺体と面会するかどうか迷うパトリックとリーのやりとりなんかが気に入りました。

 

リー「どうする?」

パトリック「・・・」

L「家に帰るか?」

P「・・・」

L「決めてほしいのか?」

P「、、行くよ」

助手席のドアが開くのと車の発進が同時

L「あぶねッ!」

P「病院に行くんだってば」

L「ちゃんとそう言え!」

P「なんでキレんのよ」

L「轢くとこだったじゃねぇか!」

P「、、、悪かったよ。言葉足らずで」

 

う〜ん、文字で書いてもいまいち伝わらないなァ(^^;)

 

 

本編とは関係ありませんが、主人公リーが乗っている車は2001年で生産終了した二代目のJEEPチェロキー。じつはこの車、今まで私が所有した中でもいちばん気に入っていた車です。V8ではありませんでしたが、OHV直6の無骨さと運転席に座ったとたんに感じるアメ車特有のゆったり感が大好きでした。

 

この映画は自分の人生の出来事を上書きしながら生きて行ける人にはそれほど響かないと思います。それぞれの出来事にタイトルをつけてフォルダ保存してしまい、データが重くなりすぎて心がときどきフリーズしながらも、在るのか無いのかさえ分からない救いを求めて頑張っている人。はやいハナシが、傷を抱えながらも頑張ってる中年以降の男性にはものすごく響く映画だと思います(^^;

映画はだいたい1度しか観ない私が、この映画はめずらしく続けて2回観ましたっけ。

 

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「トシのせい」にするのはやさしさかも

  • 2018.05.29 Tuesday
  • 17:13

 

ある程度の年齢になると、通院する診療科目が複数にわたってしまうことは珍しくありません。

中高年の患者さまの中には「どこのお医者に行っても、何でも齢のせいにされておもしろくない(`ε´)」と不満を口にする方が多いのですが、この医師の対応にはやさしさが含まれているような気がしています。

 

もちろん加齢が生理的機能に及ぼす影響はとても大きくて、ある程度の年齢からはどの診療科目においても若い方とは違った所見が見られるのが一般的です。

 

加齢のほかにも症状の発現に大きく関わっているのが生活習慣です。食事や嗜好品、睡眠時間や運動の習慣など。あるいは心の在り方までもが、健康の維持に重要な意味を持っているのです。

 

加齢は誰にも起こる現象で、言ってみればお天気と同じで避けようのない因子です。しかし生活習慣は自分で管理できるもの。その長年の過ごし方が症状の原因であるとダメ出しされると、自分の人格そのものを否定されたように受け止めてしまう方がいらっしゃいます。増して生活習慣の変更を強要されることはなおさら受け容れがたく、頭では筋が通ったアドバイスであることを理解しながらも、治療家のデリカシーの欠如に対する怒りの感情を大きくすることで自分の心が守ろうとする機転がはたらいてしまうことも、、

 

自分のせいにされるより、年齢のせいにしてもらったほうが話を聴きやすいのはそういうことかと考えています。

 

医師や治療家も人間です。人は基本的に自分がされたくないと思うことは人様にはしませんし、自分がしてほしいことをしてあげたいと思うもの。「自分が患者だったらこういう対応をしてほしい」と思う対応を実際に行っているのがふつうです。

 

私自身は、遠まわしな表現をされても意図を理解できないタイプなので、患者さまに対してもずうずうしく生活習慣や心の在り方まで踏み込んでしまいがち。もちろん問診中に患者さまがどういうアプローチを望まれているかを探りながら対応を決めていくわけですが、説明に夢中になるとつい”聴きやすさ”があと回しになってしまうこともたびたびです(^^;

トシのせにするやさしさは持ち合わせていません!(≧▽≦)

 

 

痛みや苦しさはとてもイヤなものです。しかし患者さま本人にとってそれよりももっと受け容れがたいのは、次の世代の負担になることではないでしょうか。

 

患者さまが子育てされていた頃、子どもが「宿題なんかやらないで友だちと遊んでいたい」と言い出したときには「将来困るのは自分だよ」と諭したのではないでしょうか。家族内のイニシアティブは子どもたちに移行し、こんどは自らの心身を健康に保って彼らの負担にならないように過ごすことが何より大きな仕事になった今、「やりたいこと」と「やるべきこと」を彼らに諭したように、自らをを律して過ごすことが次の世代のお手本になります。

 

かく言う私自身も、あと1年ちょっとで還暦を迎えます。自分の口から出た言葉を自らにも言い聞かせて過ごしたいと思います。

 

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食事は年に一度ですむサメ

  • 2018.05.15 Tuesday
  • 15:13

 

NHKスペシャル「ブループラネット」を録画で見ました。

海とそこに暮らす生き物を追ったドキュメンタリーです。 昨年放映された「プラネットアース供廚汎韻犬BBCとの共同制作で、4年の歳月をかけて撮影されたそうです。 近年の水中撮影技術は飛躍的に進歩し、潜水時間は以前の5倍以上。 泡の音も小さくなったので、生き物たちを驚かせることなく決定的な瞬間をとらえることが出来るようになったのだとか。

 

番組の中で興味深い魚が紹介されていました。 それは「カグラザメ」という名の深海ザメ。 体長は6mほどで2000mまでの深海に生息。 Wikiにもその程度の情報しか載っていないナゾの多いサメです。

 

プランクトンがいないので生き物の個体数が少なく、捕食で命をつなぐ者にとって過酷な環境の大海原。 そこにザトウクジラの死骸が浮いています。 匂いを嗅ぎつけたホホジロザメやヨシキリザメが群がり、栄養価の高い脂肪を食べつくすと、比重が重くなった死骸は深海へ。 そこで待ち受けているのがカグラザメ。 脂肪分が剥ぎ取られたとはいえ、深海では貴重な食糧をしっかり食べたカグラザメは、その1回の食事だけで1年間も生きられるのだとか(@_@)

それを聞いた私は、「うらやましすぎる!」と心の中で叫びました。

 

子どもの頃の私は食べることが大嫌いでした。 いつもお腹が空くまえに食事の時間が来てしまい、憂鬱な気分になったものです。

世界のあちこちで食料が不足して困っている人には申し訳ないハナシですが、、(>_<)

当時ADHD気味だった私は、破裂音や閃光、皮膚感覚などの感覚過敏で苦しんでいました。 味覚も同様で好き嫌いが多く、肉・魚・ピーマンやトマトなどの香りの強い野菜はまったく食べられませんでした。 不思議と卵とエビ・カニ・イカ・タコ・貝は大好物。牛乳もキライだったなあ。

それでも中学の陸上部で長距離を走るようになると、成長期の身体が要求するのかやっと鶏以外の肉は食べられるようになりました。

 

大人になって形質がゆるんでくると感覚過敏はかなり軽くなりましたが、なかなか魚ぎらいは治りませんでした。  しかし結婚して子どもを授かると、魚を食べない父親で居ることはさすがにきまりが悪く、好きではなくてもどうにか食べられるようになって現在に至っています。

 

今でもふつうの人よりは食べることに対する執着はうすく、ふつうはおいしそう!♡となりそうなSNSのきれいな料理の画像も、スプラッター画像とあまり区別がつかないのですぐスクロールしてしまう始末。  自分で摂る食事も見た目を楽しむことなくさっさと胃袋に押し込むだけですから、つまらないことこの上ありません(^^;

 

子どものはげしい偏食が、ただのわがままだけではなく発達障害に由来することもあるということが分かってきたのは最近のこと。 子どもの感覚の特性に合わせたアプローチで好き嫌いが改善することも多いようです。 以前は親子それぞれが「きっと自分がいけないんだ」と苦しんでいたことが、脳の構造によるものであると理解できていればそれだけでずいぶん救いになる気がします。 もっと前に分かっていれば、ひょっとしたら私ももっと食事を楽しめる大人になれたかもしれません。

 

ほんとはカグラザメになんか憧れたくはないんですけどねー(^^;

 

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カグラザメの写真は「おもしろ生物図鑑」より拝借

 

 

 

 

 

 

 

 

関係人口って?

  • 2018.05.09 Wednesday
  • 11:36

 

いつもお世話になっている「サイクルショップあしびな」の自転車仲間にはおもしろい人がたくさん居ます。

「おもしろい人」とは、もちろんお笑い芸人的なおもしろさではなく、ライフスタイルや価値観が個性的で、ひとりひとりをもっともっと掘り下げて観察してみたくなるような人という意味です。

 

その、おもしろさん達の中でも私がいま最も注目しているのがM間くんです。 一流大学を出て一流企業に勤務するイケメン・アラサー男子なのですが、一旦仕事を離れるとこれがとんだ世捨て人で、自転車に乗らない休日には女っ気もなく、ひとりでフラフラと観光地化されていない離島へ旅して過ごすような極楽トンボです。

 

そのM間くんが紹介してくれたのが「関係人口をつくる」という本でした。

 

関係人口とは、旅行や物産のお取り寄せなど、何かのきっかけで人口減少に悩む農山漁村部に縁が生まれたあと、定住はしないまでもその地域との間に旅行者や消費者以上の関わりを持つ人々のこと。 その関係人口を増やして活性化に成功しつつある島根県の例について書かれたのがこの本です。

 

1950年の三大都市圏の人口は34.7%、その他の地方は65.3%。 これが2005年には前者50.2%、後者49.8%と比率は逆転してしまいました。 2015年の国勢調査では、日本の総人口は1920年の調査開始以来初めて減少に転じたのですが、減少したのは地方の39都道府県のみで、このままでは消滅していく自治体が増えていくことが予想されます。

 

しかし2014年の内閣府の都市住民へのアンケートでは、農山漁村部への定住願望がある人は31.6%に上り2005年調査時の20.6%から大きく増加。 中でも最も高い20代男性では43.8%でした。

 

数字だけ見ると「さっさと移住すればいいのに」と思いますよね。 しかし実際に地方に移住するとなると、仕事はあるの?現地のコミュニティに溶け込めるの?といった不安から、実際に移住を予定していると答えた人の割合は1%台でした。

 

これまでの行政の視点は、定住人口を増やす、あるいは旅行者などの交流人口を増やす。そのどちらに重きを置くかということに限定される傾向でした。 全国で2番目に人口が少なく「過疎」という言葉の発祥地でもある島根県の担当者は、そのような既存の取り組み方に限界を感じて雑誌ソトコトの編集長などを巻き込み、新しい取り組み方を模索しました。 そのソトコト編集長の指出一正さんは定住人口でも交流人口でもない関係人口を増やすことが地方の未来を開くことになると考えました。 具体的な例を挙げると、

 

|楼茲離轡Д▲魯Ε垢暴擦鵑如行政と協働でまちづくりのイベントを企画・運営するディレクタータイプ。

東京でその地域のPRをするときに活躍してくれる、都市と地方を結ぶハブ的存在。

E垈駟襪蕕靴鬚靴覆ら、地方にも拠点を持つ「ダブルローカル」。

ぁ岼掬歸にその地域が好き」というシンプルな関わり方。

 

なんだか楽しそう。

 

私が20代の頃はバブル経済の真っ只中で、本気で幸せがお金で買える物であると思っている人が多かったように思います。 若者は街の万能感に酔っていました。 そんな時代の価値観に違和感を感じたことも、私が会社員を辞めてちょっと浮世離れした今の仕事に転職した理由のひとつでした。

 

リーマンショックや東日本大震災など、日本人のそれぞれが深く自分と向き合う機会となる大きな出来事を経て、若者たちは固有の価値観に目覚め、経済的な豊かさ以外の生きがいを求めるようになりました。 筆者によると彼らは「足るを知る世代」。 たしかに自分の息子たちを見ても、物質的な豊かさに執着はなさそうです。 そんな彼らの中に、生きがいを感じられそうな場所として地方に目を向ける人が出てくるのは自然なことかも知れません。 

 

齢を取ることで出会う新たな発見に、「人生どんどんおもしろくなるもんだなあ」と思っていましたが、この本を読んでちょっとだけ若さに嫉妬しました。 いや、まだ何かできるかな。 てかカンボジアにも関わりたいしなー。 やっぱり齢なんか取ってられないじゃん(^^;

 

 

 

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G.ウィーク! いい天気!

  • 2018.05.01 Tuesday
  • 16:03

 

こないだの日曜も飽きずに自転車してきました。

この日はチームメイトのなりちゃん企画の奥武蔵サイクリングが開催されるとのことでしたが、私は午後に月末レセプト処理をする予定でしたので、サイクリングは午前中の短い時間だけにしようとお断りを入れてありました。

しかし当日の朝、身体が書類に向かうのを拒否したのかすっかり寝坊。 もう仕事のことは忘れて遊んで過ごすことに決めました。

 

飯能駅を走り出して最初の休憩でなりちゃんに連絡を入れたら、どうやら都幾川あたりで落ち合えそう。

ネギボウズの写真を撮ったりランドナーの方とおしゃべりしたりして、なりちゃんが合流してくれるのを待ちます。

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なりちゃんは早い時間に、これまたチームメイトのまあるさんと鳩山あたりで遭遇したらしく、上谷の大クスにお連れしたとのこと。

「寝坊したからやっぱりあそんでよ」という私のメッセージを確認しているなりちゃんを、たまたま大クスのテラスから、まあるさんが撮っていました(^^)

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午後に用があったまあるさんと別れたなりちゃんが追いついて来てくれたので、一緒に林道奥武蔵支線を上っているときのこと、風もないのに枯草が路面を蛇行していました。 なんだろうと立ちどまってみると、ミノムシが蓑を背負ったまま上半身だけの蠕動で道路を横断中。そのままだと轢かれてしまうので、しばらく這いつくばって眺めたあと彼の目的の方向へワープさせました。

 

ミノムシが蛾の幼虫であることは知っていましたが、その生態についてはよく知らなかったので、帰宅後に調べてみました。

「ミノムシの成虫が蛾になるのは雄に限られており、雌は無翅・無脚のまま蓑の中で一生を終える。 羽化した雄には口がなく、雌のフェロモンに魅かれて夕方飛行し、交尾を終えたら死ぬ。 その後雌は蓑の中に1000個以上の卵を産むが、それらが孵化する頃には自ら蓑を抜け出し地上に落下して死ぬ。」

だいたい以上のようなことが書いてありました。 写真を見ながらせつない気持ちになりつつも、「ん? ミノムシは落下したら死ぬんちゃうん? 、、歩いてるチミは誰れ?」となりました(^^;

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前回は広葉樹が芽吹いたばかりの頃に来たこの林道奥武蔵支線もすっかり新緑に覆われていました。 最高においしい空気の中、のんびりとパスハントを楽しみましたヨ。

なりちゃんは「冨士ヒルクライム、90分は切らないとなぁ」なんて言ってましたが、まだちょっと重そう(^^;

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いつものビューポイント。前回は全高の半分ほどがはっきり見えた写真中央の一本杉も、新緑に覆われてかろうじて梢だけが顔を出していました。

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刈場坂峠から下って国道に出ると、平成5年に廃校になった南川小学校の校庭で鯉のぼりが風に遊んでいました。

右の平屋の校舎は明治37年、左の2階建て校舎は昭和12年に建てられたもの。私が小学生だった50年前はこんな校舎がふつうでした。 なつかしい(*^_^*)

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交通量の多い国道299号を避けて名栗みちでのんびり帰るためには、もう1本峠を上らなければなりません。天目指峠をのそのそ上っていると、みごとな影絵に出会えました。

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影絵の写真を撮っているうちになりちゃんに置いてけぼりにされて、必死で追いかけているところ。

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(なりちゃん撮影)

 

 

 

 

 

アスファルトのすき間に根を下ろして自生するヤグルマソウ。

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連休前半は良いお天気に恵まれましたね。 連休後半、当院は日曜以外では3日の木曜日だけ休診させて頂きます。 よりによって、いや上手い具合にその日は雨予報なので、今度こそレセプト頑張ります(>_<)

 

 

 

 

 

 

 

 

トンネル抜けたら北アルプス

  • 2018.04.25 Wednesday
  • 10:42

 

日曜日には、サイクルショップあしびなの仲間たちとサイクリングして来ました。

長野までは北陸新幹線で列車輪行して、国道406号線を白馬方面へ向かいます。 今回はじめて北陸新幹線に乗ったのですが、大宮駅で乗車するとたった1時間で長野駅に到着。時刻は7:38でした。 ほんといろいろ便利になりすぎてちょっと混乱します(^^; 

車中ではとなりに座ったM間くんがテーブルのお弁当とにらめっこしていました。 どうやら昨日三浦半島をサイクリングしたあと、仲間たちと痛飲して二日酔いらしいのです。 かわいそうですが、ウサギ脚な彼のコンディション不良はカメ脚な私には好都合(^^)

 

荷ほどきを終えてみんなで自転車を組み立てていると、店長がリアエンドのあたりでなんだか思案中。どうやらクイックレリーズのナットを紛失してしまったらしいのです。 5円玉をワッシャーにしてインフレーターの口金ネジで応急処置。 その後念のため、5kmほど離れたホームセンターが開くのを待ってM5ネジでしっかり固定しました。

このタイムロスで予定の行程が短縮されることになり、これまた老骨には好都合でした(^^)

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裾花ダムのダム湖。

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いい天気!

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(店長撮影)

 

 

 

 

途中にあったお寺の看板。 「岑」の字は訓読みで「ミネ」と読むのは知っていましたが、音読みを知らなかったので重箱読みで不謹慎な読み方をしてしまいました(^^;   

正しくは「ぎょくしんじ」とのことです。

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長野から白馬へ抜ける街道筋にある鬼無里地区は、室町時代から「紅葉伝説」が語り継がれ、能や浄瑠璃、歌舞伎の題材になっているそうです。京都から配流された高貴な女性がどういうわけか鬼になり、都から派遣された平維茂(維盛)に退治されて、その後この里に鬼がいなくなったというようなお話し。 以前にも何度かこの地の伝説を聞いたことがあるはずのに、話の内容を覚えていなかったのは、大筋では鬼女 紅葉退治の話ですが、その内容が何種類もあるからでした。

紅葉伝説についていろいろ検索してみて驚いたのは、この地に伝わる紅葉像はエンタテインメントで伝えられた”鬼女”とはぜんぜん違っていたこと。 医薬・手芸・文芸に秀で、村民に恵を与える”貴女”であったというのです。 伝説ではない実際の歴史でさえ、見る角度によって同じ出来事がまったく違う伝わり方をするわけですから、むべなるかなではありますが。

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鬼無里の有名なおやき専門店「いろは堂」で休憩。 おやきはあちこちで食べたことがありますが、ここんちのははじめての食感でした。 小麦粉とそば粉の皮をかるく素揚げしてから窯焼きするのだそう。 地元産の具も素材の香りがきちんと残っていて、ものすごく美味しかったです。

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「ひがしきょう」と読むそうです。 加茂神社や白髭神社や春日神社もそうですが、紅葉伝説や天武天皇の遷都伝説とのつながりが数パターン伝えられています。 はたしてどれが本当なのか、、(^^;

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(店長撮影)

 

 

 

 

川面を眺める母子。

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白沢洞門を抜けたところが嶺方峠。 右のC-3POみたいのが私です。 M間くんが撮ってくれました。

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どうしてもこの風景を見たかったという店長は思いを遂げて満足そうでした。

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亀脚の私でも余裕があるくらいのんびりペースで上ってきてしまったので、この時点でとっくにお昼を過ぎてしまっていました。

ということで予定していた大望峠はパス。 往路をそのまま引き返すことになりました。 助かった〜(≧▽≦)

 

 

 

 

今日はほとんどの行程が裾花川沿いでしたので、なんとなくこの川のいろんな表情を見てみたくなり、往路ではスルーした裾花ダムにも寄ってみました。 雪解け水で水量が増えているので水門から放流中。

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嶺方峠あたりではまだ雪が残っていましたが、この日は長野でも30℃ちかくまで上がりました。 露出していた腕や脚の日焼けが帰宅後のお風呂でヒリヒリでしたっけ(>_<)

またあそんでください!

 

 

 

 

 

 

 

映画観るまでが長かったっておはなし

  • 2018.04.16 Monday
  • 19:00

 

土曜日の終業後、音楽評論家の患者さまから教えていただいた映画を観に行きました。

 

劇場は東中野ポレポレ。インターネット予約は受け付けておらず、劇場窓口で整理番号をもらう今やなつかしいシステムなので、封切日は混むかもと早めに出かけました。上映3時間前なのでさすがに若い番号でした。ちなみに午前中の上映は満席だったそうです。

 

整理番号を確保したあとは、時間つぶしを兼ねて古い機械式クロノグラフの修理を依頼するために西荻窪へ。 会社員時代の30年前に購入したのですが、そのあとすぐスーツと縁のない現在の仕事を始めてしまったので、オーバーホールもしないまま引き出しの中で眠らせていた時計です。

先週、入社式に向かう次男に使わせようと引っぱり出してみたものの、さすがにオイルが切れており、すこし動いたあとすぐに止まってしまいました。

 

ご店主の見立てでは修理費は私の予算を越えそうな雲行き。 ただ彼曰く「父親から息子へ引き継がれる時計を手入れするのは職人としてもうれしい話です。それにこのタイプは現在お客様の購入時の数倍の価格で取引されていますよ。ぜひ直して大切に使っていただきたい」とのこと。 そんなん言われたらねえ(^^;

評判の高い職人さんなので、正確な見積もりを出すまでにも2週間かかるとのことでしたが、もちろんお願いして来ました。

現在の取引き価格を聞いてしまったので、次男にはちょっともったいないなーと、、 さて誰の腕に巻かれることになるのでしょう(≧▽≦)

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(画像はトライフルのHPから拝借しました)

 

 

 

 

時計修理のお店から徒歩2分のところにあるジャズ喫茶JUHA。 時代にあわせてPOPでかわいいメニューなんか出してみても、このドアのしつらえが「ジャズ好きしか入るんじゃねえぞ」と主張してますよねえ(^^;

スピーカーはなつかしのDIATONE DS-77HRX 。 まだアナログレコードとCDの売り上げが拮抗していたころの普及品の名器です。もちろんレコードでアコースティックな時間を楽しんで来ました。

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お茶をしてもまだ少し時間があったので、阿佐ヶ谷のLAST GUITARでウクレレを数本試奏。 小金井在住のルシアー、濱田隆則氏によるインディアンローズ・シトカスプルースのコンサートサイズが素晴らしくてお持ち帰りしたくなりましたが、すんでのところで踏みとどまりました。 塗装はフレンチポリッシュでニカワ接着。ヘッドやブリッジの意匠は庭の柊の葉をモチーフにしたそうです。

クライマーでもある濱田氏の自然へのリスペクトがそのまま音に表れた繊細なトーンは、いつまでも弾いていたくなるほど魅力的でした。

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(こちらも画像はお店のHPから拝借)

 

 

 

 

前置きが長くなりましたが、肝心の映画はなかなか重い内容でした。 タイトルは「ラッカは静かに虐殺されている」。

ここのところに来てやっとISILの支配が終わりを迎えたシリアの街ラッカ。 ISILが首都と定め、外部のメディアが入れなくなったあの街で何が行われていたのか。 危険を覚悟でスマートフォンのカメラを武器にISILに立ち向かい、世界にラッカの惨状を発信し続けたR.B.S.S(Raqqa is Being Slaughtered Silently/ラッカは静かに虐殺されている)のメンバーたちを追ったドキュメンタリーです。

 

顔出しで登場するのは、ラッカを逃れトルコやドイツから現地メンバーの情報を発信する数人。 しかしその潜伏先でも次々にメンバーが暗殺されていきます。 恐怖に怯えながらも父親が処刑される動画を繰り返し見て、自らを奮い立たせるひとりのメンバーの目から、彼の心の動きを探ろうとしましたが、遠く離れた日本でぬるい日々を生きる私などに彼の心の闇の深さが理解できるわけはありませんでした。

それでもせめて、世界のあちこちで何が起きているのかを知ろうとする努力だけは心がけていきたいと思います。

 

あとから知ったのですがこの映画、封切り前からamazonプライムビデオで公開されていたらしいです。なんかビミョー、、(´Д`)

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ヒルクライムからの日本史のおさらい

  • 2018.04.11 Wednesday
  • 11:36

 

前々回の更新のネタにした秩父でのサイクリングは ”10年くらい前に走った「龍勢ヒルクライム」のコースをたどってみる” というものでした。

 

道の駅 龍勢会館の近くを流れる石間川に沿って遡上し、城峰神社の鳥居をくぐると、あとは10%を超える斜度がつづく区間。 そのきつい斜面にしがみつくように建てられた民家からなる集落があります。 もう一段上の集落からふり返って見おろしたのが下の写真。 写真のウデがアレで遠くに望めた両神山がまっ白けになってしまったのがザンネンです(>_<)

 

写真を撮っていたときには、「このあたりでは林業で生計を立てていたんだろうな」などと考えていましたが、じつはあとから調べてみると主産業は養蚕でした。 その養蚕業は、こののどかな集落にゆたかな暮らしをもたらしましたが、ある時代にはかなりきびしい局面に向き合うことになりました。

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その斜度がきつくなる手前の区間を走っているときのことです。 石間川沿いの道路端に「加藤織平の墓」という看板が立っているのが見えました。 「有名な人かも知れないけど、知らない名前だな」と思いながら通り過ぎましたが、帰宅してから検索してみると、上ののどかな集落や加藤織平が、歴史の教科書に載るような事件の舞台であり、登場人物であったことを知りました。

 

高校の日本史の授業では、歴史がまだ”歴史”として評価が確定していない近代史については、年度の終わりの授業で駆け足でなぞるだけでした。 なので、まさにこの写真の撮影時に私が立っていた半納集落が戦場のひとつになった「秩父事件」についても、私はその概要しか把握していませんでした。

 

秩父事件とは、明治17年にここ秩父で起きた農民による武装蜂起事件です。 このころ秩父地方では養蚕が主要な産業だったのですが、生糸価格の大暴落と大蔵卿 松方正義のデフレ誘導政策で農民は困窮を極めており、政府に対して雑税の減少や負債の延納などを要求したこの蜂起には数千人が参加しました。 事件の詳細は検索していただくとして、興味深いのは事件から130年以上経った現在でもこの事件の評価はさまざまで、政府の圧政に対する民衆の抵抗運動、当時で言えば自由民権運動の一形態として大きな意味があったとする声もあれば、当時の政府のアナウンスと同じく「火付け強盗・暴徒による暴動」と断ずる声もあります。 近年でも、TBSでは「菊池伝説殺人事件」というドラマで、秩父困民党軍の参謀・菊池貫平を悪逆の限りを尽くした大罪人として放映し、視聴者から抗議を受けたことがあったそうです。 昨夜、この事件を題材にした映画「草の乱」を見たのですが、困民党側から見た当時の状況はたしかに同情に値するものでした。 歴史上の出来事の中には、法的判断と民衆の心情的な受けとめ方が一致しないものがたくさんありますよね。

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じつは私が所属する自転車チームのメンバーのご先祖さまも秩父事件に関わっていたとのこと。 彼からそのことを聞いたのはお酒の席でしたが、これだけ時代が下っても、やはりそのことについて話すのは彼にとって少し酔いを醒ますほどの事だったのでしょう、心なしか声を潜めて話してくれたことが思い出されます。

 

それにしても、のどかな山里のほのぼのサイクリングが、まさか歴史の勉強につながるとは思いもしませんでしたっけ(^^;

 

 

 

 

 

 

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