いよいよかー(>_<)

  • 2020.04.07 Tuesday
  • 11:03

 

いよいよ緊急事態宣言が発令されるようですね。

60年の人生で”緊急事態宣言”自体がはじめての経験ですので、院長として、個人として何をどう対応すればいいのか、まだよく分かっていません。法的には接骨院や鍼灸院は医療ではなく「医業類似行為」という括りです。とは言え、緊急な対応を要する骨折・脱臼・打撲・捻挫・挫傷を治療することが主たる業務ですので、緊急事態宣言が発令されたあとも消毒や換気を徹底しつつ、通常通り診療する予定です。ただ、今後の診療予定につきましては、社会の状況に合わせて対応していくことになります。

 

さて日曜日には、塞ぎがちな心をいっとき解き放つためにソロサイクリングに出かけて来ました。

ほんとうは、春の山の空気を胸いっぱい取り込んで心をリセットしたかったのですが、東京から他府県への移動は憚られる状況。輪行袋を抱えて電車に乗ると、サイクリスト全体の良識が問われてしまいかねないので自粛しました。まぁ自走で行けば済むハナシなのですが、劣化した脚で距離を乗って体力を消耗し、免疫力を落とすのもこれまた上手くないので、、

 

早いハナシが結局、いつもの荒川サイクリングロードに出かけたということです(^^;

 

 

 

 

 

 

他県への移動は自粛すべきとは聞いていますが、コンビニで補給食を買う(マスク着用)以外は誰とも接触しないわけですから、荒川から入間川サイクリングロードへちょっとだけ埼玉県に侵入。どこを走ってもサイクリストはまばらでした。グループサイクリングでなければ自粛すべき項目には含まれないはずなのですが、やはり皆さん気分が乗らないのかしら(>_<)

 

荒川の河川敷には、何人ものプロ野球選手を輩出しているリトル・シニアチームのグラウンドがいくつかありますが、どのチームも練習はお休みのようでした。草野球やテニス、ゴルフなど数えるくらいの人たちが、何となくおたがいに配慮しながら身体を動かしていましたっけ。

 

昨年10月の台風19号の被害でサイクリングロードの一部である秋ヶ瀬公園が通れないため、ずっと一般道を迂回して走っていたのですが、たしか4月から開園と聞いていましたので、ホームページを確認しないまま公園入口へ向かいました。しかしまだ修復が終わっていないようでゲートは閉鎖されたままでした。あてにしていた公園内のトイレに寄れず、数キロ先のコンビニまでモジモジしながら走ることに(^^;

 

秋ヶ瀬公園方面へ向かうサイクリングロードは昨年11月にはこんな状況でした。

 

 

 

この日の同じ場所。ちゃんと修復されていました。

 

 

 

しかし、ゴルフ場のフェンスはまだサイクリングロードへ倒れ掛かったまま。気をつけて走らねばです。

 

 

 

 

不安な心で過ごす時間が長くなって来ましたね。今回のCOVID-19を引き起こしているコロナウィルスはSARS系。SARS系はほかのコロナウィルスに較べれば高温多湿環境に強いとのことですが、それでも暖かくなれば活性は抑制されて行くはず。立場上無責任なことは言えませんが個人的には、夏だった南半球で大きなオーバーシュートが起こっていないことから考えると、もうしばらくのあいだ適切な対応を継続すれば、感染の広がりも抑えられていくのではないかと希望的に考えています。

たぶん、おそらく、きっと、もうしばらくの辛抱かと。がんばりましょう!

 

 

 

 

 

 

「BIUTIFUL」。スペルはこれで。

  • 2020.03.31 Tuesday
  • 11:50

 

こうなったらもう、家でゴロゴロ映画でも観てるしかないじゃないですか(^^;

さて、とっくに書いたと思っていましたが、どうやら自分がイニャリトゥ作品のファンであることを書き忘れていたようです。

 

はじめて彼の映画を観たのは、2004年に日本公開された「21グラム」でした。

その後、監督作の「アモーレス・ペロス」「バベル」「BIUTIFUL」「バードマン」「レヴェナント:蘇りし者」はもとより、彼が制作として関わった「ルド&クルシ」「愛する人」と、日本公開された作品は劇場やDVDでぜんぶ観ました。

 

その中でも、私がいちばん好きなのが「BIUTIFUL」です。週末の外出自粛を受け、ひさしぶりにDVDを引っ張り出して観ました。

スペルは あえて「BEUTIFUL」ではないところに意味があります。主演はハビエル・バルデム。この人の演技を初めて見たのは、彼がアカデミー賞助演男優賞を受賞した「ノー・カントリー」でした。無表情のまま淡々と仕事を完遂していく殺し屋役のハビエル・バルデムの、まぁ恐ろしかったこと(◎_◎;)

 

その彼が、この「BIUTIFUL」ではスペイン・バルセロナの下町に暮らす2児の父親、ウスバルを演じています。

ウスバルは生まれた頃に相前後して父を失いました。苦しい少年時代を経て、今ではセネガルや中国からの不法滞在者たちのブローカーという非合法な仕事で生計を立てているものの、生活はカツカツ。家族で囲む夕食の食卓がシリアルだけのことも。妻は双極性障害で入退院を繰り返しており、躁状態のときにはウスバルの兄とも関係を持ったり、、学校にも通えなかったウスバルはある日、娘に「ビューティフル」のスペルを聞かれて「BIUTIFUL」と答えてしまいます。

そんな彼が余命2ヶ月の末期ガンを宣告されます。もちろん死の恐怖は感じつつも、残していかざるを得ない者たちのために奔走する彼。 ここまでネタバレさせても、ストーリー全般のほんの一部を紹介したに過ぎません。ほかにもスペイン内戦の傷跡、貧富の差、LGBT、汚職、さまざまな要素が盛り込まれており、それらが複雑に絡み合って、苦しい状況から抜け出せない中で懸命に生きる人々の姿が描かれています。

 

イニャリトゥはインタビューで、この作品は黒澤明の「生きる」からインスピレーションを得て撮ったと言っています。

1952年に公開された「生きる」は、事なかれ主義で生きてきた市役所の課長が胃ガンを発症して余命が半年足らずと悟り、残された時間を住民のために尽くして人生を終えるというお話。「生きる」も「BIUTIFUL」も、残された時間を自分以外の人々ために使い切るという意味では共通しています。違いをさがせば、「生きる」の主人公は家族との関係構築が苦手な人。せめて社会への貢献で自らの生きた証を残そうとして実際に成果を上げ、すこしの寂しさを伴う達成感に浸りながら最期を迎えるのに対し、「BIUTIFUL」の主人公はあらかじめ家族や近しい人に愛され信頼されています。彼はその人たちのために可能な限りの努力をするのですが、残念ながらすべてが裏目に。それでも愛され必要とされていると感じながら命を終えるのです。

イニャリトゥには、両方観た人にだけ分かるその対比でニヤッとして欲しいという狙いがあったのでは?と思わずにはいられません。

 

この映画に限らず、イニャリトゥの作品には見る者の死生観を問うものが多いように思います。自分や大切な人の死を受け容れることはとてもつらいことですが、それはいつか必ず訪れるもの。死を不吉なものとして遠ざけて過ごさず、いつも身近に存在することを前提に生きよう。そんなメッセージを感じるのです。そこには、イニャリトゥ自身が生まれてすぐの息子を亡くしたことが関係している気がします。あるいはアステカの時代から受け継がれたメキシコ人の死生観も反映しているのかも知れません。

 

困難な状況はもうしばらく続きそうですね。自分や家族の身体と心のコンディションをよく観察しながら、免疫力を上げて乗り切りましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

離島へIターンの自転車仲間

  • 2020.03.24 Tuesday
  • 11:39

 

日曜日のこと、いつもお世話になっている ”サイクルショップあしびな” の自転車仲間が、今週末に東京を離れるというので急遽送別会が催されました。

 

場所は荒川土手です。この日の予想最高気温は24℃。おそらく桜もいっぺんに開くはずですが、時節柄目立つ場所での花見宴会は憚られます。それほど人目につかない場所を見つけて短時間・少人数・静粛なランチ会を、ということになりました。

飲みたい人はバス亭から徒歩。私はノンアルコールの(はずの)ビールや、ノンアルコールの(はずの)ワインを舐めるだけなので自転車で(^^;

 

 

 

 

下赤塚のブーランジェリー・ケンでカスクートを3種ほど買って、高島平から荒川サイクリングロードを南下。集合場所の江北橋を目指します。背中のリュックの中にはカスクートサンドのほかにも、牛乳パックで作ったまな板、パン切り包丁、ポータブルチェア、ウクレレ、アルコールフリーの(はずの)ワインなどでずっしり。なのでカメラは置いて来ました。この日の写真はすべて骨董品のiphone5Sです。

京浜東北線南の土手の芝桜は五分咲き。ソメイヨシノは三分咲きというところでしょうか。土手では少年野球の子供たちが休憩中。

 

 

 

 

岩淵水門あたりで鷹の訓練をする鷹匠さん。2才のこの鷹、フォルムや色合いも美しいのですが、なによりジッと見合ったときの、その眼の力に怯んでしまいました。生きるために迷いも容赦もない眼。人間の世界では不条理とされる行為が彼らにとってはあくまで正義なんですもんね。

 

 

 

 

 

繰り返しますが宴会ではなく、あくまでもサイクリングやウォーキングの合間のランチです(^^;

今回東京を離れるM間くんは31才。都内の某有名国立大学を出て一流企業で社会人生活を送って来ました。ふつうに考えれば、そのまま成功者のレールに乗って定年まで過ごせば大満足な人生。しかしどうやら数年前からヘンなムシが騒ぎ始めたらしく、休みのたびに国内の離島という離島を旅してまわるようになりました。おそらくそこで出会う自然や人が彼を変えてしまったのでしょう、島根県と雑誌ソトコトがコラボして運営される「しまコト・アカデミー」という講座に参加してことをきっかけに、ついに会社を辞めて、島根県は隠岐へ移住することを決めてしまったのです。まずは市の職員として働きながらクラフトビール作りを学び、隠岐でブリューワリーを立ち上げる予定なのだとか。早く飲ませてほしいわあ(*^-^*)

しんどくても何でも、楽しめる人生がいちばん。がんばりや〜!

M間くんはアタマしか写ってなかった(^^;

 

 

 

えんか、、いやランチ会は13時過ぎには解散。あくまで日焼けで赤らんだ顔のまま家路に就きました。

今年8月から段階的に閉園することが決まった家の近所の ”としまえん”。新型コロナウィルスの影響で先月29日から休園していましたが、この週末から営業再開しました。閉園に向けて名残りを惜しむ方たちでしょう、午後だというのに次々に入場されていました。

 

 

 

 

帰宅。自宅前の公園のコブシも満開です。東京の空がもう少し青ければもっと花が映えるんだけどなあ(^^;

 

 

 

 

 

 

 

 

いつものサイクリング曜日

  • 2020.03.17 Tuesday
  • 11:43

 

日曜日には山方面へ出かけようと楽しみにしていたのですが、土曜は都内でもみぞれが混じりの雨で冬に戻ってしまったような寒さ。奥武蔵の山々はやはり雪が降ったようです。朝には路面が凍結している可能性が高いので、あきらめて荒川へ。 5年くらい前ならリスクなど気にしないで峠へ向かっていたのに、齢を取ってすっかりいい子ちゃんになってしまいました。

 

写真は川島町あたりから眺めた奥武蔵・秩父の山々。武甲山をはじめ、高い峰はぜんぶ真っ白です。

 

 

 

 

荒川サイクリングロードを流していたら、10年来の自転車仲間、I川さんが声をかけてくれました。かなりの吞兵衛なのに毎週日曜に早起きして走れるのすごい(@_@)

 

 

 

 

田植えに向けて田んぼの土が耕されていました。 掘り起こされて土中の養分が目を覚まし、「さて稲でも何でも育ててやるぜ!」って感じの気合いの入った匂いが辺りに立ちこめて、春を感じさせてくれます。

 

 

 

 

物見山の尾根道に満開の山桜が。まだ3月半ばだというのに、この日は東京でもソメイヨシノの開花宣言が出たそうですね。

私は、どちらかと言うと花と葉がほぼ同時に開く野趣に富んだ山桜派。思わぬ花見初めでした(^^)

 

 

 

 

台風19号の際に氾濫した都幾川の早俣橋下。 おそらく濁流に洗われたはずの堤防内側にも一面の菜の花。たくましいなあ。

菜の花の匂いが郷愁を誘います。しばし50年も前の子供時代の思い出に浸りました。

 

 

 

 

 

向こうに見える丘が物見山。高坂駅南側の跨線橋のアクリル壁に埼玉県のマスコット”コバトン”のシールがたくさん貼ってありました。コバトンは好きです。こないだ地上波で放映された、映画「飛んで埼玉」はおもしろかったなぁ(≧▽≦)

 

 

 

 

 

サイクリングロードを歩く野良っぽいネコ。そぉ〜っと近づいたのですが、おもっきしニラまれました(^^;

 

 

 

 

 

秋ヶ瀬取水堰。35年くらい前のこと、当時ウィンドサーファーだった私は、海に行く時間がない日に風が上がると、ここへ飛んできてファンボードの練習してましたっけ。

 

 

 

 

昨日は一日雨だったので、荒川土手にはさまざまな趣味人がそれぞれの時間を楽しんでいました。

秋ヶ瀬取水堰のあたりには、ノスタルジックなレーサーを調整したり走らせたりするイカしたおじさま達。

写真は1970年代のCB125JXベースのレーサー。CRキャブをバラし中のオーナーさん。

 

 

 

 

こちらは1960年代のスズキAS-50ベースのレーサー。シブい、シブすぎる。

 

 

 

私が乗っていた1969年式ヤマハR3。デザインもメカニカルノイズ&排気音も、人の手がたくさん入っているのが良く分かり、まるで血の通った生き物のようでした。 車、オートバイ、音楽、ファッションなどは、1970年代までのものとそれ以降のものでは何かがはっきり違う気がします。

 

 

 

 

「後ろ姿を撮らせてください」とお願いしたら、「はずかしいなぁ(^^;」とか言いながら、ビッシビシにタイトなプレイを聴かせてくれた50代のおじさま。カッケー!♡

 

 

 

 

ショートのポジションでノックを受ける小学低学年の子どもたち。

 

 

 

 

 

あちこちで油を売りながら走っているうちに、空には巨大ジンベイザメのような雲が何匹も。 天気予報で「昼過ぎには雷雨があるかもね〜」って言ってたのを思い出して、スタコラ逃げ帰りましたとさ(≧▽≦)

 

 

 

 

 

 

痛みの閾値

  • 2020.03.11 Wednesday
  • 15:25

 

接骨院院長のブログなのに、いつも遊びのことばかり書いてしまっていますので、たまには身体のことも。

 

ときどき「痛みに強い人」とか「痛がりさん」という言葉を耳にします。なぜ受傷した本人ではない人が痛みの程度を評価出来てしまうのでしょう。

正常な中枢神経・末梢神経を持つ人の多くは類似した疼痛閾値を持つことが知られています。閾値とは組織から発せられる情報を痛みとして認識するかどうかの敷居値のこと。「閾値が高い=痛みを感じにくい」「閾値が低い=痛みを感じやすい」ということです。他者が見ても、ある程度損傷の評価が可能な切り傷すり傷などでは、その評価から予測される痛みを大きく上回る訴えがあると「痛みに弱い」とか「痛がりさん」と言われてしまうのです。

 

接骨院の治療対象は、切り傷すり傷などの「創」のないケガの患者さまですが、それでもやはり他覚的な所見とご本人の訴えに開きがあることはめずらしいことではありません。

 

ただ、同じ個体であっても疼痛閾値は常に固定されているわけではなく、さまざまな要因で上がったり下がったりします。季節の変化、あるいは日々のお天気の変化、疲労の度合い、精神的なコンディションなどなど。

 

痛みは身体の異常を知らせる重要な情報ですので、やたらに痛みに強ければ良いというわけではありません。しかし、現代人の生活習慣では、痛みに過敏であることが悩みの種になることの方が圧倒的に多いようです。

 

疼痛閾値を高く保つための対策のひとつに、適度な運動が挙げられます。

ある程度の強度を伴う運動を習慣にしている人は、運動しない人に比べて疼痛閾値が高いことは知られています(exercise-induced hypoalgesia:AIH)。野生動物はもちろんですが、人間も原始の頃には狩猟や採集で毎日運動をしていたわけですから、運動することで身体のバランスが調うように出来ているのでしょうね。

ほかにも、深呼吸、音楽、アロマテラピー、気の合う仲間とのおしゃべりなども疼痛閾値を上げるために有効だと言われています。

時節柄、屋内のスポーツ施設には足が向かないかも知れませんが、木の芽もほころび桜もまもなくです。強度がそれほではない有酸素運動でも経験的には効果があると思われますので、広々とした公園でウォーキングなどいかがでしょう(^^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

半年ぶりに山方面へ

  • 2020.03.03 Tuesday
  • 11:46

 

世界中がCOVITー19でたいへんなことになっていますね。もちろん心配な状況であることには間違いありませんが、細心の注意を払いつつも、なるべく冷静な心で過ごしたいものです。

 

さて、日曜日のサイクリングは久しぶりに奥武蔵方面へ。いつも通り飯能までは輪行。やはり電車は空いてました。

この日のルートは県道30号で飯能から越生。その先は大附経由で白石峠。そして堂平山天文台で折り返す短めコースです。

越生は梅林で有名な町。道路を走っていると、どこからかやわらかく甘い香りが漂って来て、ハッと振り向くと可憐な梅の花が風に揺れていました。

 

走りながら目に入った”越生町”の標識。越生町は難読な地名ですが、しょっちゅう通りかかっているとそれほど違和感がなくなって、地名の由来など考えたこともありませんでした。コンビニでおにぎりを頬張りながら検索してみると、「語源については諸説がありますが、平野と山地の接点にあたる越生からは、秩父に向かうにも、上州に向かうにも尾根や峠を越えなければなりません。 それに由来した『尾根越し(おねごし)』の『尾越し(おごし)』という言葉から変化したという説が有力視されています。」とのことでした。なるほどねー(^^)

 

 

 

 

大附から眺める里山っぽい景色。

 

 

 

 

梨花カントリークラブを貫く道を通って都幾川沿いへ。

 

 

 

 

いつもは交通量の多い白石峠を避けて林道奥武蔵支線を上るのが私のお気に入りのルートなのですが、奥武蔵支線はいまだに復旧していないとのことで、一年半ぶりに白石峠を上りました。

チームメイトでもある職場スタッフに「ちょっと白石シバいてくるわ」ぐらい吹いて来たものの、ボコボコにシバかれまくり、自己ベストの5分落ちくらいでどうにかゴール。

写真は白石峠の崩落個所。山側を削って新たに道を作り直してありました。

 

 

 

白石峠では、地元のベテランサイクリストと立ち話。奥武蔵周辺の林道の状況をかなり詳しく教えてもらえました。

通行止めではあるものの、自転車はゴニョゴニョ可能なところもあるらしいのですが、この日はもう白石でお腹いっぱい。景色を眺めにのんびり堂平山まで上って折り返します。

 

天文台の改修工事が行われていて、頂上の駐車場は閉鎖中でした。

 

 

 

南側の眺め。

 

 

 

西側の眺め。ちょうどソロハイカーが登って来たところ。

 

 

 

北側の眺め。左奥は秩父盆地で、その向こうに両神山が望めます。

 

 

 

 

帰宅後には、チームメイトから1980年に公開された映画「復活の日」をプライムビデオで観たという話を聞いてまねっこ。

お話は、アメリカ陸軍が開発した致死率の高い細菌兵器MM-88が、ある事故を機に世界に拡散。南極の観測隊と英国の原潜の乗務員だけが生き残るというお話。深刻度は違えど、世界中の人々がウィルスにおびえて過ごすことが、現在の状況に似ているとSNSで話題になっているらしいのです。

私は半分以上観て、やっと「あれ?この映画観たことあるな」と気づくありさま。ウィルスより自分の脳の劣化のほうがよほど怖かったというお話しです(≧▽≦)

 

 

 

 

 

 

旧作映画な日々旧作(その10)

  • 2020.02.19 Wednesday
  • 17:14

 

年齢による男性ホルモンの分泌低下でしょうか、若い頃は見る気にならなかったテレビドラマを楽しみに観るようになりました。

しかし、年明けから始まった新しいドラマには食指をそそられるものがなく、仕方なしにアマプラ方面へ。

気づけばここのところ映画ネタが続いています。齢とともに冬は籠りがちになるのでそこはお許しください(^^;

 

いつもは硬軟織り交ぜるのですが、今回はちょっと真面目風味のが多めです。

 

 屮マールの壁」(2016年日本公開)★★★☆☆

パレスチナの自治区に住む固い友情で結ばれた3人の青年が、イスラエル当局の捜査官に利用されて葛藤し、お互い疑心暗鬼になりながら命をかけたギリギリの日々を生きるお話。

パレスチナで制作された映画ですが、ただパレスチナ人の苦しみの描写やイスラエルへの批判だけで終わらず、パレスチナの現在の状況を客観的な視点で捉えた作品です。 映画としても完成度も高さもさることながら、自分としては、ニュースでは見えてこないそこに生きる若者たちの日常を垣間見れたことに大きな意味がありました。

 

 

 

 

 

◆屮機璽澆侶譟廖2017年日本公開)★★★★☆

サーミ人とは、ラップランド地方、すなわちスカンジナビア半島の北部、およびロシアのコラ半島でトナカイを飼って暮らし、独自の言語を持つ先住民族です。1930年代にはまだ、スウェーデンにおいてサーミ人は劣等な民族として差別されていました。そこに生まれながら自らの運命を受け容れられず、故郷を捨てて父の形見の銀のベルトを売ったお金でスウェーデンの高校へ入学。差別を受けながらもたくましく生きて行く少女の物語。

監督のアマンダ・シェーネルはサーミ人の血を引いているとのこと。彼女の一族の中にも実際に民族としてのアイデンティティを変えた者と留まった者があり、両者は互いに話もしないのだとか。 多くの国に存在する少数民族存続にまつわる問題、そして主人公は思春期の少女。そのどちらかひとつでもデリケートな題材ですので、心して観始めました。

 

主人公の少女を演じたレーネ・セシリア・スパルクと妹のミーア・エリカ・スパルクは、実際にトナカイの放牧をして暮らすサーミ人です。ふたりは、そこに立つだけですでにラップランドの雄大な自然の一部のように感じられますし、もちろんトナカイの扱いも慣れたもの。そしてその地で思春期を迎えた主人公の少女の繊細な心の変化も彼女たち自身が経験済みでしょう。差別やコンプレックスと闘う少女の葛藤を描くのもこれまた女性の監督ですから、その心理描写は男の私などには思いもよらないもの。つい胸が苦しくなってしまって、途中で何度も休憩してやっと見終えました。女性は共感するところが多い映画だと思います。

 

 

 

 

 

「魔女と呼ばれた少女」(2013年日本公開)★★★★☆

今なお続く、コンゴ民主共和国の政情不安(ほぼ内戦状態)の犠牲になっている子供たちの姿を描いた作品です。

コンゴはアフリカの国々の御多分にもれず、豊富な資源の利権獲得を目論む先進国の干渉がきっかけとなって何度も内戦が起こり、なかでも1998年から2009年までの紛争による犠牲者は540万人に上り、40万人以上の女性がレイプされたとのこと。

対立する部族の集落を襲い、大人を皆殺しにして子供たちを連れ去るのですが、その際には子供に自分の親を殺させるのが常套手段。 以前レビューした南スーダンでの実話を映画化した「マシンガン・プリーチャー」でも同じようなシーンがありましたっけ。

この映画でも主人公の少女が両親を自分の手で殺すことを強要されるところから始まります。

 

主人公を演じるラシェル・ムワンザは、偽預言者に「この娘は魔女だ」とそそのかされた母親によって捨てられ、首都キンシャサのストリート・チルドレンとして生きていたところを拾われてこの映画の主役に抜擢されたのだとか。ほとんど表情を見せない彼女の仮面の下に隠された哀しみを感じるためだけでも、この映画を観る価値があると思います。

 

 

 

 

 

 

ぁ屮茵璽茵次Ε泙販垢垢襯轡襯ロード」(2017年日本公開)★★★★☆

チェロ奏者のヨーヨー・マが、1998年に立ち上げた「シルクロード・プロジェクト」のドキュメンタリー映画。

幼い頃から”天才”ともてはやされたヨーヨーですが、あるとき「君の音楽には声がない」と言われたことでアイデンティティが揺らぎ、自分自身の音楽のルーツを探るうちに、ある着想を得て始めたのがこのプロジェクトです。

 

スペイン・ガリシア地方からシリア、イラン、中国、日本など、シルクロードでつながる西洋・中東・東洋のさまざまな国の伝統音楽の奏者を集めて立ち上げたプロジェクトなのですが、音楽家たちの出身国はそれぞれ政治的にいわくつきの国が多く、それでも表現者としての使命感で困難を克服していった彼らのプロフィールを紹介する映像には心打たれました。中でもイランの伝統楽器ケマンチェの奏者ケイハン・カルホールと、中国の琵琶(ピパ)奏者ウー・マンの回想映像は特に印象的でした。また、ケマンチェと琵琶はどちらも振幅の大きな弦楽器。その大きな揺らぎが時空をたわませて独特な世界へいざなってくれるようで、不思議な魅力を感じました。

 

 

 

 

 

 

ァ屮汽ロモンテの丘 ーロマの洞窟フラメンコー」(2017年日本公開)★★★★★

以前使われていた”ジプシー”という言葉は、もともと国を持たずに移動型の生活をする人々を差して使われた蔑称で、そのほとんどはロマ人(北インド→ペルシャ→ヨーロッパへ広まった)。今では以前ジプシーと呼ばれた人をきちんと”ロマ”と表現するのが一般的です。

スペイン・アンダルシア地方・グラナダ県サクロモンテ地区。かつて政治的・宗教的迫害を受けていたロマの人々は、この地の石灰岩の岩肌に洞窟を掘って貧しく暮らしていました。そこで生まれたのが洞窟フラメンコです。その情熱的なフラメンコの歌や踊りは20世紀半ばに世界的な注目を集めるようになりました。作曲家のドビュッシーやマヌエル・デ・ファリャなどもフラメンコに魅了された人たちです。

サクロモンテの丘がフラメンコの聖地になっていった歴史を、そこに身を置いていた老シンガーやダンサーたちが語り、また実際に歌い、演じています。ヒリヒリと素肌に伝わってくる野性的な熱情。 劇場や都市のタブラオで見るきらびやかな衣装のフラメンコも素晴らしいのですが、客に見せるのではない日常生活の中にある普段着のフラメンコに、かえって凄みを感じて鳥肌が立ちました。

 

ほかにも何本も観たのですが、紹介しきれませんので今日はこのへんで(^_-)

 

 

 

 

 

 

 

ハリー・ディーン・スタントンis「ラッキー」

  • 2020.02.12 Wednesday
  • 11:31

 

1985年に公開されたヴィム・ヴェンダースの「パリ・テキサス」は大好きな映画です。 本編のDVDはもちろん、音楽を担当したライ・クーダーのギターも素晴らしいので、サウンドトラックのCDまで持ってます。主演はハリー・ディーン・スタントン。それほど有名な俳優ではありませんが、その味わい深い演技はとても印象的で何度も観ました。

 

そのハリー・ディーンが91才で亡くなる前年に撮られた映画「ラッキー」。 日本公開のタイミングは承知していたのですが、うっかり見逃してしまっていました。「でもまぁ、そのうちプライムビデオで観れるだろう」と気長に待っていたら、ついにアップされました。

 

アメリカ中西部に暮らすひとりの老人の日常を描いた映画です。 その老人の人生はまさしくハリー・ディーンの人生そのもの、タバコを吸い、ヨガをたしなみ、音楽やクイズ番組が好きで生涯独身の無神論者。海軍の調理兵として沖縄戦にも参加した経歴まで同じです。劇中でラッキーが出会う人やエピソードも、ハリー・ディーン自身の人生からヒントを得て書かれたとのこと。 監督を務めたジョン・キャロル・リンチ自身もハリー・ディーンの友人であり、「この映画はハリーへのラブレター」だと言い切っています。

 

監督のインタビュー、「一人の男が自分をどう見つめ、神や天国という“第二幕”といった安心材料なしで生きる姿を描きたかったんだ。ハリーの人生はまさにそうだった。」

 

ラッキーの毎日は、朝起きてから眠るまでほぼ同じルーティーン。 こまかいことにこだわりが強く、一般には”頑固者”とか”変わり者”と呼ばれるタイプの人です。 ひとが不愉快に感じるかも知れないと思いながらも、思ったことは口に出さずにはいられません。

そんな彼ですが、ダイナーのスタッフや食料品店の店員、病院の看護師、行きつけのバーの常連客など、日常触れ合う人々から何かと気にかけてもらっています。 それほどいい人と認識されているわけではありませんが、いわゆる”ほっとけない人”なのです。「ひとり暮らしと孤独はちがうよ」などとうそぶいて、自分流に生きていながら人から愛される。自分にも人さまにも常に誠実であることを周囲も理解してくれているのでしょうね。

 

そんな彼ですが、ある日自宅でめまいを起こして倒れてしまいます。その出来事以来、それまで遠ざけて過ごしてきた自らの死を意識するようになり、死や人生そのものを哲学的に考えるようになりました。

 

すっかり心細くなってしまった彼を支えてくれたのも、彼を取り巻く町の人々。いつものダイナーで出会ったある人との会話をきっかけに、どんな出来事でも微笑んで受け容れようと覚悟が決まります。

 

仕事がら、私も高齢の方たちと触れ合って30年。自分が目指すべき高齢者像がはっきり見えて来ました。 それは若い人たちに可愛がってもらえる年寄りになること。 自分も幸せにすごせるし、周りの負担も小さくなります。 もちろん、ただ若い人に媚びれば良いということではなく、彼らのチャンネルに合わせてコミュニケーションを取るという意味です。 ラッキーのように持って生まれた愛されキャラでない限り、いくら誠実を心がけても自分流ではなかなか受け容れてもらえないのが現実。老境に差しかかった今、そろそろチューニングダイヤルを回すクセをつけておかねばです。

 

 

 

 

この映画を観てハリー・ディーンがミュージシャンであったことを初めて知りました。劇中の歌やハーモニカのレベルが素人のレベルではなかったので、ネットで検索しまくりました。 シブい、シブすぎる。こんなジジイになりたい!

 

本編中のハリー・ディーンのスペイン語の歌「VOLVER, VOLVER」

 

 

オマケ。2016年に行われたハリー・ディーンのアワード・ショウにジョニデが乱入(≧▽≦)

冒頭でハリー・ディーンの肩をポンと叩いてハケる紳士は、ハリー・ディーンの友人で映画監督のデヴィッド・リンチです。

 

 

 

 

 

 

向井理の第二のふるさとがカンボジアと聞き・・・

  • 2020.01.31 Friday
  • 11:55

 

治療中、患者さまに暮れのカンボジア旅行のことを話していたとき、「たしか、向井理もカンボジアが大好きなんですよ」とTBSで放映された「世界ウルルン滞在記」のことを教えて下さいました。

 

彼は2007年と2011年の2回、この番組(兼映画ロケ)でカンボジアを訪れたようです。 内戦終結後、目まぐるしく変化し続けるカンボジア。 今から10年前のカンボジアはどんな様子だったのか見てみたくて、その2回の放映分のDVDと、その出演が縁で主演した映画「僕たちは世界を変えることができない」をレンタル。一気に観てしまいました。

 

2007年当時25才だった彼は、アンコールワット観光で有名なシェムリアップにある地雷博物館へ地雷除去の勉強に来ていた農家のお父さんと出会い、「畑を手伝わせてください」と直接交渉してホームステイします。

このお父さんの家があるタイ国境に近い地域にはまだたくさんの地雷が残っており、その地雷除去の危険な仕事を続けてでやっと手に入れた畑の開墾を一週間お手伝いするという内容です。

 

向井は地雷除去作業にも同行し、発見された地雷の爆破にも立ち会います。 彼が到着する2日前にもすぐ近所の40代の男性が地雷除去作業中に亡くなったばかり。 彼もその方のお葬式に同行するのですが、そこには残された奥さんと3人の子どもの姿が。「昼には戻るから」と出かけ、自宅から500m先の購入したばかりの土地を整地しているときに地雷に触れてしまったのだとか。

こんなことが日常にある地域ですから、ホームステイ先の家族はアイポ(クメール語でお父さんの意)に早く危険な地雷除去の仕事をやめてもらいたいと望んでいました。

 

長い内戦でジャングル様になってしまった畑の開墾。 もちろん最初は地雷探査から始めます。作業中の向井の顔は蒼白。 たいへんな作業でしたが向井の大活躍もあって整地までこぎつけ、撮影終了日には家族全員でマンゴーの苗を植えました。

この一週間は向井にもアイポの家族にも忘れられない時間になり、向井はカンボジアが第二の故郷であると公言するようになります。

 

遊び人の医大生が、ふとしたきっかけからカンボジアに小学校を作ってしまうという実話「僕たちは世界を変えることができない」が2011年に映画化されました。 監督に「彼しかいない」と主人公に抜擢された向井は、現地ロケを終えるとアイポの家に飛んでいきます。

 

生きて再会できた喜びから、向井はアイポにしがみついて号泣。 その後マンゴーの畑を見に行きますが、飲み水を含めてすべての水を雨水に頼るしかないこの地ですから、数か月続く乾季にほとんどの木が枯れてしまったそうです。アイポは向井の木だけは枯れせたくないと、溜め池の近くに植え替えて育てていました。

 

再会の翌日、アイポが作業に出かけている間に向井は娘を伴って近隣の町へ。井戸掘り職人の家を訪ね、作業費を自腹で払って作業開始。

1回目のボーリングは不発でしたが、翌日の再トライではアイポが水脈の存在を確信していた場所を掘り、みごとな水柱が。これでいつでも清潔な水が使えるようになりました。 向井自ら井戸の給水路の設計図を引いてセメントを練り、ちゃんと完成までこぎつけました。 前回同様家族と肉体労働を共にし、寝る時も高校生と中学生のふたりの娘と川の字。

この旅でますますカンボジアに惹かれて行った彼は、外務省の委嘱を受けて2011年に「日本・カンボジア親善大使」も務めたそうです。

 

「僕たちは世界を・・・」も良い映画でした。 大人になるかならないかの彼らの身の丈を越えた挑戦。 何度も挫折しそうになりながらも、ついにりっぱな小学校を作ってしまいます。 その原動力になったのは、同じ志を持つ学生仲間4人で現地を視察した際の衝撃的な光景や人との出会いでした。 家業の手伝いで学校へ通えない子どもの家への訪問。エイズ患者の療養所。私も訪れたトゥール・スレン(虐殺博物館)やキリングフィールド。 日本語の出来るガイド役のブティさんという方は俳優ではなく、実際に原作者の葉田甲太のガイドをした人。ポル・ポト時代の弾圧で実際にお父さんを亡くしたときのエピソードを話すときの表情や涙はもちろん台本にはありませんでした。もちろんそのブティさんを強く抱きしめる向井の行動も同じくです。

2年前、私もトゥール・スレンやキリングフィールドには行きました。 内戦の歴史が生々しく残る場所は、ふたたび映像で見るだけで自分の体が硬くなっていくのが分かります。

それでも、屈託のない子どもたちの笑顔を見ると、また行ってみたい気持ちが抑えられなくなります。

 

2年後にはまた行くから、待っててね〜♡

 

 

 

 

 

 

 

 

私が自転車に乗る理由

  • 2020.01.24 Friday
  • 16:45

 

自転車チームの連絡用にと、仲間たちになかば強制的にTwitterを始めさせられたのが10年前。

その後始めたFacebookも含めて、今では日々のちょっとした時間のタイムラインチェックに慰められています。それは何となく昔吸っていたタバコを楽しむ感覚に近いような気がします。ひょっとしたらSNSの普及は禁煙率の向上にも寄与しているかも知れませんね。知らんけど(^^;

 

Facebookでは基本的に実際にお目にかかった人とだけつながるようにしていますが、投稿の内容から刺激を頂ける数人の方にはこちらから友達リクエストをさせて頂きました。その中に俳人でランナーの方がいらっしゃいます。その方のある日の投稿に「走り続けるのはバランスを実現するため」という言葉があり、とても共感しました。

 

私は中学時代に陸上部でシゴかれまくったせいで、二度と運動なんかしないと決めていたものの、長男の幼稚園の運動会のお父さんリレーで転びそうになったことがきっかけで20年ぶりにランニングを再開。一度だけフルマラソンも走ったことがあります。制限時間4時間とあまり初心者向けではないレースにエントリーしてしまったせいで速いペースに引っ張られ、また補給が必要だという知識がなかったこともあって、30km走ったところで脚のあちこちが痙攣。半ベソで10km以上歩いて制限時間ギリギリの完走(完歩?)でしたっけ。フルマラソンはそれっきり。それでもマイペースのランは意外に楽しくて5〜6年は続けていましたが、40代の頃にちょっとした事故で膝半月を傷めてから走れなくなってしまいました。こんどはそのケガのリハビリで始めた自転車がこれまた性に合ったようで現在まで続いています。

 

ランニングも自転車も競技者のレベルには程遠く、長生きにも健康にも執着があるわけでもないのに、なぜ運動を続けているのだろうと自問することもしばしば。

自分なりの答えは、そうバランスを調えるためなのです。頭脳労働と肉体運動のバランスとか、都会の生活だけで過ごさず自然にも身を置いてみるとか、ときおり多角的に自分を見つめ直して、偏りがちな身体や心のバランスを修正するために走っているのです。

 

しかし、フェイスブックのその方の場合は、私のような場当たり的な意識ではなく「バランスを実現する」。すなわち、意識せずともバランスが調えられる人になることを目標としていらっしゃるのだと思います。もう還暦を迎えてしまった私も本当はそこを目指すべきなのですよね。よし、オラもジェダイ・マスターになる!(≧▽≦)

 

 

 

 

 

 

 

 

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