「BIUTIFUL」。スペルはこれで。
- 2020.03.31 Tuesday
- 11:50
こうなったらもう、家でゴロゴロ映画でも観てるしかないじゃないですか(^^;
さて、とっくに書いたと思っていましたが、どうやら自分がイニャリトゥ作品のファンであることを書き忘れていたようです。
はじめて彼の映画を観たのは、2004年に日本公開された「21グラム」でした。
その後、監督作の「アモーレス・ペロス」「バベル」「BIUTIFUL」「バードマン」「レヴェナント:蘇りし者」はもとより、彼が制作として関わった「ルド&クルシ」「愛する人」と、日本公開された作品は劇場やDVDでぜんぶ観ました。
その中でも、私がいちばん好きなのが「BIUTIFUL」です。週末の外出自粛を受け、ひさしぶりにDVDを引っ張り出して観ました。
スペルは あえて「BEUTIFUL」ではないところに意味があります。主演はハビエル・バルデム。この人の演技を初めて見たのは、彼がアカデミー賞助演男優賞を受賞した「ノー・カントリー」でした。無表情のまま淡々と仕事を完遂していく殺し屋役のハビエル・バルデムの、まぁ恐ろしかったこと(◎_◎;)
その彼が、この「BIUTIFUL」ではスペイン・バルセロナの下町に暮らす2児の父親、ウスバルを演じています。
ウスバルは生まれた頃に相前後して父を失いました。苦しい少年時代を経て、今ではセネガルや中国からの不法滞在者たちのブローカーという非合法な仕事で生計を立てているものの、生活はカツカツ。家族で囲む夕食の食卓がシリアルだけのことも。妻は双極性障害で入退院を繰り返しており、躁状態のときにはウスバルの兄とも関係を持ったり、、学校にも通えなかったウスバルはある日、娘に「ビューティフル」のスペルを聞かれて「BIUTIFUL」と答えてしまいます。
そんな彼が余命2ヶ月の末期ガンを宣告されます。もちろん死の恐怖は感じつつも、残していかざるを得ない者たちのために奔走する彼。 ここまでネタバレさせても、ストーリー全般のほんの一部を紹介したに過ぎません。ほかにもスペイン内戦の傷跡、貧富の差、LGBT、汚職、さまざまな要素が盛り込まれており、それらが複雑に絡み合って、苦しい状況から抜け出せない中で懸命に生きる人々の姿が描かれています。
イニャリトゥはインタビューで、この作品は黒澤明の「生きる」からインスピレーションを得て撮ったと言っています。
1952年に公開された「生きる」は、事なかれ主義で生きてきた市役所の課長が胃ガンを発症して余命が半年足らずと悟り、残された時間を住民のために尽くして人生を終えるというお話。「生きる」も「BIUTIFUL」も、残された時間を自分以外の人々ために使い切るという意味では共通しています。違いをさがせば、「生きる」の主人公は家族との関係構築が苦手な人。せめて社会への貢献で自らの生きた証を残そうとして実際に成果を上げ、すこしの寂しさを伴う達成感に浸りながら最期を迎えるのに対し、「BIUTIFUL」の主人公はあらかじめ家族や近しい人に愛され信頼されています。彼はその人たちのために可能な限りの努力をするのですが、残念ながらすべてが裏目に。それでも愛され必要とされていると感じながら命を終えるのです。
イニャリトゥには、両方観た人にだけ分かるその対比でニヤッとして欲しいという狙いがあったのでは?と思わずにはいられません。
この映画に限らず、イニャリトゥの作品には見る者の死生観を問うものが多いように思います。自分や大切な人の死を受け容れることはとてもつらいことですが、それはいつか必ず訪れるもの。死を不吉なものとして遠ざけて過ごさず、いつも身近に存在することを前提に生きよう。そんなメッセージを感じるのです。そこには、イニャリトゥ自身が生まれてすぐの息子を亡くしたことが関係している気がします。あるいはアステカの時代から受け継がれたメキシコ人の死生観も反映しているのかも知れません。
困難な状況はもうしばらく続きそうですね。自分や家族の身体と心のコンディションをよく観察しながら、免疫力を上げて乗り切りましょう。
まったくもってお察しの通りの週末でした。ただ、日曜日の午後には院のビル前をぜんぶ雪かきしてひと汗、室内練習台で自転車にも乗りましたヨ(^_-)
志村けんさんは、ストレスフルな思春期にひとときの救いをもたらしてくれる人でした。心からご冥福をお祈りいたします。