向井理の第二のふるさとがカンボジアと聞き・・・

  • 2020.01.31 Friday
  • 11:55

 

治療中、患者さまに暮れのカンボジア旅行のことを話していたとき、「たしか、向井理もカンボジアが大好きなんですよ」とTBSで放映された「世界ウルルン滞在記」のことを教えて下さいました。

 

彼は2007年と2011年の2回、この番組(兼映画ロケ)でカンボジアを訪れたようです。 内戦終結後、目まぐるしく変化し続けるカンボジア。 今から10年前のカンボジアはどんな様子だったのか見てみたくて、その2回の放映分のDVDと、その出演が縁で主演した映画「僕たちは世界を変えることができない」をレンタル。一気に観てしまいました。

 

2007年当時25才だった彼は、アンコールワット観光で有名なシェムリアップにある地雷博物館へ地雷除去の勉強に来ていた農家のお父さんと出会い、「畑を手伝わせてください」と直接交渉してホームステイします。

このお父さんの家があるタイ国境に近い地域にはまだたくさんの地雷が残っており、その地雷除去の危険な仕事を続けてでやっと手に入れた畑の開墾を一週間お手伝いするという内容です。

 

向井は地雷除去作業にも同行し、発見された地雷の爆破にも立ち会います。 彼が到着する2日前にもすぐ近所の40代の男性が地雷除去作業中に亡くなったばかり。 彼もその方のお葬式に同行するのですが、そこには残された奥さんと3人の子どもの姿が。「昼には戻るから」と出かけ、自宅から500m先の購入したばかりの土地を整地しているときに地雷に触れてしまったのだとか。

こんなことが日常にある地域ですから、ホームステイ先の家族はアイポ(クメール語でお父さんの意)に早く危険な地雷除去の仕事をやめてもらいたいと望んでいました。

 

長い内戦でジャングル様になってしまった畑の開墾。 もちろん最初は地雷探査から始めます。作業中の向井の顔は蒼白。 たいへんな作業でしたが向井の大活躍もあって整地までこぎつけ、撮影終了日には家族全員でマンゴーの苗を植えました。

この一週間は向井にもアイポの家族にも忘れられない時間になり、向井はカンボジアが第二の故郷であると公言するようになります。

 

遊び人の医大生が、ふとしたきっかけからカンボジアに小学校を作ってしまうという実話「僕たちは世界を変えることができない」が2011年に映画化されました。 監督に「彼しかいない」と主人公に抜擢された向井は、現地ロケを終えるとアイポの家に飛んでいきます。

 

生きて再会できた喜びから、向井はアイポにしがみついて号泣。 その後マンゴーの畑を見に行きますが、飲み水を含めてすべての水を雨水に頼るしかないこの地ですから、数か月続く乾季にほとんどの木が枯れてしまったそうです。アイポは向井の木だけは枯れせたくないと、溜め池の近くに植え替えて育てていました。

 

再会の翌日、アイポが作業に出かけている間に向井は娘を伴って近隣の町へ。井戸掘り職人の家を訪ね、作業費を自腹で払って作業開始。

1回目のボーリングは不発でしたが、翌日の再トライではアイポが水脈の存在を確信していた場所を掘り、みごとな水柱が。これでいつでも清潔な水が使えるようになりました。 向井自ら井戸の給水路の設計図を引いてセメントを練り、ちゃんと完成までこぎつけました。 前回同様家族と肉体労働を共にし、寝る時も高校生と中学生のふたりの娘と川の字。

この旅でますますカンボジアに惹かれて行った彼は、外務省の委嘱を受けて2011年に「日本・カンボジア親善大使」も務めたそうです。

 

「僕たちは世界を・・・」も良い映画でした。 大人になるかならないかの彼らの身の丈を越えた挑戦。 何度も挫折しそうになりながらも、ついにりっぱな小学校を作ってしまいます。 その原動力になったのは、同じ志を持つ学生仲間4人で現地を視察した際の衝撃的な光景や人との出会いでした。 家業の手伝いで学校へ通えない子どもの家への訪問。エイズ患者の療養所。私も訪れたトゥール・スレン(虐殺博物館)やキリングフィールド。 日本語の出来るガイド役のブティさんという方は俳優ではなく、実際に原作者の葉田甲太のガイドをした人。ポル・ポト時代の弾圧で実際にお父さんを亡くしたときのエピソードを話すときの表情や涙はもちろん台本にはありませんでした。もちろんそのブティさんを強く抱きしめる向井の行動も同じくです。

2年前、私もトゥール・スレンやキリングフィールドには行きました。 内戦の歴史が生々しく残る場所は、ふたたび映像で見るだけで自分の体が硬くなっていくのが分かります。

それでも、屈託のない子どもたちの笑顔を見ると、また行ってみたい気持ちが抑えられなくなります。

 

2年後にはまた行くから、待っててね〜♡

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
つい先月2度目のプノンペン行きを、果たしたばかり院長どのにとって「世界ウルルン・・」と「僕たちは世界を・・」の2遍は、どんなにか向井理氏への親近感を抱かせた事でしょう。それにしても内戦という惨禍の中で、地雷という兵器の持つ陰惨さは、誠に許し難いものですね。余りにも長年月に亘って、内戦に縁もゆかりも無い人々にまで不幸を齎らす様相は、これを敷設した兵士や指揮官の存命中に、(夢でも良いから)必ず目視させるよう!造物主はお手配出来なかったものでしょうか?では。
  • 山野隆康
  • 2020/01/31 9:07 PM
山野さま
戦時の狂気の中では生存への執着や闘争本能のみが強調されてしまい、兵士はどんな手段にもすがりたくなるのはまだ理解できます。
しかしそれよりも、兵器の開発に携わる技術者は、使命感というよりも科学者としての評価を高めるため、すなわち自らのアイデンティティを強化するために非人道的な兵器を次々に開発していったのではないでしょうか。安全な場所に居ながら、散乱する肉片をイメージして作業できる脳。どちらかというと私はそちらの方に強く恐怖を感じます。
  • 松本
  • 2020/02/01 10:47 AM
ウルルン滞在記はリアルタイムでよく見ていた記憶があります。当時は知的にも、金銭的にも、今ほど海外に興味がなかったので、いろんな国があるんだなぁ、位にしか思っていませんでした。
レンタルDVDがあるんですね。

この場の先生のいろんな記事、自分では考えたこともないようなことばかりで、いつも新しい一面を気づかせてもらえます。もう中年な年頃ではありますが、まだまだ若いって事なのか、、、狭い世界しか考えてないんだなぁと実感します。
  • 青トゥーラン
  • 2020/02/01 11:45 AM
青トゥーランさま
私も50代前半までは日々に追いまくられていて、今みたいに呑気に思索にふける余裕はありませんでした。
おっしゃるように、年取ったら年取ったなりの人生の楽しみが見つかるからフシギです(^_-)
  • 松本
  • 2020/02/01 12:14 PM
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