今さらですが、石牟礼道子「苦海浄土」を読みました

  • 2019.12.05 Thursday
  • 12:12

 

「苦海浄土」。タイトルには”浄土”なんて言葉が含まれていますが、宗教の本ではありません。水俣病を題材にした石牟礼道子の小説です。

私の好きな池澤夏樹が「現代世界の十大小説」にリストアップしていたのは知っていました。 ただ、そのタイトルからしてもうしんどそうだし、なんたって作品の題材があの水俣病だしで、なかなか手に取ろうという気になれなかったのです。 しかし現役時代は新聞社に勤務されていた患者さまが最近読まれたらしく、「ぜひ」とお薦めして下さったので読んでみました。

 

作者の石牟礼道子は、地元の高校を卒業したあと数年間代用教員を務めたものの、その後はふつうの主婦として暮らしていました。

当時、彼女が住む水俣市の財政や雇用を支えていたのはチッソ水俣工場。 その工場の廃液に含まれていたメチル水銀が魚介類の食物連鎖によって生物濃縮し、それを日常的に食べた地元の人々がメチル水銀中毒症を発症しました。それが水俣病です。

 

水俣病については社会科の授業や鍼・柔整の専門学校の衛生学で何度か勉強しましたが、罹患した子どもたちの写真を見るたびに心がつらくなってしまい、表層をなぞるだけで自らすすんで水俣病のことを調べてみようとしたことは一度もありませんでした。

 

水俣病の被害者が増えたのは、チッソや行政が対策を打たなかったことが原因です。 原因物質の究明にもっとも近いところにいたのは工場内部の技術者や専門家。 工場内の動物実験で水俣病の原因が明らかになっていたにも関わらず、彼らはその事実を公表しませんでした。 熊本大学の研究班が会社側からの妨害を受けながらも原因物質を突きとめたのは水俣病が公式に発見された3年6ヶ月後の1959年。 しかし発病までのすべての因果関係が完全に証明されないことをいいことにチッソ側は対策を打たず、その後も9年間にわたり汚染された廃液を流し続けたのです。

 

水俣病発見当時の水俣市長は橋本彦七氏。その数年前までチッソ水俣工場の工場長だった人でした。 1968年1月になってやっと水俣病対策市民会議が発足しましたが、その段になっても市民の間では「水俣病ばこげんなるまでつつき出して、大ごとになってきた。会社が潰るるぞ。水俣は黄泉の国ぞ。水俣病患者どころかよ」という声が多かったようです。 そんな市民の声を後ろ盾に、橋本市長は市民会議の発足当時、会長に対して「線香花火のような市民運動ではネ」と言って、水俣病患者の身体の動きをマネてからかったと言います。 市民同士の感情対立もあり、その年の9月に初めて行われた市主催の水俣病死亡者合同慰霊祭には、なんと市民はただのひとりも出席しなかったとのことです。

 

同じ1968年の9月、政府ははじめて水俣病と工場排水の因果関係を認め、チッソの企業責任を明確に打ち出しました。 このとき政府は、それまで認定されていた111人の患者の見舞金を増額すれば問題は終わると考えていたようです。 しかし、それまで上記のような市民感情に配慮して申し出ていなかった人たちが認定を希望し始め、補償対象者は7万人に上りました。 罹患を申告しなかった人を合わせれば濃厚に汚染された人だけでも二十万人以上と言われています。

 

患者が多発したのは貧困層の漁民が住む地域。 社会全体の利益のために少数の弱者が犠牲になり、救済されないどころかあたかもその出来事がなかったかのように秘かに処理され、忘れ去られていくという図式は全体主義の国ではよくあることですが、終戦から十数年後の私が生まれた頃になってもまだ日本人の意識はこんな感じだったのですね、、

 

苦海浄土の本編を読了後、あとがきをつらつら読んで驚きました。 作品中に何度も出てくる被害者たちの声は実際に取材した聞き書きだと思って読んでいたのですが、かなりの部分は彼女が患者とふれあい、そこで手にした事実からふくらませていった創作だったというのです。 ふつうに考えると、このような被害に遭われた方のコメントを創作することはタブーの領域だと思います。しかし、この水俣に暮らすふつうの主婦であった石牟礼道子は、身近な人たちの身体や心や生活が壊れていくことをただ見ていることができず、自らの権利や意見を表象できない社会的な弱者であり少数者であった彼らの心の声を代弁したのです。

 

良い文の特徴は、読んだあとに世界が変わって見えてくることだと言った人がいますが、苦海浄土はまさしくそんな本です。

ご年配の患者さまから、目が疲れて年々本を読むことがおっくうになってきたとこぼされることが多いのですが、私も老眼の進行でその気持ちが分かるようになって来ました。読もうと思っていた本は先延ばししないで、少しづつやっつけていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
水俣病の文字が目に入る度に、私の頭には「イタイイタイ病」が浮かんで来ます。神通川下流域である富山県婦負郡に、多く発生するこの病気の原因物質が、神岡鉱山の未処理水に含まれるカドミウムである事が公表され、全国的に問題視され始めたころ、私はこの地に移住していました。院長どのと同様、その日その日の仕事に忙殺されていた為、進んで対決する事もなく今日に至っております。石牟礼道子さんが、患者の肉声から書き取ったように描写するその言葉の数々も、実は作家としての創作であったと聞き、驚くと共に深く考えさせられました。足尾銅山鉱毒事件を始め、国家が富国強兵を目指してイノベーションに強く傾くとき、プラスのメリットの陰で、ほぼ同等のマイナスが胚胎し始め、打つ手を忘れる訳には行かない!話題は飛躍しますが、いっときの世論調査に振り回され易いデモクラシーなるものにも、慎重な考察が加えられるべき時ではないでしょうか?(支離滅裂なコメントをお許し下されたく)。
  • 山野隆康
  • 2019/12/10 4:59 AM
山野さま
あの当時は公害の発生地域でなくても、ある程度の人口がある街の河川はどこもブクブク泡が浮いて嫌な臭いがしてましたね。
社会が政治的にどうあるべきかは、還暦間近になってもさっぱり分かりません。アタマの良い人たちに丸投げです(^^;
ただ、世界で何が起こっているのかを観察して過ごすよう心がけてはいます。
  • 松本
  • 2019/12/10 3:03 PM
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