益子。ちょっとかよってみたくなる町でした
- 2019.09.10 Tuesday
- 12:23
日曜日には台風が来るとの予報でしたので、なにか自転車以外のことをしようと、次男と一緒に益子町へ陶芸体験に出かけて来ました。
次男は小さい頃から創作が得意でしたので、彼も母親や兄と同じようにクリエイターとして生きていくのではないかと思っていました。しかしまわりの予想に反して彼が選んだのは文系大学から一般的な会社員という進路。 ただ、ときどき創作の衝動が湧き上がってくるようで、今回は私もお供で同行してみました。
この日お世話になったのは、工房「風和里」。 益子の町はずれ、山の手の行き止まりにある小さな工房です。
主催されているのは作家の佐藤仁思さんと大和知子さんご夫妻。 インターネットの体験講座のリストの中から、何の気なしに選んだ工房でしたが、いろいろな意味で大当たりでした。 まず、お二人の人柄がすばらしかった。おだやかでやさしいご主人と、テキパキと手順を示して下さる奥さま。 体験者が持つ作品のイメージを共有して、それをかたちに出来るようやさしく辛抱強く取り組んで下さいました。 あと、音楽の好みが私とドンピシャ。 ジャズドラマーのご主人と、ジャズ好きで何度もニューヨークを訪れたという奥さまは、音楽が縁で出会われたとか。 1987年に仙台で行われたマイルス・デイビスのステージでは、私とご夫妻が同じ客席にいたことも判明。 ほかにもお婿さんが次男と同窓であったりと、陶芸以外のことでもずいぶん話が弾みました。
奥さまが、手のおもむくままひねったという作品の数々。 それぞれの作品の、光の当たり方で変化する表情は見飽きませんでした。
ご主人の模範制作。 ふわっとしたオーラを纏ってロクロの前に座ったと思ったら、鈍色の土のかたまりがあっという間に器のかたちに。 どんなプロもそうですが、仕事に集中する瞬間の気の発散はすごいものだなあ、と見とれてしまいました。
親子ふたりでロクロ初体験中。 オーラのオの字もありません(^^;
次男はどうしてもかたちにしたいイメージがあるらしく、奥さまの指導で手びねりにも挑戦。
出来を採点されているわけではありません。 焼く前に釉薬の種類を選んで記入して頂いているところです。
名残惜しい気持ちで工房をあとにして向かったのは、人間国宝の陶芸家、濱田庄司の旧邸。
彼が生前に使っていたという登り窯が邸内に移設されていました。
この日、座敷ではお茶会が催されていました。
濱田庄司邸に隣接する陶芸美術館では、同じく人間国宝の島岡達三の作品展が開催されていました。次男は彼の作品に相当インスパイアされたようで、ゆっくり鑑賞したあとにもう一周していましたっけ。
その後、益子焼窯元共販センターで日用的な陶器を見学がてら次男は彼女のためにマグを購入。 お昼は栃木名物のそばをいただきました。 グルメサイトでリーズナブルな名店と紹介のあった「明水」はお店センターから車で数分。店内にはギャラリーも併設されています。 気になったのは什器やテーブル、椅子などがひとつひとつ違っていて、明らかに手作業による調度であったこと。訊いてみるとやはり金工作家さんによるものだとのこと。 毎年石神井公園のギャラリーで個展を開かれる木工作家の安彦年朗さんもこの町に移って創作活動を行っていると聞きましたし、自然とアーティストが集まってくる町のようです。 歴史的なこともあって町の人たちがアートへの感受性が高く、また多様性を尊重する風土があるのではないかと推察しました。
もちろん、明水のそばは美味しかったです。 陶芸教室の緊張が解けて自覚された空腹感がやっと満たされました。
数日前、院のスタッフ女史に益子行きのことを話したところ、彼女は小学2年までお父さんの仕事の都合でこの益子で暮らしたとのこと。 ちょうど通り道でしたので、彼女が通っていた星の宮分校の写真を撮って見せてあげようと立ち寄ってみました。
しかし予想通り今は廃校になっており、旧校舎だった左奥の建物は屋根が葺き替えられて地域の自治公民館になっていました。
それでも写真を喜んでもらえたので寄った甲斐がありました。
これでミッション・コンプリート。思ったよりも台風の足が遅くて帰りの車もほとんど降られずに帰宅。良い休日でした(^^)
陶芸美術館の表を見て、山野さんに益子の粘土は植物由来だとお話しましたが、直接植物から作られるものではなく、正しくは古生代から中生代の堆積岩類に分類されるとのことです。説明が不十分で失礼しました。
「風和里」はまさしく「ふわり」と読むそうです。うらやましいほど肩の力の抜けた生き方をされているご夫婦にぴったりの名称だと思いました。
クリエイティブな資質が人生の役に立つとのお言葉、大いに励みになると思いますので、本人に伝えさせて頂きます!