ETV「熊を崇め 熊を撃つ」

  • 2019.02.22 Friday
  • 17:05

 

先日NHK Eテレで放映された 「熊を崇め 熊を撃つ」 という番組を録画で見ました。

秋田県鳥海山のふもとには、最後のマタギ集落のひとつ 「鳥海マタギ」 の村があります。 番組はその村のマタギ、小沼清弘さん(60才)に密着した記録です。

彼の猟法は ”フシブチ” という単独での追跡猟。猟犬も使わず、ひとりで黙々と熊の足跡を追って尾根をいくつも越えて歩きます。 当然集団の猟より大きなリスクを背負っての猟。 熊と対峙する際には、常に命のやり取りを覚悟して臨んでいるそうです。

マタギが狩猟のみで生活できなくなったのはおよそ50年前。 今では熊皮は買い手がつかず、熊の胆は法律で売買が禁止されてます。

小沼さんが子供の頃、専業のマタギだった父親の収入が減少してだんだん生活が苦しくなっていくのを実感したそうです。

彼は中学2年から上京して出稼ぎし、家族に仕送りをしていたとのこと。 兼業農家の現在は自治体から冬季の除雪作業員としての仕事も請け負っているので出稼ぎはしなくてよくなったそうですが、その分猟に出られる日が減ってしまっているのが悩みの種だと話していました。

 

インタビュアーがもっとも気になる質問をしてくれました。「マタギとは何ですか?」「マタギとハンターの違いは何ですか?」

しかし、小沼さんや集落のマタギたちから明確な答えは聞けませんでした。 おそらくその答えは精神性のハナシ。それを言葉で説明するのは難しいのでしょうね。

 

2013年の夏、自転車で東北地方を旅したときに、1日だけサイクリングをおやすみして白神山地をトレッキングしました。 その前夜に宿泊した青森県西目屋村の公営宿泊施設の書棚に 「白神山地マタギ伝 鈴木忠勝の生涯」 という本があり、部屋で途中まで読んで、読み切れなかった頁は帰京してから読了しました。 それまで漠然としたイメージしかなかったマタギについてかなり詳しく書かれていて、彼らの生き方にとても共感しました。

その後もマタギへの興味は尽きず、白神山地の秋田側、阿仁町のマタギを題材にした志茂田景樹の直木賞受賞作 「黄色い牙」 を読んだりしましたっけ。 そして今日アマゾンから、同じく阿仁町のマタギのお話 「邂逅の森」 が届いたところです。

 

マタギには独特の宗教観があります。 それはメジャーな宗教のように人間社会の中での生き方を導くためのものではなく、山の神との関わり方を教えるもの。 古くから伝承される山のおきては、仲間や自分自身を守るものであったり乱獲を防ぐための智恵であったり。 中でももっとも重要なのは自然への敬意。 読みかじった知識から得た私の結論ですが(^^;

 

私が生まれ育った町は土佐湾沿いの田舎町で海まで徒歩3分、山まで1分。 最寄りの駅まで60kmという自然の濃い町でした。 母の実家は更に田舎で、隣町の川伝いに10kmほど上流へ入った山里の村。 そのあたりでは成人男性のほとんどが鉄砲の免許を所持していました。 祖父や伯父・叔父たちは冬になるとイノシシを撃ちに行くことが何よりの楽しみで、軒下のあちこちにはいろいろな動物の毛皮が板に打ちつけられて乾燥中でした。

私自身も小学生の頃には近所のお兄さんたちに連れられて、冬は山でキジ、ヤマバト、コジュケイ、ヒヨドリ、ツグミ(当時はどの鳥も保護鳥ではありませんでした)など。 夏は川で天然ウナギを罠で獲ったり、磯の魚を銛で突いたりして過ごしました。 それは大人になったあとの本格的な猟に向けてのトレーニングのようなものでした。 もしそのまま地元で就職したら、ひょっとしたら私も毎冬イノシシを追いかけていたかも知れません。

 

食べるために生き物の命を頂くときの、興奮と罪悪感と感謝の気持ちがないまぜになった感覚は、誰かが殺してくれた動物を食べるのが当たり前になってしまった現代では、一度も経験しないまま一生を終える人も多いのではないでしょうか。 マタギのように宗教的な意味を含めた行為でなくても、人間が太古の昔から生き延びるために行ってきた行為をあらためてなぞることは、忘れかけていた大切なことをもう一度知る機会になると確信しています。

 

2019.2.200ブログ.jpg

写真は青森・目屋の最後のマタギ、鈴木忠勝さん。カッコよすぎる(◎_◎;)

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
含蓄に富むお言葉を拝見させて頂きました。小沼清弘さんのマタギ修行といい、院長どののイノシシ猟体験といい、大型哺乳類の断末魔に関わる強烈な精神訓練です。私も近所の農家で、飼育豚が屠殺のために捕縛される際に発し続けた、激しい鳴き声の記憶が80年後の今でも忘れておりません。幼児を厳しく躾けるために、私達の祖父母は体罰を厭いませんでした。しかしその限度、さじ加減にに関する知識は、完璧に近いもので有ったように思います。親が子供に加える懲罰の在り方が、立法府で見直され始めた現今の世相・・・。育ち盛りの子供には、テレビの映像やスマホからの無機無臭の情報以前に、自然との触れ合いを与えるべきではないでしょうか?
  • 山野隆康
  • 2019/02/23 5:04 AM
山野さま
息子たちが小学生だった頃の夏休みには、むかし自分がそうしていたように、自分で銛を作らせて郷里の川で魚を突かせました。銛に伝わる魚の最後のあがきや血煙を経験させたかったのです。
おっしゃるように机の上だけでの勉強や、画面で見ただけでの疑似体験では理解できないことがたくさんあると思います。
前頭葉での情報処理だけでなく、大脳辺縁系を刺激する体験はとても大切だと思います。
  • 松本
  • 2019/02/23 9:28 AM
コメントする








    
この記事のトラックバックURL
トラックバック

calendar

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< May 2019 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM