自ら燃えなければどこにも光はない

  • 2017.10.17 Tuesday
  • 18:00

 

たった5分の通勤電車ですが、車内のポスターを目にするたび気になっていたハンセン病資料館。

雨降りで自転車に乗れなかった日曜日に出かけて来ました。

 

東村山市にあるこの場所は、「国立療養所 多磨全生園」 という1909年(明治4年) に設立されたハンセン病患者の療養施設です。

1907年、浮浪のハンセン病患者を強制隔離するために 「法律第十一号癩予防ニ関スル件」 が制定されて以降、国は在宅のハンセン病患者をも強制的に隔離するために法律を厳しくしていきます。 全国13ヵ所の国立療養所のうちいちばん最初に出来たのがここ全生園の前身の第一区府県立全生病院でした。

その後1943年に 「プロミン」 という薬の有効性が確認されてからハンセン病は治る病気になりました。 その後も治療法はどんどん進歩して行き1981年に確立された多剤併用療法によって完治した患者からの感染の可能性は全く無くなり、新たに発症する人も全国で年間数人という状況になりました。 しかし1996年に 「らい予防法」 が廃止されるまで隔離政策は続いて行きました。 

2001年、ハンセン病患者の強制隔離を定めた 「らい予防法」 が憲法に反していたとする判決が出て、当時の総理大臣であった小泉純一郎は患者および元患者に対して謝罪しました。

 

映画を観るにも60kmほどバスに乗らなければならない過疎の町で育った私は、中学生のころに公民館の体育館で上映された 「砂の器」 を見てはじめてハンセン病のことを知りました。 ただ、近隣の町で発症した人がいたということは聞きませんでしたし、映画を見たときこの病気についてどう感じたかも忘れてしまっていました。

 

 

資料館です。 

 

 

本来資料館の中は撮影禁止なのですが、たまたま受付に学芸員の方がいらっしゃって許可を下さいました。

フィギュアがリアルすぎてドキッとします。

 

 

 

重い、、

 

 

「深海に生きる魚族のように、自ら燃えなければどこにも光はない」。 どこかで聞いた言葉だと思ったら、これは学生時代から明石海人のファンだったという大島渚監督がときどき紹介していた言葉でした。 当時、大島監督は文学に溺れながらも文学に対して好意よりも嫌悪を抱いていたそうです。 なぜなら、深く文学の匂いの中にいるということは、すなわち死の匂いの中にいるということ。 若かった自分は死の匂いを嫌ったんだろうと後に自ら分析しています。 絶望の中においてもどこか生きるよすがを探していた大島青年に答えをくれたのが明石海人のこの言葉だったのだとも。

 

 

 

最後の展示ブースにはいくつものモニターとヘッドホンが置いてあり、70人以上の高齢になった元患者がそれぞれ自らの人生を語る動画を視聴できるようになっていました。 一人のお話しを聞くのに20分ほど。 おふたりの方のお話しを聞いたのですが、時間を忘れて聞き入ってしましました。

この日曜日、私が資料館に滞在した3時間に居合わせた方は2人だけでした。 かえって学校の社会科見学などで子どもたちが訪れる平日の方が来館者が多いのかもしれません。

 

 

 

 

 

全生園のほとんどの場所は、一般の人も自由に歩けるようになっています。

昭和3年に入所者たちの手で建てられ、昭和52年まで使われていたという男子独身寮 「山吹舎」 が復元されていました。

12畳半の部屋に多いときは8人が生活していたそうです。

 

 

 

全生学園跡のグラウンドの碑。 幼少期に発症し、一生をここで過ごした人もいたのでしょう、、

 

 

 

 

 

 

園内には真言宗、浄土真宗、日蓮宗のお寺のほか、カトリック、聖公会、プロテスタント、それぞれ宗派ごとの教会が建てられています。

 

 

軽症の方たちの住宅の各戸には自転車が。 今では外へもおつかいに行けるようになったんですね。

 

思えば私は社会人になってからの数年間、ここから3kmほどしか離れていない場所にあった社宅に住んでいました。1980年代のことですから、当時はまだここに住む方々は外の世界に出ていくことが許されていなかったのです。 

恥ずかしながら、20代の私は自分のことばかり考えていて、まったく人さまのことを思いやれるような人間ではありませんでした。

心弱くなる齢になってやっと少し人の痛みが分かるようになって来たのか、ここで生きた人々のさまざまな痕跡を見るたび激しく心が揺さぶられ、その夜はなかなか眠りに就くことができませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
私は家内の遺骨を小平霊園に納めて以降、東村山市を通過することが多くなり、タクシーの運転者から多磨全生園への道筋などを教えられました。以前から、両陛下のハンセン病患者への思いやりに関する記事を(漫然とではありますが)読んでおりましたので、この草深い広々とした地区内の一画に住む、患者の方々の、来し方行く末に(僅かの時間ではありまづが)思いを馳せておりました。一つの未解決事案が、行政的に解決されるために要する時間の長さは、2〜3世代に亘る長いものであることの代表例なのでしょうね(このハンセン病問題は)。では。
  • 山野隆康
  • 2017/10/18 5:54 AM
山野さま
全生園の近くを通られる方は皆さん同じような心のざわめきを感じるのではないでしょうか。
政治的なことを考えるのは苦手なのですが、「らい予防法」の廃止に関してははっきり遅すぎたと思います。
  • 松本
  • 2017/10/18 10:10 AM
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