河岸忘日抄

  • 2017.03.09 Thursday
  • 11:16

 

眠ることが好きな私は、7時間眠れることが日々の小さな幸せです。 ただ、そうすると帰宅後の自由時間は90分をひねり出すのが精いっぱい。 ここのところはずっとamazonのプライムビデオで映画を観て過ごしていましたが、読みさして机の上に置きっぱなしてあった本にふとうしろめたさを感じて4ヶ月ぶりに頁を進めました。

 

堀江敏幸の作品は芥川賞受賞作「熊の敷石」以来何冊か読んでいましたが、この「河岸忘日抄」もほかの作品と同じように、不思議な浮遊感を味わいながら彼の心の中を遊ぶ、まるで仙人のひとり言を聴くような小説でした。

 

300頁を超える長編なのに、この小説にはストーリーらしいストーリーがありません。 日本で忙しく過ごし、少し働きすぎたと感じた主人公の「彼」は、以前暮らしたことがあるフランスの街にしばらく逗留していわゆる充電を決め込みます。 知り合いの所有する係留された船に庵を結び、備え付けられていた本を読んだり音楽を聴いたりコーヒーを淹れたりして過ごす内省的な時間をそのまま文章にしただけの内容です。

 

とくに印象に残ったのは、直流・交流の話でした。 小学校の頃の理科の実験で先生が直流・交流の違いを教える際、まず交流で点灯された豆電球の明るさを生徒たちに見せ、次に直流に繋ぎ直して、ぱぁっと明るくなったときに生徒たちから歓声が上がるシーンは誰の記憶の中にもおぼろげに刻まれているはずですが、主人公はその明るさが変化しない並列つなぎの方に強く惹かれるタイプだったというくだり。 

 

もちろん私を含めてふつうの生徒たちは、ただ直流の魔力に魅かれたのではなく、物理の不思議さに讃嘆の声を上げたのだと思います。 おそらく作者自身もそこは同じだったのではないでしょうか。 ただ、この比喩には直流型の人間が作る直流型の社会に対するやんわりとした皮肉が込められているのだと思います。 思うことを口にすると「変わってるね」と言われ続けてきた私などは、「彼」という三人称ではぐらかしてはいますが、他ならぬ堀江自身と思われる主人公の人格に深く共感しました。

 

だいたい堀江敏幸は、インタビューでも 「ずっと流れのままに生きてきました。自分の書きたい文章を自分の好きなペースで書いてきて、いつのまにか作家といわれるようになっていました。けれど、自分からそうなりたいと思ったことは一度もありませんし、そうなるためにどこかに働きかけるといったことも、一切してきませんでした。」 などと答えるような人です。

 

誰の心の奥底にも潜んでいるエゴイスティックなどろどろを、自らの心身を削って表現することが芸術としての文学なのだとすれば、ずいぶん肩の力の抜けた彼の作品を物足りなく思う文学ファンも多いのではないかと思います。 たし算がたし算でないと気が済まない直流型の人が読み始めたとしても、10頁くらいで放り出すのが目に見えるようです(笑)

 

ものすごく才能のある人がほどよく力を抜いて書いたこの小説は、たとえばCTIレーベルのjazzを聴いているような、あるいは大谷翔平にキャッチボールをしてもらっているような感覚?  そりゃもちろん大谷の試合での全力投球を観るのは興奮はするけど、直に感じることは出来ませんもんね。 素っ頓狂な例えですが、なんとなく分かってもらえるかしら(笑)

 

ともあれ、世俗の価値観や成功への野心とは縁のない ”世捨て人臭” ぷんぷんな彼の作品は、私にはものすごくしっくり来るのでこれからもずっと読み続けることになると思います。

 

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コメント
堀江敏幸(早大教授 53歳)という方の名を全く知らなかった私は、登校拒否児童の如く、今回は投稿を諦めていました。でもフランス・河岸・船などの字句を眺めるうち、丁度いま読み始めた「巴里より」(青空文庫、与謝野寛(鉄幹)著、大正3年)を思い出し、だったら俺だって55歳当時、今は亡き家内にせがまれてモンマルトルの丘やルーブル、赤い風車でのレビュー見物などに興じたことも有るんだ!と、気を取り直した次第。さして面白くもない政局がらみのニュースなどに振り回されず、いずれは河岸忘日抄にもご見参仕らん!の気概を得ました。では。
  • 山野隆康
  • 2017/03/10 12:31 AM
山野さま
奥さまにお目にかかる機会は得られませんでしたが、山野さんのお人柄からしてもとても仲の良いご夫婦だったことが想像されます。
おいくつになっても新たなことを知りたいという姿勢には、半分あきれながら敬服いたしております(笑) つくづく山野さんのエンジンは好奇心なのですね!
  • 松本
  • 2017/03/10 9:49 AM
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