自ら燃えなければどこにも光はない

  • 2017.10.17 Tuesday
  • 18:00

 

たった5分の通勤電車ですが、車内のポスターを目にするたび気になっていたハンセン病資料館。

雨降りで自転車に乗れなかった日曜日に出かけて来ました。

 

東村山市にあるこの場所は、「国立療養所 多磨全生園」 という1909年(明治4年) に設立されたハンセン病患者の療養施設です。

1907年、浮浪のハンセン病患者を強制隔離するために 「法律第十一号癩予防ニ関スル件」 が制定されて以降、国は在宅のハンセン病患者をも強制的に隔離するために法律を厳しくしていきます。 全国13ヵ所の国立療養所のうちいちばん最初に出来たのがここ全生園の前身の第一区府県立全生病院でした。

その後1943年に 「プロミン」 という薬の有効性が確認されてからハンセン病は治る病気になりました。 その後も治療法はどんどん進歩して行き1981年に確立された多剤併用療法によって完治した患者からの感染の可能性は全く無くなり、新たに発症する人も全国で年間数人という状況になりました。 しかし1996年に 「らい予防法」 が廃止されるまで隔離政策は続いて行きました。 

2001年、ハンセン病患者の強制隔離を定めた 「らい予防法」 が憲法に反していたとする判決が出て、当時の総理大臣であった小泉純一郎は患者および元患者に対して謝罪しました。

 

映画を観るにも60kmほどバスに乗らなければならない過疎の町で育った私は、中学生のころに公民館の体育館で上映された 「砂の器」 を見てはじめてハンセン病のことを知りました。 ただ、近隣の町で発症した人がいたということは聞きませんでしたし、映画を見たときこの病気についてどう感じたかも忘れてしまっていました。

 

 

資料館です。 

 

 

本来資料館の中は撮影禁止なのですが、たまたま受付に学芸員の方がいらっしゃって許可を下さいました。

フィギュアがリアルすぎてドキッとします。

 

 

 

重い、、

 

 

「深海に生きる魚族のように、自ら燃えなければどこにも光はない」。 どこかで聞いた言葉だと思ったら、これは学生時代から明石海人のファンだったという大島渚監督がときどき紹介していた言葉でした。 当時、大島監督は文学に溺れながらも文学に対して好意よりも嫌悪を抱いていたそうです。 なぜなら、深く文学の匂いの中にいるということは、すなわち死の匂いの中にいるということ。 若かった自分は死の匂いを嫌ったんだろうと後に自ら分析しています。 絶望の中においてもどこか生きるよすがを探していた大島青年に答えをくれたのが明石海人のこの言葉だったのだとも。

 

 

 

最後の展示ブースにはいくつものモニターとヘッドホンが置いてあり、70人以上の高齢になった元患者がそれぞれ自らの人生を語る動画を視聴できるようになっていました。 一人のお話しを聞くのに20分ほど。 おふたりの方のお話しを聞いたのですが、時間を忘れて聞き入ってしましました。

この日曜日、私が資料館に滞在した3時間に居合わせた方は2人だけでした。 かえって学校の社会科見学などで子どもたちが訪れる平日の方が来館者が多いのかもしれません。

 

 

 

 

 

全生園のほとんどの場所は、一般の人も自由に歩けるようになっています。

昭和3年に入所者たちの手で建てられ、昭和52年まで使われていたという男子独身寮 「山吹舎」 が復元されていました。

12畳半の部屋に多いときは8人が生活していたそうです。

 

 

 

全生学園跡のグラウンドの碑。 幼少期に発症し、一生をここで過ごした人もいたのでしょう、、

 

 

 

 

 

 

園内には真言宗、浄土真宗、日蓮宗のお寺のほか、カトリック、聖公会、プロテスタント、それぞれ宗派ごとの教会が建てられています。

 

 

軽症の方たちの住宅の各戸には自転車が。 今では外へもおつかいに行けるようになったんですね。

 

思えば私は社会人になってからの数年間、ここから3kmほどしか離れていない場所にあった社宅に住んでいました。1980年代のことですから、当時はまだここに住む方々は外の世界に出ていくことが許されていなかったのです。 

恥ずかしながら、20代の私は自分のことばかり考えていて、まったく人さまのことを思いやれるような人間ではありませんでした。

心弱くなる齢になってやっと少し人の痛みが分かるようになって来たのか、ここで生きた人々のさまざまな痕跡を見るたび激しく心が揺さぶられ、その夜はなかなか眠りに就くことができませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

サッカーW杯出場決定おめ!

  • 2017.09.06 Wednesday
  • 16:47

 

サッカーワールドカップ。 予選の最終戦はサウジアラビアに負けてしまいましたが、日本代表は今回も本選出場を決めましたね。 ホームでのオーストラリアとの試合はテレビで観戦しました。 浅野・井手口などの若い選手が躍動して、胸のすくような試合でしたね。

 

とくに私が興味を引かれたのは井手口選手です。 失礼ですが、ふだんJリーグの試合を観ない私は彼のことをまったく知りませんでした。 ニッカボッカ&半キャップヘルでスクーター転がしてそうな、気のいいガテン系あんちゃん的風貌。 顔はたしかにちょっと中田(英)に似てますよね。 なにしろびっくりさせられたのは彼の運動量でした。後半になっても猟犬のようにしなやかな身のこなしで相手にチャージしていく姿にはほれぼれしました。 

 

ほとんど忘れかけていたのですが、じつは私も高校時代サッカー部でした。 そんなにサッカーが好きなわけでもなかったのですが、音楽仲間の南海くんがサッカー部で、彼が楽しそうに練習しているのを見ているうちにちょっとやってみたくなり、1年生か2年生の頃に1年間くらいまじめに練習したのを覚えています。

 

小学4年から中学2年までは柔道、2年次の途中からは陸上部で長距離走をやっていましたので、「コンタクトや走力はどうにかなるだろう」と高を括っていましたが、その両方をいっぺんにやらなければならないサッカーはそれまで経験したスポーツとはぜんぜん別物で、まったくオハナシになりませんでした。 集団の中で発揮しなければならない闘争本能は柔道とは全く違う種類のもので、面食らったのを覚えています。

 

それから20年くらい経って、次男が小学校低学年の頃、仲のよい友人に誘われて地元の少年サッカーチームに入りたいと言い出し、試合を観に行ったところ、ボールの周りの密集から離れてぽつねんと立ち尽くす次男。 彼の姿に数十年前の自分が重なりましたっけ。 血は争えないものですね(^^;

 

運動や勉強がイマイチなところがばっちり私に似てしまって、ちょっと「悪りぃな」とも思いますが、どうやら毎日を楽しむ才能も似てくれたようなので、まいっか(≧▽≦)

 

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(ばっちりヤンキー風味が効いたこの写真はフットボールチャンネルより拝借)

 

 

 

 

 

 

 

 

終わっちゃったね、夏の甲子園

  • 2017.08.25 Friday
  • 11:50

 

東京ではすっかり暑さがぶり返して、お盆の頃の涼しさに慣れてしまった身体がびっくりしてます。

ところで今年は夏の甲子園にもびっくりさせられましたねえ(@_@)   地区予選の頃には早実の清宮くんばかりが注目されていましたが、漫画にも描けないような劇的な大逆転劇が連日繰り返されて例年以上に印象深い大会になりました。 広陵高校の中村奨成くんの大活躍もりっぱでしたね。

 

私は診療中、ときおりラジオで中継を聴いていました。 NHKマナーのお上品な実況と関西なまりのおじさんの解説、空まで届きそうなブラスバンドの演奏やスタンドのどよめき。 40年経った今でもウララ〜やサウスポーが愛されているなんて、山本リンダさんやピンクレディ本人も想像してなかっただろうなあ(^^)

 

テレビ中継を観れない分、「熱闘甲子園」は毎日たのしみに観ていましたヨ。 高校生の灼けた顔に光るまっすぐな澄んだ目。 気迫で引き締まった顔もそこはやはり高校生、きびしい局面ではたちまち不安や緊張で強ばった表情に変わります。 これほど彼らの顔を見つめる機会は高校野球以外では思い当たりません。 大人になると他人、いや自分対してさえ本当の心を隠すのが上手になってしまうもの。「どうせチミたちもいつかそんなオッサンになっちゃうんだけどねー♪」なんてイヂワル言いながら見てましたっけ(≧▽≦)

 

それにしても最近の球児たちは、プレー中もベンチでもはじける笑顔でその一瞬を楽しんでいますよね。 

私が中高生の頃、家族総出の稲刈りの昼休み。座敷の窓を全部開け放ってゴロゴロしながら父と甲子園を見ていたときのこと、笑顔でプレーする球児を見た父が 「ニヤニヤしよって、ええ仕事が出来るかや!」(ニヤニヤしてていい仕事が出来るわけがない)と苦々しく独り言ちていたのを思い出します。 昭和ひとケタ世代には、プレーを楽しんだりリラックスを心がけたりすることがより良いパフォーマンスにつながるという今風の引き出しはなかったようで(^^;

 

ただ、時代は移り変わっても子供と大人のはざまを必死で生きる彼らの顔にとくべつな輝きが宿っていることに違いはありません。 彼らの発する強い光は、むかし自分も少しは輝いてたであろうおじさん世代に刺さるんですよねえ(^^;

 

夏の甲子園が終わると夏そのものが終わってしまうようでさみしい気持ちになりますが、きっとまた来年もあの場所で球児たちは、夏のお陽さまにも負けない強い光を日本中に届けてくれることでしょう。

 

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(写真は朝日新聞から拝借しました)

 

 

 

 

 

 

 

行ってみたいよ縄文時代

  • 2017.07.19 Wednesday
  • 11:44

 

amazonプライムビデオのおすすめ映画を物色していたら「ライアの祈り」という作品の評価が高かったので観てみました。

ざっくり言うと、バツイチで結婚に絶望してしまった中年女性と、恋愛に不器用な八戸市の考古学研究員の中年男の分かりやすいラブストーリーなのですが、私が興味を惹かれたのはふたりが距離を縮めていくきっかけになったのが、お互いの中に存在した縄文時代を生きた人々に対する深い共感であったことです。

 

映画を観ながら昨年春ころのニュースを思い出しました。 それは、山口大と岡山大の研究グループが縄文時代の人骨を242ヵ所から2582点収集し、暴力による死亡率を算出したところ、傷を受けた痕跡があるものは23点で全体の1.8%であり、他国や他の時代と比較すると5分の1以下だったというもの。

 

縄文時代の世界人口は縄文前期で約100万人。後期でも1億人くらいだったようです。 たしかにこの人口だと、もめ事は少ないように思われますが、ヨーロッパなどでは同じ狩猟採集民時代でも大量虐殺を示唆する人骨が発掘されているようです。

 

いずれにせよご存知のようにその後の世界は、貨幣経済の浸透や産業革命などにより人口が爆発的に増加していきます。 そうするとどんな平和な社会でも住む場所や食料などを確保するための戦争が起こります。そのうえテクノロジーの発達で世界はどんどん狭くなっていき、結果たび重なる悲惨な戦争が繰り返されて来ました。

 

私たち日本人もすっかりその波にのみ込まれてしまった現代において、今さら何千年も昔の縄文時代の何かをほじくり返してみたところで何の役にも立たないのかも知れません。 しかしその縄文時代から3000年後、聖徳太子が定めた十七条憲法の第一条には「和を以て貴しと為す」とあります。 やはり私たちは平和が大好きな民族であることは間違いないところだと思います。

 

ちなみにその十七条憲法について検索してみると、「和(やわらぎ)を以って・・・」は、どうやら空気を読んで自分の意見を飲みこめと言っているのではないようで、第十条には 「人が自分の意見と違うからと言って怒ってはならない。人にはみな心があり、心があればそれぞれ正しいと思う考えがある。・・・自分は聖人でもなく、相手が愚人でもない。ともに凡人なのである。それゆえ相手が怒ったら、省みて自らの過失を恐れよ・・・」。 また第十七条には「重大な事柄はひとりで決定してはならない。必ず多くの人々と議論するべきである。多くの人々と論じ、是非を検討してゆくならば、その結論は道理にかなうものになるであろう」 と書かれていることからも、何ごとも公正で闊達な議論を重ねて皆が納得できるような政治運営をしましょうね、ということだったらしい。 知らんかった、、(>_<)

 

ハナシがあさっての方へ逸れましたが、世界がキナ臭くなってきた今の時代に、1万年も戦争がなかった縄文時代の暮らしに思いを馳せて、いっときほっこりしました(#^^#)

 

 

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写真は映画の舞台である八戸の是川遺跡の近くで出土した国宝「合掌土偶」。 シャーマンの住居の祭壇跡で発見されたそうです。

乳房や強調された性器から性別は女性? 他の土偶とちがってその性器に切れ目があることや凹んだお腹は出産後を意味している? 仮面を被っている? 合掌のポーズは何に対しての祈り?  ナゾだらけの土偶です。 縄文時代の平均寿命は、途方もなく高かった乳幼児の死亡率のために14.6才だったと推計されているとのこと。 やはり ”産まれた赤ちゃんの無事の成長を祈る母親” を象徴しているのでしょうかねえ。

 

 

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(是川縄文館パンフ)

 

 

 

 

 

 

30年ぶりの鎌倉散歩

  • 2017.05.16 Tuesday
  • 18:05

 

日曜日、古い友人が関西から上京し、「鎌倉を案内してほしい」と頼まれましたので、サイクリングはおやすみして電車で湘南方面に出かけて来ました。

 

地元駅までの道、ご近所の植え込み。 アジサイの季節ももうすぐですね。 

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逗子や材木座の浜はウィンドサーファーだった頃に何度も通いましたが、じつは私も鎌倉らしい鎌倉には一度だけしか来たことがありませんでした。それも30年くらい前のこと。 はたしてアテンドだいじょうぶでしょうか(;_:)

 

まずは北鎌倉駅で電車を降りて駅前の円覚寺へ。

有名な円覚寺の山門。 この写真を撮るとき屋根の棟で水平を見ていました。 柱の並びを見るとたしかに私はすこし正面より左に立ってはいましたが、それでもこの門すこし傾いでいません?(^^;

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鎌倉時代には国内トップレベルの大学でもあった円覚寺。 知識よりも悟りを重んじる禅宗の教えを基礎に育てられた優秀な頭脳は、現代につながる日本の歴史の中において大きな貢献をしてきたのでしょう。 がんばれ若者たち!

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方丈では座禅会が開かれていたのですが、退屈してしまった坊やはお父さんと息抜き。 そっぽを向いたままですので、だいぶヘソが曲がってしまったようです(^^;

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円覚寺の次は明月院。 花菖蒲はあと2週間ほどでしょうか。 そしてそのあとに控える紫陽花の季節にはたいへんな人出になるとのこと。 さいわいこの日は参拝客もまばらで方丈も貸切り状態でした。

円窓からの眺めを悟りのヒントにするアイディアはなかなかイケてると思いました。 受付の若い女性から「円窓からその先の縁側に出てみてください」と促され、同じ庭の風景を円窓の外で眺めてみると、たしかにまったく違う世界のように感じられます。

むかしはここでエラいお坊さんが 「どうじゃ、同じ対象でも捉え方ひとつで別のものになってしまうであろう」 とか説教してたのかしら(≧▽≦)

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明月院の境内には小動物を餌付けする巣箱がいくつか置かれていました。 表札の「タピー」はどちらの鳥なのんだろう、と眺めていたら、、

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まさかのおまえ!?   そんなわけないね(^^;

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明月院の山門前。 気の早いアジサイはもう開きはじめていました。

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鎌倉駅からは江ノ電に乗って江の島へ。 

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海育ちの私はあまり磯のキワには近づきません。 ボケボケ水中を眺めていると、いくつかにひとつ大波が来てえらいことになるのを知っているからです。

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江の島は龍とかカメとかと縁が深いらしいです。

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昔話に花が咲き過ぎてけっきょく観光名所は数ヵ所しか回れませんでしたが、友人は満足してくれたようです。

そう言えば、以前に鎌倉に来たときにも時間が足りないのでまたすぐリピートしようと思ったことを思い出しました。 しかし実際に訪れたのは30年後の今日。 ということはきっと次に来るのも30年後。 って90才かよ!(≧▽≦)

 

 

 

 

 

 

 

三宝寺池(石神井公園)散歩

  • 2017.04.11 Tuesday
  • 12:40

 

ずいぶん前からこの日曜は雨予報でサイクリングはあきらめていましたが、それでももしや、、と朝のベッドで耳を澄ましてみたものの、やはりしとしと雨垂れの音が。。

午後には上がるという予報も降り止んだのは夕方。 読書ですっかりこわばってしまった身体をほぐしに石神井公園へ散歩に出かけて来ました。

 

行きしなにちょっと遠まわりして「けんか広場」の一本桜をチェック。 2年前にバッサリ剪定されて見るも無残な姿になっていたのに、もうかなり元の樹容に近づいていました。 なんとも見事なバランス。この巨大盆栽になにか自分だけの名前をつけようと思っているのですが、まだ見つかっていません。

 

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石神井公園に到着。 都立石神井公園は、西の三宝寺池と東のボート池を中心に広がる武蔵野の自然を残した緑豊かな公園です。 この日は、より緑の濃い三宝寺池の周りの木道を歩いて来ました。

写真は公園入口の案内板下にある廃物利用のほほえましい?植え込み。 切断されたボートに植えられて生き生きと咲く花。 こんなことを書くとまた変わり者だと言われそうですが、車やバイクなどにも生き物に近い思い入れをしてしまう私などは、役目を終えても中途半端なかたちでその実体が残されていることをちょっとかわいそうに思いました。

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新緑はまだちらほら。写真に色がうまく乗らなかったので、どうせならモノクロで三宝寺池。

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ふつうはボート切断画像よりもこちらの画のほうが気持ちわるいんでしょうね(笑) ごめんあさーせ(≧▽≦)

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お口直しにヤマブキ

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何やしらんおもしろいかたちのつぼみ

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シャガの花

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池にせり出した厳島神社。 「出て行ったおかあちゃんが帰って来ますように」とお祈りする親子。 ウソです、悪ノリが過ぎました。ほんとごめんなさい<m(__)m>

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翌朝には自転車で石神井川伝いに出勤。 この日は良いお天気になりました。 10年くらい前までは、どこかの桜の名所と同じでコンクリートで護岸された巨大排水溝みたいな川だったのですが、水底に天然石を入れて水辺の環境が変わって来ました。 ときおり鷺や鴨がえさを啄む姿が見られます。 ”なんちゃって” の自然でもやはりちがうものですね。

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ことしも正月は箱根駅伝!

  • 2017.01.09 Monday
  • 11:32

 

もう1週間経ってしまいましたが、すっかり日本のお正月の風物詩となった箱根駅伝。 今年も去年同様好天に恵まれて、沿道で応援された方には絶好の観戦日和だったのではないでしょうか。 ただ、すこし気温が高かったせいで体調に不安を抱えたまま出走した選手の何人かが脱水気味でペースダウンしてしまい、ちょっと気の毒ではありますが観ているファンにはかえってレースの展開がおもしろくなりましたね。

 

それにしても優勝した青山学院大学は強かったですねえ。 昨日には渋谷センター街で優勝パレードまで行われたとのこと。 選手もファンもいい顔してました。 3連覇ということでもうすっかり強豪校の仲間入りです。

 

箱根駅伝が好きな私は10年以上前から高校生の実績上位のスカウト状況を観察していますが、青学がずいぶんスカウトを強化したな、と感じ始めてほんの数年で初優勝までこぎつけてしまいました。

 

青学が強化を図る数年前、川島伸次監督が就任した頃からスカウトを強化した東洋大学も、監督が酒井監督に変わった今に至るまで実績を残し続けています。 やはり駅伝で結果を残すには有力な高校生のスカウトが必須であることは間違いないようです。

 

しかし、じつは青学のスカウト強化と同じ頃に、久しく箱根とは縁のなかったある旧強豪校が青学に負けないくらい有力高校生を入学させ始めましたが、いまだにまったく結果につながっていません。 どうしてそれほどの差が生まれるのでしょう。

 

本を出したりメディアに露出することも学生の勧誘にプラスになると考えているフシのある青学・原晋監督の指導方法を聴いていると、やはり人の集団を踊らせることができる人なんだなあ、と感じます。 プロ野球の監督などでも同じことが言えますが、自身の選手時代の実績よりも人間的な魅力や指導力が、すばらしいチーム、すばらしい人を作るのでしょう。 昨年にはちょっと調子に乗りすぎた元エースのスキャンダルもありましたが(^^;

 

今春高校を卒業する高校生の中で、大学に入ってもエースと呼ばれる選手に育つ可能性の高い5000m 13分台の選手は9人。 予想される彼らの進路は、実業団へ2人、青学へ2人、東海へ2人、東洋へ2人、駒澤へ1人というところです。 新人の補強状況や監督の指導力から、この先数年は青学、東洋、東海、早稲田、駒澤が上位を争うことになると予想します。

 

 

駅伝観戦は、優勝争いに固唾を飲んだり、思い入れの強い学校を応援しながら観ると楽しいものですが、ひと手間かけて暮れの高校駅伝や、来る1月22日に行われる全国男子駅伝から選手たちをチェックして、表情やフォームなどから気になる選手をピックアップしておくと、彼らを箱根でみつけたときに、ひいきのチームでなくてもその成長ぶりに驚かされてうれしくなります。 箱根駅伝がよりたのしく観られますので、みなさまもぜひ!

 

トップを争う選手たちに限らず、次の世代を担う若者たちが生きることの充実感を感じて自分を精いっぱい表現する姿は、ほんとうにまぶしく頼もしく、見ているこちらもエネルギーをもらえる気がします。

 

来年も楽しんで、そして楽しませてね〜♡

 

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初雪

  • 2016.11.29 Tuesday
  • 11:59

 

24日の雪には驚きましたね。 11月の降雪は54年ぶり、積雪に至っては観測史上初めてとのことでした。

 

雪が降ると必ず思い出す光景があります。

 

ちょうど30年前の冬のある日、出張で高知から上京し、当時サラリーマンだった私が住んでいた社宅に泊まった父親。 東京へは何度も来ていますが、厳冬期の東京は初めてだったそうです。 なにせおしゃれな男でしたので、「生まれて初めてコートを買った」 と嘆くそぶりもうれしそうでしたっけ。

 

そんな親子二人で過ごす夜、未明から降り出すという雪の予報にそわそわしている彼がやけに子どもっぽくて、この人にもそんな一面があったんだな、と驚きました。

 

と言うのも、彼はなにしろ厳しい父親でした。 褒められた記憶はまったくありません。 中学1〜2年生までは田舎町の優等生だった私ですが、3年生になったころからはやること成すことむちゃくちゃで、心配と迷惑ばかりかけ続けていましたので、当時の私には厳しくするより他になかったんだろうな、と親になった今ならとってもよく理解できるのですが、、(^^;)

 

さて、翌朝目を覚ましたら部屋に父親の姿がありません。 シーンと音のない外の様子からかなりの積雪であることが分かります。 寝ぼけまなこで半纏をひっかけて5階建て社宅の屋上に出てみたら、そこには子どものように満面の笑顔で雪とたわむれる父親の姿が。 あとにも先にもあんな無邪気な父親を見たことがありません。

 

70代半ばで解離性の大動脈瘤が破裂して突然死んでしまった父親ですが、思えばあの雪の日の父親は今の私と同い年でした。 

奇しくも同じ年頃の息子を持つ父親になった私は今、若い頃の私以上に ”ふつうに生きること” を拒否する息子たちに手を焼いています。 同い年の父親と愚痴でもこぼし合いたいけど、、 いやたぶんやっぱり自分のほうがひどかったからやめとこかな(;´∀`)

 

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写真は怪獣ウーの後姿です。

 

 

 

 

 

 

 

 

敬老の日につらつら考えました

  • 2016.09.22 Thursday
  • 10:01

 

練馬区では、毎年敬老の日に長寿の区民にお祝いが贈られるとのこと。 先日その敬老の日に休日診療していたところ、1月に米寿を迎える患者さまが来院され、「前倒しでお祝いもらっちゃうと、給料の前借りを踏み倒すようで気づまりで、死にたいときに死ねないよ」 と笑っていらっしゃいました。

 

この方は音楽・文学・哲学・社会情勢に通じ、若い人に対してもリスペクトの気持ちを忘れず、時代の流れに柔軟に対応して、87歳の今も充実した日々を過ごしていらっしゃるので、とても今日や明日に体調が怪しくなるとは思えないのですが、先日友人のお葬式に参列された際には 「だんだん友人が少なくなってさみしくなる」 とこぼしていらっしゃいました。

 

 

総務省が敬老の日にあわせて発表した統計では、全人口のなかで統計上高齢者に分類される65歳以上の人の割合は27.3%に上り、数・総人口比ともに過去最高を記録したとのことです。 女性に限定すると30.1%と、ついに30%を超えたのだとか。

 

高齢化社会に突入して、社会保障制度の限界や選挙の際の年齢層の偏りによる「シルバー民主主義化」など、心配されていたことが現実になりつつあります。 高齢者の仲間入りにカウントダウンが始まった気の小さい私などは、長生きしていいの?どうなの?と、誰に訊いても答えが見つかりそうにない疑問に頭の中は右往左往です。

 

ふり返ってみると、40代、50代は仕事や子育てで社会や家庭に貢献している手応えが大きくとても充実した年代でした。 ただ、この年代では職業人としての使命を果たすことや我が子を守ることが最優先になってしまい、身体機能としての視野の広さとは正反対にかなり近視眼的に過ごしていたように思います。 

 

日々の仕事で高齢者の方と接していると、さまざまなシバリから解放されたあとは多様性を尊重できるようになり、身体機能の視覚の衰えと反比例して心の視野が広がる人もいれば、自分が影響力を持っていた頃の価値観を変えないことが若さを維持する正しいことだと考える人も居らしゃいます。 それぞれですからどちらが正しいというものでもありませんが、私は冒頭の患者さまのように仙人化して若い人たちに可愛がってもらえる年寄りになることが目標かなー (≧▽≦)

 

 

 

 

 

 

 

 

父の日だからという訳でもありませんが

  • 2016.06.21 Tuesday
  • 11:59

 

日曜日、梅雨の息苦しい空気をいっとき忘れようと、次男をさそって山歩きに行ってきました。

登ったのは八ヶ岳の硫黄岳(2,760m)。桜平駐車場(1,900m)からのアプローチです。 初心者のうえに、遺伝でしょうかふたりとも達成感をニンジンに頑張る回路がうまく働かないタチなので、のんびり歩いても昼過ぎには下山できるお手軽なコースを選びました。 

 

 

歩きはじめの森の中は、秋に歩いた北八ヶ岳 白駒池あたりの苔の森と同じような雰囲気。

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八ヶ岳の峰々を縦走する人たちが泊まるオーレン小屋。 

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よい子は真似してはいけない装備です(笑) サンダル履きのナイスガイたち。

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頂上近くから眺めた北方の景観。 眼下に見切れている八ヶ岳の稜線の鞍部 夏沢峠を挟んでこちら側の硫黄岳以南は急峻な南八ヶ岳。 前方に見える天狗岳以北が北八ヶ岳です。

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富士のヒルクライムレースを走るときにも三合目あたりからパッタリ脚が動かなくなるのですが、やはり標高が2,000mを超えて酸素分圧が低くなるににつれ、身体も脳の動きも見る見る重くなっていくのを感じます。 コースは歩きやすく整備されており傾斜もそれほど急ではないのですが、ハァハァゼーゼー。 ヘナチョコ形質は前を歩く次男(写真左の赤リュック)にも遺伝したようで、ときどきくだらないダジャレを思いついて振り返る顔がだんだん蒼白になっていきました。 もどかしいけどゆっくりゆっくり。

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硫黄岳の象徴、爆裂火口。 右上のケルンの下に先行する登山者が見えます。 頂上まではあとすこし。

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硫黄岳頂上は観光バスが何十台も駐められそうくらいのだだっ広さでした。 飲み物の自販機があっても違和感ないかも。 左側に見える稜線を伝って横岳・赤岳、そして写真では右に見切れている中岳や阿弥陀岳へ縦走できます。

写真の色が違うのは次男が持参したシグマSD-15で撮ったから。 写り込んでるおじさんは私です。

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中岳・阿弥陀岳の写真もありました。 さあご一緒におさらいしましょう、左から横岳・赤岳・中岳・阿弥陀岳です(笑) 

わたしは眺めるだけでお腹いっぱいです。

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この写真を撮っているうちにパラパラ雨が降ってきました。 予報では夜からだって言ったのに〜。 頂上での食事とコーヒーをたのしみにしていたのですが、ぬかるんだ道を下るのはしんどいので写真を数枚撮ってさっさと下山しました。 コースタイムでは2時間の道程をスタコラ1時間半で帰還。

 

 

 

高山植物もいろいろ咲いていました。 これはコメバツガザクラ。

2016.6.19硫黄岳18ブログ.jpg

 

イワカガミ

2016.6.19硫黄岳12ブログ.jpg

 

 

森に戻り、白い花が咲いているのかと思ったらマタタビの木でした。 ペンキで塗ったような真っ白い葉はいつ見てもフシギです。

2016.6.19硫黄岳21ブログ.jpg

 

 

 

駐車場に戻って、やっと温かい食事にありつけました。 この頃には小一時間だけ雨が上がってくれましたので、苔の森でコーヒーものんびり楽しめました。

2016.6.19硫黄岳23ブログ.jpg

 

息子が遊んでくれるのもきっと学生のうちだけでしょう。 結果忘れられない父の日になりましたっけ。

 

 

 

 

 

 

 

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