すっかりアイスランドチームのファンになりました

  • 2018.07.09 Monday
  • 17:39

 

サッカー・ワールドカップ、盛り上がってますねえ。

戦前には、日本代表にも大会自体にもそれほど大きな期待が寄せられていたわけではありませんでしたが、ふたを開けてみれば好ゲームに次ぐ好ゲーム、おそらく後々まで語り継がれるすばらしい大会になりそうな予感がします。

 

その中でも強く印象に残ったのがアイスランドチームの健闘でした。

北極圏にある人口35万人足らずの小さな国の代表チームが世界の強豪国相手に善戦したのは痛快でしたねえ。 アイスランド国内におけるアルゼンチン戦のテレビ視聴率はなんと99.6%だったそうです。

アイスランドの国内トップリーグはセミプロで、国内外でプロ契約している選手は100人程度しかいないとのこと。

代表チームのプレーはいわゆるコレクティブなスタイルで、守備でも攻撃でも全員が汗かき役。 チームの平均身長が185cmと大男ぞろいで一見スタミナに難がありそうに見えるのに、選手たちは見ているこちらの胸が熱くなるようなハードワークでチームに奉仕します。 監督は「このチームには自分を大きく見せようとする選手はいない」とコメントしていましたっけ。

 

ピンチのときや、ここ一番気合いを込めなければいけないときにサポーター席から起こるヴァイキング・クラップのプリミティブな咆哮と手拍子は、まるで地の底から響いて来るようで心を揺さぶられました。 ラグビーのオールブラックスが行うハカを初めて見たときにも似たような心の動きがありました。 きっと遺伝子に刻まれた古い記憶が共鳴するのでしょうね。

 

この応援スタイルはアイスランドのクラブチーム「ストナルヤン」がスコットランドのチームとアウェーで試合をしたときに、相手チームのサポーターが行っていたものを持ち帰り、いつしか代表チームの応援にも使われるようになったのだとか。

そのストナルヤンのゴール・セレブレイション集の動画を貼っておきます。 サッカーだけでなく人生そのものをを楽しむ人たちであることがいることが伝わって来るようです。

 

 

 

 

もともと私はアイスランドを含めた北欧の人たちに強いシンパシーを感じていました。

北欧、とくにフィンランドやノルウェーの人々からは自然に対する畏敬の念が感じられますし、実直で辛抱強いところなど、われわれ日本人と通じるところが多い気がしていたのです。「自然享受権」などに至っては社会的なモラルの高さがないと運用不可能な法律だと思います。

 

そんな北欧の人々にも、ヨーロッパ全土を股にかけてハッチャケまくった時代がありましたね。そうヴァイキング時代です。

ヴァイキングといえば掠奪と殺戮のイメージが先に立ってしまいますが、彼らのほとんどはもともと農民や漁民であり、おもに交易や移住を目的として航海をしていたようです。 物資現地調達や移住のための行いがかなりやりすぎ感の強いものだったので、今のヴァイキング像が定着してしまったのでしょう。

 

サッカーの試合を観てそこまでやる? と自分であきれながら、「ヴァイキングの歴史」というカタい本と「北欧神話」というオーディンやトールが出てくる本を読みました。 もう充分ハナシが長くなっているので内容は割愛します(^^;)    次には長男が自室のマンガの山から発掘してくれたヴァイキングの少年が主人公の「ヴィンランド・サガ」20巻が待っていることですし(≧▽≦)

 

さて、準決勝のフランス×ベルギーも楽しみですね!

 

 

最後に調べものをしていて見つけたノルウェー・オスロのアイドル「おこりんぼう」の彫刻の写真を貼っておきます。 ノルウェーのアートと言えばムンクの「叫び」が頭に浮かびますが、ヴィーゲランのこの像も大人気らしいです。 アイスランドとは関係ないのですが、この完ペキな地団駄がキュートすぎてご紹介せずにはいられませんでした♡

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(画像はphotolibraryより)

 

 

 

 

 

 

 

ヒルクライムからの日本史のおさらい

  • 2018.04.11 Wednesday
  • 11:36

 

前々回の更新のネタにした秩父でのサイクリングは ”10年くらい前に走った「龍勢ヒルクライム」のコースをたどってみる” というものでした。

 

道の駅 龍勢会館の近くを流れる石間川に沿って遡上し、城峰神社の鳥居をくぐると、あとは10%を超える斜度がつづく区間。 そのきつい斜面にしがみつくように建てられた民家からなる集落があります。 もう一段上の集落からふり返って見おろしたのが下の写真。 写真のウデがアレで遠くに望めた両神山がまっ白けになってしまったのがザンネンです(>_<)

 

写真を撮っていたときには、「このあたりでは林業で生計を立てていたんだろうな」などと考えていましたが、じつはあとから調べてみると主産業は養蚕でした。 その養蚕業は、こののどかな集落にゆたかな暮らしをもたらしましたが、ある時代にはかなりきびしい局面に向き合うことになりました。

2018.3.25秩父5.JPG

 

 

 

その斜度がきつくなる手前の区間を走っているときのことです。 石間川沿いの道路端に「加藤織平の墓」という看板が立っているのが見えました。 「有名な人かも知れないけど、知らない名前だな」と思いながら通り過ぎましたが、帰宅してから検索してみると、上ののどかな集落や加藤織平が、歴史の教科書に載るような事件の舞台であり、登場人物であったことを知りました。

 

高校の日本史の授業では、歴史がまだ”歴史”として評価が確定していない近代史については、年度の終わりの授業で駆け足でなぞるだけでした。 なので、まさにこの写真の撮影時に私が立っていた半納集落が戦場のひとつになった「秩父事件」についても、私はその概要しか把握していませんでした。

 

秩父事件とは、明治17年にここ秩父で起きた農民による武装蜂起事件です。 このころ秩父地方では養蚕が主要な産業だったのですが、生糸価格の大暴落と大蔵卿 松方正義のデフレ誘導政策で農民は困窮を極めており、政府に対して雑税の減少や負債の延納などを要求したこの蜂起には数千人が参加しました。 事件の詳細は検索していただくとして、興味深いのは事件から130年以上経った現在でもこの事件の評価はさまざまで、政府の圧政に対する民衆の抵抗運動、当時で言えば自由民権運動の一形態として大きな意味があったとする声もあれば、当時の政府のアナウンスと同じく「火付け強盗・暴徒による暴動」と断ずる声もあります。 近年でも、TBSでは「菊池伝説殺人事件」というドラマで、秩父困民党軍の参謀・菊池貫平を悪逆の限りを尽くした大罪人として放映し、視聴者から抗議を受けたことがあったそうです。 昨夜、この事件を題材にした映画「草の乱」を見たのですが、困民党側から見た当時の状況はたしかに同情に値するものでした。 歴史上の出来事の中には、法的判断と民衆の心情的な受けとめ方が一致しないものがたくさんありますよね。

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じつは私が所属する自転車チームのメンバーのご先祖さまも秩父事件に関わっていたとのこと。 彼からそのことを聞いたのはお酒の席でしたが、これだけ時代が下っても、やはりそのことについて話すのは彼にとって少し酔いを醒ますほどの事だったのでしょう、心なしか声を潜めて話してくれたことが思い出されます。

 

それにしても、のどかな山里のほのぼのサイクリングが、まさか歴史の勉強につながるとは思いもしませんでしたっけ(^^;

 

 

 

 

 

 

ひそかな野望

  • 2018.02.20 Tuesday
  • 11:46

 

早いもので、カンボジア旅行を終えてもう3週間。  旅慣れない私にとってはなかなかの大冒険でしたので、帰国後は抜け殻になってしまうのではないかと心配しましたが、自分に起こった変化は意外なものでした。

 

それまで以上に日々がとても充実しているのです。 現地の人々のひたむきな生き方に触発されたことがいちばんなのですが、あともうひとつ、ある妄想が私の頭を支配してしまって、その妄想がふくらむわふくらむわ(^^;)

 

その妄想とはカンボジアへの移住計画です。 いや、おそらく実現することはないと思いますが、いろいろシミュレーションするだけで毎日が楽しくなるのです。

 

住む街はシアヌークビル。 プノンペンの南西250kmの海岸線の街です。 近年ビーチリゾートとして脚光を浴びています。

 

カンボジアでビジネスビザを延長し続ければ長期滞在が可能です。 昨年の9月からはビジネスビザの更新に労働許可証の提出が必要になったようで、ほかの東南アジアの国々と同じく少しづつ審査が厳しくなりつつあるようですが。

 

経済的には、家賃や食費のほか娯楽の費用などいろいろひっくるめても、月に750ドルほどあればふつうの生活ができそう。私の場合は国民年金のほうが払込期間が長いので、その金額にはすこし足りません。 さてどう埋めましょう。

彼の国の定期預金の金利は2017年末で5〜6%。それも現地通貨のリエルではなくドル建てで預金できます。 ただ、いくら日本のメガバンクが出資しているとはいえ銀行の経営状態や政情に対して気を抜くことはできません(^^;)

さしあたって預けるお金がないので明日から500円貯金するし! $$$(≧▽≦)$$$

 

どうにか移住に関する条件面が調ったとしても、大きな日本人コミュニティが存在しないカンボジアでは、言語や文化を理解することはマストです。 東南アジアの国で年金生活を送ろうと移住して失敗するシニア層は、孤立が原因で帰国することが多いとも聞きますし。

 

なので、さっそくカンボジア語の教科書を取り寄せました。当院では診療時間以外はほとんどこのCDが流れていますので、配達に来た宅配便のお兄さんが目パチクリになってました。

 

 

先週末には神楽坂にあるクメール料理のお店「バイヨン」で情報収集。 たまたまこの日、現地への渡航歴は数えきれないというという人たちの集まりが開催されており、いろいろ刺激を受けてしまいました(^^)

 

 

もし野望が現実のものになったとしたら、もちろん現地に骨をうずめるつもりです。 比叡山の千日回峰行を2回成し遂げた酒井雄哉大阿闍梨の言葉に「行き道は いずこの里の 土まんじゅう」というのがあります。 この言葉が大好きな私は勝手に、これはただ死に方について語った言葉ではなくて「何にも執着しない生き方をする」という宣言ではないかとも思っています。 それはまさしく私が理想とする生き方なのです。

 

ただ、カンボジアで死亡した場合の処理については、ちょこっとググッても出てこないのでもうちょっと調べます。 ちなみにタイでは病院以外で死亡するとすべての死体は司法解剖されるようです(病院以外でも医師が看取った場合は除外)。 私は平気ですが「解剖? ムリ!」という方は気をつけましょうね(^_^;)

 

さっきも書いた通り移住計画は妄想で終わると思いますが、必ずまたカンボジアへ旅行に行きます!

 

 

 

クロン・チバー・モンへのサイクリング以来まったく自転車に乗っていなかったのですが、冷たい北風が吹いた日曜日に久しぶりに入間川サイクリングロードを走って来ました。 いやぁ、ツラかった。アラ還ともなると体力維持の努力はサボれないのですね。

サイクルコンピューターが衛星をひろうまでの数十秒、時刻表示がカンボジアの現地時間になっており、いまさらながらの旅愁を覚えてしまいましたっけ。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

あけましておめでとうございます(^^)

  • 2018.01.03 Wednesday
  • 17:39

 

みなさま、よいお正月を過ごされましたか?(^^)   東京は、ちょっとお散歩にでも出かけたくなるようなおだやかな陽気の三が日でした。三日の今日はちょっと風がちべたいけど。

 

私的なハナシですが、前回の更新でネタにしたとおり昨年末には予定していたカンボジア旅行がとんでしまい、いやはや大爆笑な年の暮れでした(T_T)

家で悶々と自分のポンコツさを反省するのもしんどいし、患者さまたちに笑っていただいて気分転換しようと、旅行予定の期間も結局休まず診療していました。 その作戦が奏功してか、ことのほか気持ちの立ち直りが早かったので、この1月下旬に再度彼の地への旅行を段取りしてしまいました。 笑われるかもしれませんが、懲りない自分をすこし頼もしく感じました。 患者さまには、またご迷惑をおかけすることになりますが、どうかおゆるしくださいませ(^^;

 

 

さて新年を迎えて、、いやじつは私は生まれてこの方、年が変わるからといって特段前年をふり返ったり新年にむけて何かを決意したりしたことがありません。 何かを決意して自分を縛るのが窮屈でしょうがないのです。 間違って何かを決意したところで、たぶん3日くらいでその決意を忘れてしまうような人間なんです。

 

若い頃はそんな自分を心底ダメな人間だと思っていましたが、還暦まであと2年を切ったこの齢までどうにか楽しく生きて来れたことを考えると、ひょっとしたら 「頑張らない人は幸せになれない」 は都市伝説だったのではないか思っています。

 

私が子どもの頃の日本では、何かを成し遂げるようなりっぱな人は言動も優等生的で、オリンピック選手などは 「日本国民の代表として」 とか 「期待してくれる方、応援してくれる方たちのために」 なんてのばかりでしたが、最近では 「楽しんで来ます」 が定番ですよね。 いや、今でも 「子どもたちに勇気を与えられるように」 なんてのもあるか。⇦こっちは好きじゃないなー。だいたい何さまじゃ!<`ヘ´>

きっと昔の人だってほんとは、ただ頑張ることが”好き”だっただけなんじゃないのかなあ。

 

あえて自分に縛りをかけて頑張る人はきっとエライし、そんな人がたくさん居てくれないと世の中うまく回らないので、ぜひぜひ皆さんには精出して頑張っていただきたいと思いますが、年頭にあたり私はあえて宣言します。「今年も好きなようにやらせていただきます!」(≧▽≦)

 

 

 

 

 

 

SRでモンテラック

  • 2017.11.07 Tuesday
  • 11:45

 

日曜日はチーム恒例の 「ペンション・モンテラック」 へのお泊りサイクリングでした。

私は土曜の仕事を終えたあと、高速バスで輪行して復路は道志みちをみんなとサイクリングする予定だったのですが、14才になる愛犬が急に具合がわるくなってしまい、私が獣医さんに連れて行くことに。

診察が終わったのは17時。 バスで向かうと宴会に乗り遅れてしまうので、納車間もない次男のSR(オートバイ)を借りて行くことにしました。

 

北西の強い風に凍えながら中央高速を走り、いよいよふるえが止まらなくなった藤野PAで、房総の友人宅から富士吉田の自宅へ帰るというライダーと "連れcoffee"。 夜のPAにはオートバイは2台だけでした。 オートバイに乗ることが生活の一部だった20代の頃にはこんなシーンがよくあったっけなあ。

 

 

1時間ほど遅参しましたが、気心の知れたメンバーなのであっという間に場のノリに追いつきます。 ディナーを1名分作り直してくれたオーナーのはんくまさんに感謝です!<m(__)m>

 

 

この日は先着メンバーで本館のベッドが埋まってしまったので、数人のメンバーとコテージでzzz

通路を歩きながら見上げた月を、酔っぱで撮れるかチャレンジしてみました(^^)

 

 

 

「朝メシだよ〜!」と起こされ、コテージ組のタカトリと一緒に本館ダイニングへ。 写真は 「パリ・ブレスト・パリ」(1200kmを90時間で走るイベント) を2回完走した彼のケツ(≧▽≦)

 

 

 

 

湖畔で記念写真を撮ったあと、みんなは道志みち組と箱根組に分かれて自転車で家路に。 ちょっとさみしいけど私はここから単独行動です。

(この写真ははんくまさんの投稿から拝借)

 

 

 

はんくまさんが教えてくれた御殿場のSR専門のカスタムショップ 「Stinky」 のウィンドウを覗いていたら、その横を 「ツール・ド・沖縄200km」 を来週に控えたイノッチがビュ〜ン!って駆け抜けて行きました。籠坂峠越えもあるのにオートバイに追いつくって、どんだけ(^^;

美術品のようなカスタムSRを、おもちゃ屋のプラモデルを眺める小学生のように貼りついて見ていたら、「コーヒーでもいかがですか?」 とオーナーさん。よろこんでお呼ばれしました。

年齢も近いので少年時代からのオートバイ談義に花が咲き、果ては音楽・文学の話まで。 気がついたら30分以上経っており、そろそろお仕事に障りが出そうなので慌てて失礼しました。

 

 

隅々にまで手の入った宝石のようなSRたち。 

 

 

 

その後は30年ぶりくらいに箱根スカイラインへ。 紅葉シーズンのわりには交通量が少なかったので、レッドゾーン付近を維持してスポーツライドっぽいことをしてみました。 もちろん年寄りの冷や水にならないようにほどほどにね(^_-) 

 

 

駿河湾までくっきり。左に見える伊豆半島の岬は大瀬崎あたりでしょうか。

 

 

 

 

 

 

月曜日に子宮と卵巣、あと乳腺の腫瘍を摘出する手術を受け、麻酔から覚めたミント。 幸い経過は良好とのこと。 おそらく家族の中でいちばん賢い彼女は、術後に家人が面会に行っても動揺を見せなかったとか。 見習うところが多いです(^^;

 

 

 

 

 

 

 

 

台風

  • 2017.10.30 Monday
  • 17:06

 

ここのところ週末は毎度毎度の雨降りで、ぜんぜん自転車に乗れていません。 この日曜日も次男のSRをいじったり、テレビで映画を観たりして過ごしました。

 

2週続きの台風も狙いすましたように週末でしたね。 先の台風21号は中心気圧が925hpで東海・関東に迫って来ましたので、上陸前には久しぶりに家の周りをいろいろチェックしました。 この台風は停滞していた秋雨前線をさんざん刺激してたくさん雨を降らせ、増水などで亡くなられた方もありましたね。 ただ、東京に来るころには勢力が衰えていて瞬間最大風速も30m/sくらい。 月曜の朝には台風一過、何事もなかったように出勤できました。

 

東京では台風の被害がまれだとはいえ、いちおう油断せず備えはします。 それは高校時代まで暮らした室戸での背筋が強ばるような恐怖の記憶があるからです。

 

ご存知のように、室戸地方は台風が上陸する頻度が高いので「台風銀座」と呼ばれています。 とりわけ凶悪だったのは、私の父が2才だった1934年の室戸台風。 あと私が1才だった1961年の第2室戸台風です。 室戸台風では室戸岬漁港の堤防が高潮で決壊。堤防近くにあった祖母の実家では祖母の家族が数人流されて帰らなかったと聞かされました。 その後も大きな台風が何度も上陸し、友人のお母さんが乗っていた車が土砂崩れに巻き込まれて亡くなったりしました。

 

下の写真の室戸岬灯台のすぐ近くには気象庁の気象観測所があります。 前身の室戸岬測候所が設置されたのは1920年。 室戸台風(上陸時の最低気圧911.6hpaは当時世界最低)の上陸時には風速計が壊れてしまい、最大風速を計測できなかったそうです。 第2室戸台風のときにも風速計は84.5m/sで振り切れてしまい、またしても計測不能だったのだとか、、

 

私の生まれた家は江戸時代の後期に建てられた、それはそれは古〜い家でしたので、60m/sクラスの台風が接近して来ると家族7人で別棟の風呂場に籠ってラジオに耳を傾けていましたっけ。 ときおり吹きつけるブロウの音や振動は、恐怖で鳥肌が立つほど暴力的で、自然が本気出したときの力を思い知りました。

 

台風の目の中に入ると一刻うそのように風がおさまります。 大人たちは家の様子を見に行ったりするので、子どもの私も非日常の外の世界が見たくて見たくてしょうがありません。「歩いて3分の海はどれほど荒れ狂っているのか、川は、大木は!」 

ただ、好奇心が強すぎる私のキャラを親はすっかりお見通しで、風呂場から出ようものならどこからともなく罵声が飛んで来ました(^^;

 

 

話は変わりますが台風な日曜の夜、前日録画しておいたNHKスペシャル「村田諒太 親子でつかんだ世界王座」 を見ました。 

以前からインタビューや練習への取り組み方を見て哲学的な人だなあと感じていましたが、どうやら追い詰められたときにお父さんから贈られた、ユダヤ人の心理学者ヴィクトール・E・フランクルの 「夜と霧」 の一節に救われたのがきっかけで、今や心理学や哲学の本が手放せないのだとか。その一節には私もハッとさせられました。

 

人生に意味を問うてはいけない

人生からの問いかけに

どう答えるかが大切なのだ

 

「人生という修行を楽しめ」ってことでしょうかね。しらんけど(^^;

 

 

室戸岬灯台。画像は「風景倉庫」さんから拝借しました

 

 

 

 

 

 

 

 

SRが来た

  • 2017.10.24 Tuesday
  • 11:47

 

「通学用にバイト代で原付を買う」 と言う次男にカブを勧めて一緒にカスタムしたのが1年半前。 それまではバイクのバの字も話題にしたことがなかったのに、このカブに乗り始めてからというもの、1年で1万キロも走るほどのカブ好きになってしまいました。「ちょっと出かけてくる」 なんて言って1日300kmとか。 どうやらひとりでのんびり走るのが好きなようです。 私の自転車の乗り方に似てるのは血なのかも知れません。

そんな彼が 「バイト代で中免をとって単気筒の250か400を買う」 と言い出したとき、流れの速いバイパスを原付で走る危険性を心配していた両親は反対できませんでした。

 

カブはスタッフ女史の長男くんの通勤用にドナドナされて行きました。 私もかなり気に入っていましたので、知ってる人が乗っててくれてうれしいです。

 

 

 

買ってきたのは2002年製ヤマハSR400の3型。 たまに借りる約束で私もすこし手伝いましたが、彼の予算だとこのへんが精いっぱい。 エキパイにシートカバーの焼跡がベットリ付いていたので安かったのですが、ほかは機外とも良好。エンジンはだいたいキック一発でかかります。

うちの親子がノーマルで乗るわけがなく、さっそくヤフオクでマフラーやらエキパイやらを落札して作業開始。 父親におまかせだったメカいじりも最近はだいたい自分で出来るようになりました。 

 

 

次男がさんざんいろんな動画を見て選んだのは  ”モーターガレージGOODS”  のテーパーコーン。 101dbでまぁまぁの音量です。家の前で始動するには気が引けるので、100mほど押して目白通りに出てからキックしてます(^^;

オートバイを下りて久しい私は法規を把握していなかったのですが、どうやらSRの3型は94dbを超えると騒音規制にひっかかるようです。 2000年まで生産された2型にしておけば法規上99dbまでオッケーだったので、バッフルを入れれば98dbになるこのマフラーでもクリアできたのですが、、

音質はものすごく気に入ってるものの、イタイ大人になるのは嫌なので規制内で良さげなものを物色中です。 ただ、アフターファイア対策で二次エアキャンセルの微改造くらいはゆるしてもらいたいところ(^^;

 

 

こんな感じの音色です。

 

 

 

週末は台風の影響でサイクリングはお休み。 合宿で二輪免許を取りに行ってる次男に代わってウィンカーを交換しておきました。

巨大なノーマルを外して

 

スモークレンズのPOSH71タイプに。

 

 

 

買って来た日のSR。 エキパイがきちゃない。

 

いちおう出来上がり。

 

 

 

キャブやエアフィルター、ステップ、ハンドルなどもいじりたいところですが、ほどよくノーマル臭を残して乗るのも悪くないかなとも思ってます。

ツーリングには最高の季節。 さてどこにでかけようか♡

 

 

 

 

 

 

 

 

自ら燃えなければどこにも光はない

  • 2017.10.17 Tuesday
  • 18:00

 

たった5分の通勤電車ですが、車内のポスターを目にするたび気になっていたハンセン病資料館。

雨降りで自転車に乗れなかった日曜日に出かけて来ました。

 

東村山市にあるこの場所は、「国立療養所 多磨全生園」 という1909年(明治4年) に設立されたハンセン病患者の療養施設です。

1907年、浮浪のハンセン病患者を強制隔離するために 「法律第十一号癩予防ニ関スル件」 が制定されて以降、国は在宅のハンセン病患者をも強制的に隔離するために法律を厳しくしていきます。 全国13ヵ所の国立療養所のうちいちばん最初に出来たのがここ全生園の前身の第一区府県立全生病院でした。

その後1943年に 「プロミン」 という薬の有効性が確認されてからハンセン病は治る病気になりました。 その後も治療法はどんどん進歩して行き1981年に確立された多剤併用療法によって完治した患者からの感染の可能性は全く無くなり、新たに発症する人も全国で年間数人という状況になりました。 しかし1996年に 「らい予防法」 が廃止されるまで隔離政策は続いて行きました。 

2001年、ハンセン病患者の強制隔離を定めた 「らい予防法」 が憲法に反していたとする判決が出て、当時の総理大臣であった小泉純一郎は患者および元患者に対して謝罪しました。

 

映画を観るにも60kmほどバスに乗らなければならない過疎の町で育った私は、中学生のころに公民館の体育館で上映された 「砂の器」 を見てはじめてハンセン病のことを知りました。 ただ、近隣の町で発症した人がいたということは聞きませんでしたし、映画を見たときこの病気についてどう感じたかも忘れてしまっていました。

 

 

資料館です。 

 

 

本来資料館の中は撮影禁止なのですが、たまたま受付に学芸員の方がいらっしゃって許可を下さいました。

フィギュアがリアルすぎてドキッとします。

 

 

 

重い、、

 

 

「深海に生きる魚族のように、自ら燃えなければどこにも光はない」。 どこかで聞いた言葉だと思ったら、これは学生時代から明石海人のファンだったという大島渚監督がときどき紹介していた言葉でした。 当時、大島監督は文学に溺れながらも文学に対して好意よりも嫌悪を抱いていたそうです。 なぜなら、深く文学の匂いの中にいるということは、すなわち死の匂いの中にいるということ。 若かった自分は死の匂いを嫌ったんだろうと後に自ら分析しています。 絶望の中においてもどこか生きるよすがを探していた大島青年に答えをくれたのが明石海人のこの言葉だったのだとも。

 

 

 

最後の展示ブースにはいくつものモニターとヘッドホンが置いてあり、70人以上の高齢になった元患者がそれぞれ自らの人生を語る動画を視聴できるようになっていました。 一人のお話しを聞くのに20分ほど。 おふたりの方のお話しを聞いたのですが、時間を忘れて聞き入ってしましました。

この日曜日、私が資料館に滞在した3時間に居合わせた方は2人だけでした。 かえって学校の社会科見学などで子どもたちが訪れる平日の方が来館者が多いのかもしれません。

 

 

 

 

 

全生園のほとんどの場所は、一般の人も自由に歩けるようになっています。

昭和3年に入所者たちの手で建てられ、昭和52年まで使われていたという男子独身寮 「山吹舎」 が復元されていました。

12畳半の部屋に多いときは8人が生活していたそうです。

 

 

 

全生学園跡のグラウンドの碑。 幼少期に発症し、一生をここで過ごした人もいたのでしょう、、

 

 

 

 

 

 

園内には真言宗、浄土真宗、日蓮宗のお寺のほか、カトリック、聖公会、プロテスタント、それぞれ宗派ごとの教会が建てられています。

 

 

軽症の方たちの住宅の各戸には自転車が。 今では外へもおつかいに行けるようになったんですね。

 

思えば私は社会人になってからの数年間、ここから3kmほどしか離れていない場所にあった社宅に住んでいました。1980年代のことですから、当時はまだここに住む方々は外の世界に出ていくことが許されていなかったのです。 

恥ずかしながら、20代の私は自分のことばかり考えていて、まったく人さまのことを思いやれるような人間ではありませんでした。

心弱くなる齢になってやっと少し人の痛みが分かるようになって来たのか、ここで生きた人々のさまざまな痕跡を見るたび激しく心が揺さぶられ、その夜はなかなか眠りに就くことができませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

サッカーW杯出場決定おめ!

  • 2017.09.06 Wednesday
  • 16:47

 

サッカーワールドカップ。 予選の最終戦はサウジアラビアに負けてしまいましたが、日本代表は今回も本選出場を決めましたね。 ホームでのオーストラリアとの試合はテレビで観戦しました。 浅野・井手口などの若い選手が躍動して、胸のすくような試合でしたね。

 

とくに私が興味を引かれたのは井手口選手です。 失礼ですが、ふだんJリーグの試合を観ない私は彼のことをまったく知りませんでした。 ニッカボッカ&半キャップヘルでスクーター転がしてそうな、気のいいガテン系あんちゃん的風貌。 顔はたしかにちょっと中田(英)に似てますよね。 なにしろびっくりさせられたのは彼の運動量でした。後半になっても猟犬のようにしなやかな身のこなしで相手にチャージしていく姿にはほれぼれしました。 

 

ほとんど忘れかけていたのですが、じつは私も高校時代サッカー部でした。 そんなにサッカーが好きなわけでもなかったのですが、音楽仲間の南海くんがサッカー部で、彼が楽しそうに練習しているのを見ているうちにちょっとやってみたくなり、1年生か2年生の頃に1年間くらいまじめに練習したのを覚えています。

 

小学4年から中学2年までは柔道、2年次の途中からは陸上部で長距離走をやっていましたので、「コンタクトや走力はどうにかなるだろう」と高を括っていましたが、その両方をいっぺんにやらなければならないサッカーはそれまで経験したスポーツとはぜんぜん別物で、まったくオハナシになりませんでした。 集団の中で発揮しなければならない闘争本能は柔道とは全く違う種類のもので、面食らったのを覚えています。

 

それから20年くらい経って、次男が小学校低学年の頃、仲のよい友人に誘われて地元の少年サッカーチームに入りたいと言い出し、試合を観に行ったところ、ボールの周りの密集から離れてぽつねんと立ち尽くす次男。 彼の姿に数十年前の自分が重なりましたっけ。 血は争えないものですね(^^;

 

運動や勉強がイマイチなところがばっちり私に似てしまって、ちょっと「悪りぃな」とも思いますが、どうやら毎日を楽しむ才能も似てくれたようなので、まいっか(≧▽≦)

 

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(ばっちりヤンキー風味が効いたこの写真はフットボールチャンネルより拝借)

 

 

 

 

 

 

 

 

終わっちゃったね、夏の甲子園

  • 2017.08.25 Friday
  • 11:50

 

東京ではすっかり暑さがぶり返して、お盆の頃の涼しさに慣れてしまった身体がびっくりしてます。

ところで今年は夏の甲子園にもびっくりさせられましたねえ(@_@)   地区予選の頃には早実の清宮くんばかりが注目されていましたが、漫画にも描けないような劇的な大逆転劇が連日繰り返されて例年以上に印象深い大会になりました。 広陵高校の中村奨成くんの大活躍もりっぱでしたね。

 

私は診療中、ときおりラジオで中継を聴いていました。 NHKマナーのお上品な実況と関西なまりのおじさんの解説、空まで届きそうなブラスバンドの演奏やスタンドのどよめき。 40年経った今でもウララ〜やサウスポーが愛されているなんて、山本リンダさんやピンクレディ本人も想像してなかっただろうなあ(^^)

 

テレビ中継を観れない分、「熱闘甲子園」は毎日たのしみに観ていましたヨ。 高校生の灼けた顔に光るまっすぐな澄んだ目。 気迫で引き締まった顔もそこはやはり高校生、きびしい局面ではたちまち不安や緊張で強ばった表情に変わります。 これほど彼らの顔を見つめる機会は高校野球以外では思い当たりません。 大人になると他人、いや自分対してさえ本当の心を隠すのが上手になってしまうもの。「どうせチミたちもいつかそんなオッサンになっちゃうんだけどねー♪」なんてイヂワル言いながら見てましたっけ(≧▽≦)

 

それにしても最近の球児たちは、プレー中もベンチでもはじける笑顔でその一瞬を楽しんでいますよね。 

私が中高生の頃、家族総出の稲刈りの昼休み。座敷の窓を全部開け放ってゴロゴロしながら父と甲子園を見ていたときのこと、笑顔でプレーする球児を見た父が 「ニヤニヤしよって、ええ仕事が出来るかや!」(ニヤニヤしてていい仕事が出来るわけがない)と苦々しく独り言ちていたのを思い出します。 昭和ひとケタ世代には、プレーを楽しんだりリラックスを心がけたりすることがより良いパフォーマンスにつながるという今風の引き出しはなかったようで(^^;

 

ただ、時代は移り変わっても子供と大人のはざまを必死で生きる彼らの顔にとくべつな輝きが宿っていることに違いはありません。 彼らの発する強い光は、むかし自分も少しは輝いてたであろうおじさん世代に刺さるんですよねえ(^^;

 

夏の甲子園が終わると夏そのものが終わってしまうようでさみしい気持ちになりますが、きっとまた来年もあの場所で球児たちは、夏のお陽さまにも負けない強い光を日本中に届けてくれることでしょう。

 

TKY201010150181.jpg

(写真は朝日新聞から拝借しました)

 

 

 

 

 

 

 

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