夜と霧

  • 2017.11.23 Thursday
  • 17:42

 

両親の離婚後は父親と離れて暮らしていたボクサーの村田諒太。 ある試合の前に心が不安定になり、涙声で父親に電話したそうです。 そして父親は 「この本を読んでみなさい」 とひと言。 送られて来たのはヴィクトール・E・フランクルの 「夜と霧」 でした。 そしてこの本を読んだ村田は 「人生に意味を問うてはならない。人生からの問いかけにどう答えるかが大切なのだ」 という一節に救われたのだとか。


フランクルはユダヤ人の精神科医・心理学者です。 1942年8月から1945年4月までナチスの強制収容所に収容され、そのときの体験記をまとめたのがこの本。 名著としてタイトルは聞いたことがありましたが、なにしろ読まないうちから想像される内容の重さに押しつぶされてしまって、なかなか手に取る勇気が持てませんでした。 先日村田父子を特集したNHKスペシャルで上記のエピソードを聞いて、いよいよ読むしかないかと図書館で借りて来ました。

 

ナチスの非道さや被収容者の悲惨さを書いた本はほかにもありますが、フランクル自身が、苦悩に満ちた極限状態の収容所生活の中で確信するに至ったひとつの真理が書かれたこの本からは、私も強い衝撃を受けました。 アメリカで 「私の人生に最も影響を与えた本」 ベスト10に入ったり、読売新聞の 「読者の選ぶ21世紀に伝えるあの一冊」 で翻訳ドキュメント部門の3位に選ばれたりしたのもうなづけます。

 

私ごときがあれこれ批評するのもおこがましい内容なので、印象に残った文章をそのまま引用しちゃいます。

 

ドストエフスキー 「私が恐れるのはただひとつ、私が私の苦悩に値しない人間になることだ」 の引用から始まる一文。

※おおかたの被収容者を悩ませていたのは、収容所を生きしのぐことができるのか、という問いだった。 生きしのげないのならこの苦しみのすべてには意味がない、というわけだ。 しかし、私の心をさいなんでいたのは、これとは逆の問いだった。 すなわち、わたしたちを取り巻くこのすべての苦しみや死には意味があるのか、という問いだ。 もしも無意味だとしたら、収容所を生きしのぐことに意味などない。 抜け出せるかどうかに意味がある生など、その意味は偶然の僥倖に左右されるわけで、そんな生はもともと生きるに値しないのだから※

 

いやぁ、激しいですね。(*_*; 

フランクルは戦後、生きがいを見つけられずに悩む人たちに 「人生はどんな状況でも意味はある」 「生きる意味は自ら発見するものであり、苦しみは真実への案内役だ」 と説いたそうです。

 

もうひとつ。村田の心に響いたのがこのくだりです。

※「我々は人生から何を期待できるか」 ではなく 「人生が我々に何を期待しているか」。「私が人生の意味を問う」 のではなく 「私自身が人生から問われたもの」 として体験される。

生きることは日々、時々刻々問いかけてくる。 その問いは漠然としたものではなくとことん具体的である。 私たちは考え込んだり言辞を弄するのではなく、行動によって正しい答えを出し続けなければならない。 その正しい答えが人間を苦しめるのなら、人はその苦しみと向き合い、その苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度、そしてふたつとないあり方で存在しているのだという意識にまで到達しなければならない※(←途中ちょっと端折りました。あと旧訳と新訳ごっちゃです)

 

ここで言う 「人生」 という言葉の中にはなんとなく 「神」 の存在が見え隠れしている気がします。 しかしこの ”具体的な” 状況の中に身を置いたフランクルは、宗教とは距離を置いたひとりの心理学者としての確信からこのような結論に至ったようです。

 

 

アイヌでは、大切なことを伝えるときに囲炉裏を囲みながら一晩かけて長い長い神話を聞かせるのだとか。 伝えたいことを直接的に言葉にするよりも、その話を聞いたときの言語化できない心の動きにこそ、本質的な理解が含まれているということだと思います。 村田のお父さんが息子にこの本を贈ったのも、きっとアイヌの長老と同じような意図があったのではないでしょうか。 そんな父親になりたいけど、なかなかねぇ(^^;

 

写真は在りし日のヴィクトール・E・フランクル。映画.comさんから拝借しました。

 

 

 

 

 

 

 

「ミルカ」ミタヨ。(ネタバレあり)

  • 2017.09.19 Tuesday
  • 17:24

 

日曜日は台風が近づいているとのことで朝から雨。 週に一度のリラクゼーションなサイクリングはおやすみ。 家でのんびり過ごしました。 ごろごろしながら、ひさしぶりにamazonプライムビデオで映画鑑賞。 観たい映画もなかったので、”おすすめ” の欄に出てきた2015年日本公開の 「ミルカ」という作品を観ました。

 

主人公はミルカ・シンという1950年代後半から60年代前半にかけて活躍し、45秒8という当時の世界記録を出したこともある、いまでもご存命のインドの英雄です。

 

ミルカは1935年に現在のパキスタン領にあったシク教徒の村に生まれました。 1947年に英領インド帝国が解体されインドとパキスタンが分離独立する際、シク教団はインド帰属を決断。 しかし村の指導者的存在であった彼の父は土地を捨ててインドへ移り住むことを拒否。 彼と姉はかろうじて難を逃れましたが、一家は彼の目の前でパキスタン人たちに虐殺されてしまいます。

 

その日の食べる物にも事欠く難民同然の暮らしの中、泥棒はもとより生きるためには何でもしました。しかしある恋をきっかけに真っ当になろうとインド軍への入隊を決意。そこで陸上競技に出会い一気にのめり込みます。

 

世界記録を出したあとのローマ五輪で優勝が確実視されていた彼は、こともあろうにゴール直前で大きく後ろを振り返ってしまい、4着に沈みました。 何がきっかけになったのかは分かりませんが、少年時代のトラウマがフラッシュバックしてしまい、首を刎ねられる父をそこに見てしまったのです。 その後失意の日々を送っていた彼ですが、インド・パキスタンの親善競技会で数十年ぶりに故郷の村を訪れた際、独立時の混乱で死んだと思っていた幼なじみと再会します。 大人たちに物置にかくまわれて生き延びた幼なじみは、その後改宗して子供にも恵まれていました。その幼なじみはミルカに言います 「人じゃない。時代が悪かったんだ」。

 

高校で日本史を選択した私は、ニュースや映画鑑賞をきっかけにしてほかの国や地域の歴史を勉強することが多いのですが、今回はムガル帝国あたりからのインドの歴史を知る機会になりました。 そしてやっぱり、どこの国いつの時代でも歴史とは ”悲しみ” なのだと再認識した次第です。 人間はいつか悲しみを繰り返さずに済む、今よりましな世界を作ることができるのでしょうか。 う〜ん、悲観的にならざるをえないなァ、、

 

 

あとから知ったのですが、この映画にはブレイク前の武井壮が端役で出演しています。 日本選手役を探してした製作スタッフは、フェイスブックに「英語が話せて単身インドに来れる陸上と芸能に通じた人募集」と投稿。 もちろん選ばれたのは彼。 当時お金がなかった彼はマネージャーから1万円借りて飛行機に乗ったものの、両替を忘れて一文無し。マーケットのコブラ使いのおじさんの横で逆立ちで踊って2万円ほど稼ぎ、滞在期間をしのいだのだとか。 もう一度本編のそのシーンを見ると、しっかり彼の個性的なフォームが写っていました。

ミルカと武井壮の縁の話には続きがあります。 ミルカ・シンの息子のジーブ・ミルカ・シンは現役のプロゴルファーでジャパン・ツアーにも参戦しており、その際に武井壮がコーチングしていた市原選手とプレーオフで優勝を争ったのだとか。 結果は市原選手の勝ちだったようです。

 

インド映画特有の出演者たちがとつぜん踊り出すシーンや、ちょっと大げさな感情表現が気にならなければ、かなり楽しめる映画だと思いますヨ (^^;

 

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宗教は文明?それとも文化?

  • 2017.08.18 Friday
  • 17:56

 

ここのところのお天気は、いったいどうなっちゃってるんでしょうねえ。

このお盆には3日ほどお休みをいただきました。 初日はすこし自転車に乗りましたが、あとは学生時代の友人や自転車仲間からのお誘いで夜だけ活躍して、ひさしぶりにのんびり過ごしました。 テレビで高校野球をつけっぱなしにしてゴロゴロ読書。 ぜいたくな時間でした。

昨日読み終えたのは、同志社大学の教授の内藤正典と元同大客員教授の中田考による対談集「イスラームとの講和」。2016年3月発売と、ちょっと前の本です。

 

私の夏休みの最終日は終戦の日でした。 昨今、日本を取り巻く状況もにわかに緊張感を帯びてきていますが、こちらに関するニュースは毎日目や耳に入って来ますので、重要な情報を見逃すことはないと思います。 しかし、すでにコトが起こっているイスラム圏のことは、悲惨な写真や映像のインパクトばかりが頭に焼きついてしまい、複雑極まりない現地の状況はなかなか伝わって来ません。

 

イスラム圏の歴史は大まかには把握していましたし、”アラブの春” 以降の急激な変化を解説した本も読んだりもしましたが、どれもイスラムの外側から分析・評価したものばかりでした。 中田氏は自身がイスラム教徒、内藤氏もしばらくトルコに在住したりと、自国や隣国あるいはヨーロッパで苦難の日々を送るムスリムに近い目線で書かれたこの本を読んで、やっと全体像が掴めたように思います。

 

中東諸国においては、スンナ派とシーア派。原理主義と世俗主義。多様な民族が後づけの国境線に分断されていることなど、同じイスラムでも対立軸はいろいろ。 それぞれについての現状をこまかく解説してくれています。

 

ヨーロッパ各国においては、移民や難民を受け入れはするものの、ムスリムたちとの間にはどうやっても相容れないバメンが出てきてしまいます。 ドイツやイギリスのように”異質な人たち”として同化を拒絶する国もあれば、”ライシテ”と呼ばれるゴリゴリの世俗主義を掲げるフランスでは、「ブルカを被るな」など宗教的な習慣を捨てて同化しろと迫るようで、いろいろ問題が起こり続けています。

 

おそらくヨーロッパの国々も移民・難民も、ほんとうはお互いに良い関係を築きたかったはずなのに、何十年かけてもうまくいきませんでした。 内藤氏はこの状態を「文明の衝突」と呼んで、もうお互いに同化することはあきらめて”講和”の道を探るべきだと言っています。

 

生まれたときはお宮参り、教会で結婚式を挙げて、お寺のお墓に入る。 こんな感じで宗教に関しては、きほんユルユルでテケトーな日本。 新聞記事によると、西暦2070年にはイスラム教徒はキリスト教徒と同数になり、その後はイスラム教徒が世界で最大勢力になる予想とのこと。 アジアにもイスラム教徒が多数を占める国はいくつもありますし、日本にもモスクが増えて彼らと日常的に関わる時代が来るかもです。 正直なところちょっと宗教アレルギーがある私でも、そりゃできれば仲良くしたいもの。 なのでこれからも彼らのことを知る努力は怠らないでおこうと思います。 てか2070年? ワシ110才やん(≧▽≦)

 

 

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雨の高原で読書

  • 2017.07.29 Saturday
  • 12:34

 

ちょっと前のことですが、先週末は ”サイクルショップあしびな” 主催の那須サイクリングでした。

コテージで一泊して涼しい那須高原をのんびり走ろうという企画。 私は土曜の仕事を終えてからバーベキューに間に合うよう新幹線で現地入り。 着いてみると泊まりはムサい男ばかり12人。 明日には日帰りの参加者も3人来るようですが、どうやらこちらも♂ばかりとのこと。 参加者の半分は20〜30代の独身ナイスガイなのに、なんとももったいない (>_<)

 

電車に乗らなくても布団までズルズル引きずってもらえば寝れる環境は、やはりとても危険です。 ものすごく濃いハイボールのせいで2名ほどは完全に”泥”でした(^-^;

 

翌朝、奇特な誰かが朝食を作るいい匂いで気分良く目覚めたものの、外はイケズな雨。

ただ、この朝の森の空気はとても気持ち良くて、見渡しても退屈がストレスになっている顔はありませんでした。 チェックアウトの10時までのんびり過ごそうと満場一致。 私もテラスのデッキチェアに身体をあずけ、しばらく木々の間にこだまするウグイスの声に聴きほれていましたが、持参していた本を思い出してゆるゆるページを進めました。

 

ミシェル・ウェルベックの 「服従」。 かなりインパクトのあるタイトルですよねえ。

2022年のフランス大統領選挙では国民戦線のル・ペンと穏健イスラム政党党首が決選投票に挑みます。 「ファシズムとイスラムかよ。なかなかキッツイ選択だなぁ」 という当地のリベラル層の声が聞こえて来そうですね。 そこで政治的主導権を手に入れた勢力はその後フランスのみならずEU全体をコントロールするようになります。 しかしこの本、ただのポリティカルフィクションではありません。 主人公は大学で文学を教える40代の教授。 おもに年齢的なものによる自分自身の身体や心の変化から、生きることに疲れ始めたタイミングでの急激な政情の変化。 考える力も失われるほどすっかり疲れ切ってしまったときに忍び寄ってくるのがファシズムや宗教。 インテリであるはずの彼でさえいともかんたんに流れに飲みこまれちゃうんですねえ。 いや、かえってインテリほど長いものに巻かれやすいのかも知れません。 いずれにせよ主人公の葛藤がよく描かれていて、文学としてもよく書けていると思います。

 

ウェルベックはこの主人公に、21世紀に入ってすっかり行き詰った感のある共産主義や自由民主主義などの人間中心主義を重ねたのではないでしょうか。 筆者はヨタヨタになってしまった人間中心主義だけでなく、どんどん勢いを増すばかりのイスラム教をもおちょくりまくっています。「イデオロギーも宗教も結局人間を救ってはくれないヨ」 なスタンス。 ほかにも差別・性などのタブーも全シカト。 気持ちいいくらい振り切れています。 これ、タブーで縛りつけたり、自身が縛り上げられたりするのが大好きな日本人が書いたら大炎上間違いなしだろうなあ。 

 

この本は世界中の知的な層を刺激したようで、 書名で検索すればものすごく高度で深い書評をたくさん見ることができます。 インテリなあなたはしょっぱい私の感想などではなく、ぜひそちらを参考にしてくださいね (≧▽≦)

 

それにしても、那須合宿の帰りにみんなで食べた蕎麦はおいしかった (^-^)

 

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ハクソー・リッジ(ネタバレなし。たぶん)

  • 2017.06.28 Wednesday
  • 11:27

 

日曜日は雨の予報でしたので、前夜から映画を観に行こうと決めていました。 候補は自転車仲間のシゲさんにおしえてもらったソウルミュージックのドキュメンタリー映画 「約束の地、メンフィス」 か、ソ連に侵略される前後のポーランドの画家の全体主義に対する抵抗を描いた映画 「残像」、あとは封切りになったばかりの 「ハクソー・リッジ」。 折しも前々日が沖縄の慰霊の日であったことと、散歩圏内の映画館が開館13年記念で1000円鑑賞日だったことが決め手となり、朝イチで 「ハクソー・リッジ」 を観て来ました。

 

おおよそのストーリーはテレビのCMなどでご覧になったその通りで、第二次世界大戦時、銃を持たないと誓った青年がそれでも衛生兵として志願し、沖縄戦の激戦地のひとつである前田高地において日本兵を含む75人をひとりで救出したという実話です。

 

少年時代の彼を紹介するシーンでは、いわゆる天然キャラであることが強調されています。 偉人でもスポーツ選手でも、ふつうの人が出来ないようなことを成し遂げる人は、やっぱりちょっと特殊な物差しで生きている人が多い気がしますよね(^^;

 

宗教上の理由と幼い頃のトラウマから銃に触れないという誓いを立てた彼ですが、祖国の危機に居ても立ってもいられず、衛生兵としてなら貢献できるはずと志願します。 しかし衛生兵とはいえ銃の訓練は必須。 戦時中の軍隊の中で規律に反する個人の信念を貫き通すことは容易ではなかったことでしょう。 

 

そして彼は沖縄へ。 リアルすぎると話題の戦闘シーンは、まさしく息もできないくらいの緊張感で、たちまち客席から現場に放り込まれました。 タメを効かせた恐怖ではなく、何というか恐怖を感じる余裕もなく一気に圧倒的な力に吞み込まれる感じ。 生き延びれるイメージがまったく持てなくて頭の中がまっ白になりました。

 

そんな前田高地における文字通りの白兵戦の中、高地から自軍の拠点がある断崖の下まで、立木を滑車にしてロープたったひとりで負傷兵を下ろし続けた彼。

 

敬虔なクリスチャンである監督のメル・ギブソンはインタビューで 「彼が行ったことは超自然的で、彼はその働きをただ信仰を通して行ったのです。ドス氏はただ信仰によって武装したのです」 と話しています。

 

たしかにドス氏の行いは超人的で賞賛に値するものではありますが、常人には不可能とも思われる行いの根源が信仰となるとちょっとコワい気も(^^;

歴史的には宗教的な信念が悲惨な戦争を生んできたことも事実ですし、そこはちょっと複雑かなー。

 

とは言え結論としては、観てよかったです。 この映画は戦争について考えるというよりも個人の生き方がテーマになっているように感じました。 あと沖縄の人々のたいへんさはまったく描かれていません。いろいろ盛り込むととっ散らかっちゃいますもんね。 

この映画で私がつい泣けてしまったのはクライマックスではなく、志願前の故郷において形質をもつと思われる主人公を愛し、適応をサポートする家族や恋人の温かさでした。天然仲間としては沁みるんですよね〜(*^_^*)

 

 

私は、死や戦争など忌まわしいことを遠ざけて過ごすのではなく、いつでも起こりえるものとして心の準備をしておきたいクチ。 いま、リアリティのある戦場のシーンを再現できるコンテンツは映画だけだと思います。 文字情報を前頭葉で処理するよりも映像で見て扁桃体をぐりぐり刺激して、戦争の恐怖をたっぷり刷り込んでおくことで「戦争ダメ」の感覚が強化される気がします。

 

上映前に客席を見渡すと半分以上の席が埋まっていました。そしてその半分ちかくが〇ゲ頭(≧▽≦)  朝早いせいもあるのでしょうけど、やはりご自身が出征されたり、私と同じで復員した親戚のおじさんたちの話を聞かされた世代がほとんどだったのではないかと思います。 出口で一緒になった80代後半と思しきご夫婦に感想を聞いてみました。「う〜ん、やっぱり何があっても戦争はぜったいダメだよね」 とのこと。 同感です。

こういう映画は若い人にこそ見てほしいと思いました。

 

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イニャリトゥ作品、全制覇したけどさぁ、、

  • 2017.06.21 Wednesday
  • 21:44

 

アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督。 発音しにくいラストネームなので名前を覚えるのをあきらめちゃった人も居るかも知れませんが、一昨年に「バードマン」でアカデミー賞作品賞を受賞し、昨年も「レヴェナント:蘇りし者」で監督賞を受賞。 菊地凛子が助演女優賞にノミネートされた「バベル」でもメガホンを執った監督といえば、映画好きの方でなくても「あぁ、あの監督ね」となるのではないでしょうか。

 

「アモーレス・ペロス」(2000年公開)イニャリトゥのデビュー作です。 1件の交通事故で交わる3つのエピソードを、それぞれの人生で色付けしていく三幕構成。  短絡的な暴力が身近にある貧困層の生活の描写はリアリティありすぎでした。 それも納得、脚本のギジェルモ・アリアガはメキシコシティでもっとも治安の悪い地区で育ったらしく、ケンカでのケガが元で嗅覚を失ったのだとか。そういう生い立ちをもつ人でないと書けない脚本だと思います。 粗削りでも表現に対するものすごい”熱”が感じられる映画でした。

 

「21グラム」(2003年公開)「アモーレス・・・」をより文学的にしたような作品でこれもなかなかしんどい内容でした。 受け容れがたい出来事が生じたとき人はどう向き合うのか、、 ショーン・ペンやナオミ・ワッツ、ベニチオ・デル・トロの演技も素晴らしかったのですが、この映画でも何しろギジェルモ・アリアガの脚本の力が凄くてぐいぐい引き込まれました。 ひとつの出来事が出会うはずのなかった登場人物たちの間に複雑な関係を作り、それぞれの心理がそこに絡みついてなおさらコトを複雑にしていく、まるで重いブルーズを聴くような映画でした。 

 

「バベル」(2006年公開)話題になっていたので観てみました。 借りて来たDVDを疲れて半眠むのコンディションで観たのがいけなかったのか、まったく印象がありません、、(^^;

 

「ビューティフル」(2010年公開) イニャリトゥ作品の中でいちばん好きです。 舞台はスペイン。主人公の父はフランコ独裁政権の弾圧を受けメキシコに逃亡するもそこで死亡。 彼は父の顔も見ぬまま貧しい環境で育ち、中国人やセネガル人の不法就労者の手配師をして生計を立てています。子どもは二人いますが、妻は双極性障害で子育てをすることが難しく別居中。そんな彼がガンで余命2ヶ月と宣告されます。 残された時間を、妻・子どもたち・中国人・セネガル人、それぞれの背負った荷を少しでも軽くするために使う彼。 胸が苦しくなりますが、最後には小さな救いが。

 

「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」(2014年公開) ご存知アカデミー賞作品賞に輝いた1本。 緊張感を途切れさせない、ワンカットでの撮影法が話題になりましたね。 主人公はやはり現実を受け容れられず適応することに苦しむ人。 この作品では社会的な問題を取り上げず、テーマを主人公の内面に絞り込んだ分、イニャリトゥ作品の中ではもっとも文学臭が強かったように思います。なので当然アカデミー賞受賞作としては興行成績はぱっとしませんでした(>_<)

 

 

「レヴェナント 蘇りし者」(2016年公開) ほかの作品はDVD発売直後に観ていたのですが、”復讐”とか”リベンジ”とかが大きらいな私は、この作品を観るのを敬遠していました。しかし観たい映画が弾切れしてしまったので、ついamazonプライムビデオでポチってしまいました。

 

開拓時代のアメリカで毛皮猟師の一団の案内人だった主人公が、熊に襲われて瀕死の重傷を負いますが仲間に置き去りにされ、復讐のために生き延びて思いを遂げるというハナシ。 私としてはやっぱり「イニャリトゥどうしちゃったの?」という内容の映画でした。

というのも、イニャリトゥはデビュー作「アモーレス・ペロス」を撮るとき、亡くなった息子さんに捧げる気持ちで臨んだそうです。そのとき「人格は、失うことで形成される。人生は失うことの連続だ。失うことで、なりたかった自分ではなく本当の自分になれる。」と話していたとのこと。 確かに自分の手の中にあったもの・あると信じていただけのもの。死に物狂いで手に入れたもの・あるのがあたりまえだったもの。 家族や自らのアイデンティティなど、有形・無形の大切なものを失ったときの受け容れの苦しさを表現するのがイニャリトゥ作品に通底するテーマだったはずなのに、レヴェナントってば、、(>_<)  やはり製作費が1億3500万ドルのハリウッド映画となれば失敗は許されないので、わかりやすいストーリーとお約束のカタルシスで数字を取りに走ったのか、、 いや、彼に限ってそんなベタな動機でこの映画を作ったとは思えないので私の理解力不足なのかもしれません。 

いずれにせよ次の作品を観ればきっとその答えが出るでしょう。 たのしみです!

 

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絵本作家の甲斐信枝さん

  • 2017.04.05 Wednesday
  • 15:06

 

録画でNHKスペシャル 「足元の小宇宙  絵本作家と見つける ”雑草” 生命のドラマ」 という番組を見ました。

絵本作家の甲斐信枝さん(86才)と、彼女が愛してやまない嵯峨野の農村の風景やそこにたくましく根付く雑草たちの1年を追ったドキュメンタリーです。

 

甲斐さんのお名前は存じ上げませんでしたが、彼女の本や絵はどこかで何度も目にしていた気がします。 番組を見て彼女がその絵に注いでいる思いの深さを知り、なぜその絵がそれほど絵本に興味のない私などの印象に残っていたのか分かった気がしました。

 

彼女の絵本は ”科学絵本” に分類されるそうです。 想像の物語ではなく観察や科学に基づいて作られるお話。 子どもの頃から雑草が大好きで、放課後にはいつも草笛を吹いたりタネを飛ばして遊んだりしていたのだとか。 その後、仕事をするようになっても雑草のスケッチを続け、40才で絵本作家デビュー。 代表作の「雑草のくらし」は30年経つ今も版を重ねるロングセラーになっているとのことでした。 

 

ノゲシやヒガンバナなどの雑草の細部を5〜6時間かけてスケッチしていると、その間にも植物の様子が変化していくのが観察できるのですね。 まさに宇宙の諸行無常を感じる毎日なのでしょう。 しかし86才にしてこんな長い時間最後まで変わらない伸びやかでブレのない筆はこびを維持する集中力と体力には驚かされました。 

 

番組ではハイスピードカメラを駆使して雑草たちの不思議で美しい営みを見せてくれます。 しかしそれは最新テクノロシーだけのお手柄ではなく、製作スタッフが甲斐さんと長い時間を過ごし、彼女の目線や感性を共有したことではじめてこの番組が魅力的なものになったのだと思います。

 

 

私もかなりの田舎で育ちましたので雑草は遊び友だちでしたっけ。 とくに夏の草いきれの中、腰丈ほどの雑草の茂みをかき分けかき分け、ごんごん進んで取っておきのゴリ(川魚)突きの穴場の岸辺に到着。 ヨモギを石で叩いて水中メガネのくもり止めに。

子どもの頃は学校や家庭や、あたかも世界のすべてが大人たちのコントロール下にあるような窮屈な錯覚の中で暮らしていましたので、雑草生い茂る自然の中に飛び込んでいくときの開放感たるや、まさにパラダイス!でした。

 

美しくしつらえられた庭園などの素晴らしさも分からないわけではありませんが、どんなに高尚な宇宙観に基づいて造られた庭園でも、どこか人間が安心できるように調和がとれてしまっています。 私はその人間用の ”調和” をやっぱりちょっと窮屈に感じるんですよね。 それに対して、ちょっと見はかわいい道端の雑草の花でも、人間の文明をすっかり吞み込んでしまうような暴力的な力が秘められているのかと思うと、ちょっとMっ気的なあこがれを感じてしまうんです(笑)

 

甲斐さんは雑草に対して、この地球上で必死で生きる仲間としてのシンパシーを感じていると話していました。 私とちがって正しい雑草の愛し方だと思います(笑)

 

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通勤路のつくしん坊

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ミチタネツケバナ

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ヒメオドリコソウ

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河岸忘日抄

  • 2017.03.09 Thursday
  • 11:16

 

眠ることが好きな私は、7時間眠れることが日々の小さな幸せです。 ただ、そうすると帰宅後の自由時間は90分をひねり出すのが精いっぱい。 ここのところはずっとamazonのプライムビデオで映画を観て過ごしていましたが、読みさして机の上に置きっぱなしてあった本にふとうしろめたさを感じて4ヶ月ぶりに頁を進めました。

 

堀江敏幸の作品は芥川賞受賞作「熊の敷石」以来何冊か読んでいましたが、この「河岸忘日抄」もほかの作品と同じように、不思議な浮遊感を味わいながら彼の心の中を遊ぶ、まるで仙人のひとり言を聴くような小説でした。

 

300頁を超える長編なのに、この小説にはストーリーらしいストーリーがありません。 日本で忙しく過ごし、少し働きすぎたと感じた主人公の「彼」は、以前暮らしたことがあるフランスの街にしばらく逗留していわゆる充電を決め込みます。 知り合いの所有する係留された船に庵を結び、備え付けられていた本を読んだり音楽を聴いたりコーヒーを淹れたりして過ごす内省的な時間をそのまま文章にしただけの内容です。

 

とくに印象に残ったのは、直流・交流の話でした。 小学校の頃の理科の実験で先生が直流・交流の違いを教える際、まず交流で点灯された豆電球の明るさを生徒たちに見せ、次に直流に繋ぎ直して、ぱぁっと明るくなったときに生徒たちから歓声が上がるシーンは誰の記憶の中にもおぼろげに刻まれているはずですが、主人公はその明るさが変化しない並列つなぎの方に強く惹かれるタイプだったというくだり。 

 

もちろん私を含めてふつうの生徒たちは、ただ直流の魔力に魅かれたのではなく、物理の不思議さに讃嘆の声を上げたのだと思います。 おそらく作者自身もそこは同じだったのではないでしょうか。 ただ、この比喩には直流型の人間が作る直流型の社会に対するやんわりとした皮肉が込められているのだと思います。 思うことを口にすると「変わってるね」と言われ続けてきた私などは、「彼」という三人称ではぐらかしてはいますが、他ならぬ堀江自身と思われる主人公の人格に深く共感しました。

 

だいたい堀江敏幸は、インタビューでも 「ずっと流れのままに生きてきました。自分の書きたい文章を自分の好きなペースで書いてきて、いつのまにか作家といわれるようになっていました。けれど、自分からそうなりたいと思ったことは一度もありませんし、そうなるためにどこかに働きかけるといったことも、一切してきませんでした。」 などと答えるような人です。

 

誰の心の奥底にも潜んでいるエゴイスティックなどろどろを、自らの心身を削って表現することが芸術としての文学なのだとすれば、ずいぶん肩の力の抜けた彼の作品を物足りなく思う文学ファンも多いのではないかと思います。 たし算がたし算でないと気が済まない直流型の人が読み始めたとしても、10頁くらいで放り出すのが目に見えるようです(笑)

 

ものすごく才能のある人がほどよく力を抜いて書いたこの小説は、たとえばCTIレーベルのjazzを聴いているような、あるいは大谷翔平にキャッチボールをしてもらっているような感覚?  そりゃもちろん大谷の試合での全力投球を観るのは興奮はするけど、直に感じることは出来ませんもんね。 素っ頓狂な例えですが、なんとなく分かってもらえるかしら(笑)

 

ともあれ、世俗の価値観や成功への野心とは縁のない ”世捨て人臭” ぷんぷんな彼の作品は、私にはものすごくしっくり来るのでこれからもずっと読み続けることになると思います。

 

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旧作映画な日々(その7)

  • 2017.02.20 Monday
  • 16:40

 

最近はまた読書を再開しましたので、旧作映画鑑賞はペースダウンしてます。 それでも週2本は観てますヨ。

 

「コンセント」★★★★★

2001年公開。 とても興味深い内容の映画でした。 現代医学はシャーマン的意識状態を病気と見なしていますが、時代をさかのぼればシャーマンは社会にとって、なくてはならない存在でした。 映画はその資質を持った主人公の女性が、苦しみながらもその能力を自覚し、精神的に傷ついた人に救いをもたらすことの喜びに目覚めるというお話し。 監督は中原俊。 東大文学部宗教学科を出たあと日活でロマンポルノを撮っていたという、ちょっと変わったキャリアを持つ人。 しかしこの映画はそのキャリアがどちらも充分に生かされた内容でした。 スピリチュアルな要素をクールに分析していくので胡散臭さは感じませんでしたし、たびたびおとずれる濡れ場のシーンも自然な印象。 主演の市川美和子のお人形さんっぽい個性的なルックスと棒な感じのセリフ回しが、いかにも ”自問する人” という風に見えるので、かえって映画のメッセージを伝わりやすくしていた気がします。

信心するにせよしないにせよ、現代においては世界中の人の宗教観はだいたい三大宗教の影響を強く受けてしまいますよね。 昔は世界中に無数に存在したシャーマニズムや新興宗教も今ではサブカルチャー扱いされる傾向ですが、しかしそれでないと救われないという人が居るのも事実なんですよね。 いや、わたしは無宗教ですが ←誰へのイクスキューズやねん(^^;

 

 

「メゾン・ド・ヒミコ」★★★☆☆

2005年公開。 こちらは性的マイノリティのお話し。 主人公の女性(柴咲コウ)に、何年も会っていないゲイの父親(田中泯)がガンで余命いくばくもないので看取ってほしいと告げに来たのは、父の愛人のイケメン(オダギリジョー)でした。 父は伝説のゲイバーを閉めたあと、海岸沿いのラブホを買い取ってゲイ専用の老人ホームの館長をしていました。 そのホームにアルバイトに通うようになり、思い込みを克服して正面から向き合う覚悟を決めた主人公ですが、彼ら?との関係が近くなるに連れ、その深い苦悩を知ります。

LGBTの人たちの生きにくさは何となく想像できますので、「性的描写を見て自分も目覚めてしまったらどうしよう」 という恐怖からついついこのテーマの作品は避けてきましたが、「龍馬伝」の吉田東洋役で田中泯さんを知って以来、本業の舞踊の独演も見に行ったくらい彼のファンなのでついつい見始めてしまいました。 

ここのところ、世の中の流れは少しづつLGBTの人たちを理解し応援する方向に向かっていると感じています。 いわゆる”ノンケ”ではありますが、私も応援してますヨ! ←これも誰への言い訳やねん(≧▽≦)

 

 

「バンク・ジョブ」★★★★★

2008年公開。 舞台は1971年のロンドン。中古車店を経営するも借金取りに追われる毎日の主人公(ジェイソン・ステイサム)は、幼馴染みの女性から銀行強盗計画を持ちかけられます。 地下の貸金庫には王室のスキャンダルの写真が隠されており、事件はMI-5やギャングを巻き込んだ大騒動に発展していきます。 私はこの時代の車、とくにイギリスの小型車が大好きでしたので、冒頭に主人公の店に並んだ車を見たときにはよだれが出そうでした。 写真の左側は ’62シンガー・ガゼル、右側は '56ビッグヒーレー。ヒーレーの横にはMG1300も並んでいます。ほかにもフォード・トランジット、トライアンフやウーズレー、ミニ、ジャガー、ベンツ、ルノーなどが登場。 ため息が出ます。 私も20代の頃にはジョン・クーパーチューンのミニに乗っていましたが、これは過去に乗った車のなかでももっとも思い入れの深い一台です。

車のハナシばかりになってしまいましたが、映画はとても良く出来ていて楽しめましたヨ。 ここのところシリアスなテーマの邦画ばかり観ていましたので、よい息抜きになりました。 ノンクレジットのチョイ役でミック・ジャガーが出ていたのですが、それを知らなかった私は 「あれ?彼に似てるなァ」 と3回も巻き戻してしまいました。

 

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こちらが今から30年前に私が乗っていたMini。1971年に生産中止となったミニ・クーパーですが、1987年に日本のミニ丸山というショップが当時ご健在だったジョン・クーパー氏に依頼して新たにチューニングパーツを開発。 これはその1987年モデルでした。 ノーマルの42馬力から65馬力まで引き上げられており、峠道をスポーツドライブするにはほんとうに楽しい車でした。 当時ミニ用のエアコンは効率が悪く8馬力も食われてしまうので、夏は扇風機でしのいでましたっけ。 その後、結婚を機にステーションワゴンに乗り換えてしまったので、この車はレース車両として友人にドナドナされて行きました (T_T)

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「沈黙」サイレンス(ネタバレあり)

  • 2017.01.31 Tuesday
  • 12:13

 

すこし前になりますが、封切り初日に映画 「沈黙」 を見てきました。

 

遠藤周作の原作は読んでいませんでしたが、有名な小説ですのでおおよそのあらすじは把握していました。 見る人によってさまざまな解釈が可能な映画だと思いますので、無宗教ではあるものの人間がなぜ宗教を必要とするのかということには関心が高い一観客の感想としてお読みいただければ幸いです。

 

江戸初期、おもに政治的な理由から幕府は禁教令を発布します。 その後、島原の乱を経てますますキリシタンへの弾圧は激しさを増していくのですが、そんな中、布教の使命感に燃えた二人の若いポルトガル人司祭が長崎のある村へ上陸します。

 

現地の司祭がことごとく連行されてしまったため、道標を失っていた信者たちは彼らの訪日を大いに喜びます。 しかしほどなく密告によって二人とも捕縛されてしまうのです。 一人は信徒を救おうとして殉教してしまうのですが、残った一人は牢に繋がれます。自らは拷問を受けず、その代わりに来る日も来る日も信徒たちの拷問や死を見せられて、ついには棄教してしまいます。

信徒を処刑しても彼らは殉教と受けとめて喜んで死を受け容れたため、幕府は信徒を拷問にかけ、それを指導者である司祭たちに見せて棄教をせまるという手段に方針転換していたのです。 

 

主人公の司祭の苦悩は、信徒の苦しみを見かねたからという単純なものではなく、「殉教」に至るにも複雑な教義があることを知らず、信心をつらぬいて死を得れば必ず天国に行けるという誤った思い込みで死んでいく信徒を見送ることに対する罪悪感。 そして布教の際の民衆や投獄後に接した現地の役人の哲学的な理解度を知るにつけ、自分の行いが思想的に真っ白の未開の地で教えを説いているのではなく、文化的・思想的水準の高い国にある意味戦いを挑む行為であり、はざまに立つ信徒たちにかえって苦悩をもたらしていることへの気づきから来るものでした。 そして何日も苦悶に喘いだあげく、幻聴とはいえ直接神の声を聞いたときに決断するのです。

 

棄教のあと、その司祭は武士として幕府のために働くことになるのですが、その辺はほとんど描かれていません。ただ、彼が亡くなった際、日本人の妻はなんと火葬される彼の手に信者から受け継いだ木彫りの十字架をひそかにしのばせるのです。

 

棄教後の司祭がどう生きたのかは、このラストシーンだけで理解できました。 教義を説いて信者を増やすという大きな達成感を伴う聖職者としてのキリスト教ではなく、教義抜きの実践のキリスト教を生きて、彼自身や彼に関わった人を救ったのだと。

 

 

監督のマーティン・スコセッシはインタビューで試写を見た神父の言葉を紹介していました。 幕府の拷問は疑いようもない暴力ですが、宣教師が民衆に 「これが普遍的な唯一の真実である」 と思い込ませたことも、ある意味暴力なのではないかと。

たしかに、本国の教会からすればキリスト教の影響力を広めていくために信者を洗脳し、消耗品として現地の宗教や政治体制と戦わせることは、自らの腹の痛まない ”戦争” だったのだと思います。

 

宗教は、人の心を救済したり社会に秩序をもたらしたりと、その権威が行き届く範囲ではとても有益なものですが、ひとたび他の宗教や同じ宗教の他宗派との対立の構図が生まれてしまうと、とたんに表情を変えて無慈悲な行いを厭わなくなります。

それは過去の、いや現在に続く歴史が証明していますよね。 フォロワーさんを失いたくないのでこれ以上は書きませんが(笑)

 

 

この映画、スコセッシ作品ということで気合いが入ったのか、俳優たちの身体は干物みたい仕上がっていますし、アカデミー賞撮影賞にノミネートされたように映像の迫力はもの凄いです。スタッフ全員がこの映画に込めた熱量がビシビシ伝わってきました。 なかでも私がいちばん印象に残ったのは、自身も映画監督である塚本晋也が演じるモキチの演技でした。 ”水磔”(干潮のとき磔にし、満潮になると溺死に至る拷問)でなかなか死にきれないシーンの撮影では、日米のスタッフ全員が涙したそうです。

彼の表情や演技を見るだけでも、この映画を観に行く意味があると思います。

 

予想通り 「沈黙」  は今回のアカデミー賞作品賞にはノミネートもされませんでした。 キリスト教社会では受け容れられにくいテーマをあえて映画化したマーティン・スコセッシ監督に敬意を表したいと思います。

 

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