人の縁を辿って

  • 2019.03.05 Tuesday
  • 17:16

 

昨今、アマゾンをはじめとしたインターネットショッピングやヤフオクの配送などで、宅配便のお世話になる機会が増えましたよね。 我が家では日中全員留守になりますので、私物もなるべく院に配送して頂くように心がけています。

 

なかでも(=^・^=)な宅配便さんにもっともお世話になっているわけですが、以前当院のエリアを担当されていたのは私と同年代のIさん。 たいへん朴訥な方で一度も笑顔を見たことがありませんでした。 ある昼休みのこと、午前中の診療を終えた解放感からサニーボーイだかJ.L.フッカーだかを大音量で流しているところへ荷物が届きました。

 

いつも通り、聞こえるか聞こえないかの声で受領のやりとりを終えたあと、Iさんから予想もしないひと言が。「ブルースお好きなんですか?」

 

それからCDの貸し借りが始まりました。 配送があるごとに短いインプレのやりとりをしながら1年くらいが経過。 あるときとつぜん別の配送担当の方が見えたので訊いてみると、Iさんは異動されたとのこと。 サラリーマンに異動はつきものですが、日常の中から生まれたちょっと素敵な時間がなくなってしまったことに一抹のさみしさを感じました。

数ヶ月が経過した冬のある日の昼休み、バーチカルツインのエンジン音が院の駐輪場で止まりました。 休日のIさんがトライアンフに乗って遊びに来てくれたのです。 そう、彼とは音楽以外にもオートバイや自転車の趣味が丸かぶり。

折しもウクレレ練習中でしたので少し聴いてもらうと、ウクレレでブルースが演奏できることに驚いてくれて、「ぜひ行きつけのバーで演奏してもらいたい」とのご提案を頂きました。 初心者の私が知らない人たちの前で演奏するなんてとんでもない事ですので、一度は丁重にお断りしましたが、翌週には古いモトグッツィで、その翌週にはTW200で。そのまた翌週にはサーリーのファットバイクで現われては何度も口説くのです。

どうやらそのお店の若い女性バーテンダーがウクレリストで、私の演奏を聴きたがって下さっているとのこと。

根負けして、ついに「では、3月になって暖かくなったら一度お酒を飲みにうかがいます」と約束してしまいました。

 

そして先週末、ついに院から自転車で15分ほどで行ける東上線沿いのそのバーへ行ってきました。うっかり愛器も背負って、、(^^;

 

IさんはSNSをやらない方なのでまったくのアポなし。ご本人がお店に居るかどうかも分からないままお店に突入。

もしIさんが不在でアウェーな印象だったら、ビールを1杯だけ飲んで退散しようと思っていました。 しかし、カウンターの隅にはシブ〜い感じでIさんが収まっていました。

お店はカウンターが6席のみの小さなバー。 件の女性バーテンダーYちゃんはじめ、マスターやほかのお客さまたちも想像以上に歓待してくれました。 なので調子に乗ってへっぽこウクレレも披露してきましたヨ(^^;

 

バーテンダーのYちゃんはカクテル全般を作れて、連載こそないもののアマゾンでも高評価の漫画家で、漆器の山中塗りの作家で、バンドのボーカル。 やりたいことが多すぎて彼氏を作る余裕がないそうです。

 

同席したほかのお客さまも音楽通の方が多くて話が弾みすぎました。閉店時間をかなり過ぎて日付が変わる頃にやっと解散。

思えば学生の頃って、こんな感じの人の縁で友だちが増えていった覚えがあります。

きっとまた行っちゃうな〜(^^;

 

 

私が持参したウクレレでYちゃんが歌ってくれました。 調子っぱずれのカホンは同席のドラマーの演奏。 ほんとはプロドラマーのローディーまでやってた人らしいのですが、なにしろベロベロで、、(≧▽≦)

 

 

 

 

 

 

 

「ペドロ・パラモ」を読みました

  • 2019.02.14 Thursday
  • 11:56

 

先ごろガブリエル・ガルシア=マルケスの「百年の孤独」を読んで以来、マジック・リアリズム沼から抜け出せないで居ます。

今回読んだのは、フアン・ルルフォの「ペドロ・パラモ」。 初版は1955年に出版され、上記のガルシア=マルケスにも大きな影響を与えたマジック・リアリズムの名著です。

 

ある男が、母の死に際の言葉をきっかけに、顔を見たこともない父親のペドロ・パラモに会うため、ゴーストタウンのコマラを訪れます。 そこは ”ひそかなささめきに包まれた死者ばかりの町” でした。

物語はそのペドロ・パラモの人生を中心に進むのですが、まぁこの人が絵に描いたような悪党で、人殺しや裏切りは日常茶飯事。むちゃくちゃな言いがかりをつけて他人の土地を巻き上げるわ、手当たり次第に女性に手をつけるわ。 ただそんな彼がある一人の女性には純粋な愛を貫くのです(その女性は父親と近親相姦関係)。 妻となったその女性は精神を病んでおり、ペドロの見守るなかで息絶えます。 そして彼自身も金を無心に来た息子のひとりに殺されるのですが、精神的には妻とともに死んだも同然の彼の死は、とても淡々としたものでした。

なにしろ救いのないストーリーです。 しかし、メキシコ人にとってこの小説は自分たちを語る上でとても重要な意味を持つのだそうです。

 

メキシコはスペインの植民地時代が終わったあとも、独立戦争、ディアス独裁、メキシコ革命ときびしい時代が続きました。 ルルフォが少年時代を送ったのも、まさにメキシコ革命の真っ只中。 死は身近なものであり、人間の本性を見ながら成長したことでしょう。

ルルフォ自身も自らの境遇について 「父は山賊に殺された。伯父も殺され、祖父は足の親指から逆さ吊りにされて指を駄目にしてしまった。とにかく暴力がすさまじくて、たいがいの者は若死にした」 と語っています。 父親が殺されたときルルフォは7歳。母親も数年後には亡くなり、その後は孤児院へ。

 

自分を取り巻く殺伐とした環境の中でルルフォは、生きている者とのコミュニケーションは困難を極めるが、死者には自分の言葉がスムーズに届くということに気づきます。 作品中にも生者と死者の会話や死者同士の会話があたりまえのように出てくるのですが、そこに馴染めない読者は読み進むのがつらくなるかもしれません。

もうひとつ、読者を混乱させるのがこの小説の特殊な手法。 全体が70もの断片からなっているのですが、互いに関連しあう断片同士が網状に絡み合ってやっと全体像が見えてくるというもの。

「ペドロ・パラモ」もほかのマジック・リアリズムの作品と同じでストーリーよりも、作品全体に流れる空気感を感じるのがキモなのだと思います。

 

ノーベル文学賞を受賞したメキシコの詩人オクタビオ・パスは 「メキシコ人は、ぼんやりとでも、自分の中に消しがたい”しみ”を隠している。自分自身を全面的に肯定できない傷、暗さを抱えているのだ。それは、大多数の先住民が少数のスペイン人に犯され、隷属させられ ”メキシコ人” を名乗らざるを得なかった運命から来ている。自分たちのアイデンティティは ”犯された女の子供たち” であり、恨む相手も敵も自分たちの中にいる。だから、楽天的にあっけらかんとは自己肯定できない」 と言っています。

 

そういえば、私の好きなイニャリトゥ(メキシコ人)の映画などでも、全体を覆ううっすらとした影のようなものを感じます。 現世で救いを求めることに対する絶望感というか、、

 

オクタビオ・パスはメキシコ人の死生観についてはこう語っています。「ニューヨーク、パリ、あるいはロンドンの市民にとって、死は唇を焦がすからと決して口にしない言葉である。反対にメキシコ人は、死としばしば出合い、死をちゃかし、かわいがり、死と一緒に眠り、そして祀る。それは彼らが大好きな玩具の一つであり、最も長続きする愛である。もどかしさ、軽蔑、あるいは皮肉をこめて、死を正面から見つめるのである。」

 

アステカ時代からの輪廻転生の考え方に加えて、長い年月にわたる戦乱の時代がメキシコ人の死生観を形作っていったのでしょう。

 

ぬるい時代を生きる私たちはいくらでも考える時間があるのに、なるべく生きることや死ぬことの意味を考えないようにして過ごす傾向。 しかし、きびしい時代を生きる人たちは、いやでもそれを肌で感じてしまうんでしょうね。 世界の中ではいまだにそんな時代の真っ只中にいる人々も多いのですが、もちろん彼らはまだ振り返って何かのかたちとして残す余裕もないことでしょう。 民族としての宿命を背負った上に長い戦乱を経験し、薄いベールのような憂いとともに今を生きる南米やメキシコの人々。 ちょっと会いに行ってみたくなりました。

 

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今ごろになって「紅白歌合戦」を観ました

  • 2019.02.07 Thursday
  • 17:28

 

立春過ぎた頃になって年越しネタです。なぜだか私は正月に正月らしいことをするのがこそばゆくて、例年大晦日や元旦にも職場に出て月末の書類をやっつけたりしているのですが、それでも年末年始のテレビ番組は楽しみにしています。

とくに大晦日は大忙し。 総合格闘技をリアルタイムで観て、ボクシングとガキ使を録画するのがいつものパターンです。

NHK紅白歌合戦はもう何十年も観ていなかったのですが、格闘技の試合間のCM中にチェックするタイムタインで「今回の紅白はおもしろい!」という声のなんと多いこと。とっても気になっていました。

 

先日の治療中にその紅白の話題がでた際、患者さまから「ブルーレイに録ってありますよ。観ます?」とのありがたいお言葉。 帰宅後にさっそく観ました。

 

鑑賞前には石川さゆりと布袋寅泰の「天城越え」でのコラボが気になっていたのですが、ぜんぶ観終わっていちばん印象に残ったのは椎名林檎と宮本浩次の「獣ゆく道」でした。 以前にYoutubeで見た「獣・・・」のPVよりもキレッキレのパフォーマンス。 暴れ倒す宮本浩次とクールな椎名林檎。 椎名林檎は個人名義だと、メッセージにブーストをかけるために女性的な繊細さに加えて暴力的な顔を見せることも多いのですが、この曲ではその部分を”リアル獣”な宮本に受け持ってもらえるので、和装の猛獣使いに徹する彼女の色っぽいこと。

 

この曲の演出において、旭日旗を連想させる小道具が使われていたことがいろいろ言われているようですが、人間そのものを歌う彼女が ”国” などという俗な所属にこだわりを持つとは思えないんですよね。 強いて言うなら、あえてタブーをおかしてみせて「もう一度タブーの意味を考えようよ」くらいのメッセージではあったのかも知れませんが。

 

彼女が楽曲やPVであえてタブーをおかして見せるのは、社会で生きやすいようにすっかり飼いならされ、自分の人生を生きていないように見える人々に向けて、「演じている自分像がほんとうに自分自身なのか、心の中に作ったタブーを破ってもう一度見つめ直してみな」ピシッ!ピシッ!( ・`д・´) ということなのではないかと。

 

椎名林檎の歌詞は、ムツカシイ言葉を使うわりにはそれが正しい日本語の用法とは違っていたりします。 私はそこに魅力を感じるのです。テストで高得点を取るための勉強をしすぎてしまうと絶対書けないやつです。

彼女が敬愛する浅井健一(私も大好きです)の日本語もちょっとヘン。万人にとって正しい言葉でなくても、自分自身にとって正しい言葉だからこそ、そこにリアリティが感じられるんですよね。

 

紅白について書くはずが、椎名林檎のことばかりになってしまいました。 トリを務めたサザンオールスターズのステージもなつかしくて楽しかったなー。 紅白、また10年後くらいに観てみようかな(≧▽≦)

 

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「やし酒飲み」を読み、ブルース映画を2本。あと同窓会!

  • 2019.01.16 Wednesday
  • 17:53

 

日曜日、本来は週に一度のサイクリングの日なのですが、こないだの日曜は夕方の早い時間から鍼灸専門学校時代の同窓会が予定されていたのでお休み。 その代わりすこし早めに家を出て、映画を観ることにしました。

 

映画は、元旦に「サイドマン スターを輝かせた男たち」(邦題)を観たときに次回上映のポスターを見てそそられた「I AM THE BLUES」と「約束の地、メンフィス」の2本連続上映。 コテコテのブルース映画です。 どちらも以前に公開された映画ですが、音楽の映画ですしDVDで観るのもねえ(^^;

 

W.Cハンディによってブルースという音楽が発見されたのは、1903年ミシシッピー州のタトワイラー駅だったとされています。「I AM THE BLUES」は、そのタトワイラーにあるジュークジョイント(黒人専用安酒場)に集う、年老いたブルースマンたちの昔話や即興のセッション。2017年に83歳にして初めてグラミー賞の最優秀トラディショナル・ブルース・アルバムを獲った現役ブルースマン、ボビー・ラッシュの日常に密着したインタビュー。あと往年のブルースマンたちの同窓会的セッションの様子などで構成されており、とても味わい深い映画でした。 撮影のあと封切り前に亡くなったミュージシャンが何人も、、R.I.P

 

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「約束の地、メンフィス」は、メンフィスにあったソウルミュージックのレーベル、スタックス・レコードに所属した往年のビッグネームたちと、ヒップホップなどで活躍しながらも地元の大先輩たちへのリスペクトを忘れない若いミュージシャンたちのセッションの様子が中心です。こちらもいい映画でした。メイヴィス・ステイプルズがかっこ良かったなあ。

 

 

 

 

 

映画に向かう電車の中では、エイモス・チュツオーラの「やし酒飲み」を読了しました。 1952年に出版されてアフリカ文学を世に知らしめた作品です。 ヨルバ人の伝承に基づいたアフリカ的マジック・リアリズムの傑作と言われる本書ですが、これはヤバいやつでした。 ぶっ飛んだ感覚で書かれた小説はわりと好物な私ですが、これはかなりしんどかった。 どうやって感じればいいのか分からなかったので人さまの書評を読んでもみましたが、どれもこねくり回した理屈をひねくり回したものばかり。 やっと腑に落ちた書評は朱雀正道さんのものでした。

「チヌア・アチェベやベン・オクリを知性と自意識、表現の戦略をそなえた岡本太郎に喩えるならば、対するチュツオーラはいわばジミー大西である。すなわち天然であり、自分のやっている表現が社会的にいかなる意味をそなえているかに対する考察も自意識などなにもない、ただひたすらあらかじめ爆発しているのである。」

納得でした。 私はジミーちゃんは大好きですが、174頁にわたって彼の芸術と向き合うのはキツかった(^^;

 

 

冒頭に書いたようにこの日の〆は同窓会。 私たちのクラスは当時からみんな兄弟みたいでプライベートでもとても仲良しでした。 卒業してから30年ちかく経つのにノリは当時のまま。 楽しかったなあ。またやろうね(^^)

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元旦に映画館って何十年ぶりだろう

  • 2019.01.03 Thursday
  • 14:50

 

あけましておめでとうございます。

いっこ前のお正月もそうでしたが、今年もおだやかなお天気が続いていいお正月になりましたね。

 

さて、子どもたちもすっかり大人になってしまったわが家では、家族それぞれが好きなように過ごすスタイル。 私はといえば元旦には遅寝してベッドの中からリモコンをゴソゴソ。ニューイヤー駅伝のチャンネルを探したあと、スマホの通知を確認して初めて今日が自分の誕生日だったことを思い出しました。 フェイスブックで最初に誕生日のお祝いメッセージをくれたのは、日本でいちばん好きなブルースギタリストの方。 これは何かのサインだと虫が知らせました。というのも、暮れのうちから観たい映画リストに入れていた「SIDE MEN」はコテコテのブルース映画。 どうやらこれを観に行けという天の思し召しにちがいない(≧▽≦)

 

映画はブルースの巨人、マディ・ウォーターズのバンドでピアノを弾いたパイントップ・パーキンスとドラムのウィリー”ビッグアイズ”スミス。 あとハウリン・ウルフのバンドのギタリスト、ヒューバート・サムリンの3人の彼ら自身による回想と、キース・リチャードやグレッグ・オールマンなど、彼らを敬愛する現役ミュージシャンたちの感謝の気持ちがこもったインタビューで構成されています。

 

ブルースがもとになって生まれたロックやポップスに大きな影響を与えた彼らですが、80年代に入るとブルースは過去の物として忘れ去られます。 たちまち彼らの生活は苦しくなり、生きる意味をも見失いそうになります。 しかしブルースを必要とする時代は繰り返しおとずれるわけで、2000年代に入るとまたまた若いミュージシャンたちがブルースマナーを取り入れた音楽を発信するようになります。 そして2011年のグラミー賞ではパイントップとビッグアイズのアルバムがトラディショナル・ブルース部門で表彰されることに。 ずっとサイドマンで日の目を見ることのなかったパイントップは受賞したその年に97才で亡くなってしまうわけですが、亡くなる直前に撮られたと思われるインタビューは、サイドマンらしくおだやかな物腰でありながら、端々に皮肉と誇りが伺える味わい深いものでした。

 

ブルースは音楽的には素朴きわまりなく、それほど発展の余地はないのかも知れません。 しかし、楽曲としての完成度よりもパフォーマー自身の呪術師的な魅力が表現されるのがブルース。 聴く者の身体を揺すり、陶酔の世界へ誘います。

おそらくいつの時代もこの呪術的なサインを感じることができる者が一定数存在するので、ブルースはこの世から消えてなくなることはないでしょう。まるで亡霊のように(^_^;

 

ミシシッピデルタのプランテーションでの重労働など、過酷な少年時代を過ごしたパイントップの皺だらけの顔を見ながら、本編の中の「生き残った者がブルースを歌うのだ」という言葉を思い出しました。

 

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山野さんのヴァイオリンと合奏!

  • 2018.12.17 Monday
  • 17:45

 

いつも拙ブログにコメントを下さる患者さまの山野さん。 ヴァイオリンの練習で傷めた手関節の治療のために初めて当院されたのが5年前。 来院されるたびに音楽や文学のほか、歴史、政治、哲学などについて、未熟者の私の問いかけにいつもやさしく辛抱強く答えて下さいますので、すこしは私も教養が身に着きそうなものですがそこは相変わらずザンネンなままで、、(^^;

 

まもなく卒寿を迎えられる山野さんですが、若い頃からクラシック音楽が好きで手許にはいつもヴァイオリンを置いていたものの、70才まで某大学で教鞭を執っておられたこともあり、腰を入れて練習する時間が取れなかったとのことです。 そこから指導者に師事して猛特訓。今でも年に数度の発表会に向けて練習に余念がありません。

 

先日のこと、山野さんから「お昼休みに合奏などいかかがでしょう」とお誘いをいただきました。  曲は「聖夜(きよしこの夜)」「ブルー・ハワイ」。 なんとウクレレの楽譜まで用意して来て下さいました。 そして先週の金曜日の昼休み、私と同時期にウクレレを始めたスタッフ女史も交えて3人で初のお手合わせと相成りました。 3人ともそれほど練習時間が取れなかったこともあり、それぞれに満足のいかない部分はあったものの、何しろメチャメチャ楽しかったんです!(*^_^*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

35年ぶりのライブ

  • 2018.11.27 Tuesday
  • 15:25

 

今年のはじめ頃、学生時代に所属していた音楽サークルの仲間たちがLINEでつながりました。 中にはもう40年以上会っていない仲間も居て10人以上のグループトークはかしましく捗り、気がつくと未読のトークが数十件に及ぶことも。 そのうちに今年還暦を迎える1期上の先輩たちのお祝いライブをやろうという話が持ち上がりました。 当初は実現するのか半信半疑でしたが、なんとこの土曜日に、予想を上回る参加者たちによってほんとに開催されてしまったのです。

 

場所は学芸大学駅近くの「チェロキー・ライブタバーン」。 ライブと言っても、身内や縁の方たちだけの貸切りですので気楽なノリ。 出演する予定がなかった仲間も、みんなに背中を押されると自然と弾いたり歌ったりしたくなる雰囲気に。 そんな空気が出来上がってしまえばもう楽しさは加速するばかりです。

 

私も以前に少しだけかじったことのあるウクレレを引っぱり出して、この1年そこそこまじめに練習しました。

主役である還暦世代の先輩たちの前座で場をあたためるべく気合を入れてステージに上がりましたが、大勢の人の前で演奏する感覚なんてすっかり忘れており、ガッチゴチに。 ミストーンや走りまくるテンポ。 それでも客席から煽ってもらったり励ましてもらったりして楽しく自分の出番を終えました。

 

ライブを終えたあとは学生時代の”庭”だった三軒茶屋に移動。 二次会はカラオケボックスとのことでしたが、なんと幹事さんは深夜0時から朝5時まで予約してありました(@_@) バンドで出演した先輩などは、午前中のスタジオ・リハからビールを飲み続けなのに、キッチリ朝まで歌い続けていましたっけ。 ツェッペリンから演歌まで、まったく途切れることのない大合唱で5時間歌いっぱなしでした。

 

卒業してから35年。 みんな還暦あたりに差しかかり、社会における主役はつぎの世代にゆずる頃。 責任が軽くなったように思いがちですが、それは早計。 これからは次の世代の負担にならないよう身体と心を健康に保って、ピンピンコロリの準備に入らねばなりません。 この週末に過ごした時間は身体にはサイテーでしたが、心にはサイコーの栄養になりましたとさ!

 

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先に帰った人は写っていませんが、20人以上の仲間が参加しました。

 

 

 

 

 

 

百年の孤独

  • 2018.11.21 Wednesday
  • 15:39

 

同名の焼酎のハナシではありません。 ずっと前から読もう読もうと思いながら、なかなか手を着けられなかったガブリエル・ガルシア=マルケスの「百年の孤独」。 やっと読了しました。

1967年に発表されるや世界中にラテンアメリカ文学ブームを巻き起こし、20世紀文学の最高傑作のひとつと言われたこの作品。 いつも次に読む本の候補には挙げつつも、自分自身のコンディションが調ったときに取っておこうと先延ばしにして来ました。

 

やはりすごい作品でした。和訳だと473頁。私の通常ペースなら3日もあれば読み終われるボリュームなのですが、読み進むのためにかなりのエネルギーが必要なので1日に30〜40頁が精一杯。結局2週間ちかく楽しみました。

 

南米の架空の街「マコンド」を開拓した一族6世代の物語。 彼らの屋敷を中心に現実と非現実が混在する不思議な世界が展開します。 読んでいる自分も19世紀〜20世紀にかけての南米、熱帯特有の熱気と狂気に近い旺盛な生命力に満ちた濃密な空気の中に身を置いた気分になって、気分は高揚するのですがちょっと息が上がる感じ(^^;

 

この作品を読み進むうちに、ふと既視感にとらわれました。 30年以上前に「夏の朝の成層圏」を読んで以来、長編はぜんぶ読んでいる池澤夏樹が書く小説の空気感によく似ていたのです。 読後に知ったのですが、どうやら池澤夏樹本人が、「本書を読まなければ ”マシアス・ギリの失脚” は書けなかった」と言っているくらい強い影響を受けたようです。やっぱしか〜(^^)

ほかにも、阿部公房、大江健三郎、筒井康隆、村上春樹など、ガルシア=マルケスの ”魔術的リアリズム” の影響を受けた作家はたくさんいるみたいですね。

 

あとがきによると、ガルシア=マルケスは本書の出版後に42の矛盾点に気づいたそうですが、あえて加筆・訂正はしなかったそうです。「なぜならそれは本書の連続性を失わせることになるから」とのこと。だいたい少々矛盾していても、もともとのハナシがぶっ飛んでいるので、細かいことはどうでもいい感じ。

 

奔放な性の描写や中南米特有の楽天的な死生観は刺激的。 物心つく前から社会で生きるためのがんじがらめの刷り込みを繰り返され、自分が窮屈な人生を生きていることにさえ気づけない日本人にはまぶしく映ります。 この本を読んで「いままで騙されてた!」と気づく人がいるかも知れませんヨ(≧▽≦)

 

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今さらですが「カウンティング クロウズ」気に入ってます

  • 2018.11.08 Thursday
  • 16:01

 

何回か前の更新でご紹介させて頂いた名栗みちの「Cafe やまね食堂」。 その後再訪したときに店内でかかっていたアメリカンなロックがすっかり気に入ってしまって、ここのところ毎日聴いています。

 

「カウンティング クロウズ(Counting Crows)」

CDを聴きながらご店主からバンド名を教えて頂いたとき、枯れかけたアラ還のイマジネイションの泉にぐるぐると渦が巻き始めました。 勝手な想像ですが、その名が「何かを生み出すでもなく、何かを攻撃するでもなく、ただ、世界のあるがままを観察するんだ」というバンドの姿勢の表れのように感じられたのです。

 

’70年代初頭、ロックという音楽が生まれてそれほど間もない頃に音楽に目覚めた私は、思春期の繊細な感受性や暴力衝動をロックを聴いたり演奏したりすることで増幅させたり発散したりして成長しました。 しかし、レコードやCDの制作技術のみならず、表現の手法にまでテクノロジーの波が押しよせると、そのリズムやメロディーに心は動いても、生の空気を震わせて作られたそれまでの音楽のように、本能的な部分で音を感じ取ることが出来なくなってしまいました。

以降はすっかり新しい音楽を追いかけるモチュベーションを失ってしまい、ふだん聴く音楽も打ち込み成分の少ないジャズや古いブルースなどがほとんどでした。

 

 

さて、音楽を言葉で語るのは無粋なことではありますが、批評するわけではなく「こんな風に好きなんだ」っていうのはアリですよね(^^;

 

カウンティング クロウズの音楽は、カントリーやブルースなどのアメリカの伝統的な音楽をベースにしているので、私たちの世代には馴染みの音作り。 バンド全体のトーンにもボーカルのアダム・ドゥリッツの声にも強い説得力を感じます。 とは言え私は英語が得意ではありません。 まぁ、もともと私は和物でも洋物でも歌詞の内容はろくに聞いてないので無問題。 きほん音楽は動物的に理解したいので非言語情報のほうが圧倒的に重要なのです。 意味が限定されてしまう言葉なんてオマケでいいのかなと。 それでも一応つたない英語力で歌詞を拾い読みしてみました。 バンド名から想像した通り歌詞は私的で日常的で且つ抽象的。 もちろんボブ・ディランやニール・ヤングのような挑発的な表現などまるでありません。 時代の空気感がよく反映されているように思いました。

 

下の写真は1993年のデビューアルバム「August And Everything After」のジャケット。 youtubeで検索すると、明らかなヒット狙いの「Mr.Jones」は再生回数がなんと1億回を超えていて2重にびっくりしました。 そんな大ヒット曲を今まで知らなかった自分に対してと、もうひとつはこんな昔ながらのアメリカンなロックがヒットしたことに対してです。

 

今の時代にこんなスタイルのバンドが売れたと知ってちょっと、いや、かなりうれしくなりました♡

 

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へっぽこウクレレ。録画してみました

  • 2018.10.17 Wednesday
  • 11:35

 

ウクレレを再開してあと2ヵ月で1年になります。 7〜8年前、初めてウクレレを購入したときには半年くらいで飽きて弾かなくなってしまいましたので、今回はわりと長続きしてます。

というのも、来月下旬に予定されている学生時代の音楽サークルのライブでは、なんとトップバッター(前座とも言う)で演奏させて頂くことになっており、練習しないわけにはいかないのです(^^;

 

今年のお正月のこと、しばらくぶりに弾いてみるかとウクレレを構えたとき、以前覚えた曲の運指がただのひとつも出てこないことに愕然としました。 私は五線譜が苦手なので脳で運指を記憶するしかないのですが、なにせアラ還の脳ミソ。それこそ指からこぼれ落ちる砂粒のようにはらはらと、、

 

それでもYoutubeなどの動画で気に入った演奏を見つけては、また一からパズルでも組むように目コピを続け、今では15曲ほどの運指がどうにかこぼれ落ちないで脳の中に収まっています。 残念ながら身体の使い方がヘタなので、弾いても弾いてもガチゴチに固い演奏になってしまって一向に上達しませんが(>_<)

 

数日前、ふと思い立って昼休みに録画してみました。どれもライブの本番では演らない曲です。

何度か撮りなおしましたが、カメラに見られていると、手なぐさみでぼんやり弾いているときにも増してひどい演奏になってしまいます。 ライブで活躍しているピアニストの患者さまに話してみたところ、「録音・録画は客前で演るよりヤバイですよ」とのこと。

ちょっと慰められましたが、まぁヘタクソなことには変わりありません(^^;

本番に予定している曲はもっと難易度の高いものばかり。さてどうなることやら、、

 

 

 

 

 

 

 

 

この曲は元ネタの動画からTAB譜がダウンロードできたので助かりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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