「FACTFULNESS」

  • 2020.07.02 Thursday
  • 12:06

 

練馬区立図書館から「資料がご用意できました」とのメールが届きました。最近は何も予約した覚えがないので「???」な感じで開いてみると、その資料とは世界的なベストセラーで、昨年1月に日本版が出版されたハンス・ロスリングの「FACTFULNESS」でした。図書館ではこの本を10冊も蔵書しているのですが予約が相当数にのぼっており、通知が来るまでに1年以上が経過。とっくに予約したことを忘れていました。

 

結論から言うと、かなりおもしろい本でした。

 

冒頭には13問のクイズが用意されており、どれも現在の世界の状況についてのものです。このクイズはネットで公開されており、各国のテレビ放送でも取り上げられたようですから、内容をそのまま引用させてもらいます。

 

質問1.現在、低所得国に暮らす女子の何割が、初等教育を修了するでしょう?

A.20% B.40% C.60%

質問2.世界で最も多くの人が住んでいるのはどこでしょう?

A.低所得国 B.中所得国 C.高所得国

質問3.世界の人口のうち、極度の貧困にある人の割合は、過去20年でどう変わったでしょう?

A.約2倍になった B.あまり変わっていない C.半分になった

質問4.世界の平均寿命は現在およそ何歳でしょう?

A.50歳 B.60歳 C.70歳

質問5.15歳未満の子供は、現在世界に約20億人います。国連の予測によると、2100年に子供の数は約何人になるでしょう?

A.40億人 B.30億人 C.20億人

質問6.国連の予測によると、2100年にはいまより人口が40億人増えるとされています。人口が増える最も大きな理由は何でしょう?

A.子供(15歳未満)が増えるから B.大人(15歳から74歳)が増えるから C.後期高齢者(75歳以上)が増えるから

質問7.自然災害で毎年亡くなる人の数は、過去100年でどう変化したでしょう?

A.2倍になった B.あまり変わっていない C.半分以下になった

質問8.現在世界には約70億人の人がいます。世界の各大陸ごとの人口分布を正しく表しているのはどれでしょう?

A.アジア40億人・アフリカ10億人・ヨーロッパ10億人・アメリカ10億人

B.アジア30億人・アフリカ20億人・ヨーロッパ10億人・アメリカ10億人

C.アジア30億人・アフリカ10億人・ヨーロッパ10億人・アメリカ20億人

質問9.世界中の1歳児の中で、なんらかの病気に対して予防接種を受けている子供はどのくらいいるでしょう?

A.20% B.50% C.80%

質問10.世界中の30歳男性は、平均10年間の学校教育を受けています。同じ年の女性は何年間学校教育を受けているでしょう?

A.9年 B.6年 C.3年

質問11.1996年には、トラとジャイアントパンダとクロサイは絶滅危惧種として指定されていました。この3つのうち、当時よりも絶滅の危機に瀕している動物はいくつでしょう?

A.2つ B.ひとつ C.ゼロ

質問12.いくらかでも電気が使える人は、世界にどのくらいいるでしょう?

A.20% B.50% C.80%

質問13.グローバルな気候の専門家は、これからの100年で、地球の平均気温はどうなると考えているでしょう?

A.暖かくなる B.変わらない C.寒くなる

 

回答

質問1.C 質問2.B 質問3.C 質問4.C 質問5.C 質問6.B 質問7.C 質問8.A 質問9.C 質問10.A 質問11.C 質問12.C 質問.13A

 

2017年に14ヵ国、12,000人に行ったオンライン調査では、最後の地球温暖化の質問を除けば平均正解数はたった2問。全問正解者は1人もいなかったそうです。医師、大学教授、著名な科学者、投資銀行のエリート、多国籍企業の役員、活動家、政界のトップ、本職のジャーナリストの大多数までもがほとんどの質問に間違ったそうです。かえって、いわゆる ”意識の高い人” ほど思い込みの罠にハマりやすいのだとか。

 

私もこのクイズに惨敗して、事実を正しいかたちで認識するのは、じつはそんなに簡単ではないことを思い知らされました。

なぜそんなことが起こるのでしょう。どうやら私たちは本能的な、あるいは刷り込まれた思考のパターンや、その思考パターンを巧みに利用するメディアの偏った報道が原因で、事実をよりドラマチックに理解しようとしてしまうらしいのです。この本では、そのほかにも事実を誤認する原因として考えられるいくつかの理由と、その対策を紹介しています。

 

「FACTFULNESS」とは、「データを基に世界を正しく見る習慣」のこと。

著者のハンス・ロスリングはスウェーデン出身の医師で公衆衛生学者。医師として、アフリカでのコンゾやエボラ出血熱のアウトブレイクに力を注いだほか、インドその他でも活躍し、WHOやユニセフその他の機関のアドバイザーを務めました。

2012年には、”世界で最も影響力のある100人”に選ばれたりもしています。

その彼が、協力者でもある息子夫婦とこの本を書こうと決めたのは2015年9月。その翌年2月に彼は末期の膵臓がんを宣告されます。余命は2〜3ヶ月。彼は宣告を受けたその週のうちに、世界中で予定されていた67の講演をすべて断り、この本の執筆に集中しました。そこまでしてでも彼が世界中の人に伝えなければならないと感じていたことが、ここに書かれているのです。

読んでみて、この本の評価が高い理由が分かりました。

 

 

 

 

 

 

 

映画「だってしょうがないじゃない」

  • 2020.06.10 Wednesday
  • 12:34

 

今年のはじめの頃、単館系映画好きの患者さまから薦めて頂いたのが、「だってしょうがないじゃない」という作品でした。。

自らADHD(注意欠陥多動性障害)の形質に苦しんでいた映画監督の坪田善史が、親戚のおじさんである広範性発達障害の「まことさん」との3年間にわたる交流を描いた作品です。

ただ、患者さまから教えて頂いたときにはもう各館とも上映が終了しており、残念ながら私は同作を観ることができませんでした。

ところが、先日その患者さまが久しぶりに来院され、コロナ禍の中で各映画館が通常営業できない中、ミニシアターの”ユジク阿佐ヶ谷”が「仮説の映画館」として同作をオンライン配信していると教えて下さったのです。

 

さっそく観てみました。

 

1957年生まれのまことさんは、中学を出てから職を転々としてきましたがどれも長くは続かず、20代の頃には最後の職業だった自衛官をやめて、以降は藤沢市辻堂の実家で40年間お母さんとふたりで暮らしてきました。そのお母さんが数年前に亡くなり、後見人となった叔母さんが彼の形質に気づいて精神科を受診して初めて広範性発達障害との診断を受け、障害年金や福祉の支援を受けられるようになりました。

 

彼とはそれほど近い縁ではない監督の坪田でしたが、まことさんの母の葬儀に参列した父から彼の存在を聞き、40才を過ぎて精神的な不調の苦しんでいた自分の生きるヒントを得ようと、まことさんに会いに行ったのがこの映画を撮るきっかけでした。

 

映画の冒頭、坪田がはじめてまことさん宅を訪れたとき、ふたりの距離感はまさしく初めて会う遠縁の親戚同士というビミョーなものでした。映像も坪田自身がスマホで撮ったプライベートな動画レベルのもの。しかしまことさんに会って、彼の中だけに流れる時間があり、彼だけに見える世界があることを知り、坪田はまことさんのもとを頻繁に訪れるようになります。もちろん映画監督として「これは作品として成立するな」という打算もあったでしょうが、まことさんに会うことが坪田にとって自分の人生を見つめ直すヒントになり、救いになっていったのです。まことさんにとっても坪田は色眼鏡なしに親身に話を聞いてくれる大切な友人となり、彼の訪問を心待ちにするようになりました。

 

まことさんのことは親戚の人々がいつも気にかけていますし、障害者基礎年金・相談支援専門員・掃除ヘルパー・買物ヘルパー・傾聴ボランティアなど、福祉やボランティアの助けもあって、どうにかひとりで暮らせてはいます。しかし、風の強い日にポリ袋をいくつも飛ばして、その動きを楽しんでいるうちに近所から苦情を受けたり、玄関先でマッチを擦ったときの火がおもしろくて何本も燃やしていることで周りをハラハラさせたり。身内やご近所からすれば心配なことが多いのも事実です。そして、坪田がまことさんの元を訪れるようになって3年目、土地の権利の問題で独居を続けていくことが難しくなり、ついに施設へ入居する相談を始めざるを得なくなりました。

 

映画では、まことさんの日常の大変さに寄り添いすぎて観客が少しつらい気持ちになりかけると、効果的なタイミングでちょっと調子っぱずれなトロンボーンのソロが流れて、気持ちがほっこりします。

 

 

発達障害の勉強をするにつれ、自分自身にも符号する要素が多いことに気づいた私は、発達障害児の音楽療法サークルを主宰されている患者さまにそのことを話したところ、「え!先生今ごろ気がついたの?」との反応。学生時代の先輩で、同じく発達障害児の施設を運営する方にも同じことを言われました。精神科を受診したわけではありませんが、ほぼほぼADHDでビンゴだと思っています。

振り返ってみると、たしかに子どもの頃から健常者のコミュニティの中ではちょっと”浮く”こともしばしばでした。しかし形質はそれほど強いものではなく、成長とともに発現が穏やかになって行ったこともあって、少しの生きにくさを感じつつも一般社会に受け入れてい頂いてどうにかここまで過ごして来れました。ほんとうにありがたいことです。

 

坪田はインタビューで「発達障害自体が、生活に支障をきたせば障害です。それが個性としてとらえられる部分もある。障害をひとつの特性、個性として、今まで自分がやってきた表現行為につなげて、オリジナルの世界観をつくっていきたい」と話しています。

私自身も、自分に固有の視点が存在することを感じています。この先も「ちょっと変わった人」としての人生を楽しんで行きたいと思っています。

 

最後に、評価の高かった坪田の前作「シェル・コレクター」に主演した俳優のリリー・フランキーが、この「だってしょうがないじゃない」に寄せたコメントが心に残ったのでそのまま引用させて頂きます。

「幸福というものを求めて、前に前にと歩んできた僕らは、もしかしたらとっくにその場所を通り過ぎていたのかもしれない。この映画を観て、何故だかそう思った。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旧作映画な日々(その11)

  • 2020.05.12 Tuesday
  • 11:40

 

時節柄、どうしても家に居る時間が長くなりますので、アマプラで鑑賞した映画はここ1ヶ月で20本近くに上ります。

東京都の一日の感染者数が200人を超えて不安な気持ちが強くなった頃には、ドンパチ物のアクション映画でストレス解消していましたが、やはり飽きました(^^; ここのところの志向は、本来の自分の好みに合った作品に戻りつつあります。

 

 

 屮侫トグラフ〜あなたが私を見つけた日〜」

2019年の作品。日本では未公開のようです。

田舎の村から出てきて、インド・ムンバイのインド門前で観光客の記念写真を撮ることを生業とする主人公のところへ、会計士を目指す富裕層の女学生が現れて物語が始まります。昭和40年代頃の日本の街の風景や、当時の男女のおくゆかしさに通じるものを感じて、なんだか懐かしい気分にさせてくれる映画でした。

インドはいまだ格差の大きい社会。収入差はもちろん教育面の差も大きく、被差別カーストの識字率は66%に留まっています。ちがう階層に属するふたりの偶然の出会いは、本来その先に発展していくはずのないものでした。しかしふたりは、衝動的な恋愛感情というよりも、お互いの人格に対するリスペクトから惹かれ合うようになり、ついに階層の壁を乗り越えてしまいます。

主人公も会計士を目指す娘さんも、どちらも理系脳の設定ですので感情はほとんど表情に出ません。そこをどう酌むかがこの映画のお楽しみポイントかも知れません。

本編中に何度も登場するインドの国民車、ヒンドゥスタン・アンバサダー(1958〜2014生産)のタクシーが印象的でした。

 

 

 

 

◆屮僖拭璽愁鵝

2017年日本公開のアメリカ映画。監督はジム・ジャームッシュ。ひさしぶりに彼の映画を観ました。

思えば、1986年に日本公開された「ストレンジャー・ザン・パラダイス」は私にとって衝撃的な映画でした。当時の私は、大学を出てふつうにサラリーマン生活を送っていたものの、少々退屈で夜には港区あたりのクラブに出入りしたりしていた20代半ば。時代の流行りは自分たちが作っている、なんて感覚が仲間たちの間で共有されていたあの頃。モノクロの画面にスクリーミン・ジェイ・ホーキンスのクレイジーなシャウト。 奔放すぎる登場人物たちの生き方に共鳴したわけではありませんが、人生のつまらなさ、おもしろさをクールに表現したジム・ジャームッシュの感覚には一発でやられました。この映画、当時のアンダーグラウンド好きはみんな観てると思います。その後も彼の映画は6本ほど観ましたっけ。

 

キレッキレだったジム・ジャームッシュも60才を過ぎて”丸く”なったのか、「パターソン」では伝えたいことが穏やかなかたちで表現されています。 世界の中の自分を生きつつ、自分の中に世界を持っている人たちのお話。その自分だけの世界の価値を理解し、愛してくれる人がいることがどんなに幸せであるかを表現した映画。

ニュージャージー州の小さな街、パターソンのバスの運転手である物静かな主人公(アダム・ドライバー)は詩人でもありますが、作品は妻にしか見せたことがありません。妻もアートや料理、音楽などで自分を表現する楽しさを知る人。そんな主人公夫妻の何気ない日常を描いた作品です。好い映画でした。

 

 

 

 

 

 

「ベロニカとの記憶」

英米合作。2018年日本公開の作品。

この作品を観るちょっと前に、シャーロット・ランプリングが主演してアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた「さざなみ」を観たばかりでした。45年連れ添い、おだやかな日々を送る老夫婦。しかし、ある出来事をきっかけに妻の心にさざなみが立ちます。こちらもなかなか味わい深い映画でした。

 

今回の「ベロニカとの記憶」ではシャーロット・ランプリングは脇役です。しかし、ほかの映画と同じで彼女の存在感は圧倒的でした。

ロンドンで小さなカメラ店を営む60代半ばの主人公のもとに、彼が学生時代に交際していた相手(S・ランプリング)の母親が亡くなり、彼宛の遺品がある、との手紙が届きます。しかし、その交際相手とも学生時代に別れたっきり。なぜ彼女の母親から私に?遺品は何?というところからお話が始まります。静かにストーリーが展開していくドラマなのですが、主人公はいわゆるビミョーに空気が読めない人で、知らず人を傷つけてしまいます。若い頃は高い自意識によってその罪を意識しないまま生きて来ましたが、年齢とともに少しづつ周囲からの疎外感を受け容れざるを得なくなりました。

相手に悟ってもらえないほどの程度の軽い形質はほんとうに罪なもので、”ちょっとおもしろい人”と認識されて、友人や恋愛の対象として人間関係を持ってくれる人は多いものの、「あれ?」っと気づかれた瞬間から、あっという間に距離を取られるようになります。主人公の空気の読めなさの加減が、まさに自分に近い気がして、見ていて「アイタタタ!」という感じでした。

映画としては、とてもよく出来た作品でした。おすすめです。

 

 

 

テレビでの映画鑑賞、クセになると止まりませんよね。とは言え、早く映画なんか観てるヒマがない日常に帰りたいなー(^^;

 

 

 

 

 

 

「BIUTIFUL」。スペルはこれで。

  • 2020.03.31 Tuesday
  • 11:50

 

こうなったらもう、家でゴロゴロ映画でも観てるしかないじゃないですか(^^;

さて、とっくに書いたと思っていましたが、どうやら自分がイニャリトゥ作品のファンであることを書き忘れていたようです。

 

はじめて彼の映画を観たのは、2004年に日本公開された「21グラム」でした。

その後、監督作の「アモーレス・ペロス」「バベル」「BIUTIFUL」「バードマン」「レヴェナント:蘇りし者」はもとより、彼が制作として関わった「ルド&クルシ」「愛する人」と、日本公開された作品は劇場やDVDでぜんぶ観ました。

 

その中でも、私がいちばん好きなのが「BIUTIFUL」です。週末の外出自粛を受け、ひさしぶりにDVDを引っ張り出して観ました。

スペルは あえて「BEUTIFUL」ではないところに意味があります。主演はハビエル・バルデム。この人の演技を初めて見たのは、彼がアカデミー賞助演男優賞を受賞した「ノー・カントリー」でした。無表情のまま淡々と仕事を完遂していく殺し屋役のハビエル・バルデムの、まぁ恐ろしかったこと(◎_◎;)

 

その彼が、この「BIUTIFUL」ではスペイン・バルセロナの下町に暮らす2児の父親、ウスバルを演じています。

ウスバルは生まれた頃に相前後して父を失いました。苦しい少年時代を経て、今ではセネガルや中国からの不法滞在者たちのブローカーという非合法な仕事で生計を立てているものの、生活はカツカツ。家族で囲む夕食の食卓がシリアルだけのことも。妻は双極性障害で入退院を繰り返しており、躁状態のときにはウスバルの兄とも関係を持ったり、、学校にも通えなかったウスバルはある日、娘に「ビューティフル」のスペルを聞かれて「BIUTIFUL」と答えてしまいます。

そんな彼が余命2ヶ月の末期ガンを宣告されます。もちろん死の恐怖は感じつつも、残していかざるを得ない者たちのために奔走する彼。 ここまでネタバレさせても、ストーリー全般のほんの一部を紹介したに過ぎません。ほかにもスペイン内戦の傷跡、貧富の差、LGBT、汚職、さまざまな要素が盛り込まれており、それらが複雑に絡み合って、苦しい状況から抜け出せない中で懸命に生きる人々の姿が描かれています。

 

イニャリトゥはインタビューで、この作品は黒澤明の「生きる」からインスピレーションを得て撮ったと言っています。

1952年に公開された「生きる」は、事なかれ主義で生きてきた市役所の課長が胃ガンを発症して余命が半年足らずと悟り、残された時間を住民のために尽くして人生を終えるというお話。「生きる」も「BIUTIFUL」も、残された時間を自分以外の人々ために使い切るという意味では共通しています。違いをさがせば、「生きる」の主人公は家族との関係構築が苦手な人。せめて社会への貢献で自らの生きた証を残そうとして実際に成果を上げ、すこしの寂しさを伴う達成感に浸りながら最期を迎えるのに対し、「BIUTIFUL」の主人公はあらかじめ家族や近しい人に愛され信頼されています。彼はその人たちのために可能な限りの努力をするのですが、残念ながらすべてが裏目に。それでも愛され必要とされていると感じながら命を終えるのです。

イニャリトゥには、両方観た人にだけ分かるその対比でニヤッとして欲しいという狙いがあったのでは?と思わずにはいられません。

 

この映画に限らず、イニャリトゥの作品には見る者の死生観を問うものが多いように思います。自分や大切な人の死を受け容れることはとてもつらいことですが、それはいつか必ず訪れるもの。死を不吉なものとして遠ざけて過ごさず、いつも身近に存在することを前提に生きよう。そんなメッセージを感じるのです。そこには、イニャリトゥ自身が生まれてすぐの息子を亡くしたことが関係している気がします。あるいはアステカの時代から受け継がれたメキシコ人の死生観も反映しているのかも知れません。

 

困難な状況はもうしばらく続きそうですね。自分や家族の身体と心のコンディションをよく観察しながら、免疫力を上げて乗り切りましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

旧作映画な日々旧作(その10)

  • 2020.02.19 Wednesday
  • 17:14

 

年齢による男性ホルモンの分泌低下でしょうか、若い頃は見る気にならなかったテレビドラマを楽しみに観るようになりました。

しかし、年明けから始まった新しいドラマには食指をそそられるものがなく、仕方なしにアマプラ方面へ。

気づけばここのところ映画ネタが続いています。齢とともに冬は籠りがちになるのでそこはお許しください(^^;

 

いつもは硬軟織り交ぜるのですが、今回はちょっと真面目風味のが多めです。

 

 屮マールの壁」(2016年日本公開)★★★☆☆

パレスチナの自治区に住む固い友情で結ばれた3人の青年が、イスラエル当局の捜査官に利用されて葛藤し、お互い疑心暗鬼になりながら命をかけたギリギリの日々を生きるお話。

パレスチナで制作された映画ですが、ただパレスチナ人の苦しみの描写やイスラエルへの批判だけで終わらず、パレスチナの現在の状況を客観的な視点で捉えた作品です。 映画としても完成度も高さもさることながら、自分としては、ニュースでは見えてこないそこに生きる若者たちの日常を垣間見れたことに大きな意味がありました。

 

 

 

 

 

◆屮機璽澆侶譟廖2017年日本公開)★★★★☆

サーミ人とは、ラップランド地方、すなわちスカンジナビア半島の北部、およびロシアのコラ半島でトナカイを飼って暮らし、独自の言語を持つ先住民族です。1930年代にはまだ、スウェーデンにおいてサーミ人は劣等な民族として差別されていました。そこに生まれながら自らの運命を受け容れられず、故郷を捨てて父の形見の銀のベルトを売ったお金でスウェーデンの高校へ入学。差別を受けながらもたくましく生きて行く少女の物語。

監督のアマンダ・シェーネルはサーミ人の血を引いているとのこと。彼女の一族の中にも実際に民族としてのアイデンティティを変えた者と留まった者があり、両者は互いに話もしないのだとか。 多くの国に存在する少数民族存続にまつわる問題、そして主人公は思春期の少女。そのどちらかひとつでもデリケートな題材ですので、心して観始めました。

 

主人公の少女を演じたレーネ・セシリア・スパルクと妹のミーア・エリカ・スパルクは、実際にトナカイの放牧をして暮らすサーミ人です。ふたりは、そこに立つだけですでにラップランドの雄大な自然の一部のように感じられますし、もちろんトナカイの扱いも慣れたもの。そしてその地で思春期を迎えた主人公の少女の繊細な心の変化も彼女たち自身が経験済みでしょう。差別やコンプレックスと闘う少女の葛藤を描くのもこれまた女性の監督ですから、その心理描写は男の私などには思いもよらないもの。つい胸が苦しくなってしまって、途中で何度も休憩してやっと見終えました。女性は共感するところが多い映画だと思います。

 

 

 

 

 

「魔女と呼ばれた少女」(2013年日本公開)★★★★☆

今なお続く、コンゴ民主共和国の政情不安(ほぼ内戦状態)の犠牲になっている子供たちの姿を描いた作品です。

コンゴはアフリカの国々の御多分にもれず、豊富な資源の利権獲得を目論む先進国の干渉がきっかけとなって何度も内戦が起こり、なかでも1998年から2009年までの紛争による犠牲者は540万人に上り、40万人以上の女性がレイプされたとのこと。

対立する部族の集落を襲い、大人を皆殺しにして子供たちを連れ去るのですが、その際には子供に自分の親を殺させるのが常套手段。 以前レビューした南スーダンでの実話を映画化した「マシンガン・プリーチャー」でも同じようなシーンがありましたっけ。

この映画でも主人公の少女が両親を自分の手で殺すことを強要されるところから始まります。

 

主人公を演じるラシェル・ムワンザは、偽預言者に「この娘は魔女だ」とそそのかされた母親によって捨てられ、首都キンシャサのストリート・チルドレンとして生きていたところを拾われてこの映画の主役に抜擢されたのだとか。ほとんど表情を見せない彼女の仮面の下に隠された哀しみを感じるためだけでも、この映画を観る価値があると思います。

 

 

 

 

 

 

ぁ屮茵璽茵次Ε泙販垢垢襯轡襯ロード」(2017年日本公開)★★★★☆

チェロ奏者のヨーヨー・マが、1998年に立ち上げた「シルクロード・プロジェクト」のドキュメンタリー映画。

幼い頃から”天才”ともてはやされたヨーヨーですが、あるとき「君の音楽には声がない」と言われたことでアイデンティティが揺らぎ、自分自身の音楽のルーツを探るうちに、ある着想を得て始めたのがこのプロジェクトです。

 

スペイン・ガリシア地方からシリア、イラン、中国、日本など、シルクロードでつながる西洋・中東・東洋のさまざまな国の伝統音楽の奏者を集めて立ち上げたプロジェクトなのですが、音楽家たちの出身国はそれぞれ政治的にいわくつきの国が多く、それでも表現者としての使命感で困難を克服していった彼らのプロフィールを紹介する映像には心打たれました。中でもイランの伝統楽器ケマンチェの奏者ケイハン・カルホールと、中国の琵琶(ピパ)奏者ウー・マンの回想映像は特に印象的でした。また、ケマンチェと琵琶はどちらも振幅の大きな弦楽器。その大きな揺らぎが時空をたわませて独特な世界へいざなってくれるようで、不思議な魅力を感じました。

 

 

 

 

 

 

ァ屮汽ロモンテの丘 ーロマの洞窟フラメンコー」(2017年日本公開)★★★★★

以前使われていた”ジプシー”という言葉は、もともと国を持たずに移動型の生活をする人々を差して使われた蔑称で、そのほとんどはロマ人(北インド→ペルシャ→ヨーロッパへ広まった)。今では以前ジプシーと呼ばれた人をきちんと”ロマ”と表現するのが一般的です。

スペイン・アンダルシア地方・グラナダ県サクロモンテ地区。かつて政治的・宗教的迫害を受けていたロマの人々は、この地の石灰岩の岩肌に洞窟を掘って貧しく暮らしていました。そこで生まれたのが洞窟フラメンコです。その情熱的なフラメンコの歌や踊りは20世紀半ばに世界的な注目を集めるようになりました。作曲家のドビュッシーやマヌエル・デ・ファリャなどもフラメンコに魅了された人たちです。

サクロモンテの丘がフラメンコの聖地になっていった歴史を、そこに身を置いていた老シンガーやダンサーたちが語り、また実際に歌い、演じています。ヒリヒリと素肌に伝わってくる野性的な熱情。 劇場や都市のタブラオで見るきらびやかな衣装のフラメンコも素晴らしいのですが、客に見せるのではない日常生活の中にある普段着のフラメンコに、かえって凄みを感じて鳥肌が立ちました。

 

ほかにも何本も観たのですが、紹介しきれませんので今日はこのへんで(^_-)

 

 

 

 

 

 

 

ハリー・ディーン・スタントンis「ラッキー」

  • 2020.02.12 Wednesday
  • 11:31

 

1985年に公開されたヴィム・ヴェンダースの「パリ・テキサス」は大好きな映画です。 本編のDVDはもちろん、音楽を担当したライ・クーダーのギターも素晴らしいので、サウンドトラックのCDまで持ってます。主演はハリー・ディーン・スタントン。それほど有名な俳優ではありませんが、その味わい深い演技はとても印象的で何度も観ました。

 

そのハリー・ディーンが91才で亡くなる前年に撮られた映画「ラッキー」。 日本公開のタイミングは承知していたのですが、うっかり見逃してしまっていました。「でもまぁ、そのうちプライムビデオで観れるだろう」と気長に待っていたら、ついにアップされました。

 

アメリカ中西部に暮らすひとりの老人の日常を描いた映画です。 その老人の人生はまさしくハリー・ディーンの人生そのもの、タバコを吸い、ヨガをたしなみ、音楽やクイズ番組が好きで生涯独身の無神論者。海軍の調理兵として沖縄戦にも参加した経歴まで同じです。劇中でラッキーが出会う人やエピソードも、ハリー・ディーン自身の人生からヒントを得て書かれたとのこと。 監督を務めたジョン・キャロル・リンチ自身もハリー・ディーンの友人であり、「この映画はハリーへのラブレター」だと言い切っています。

 

監督のインタビュー、「一人の男が自分をどう見つめ、神や天国という“第二幕”といった安心材料なしで生きる姿を描きたかったんだ。ハリーの人生はまさにそうだった。」

 

ラッキーの毎日は、朝起きてから眠るまでほぼ同じルーティーン。 こまかいことにこだわりが強く、一般には”頑固者”とか”変わり者”と呼ばれるタイプの人です。 ひとが不愉快に感じるかも知れないと思いながらも、思ったことは口に出さずにはいられません。

そんな彼ですが、ダイナーのスタッフや食料品店の店員、病院の看護師、行きつけのバーの常連客など、日常触れ合う人々から何かと気にかけてもらっています。 それほどいい人と認識されているわけではありませんが、いわゆる”ほっとけない人”なのです。「ひとり暮らしと孤独はちがうよ」などとうそぶいて、自分流に生きていながら人から愛される。自分にも人さまにも常に誠実であることを周囲も理解してくれているのでしょうね。

 

そんな彼ですが、ある日自宅でめまいを起こして倒れてしまいます。その出来事以来、それまで遠ざけて過ごしてきた自らの死を意識するようになり、死や人生そのものを哲学的に考えるようになりました。

 

すっかり心細くなってしまった彼を支えてくれたのも、彼を取り巻く町の人々。いつものダイナーで出会ったある人との会話をきっかけに、どんな出来事でも微笑んで受け容れようと覚悟が決まります。

 

仕事がら、私も高齢の方たちと触れ合って30年。自分が目指すべき高齢者像がはっきり見えて来ました。 それは若い人たちに可愛がってもらえる年寄りになること。 自分も幸せにすごせるし、周りの負担も小さくなります。 もちろん、ただ若い人に媚びれば良いということではなく、彼らのチャンネルに合わせてコミュニケーションを取るという意味です。 ラッキーのように持って生まれた愛されキャラでない限り、いくら誠実を心がけても自分流ではなかなか受け容れてもらえないのが現実。老境に差しかかった今、そろそろチューニングダイヤルを回すクセをつけておかねばです。

 

 

 

 

この映画を観てハリー・ディーンがミュージシャンであったことを初めて知りました。劇中の歌やハーモニカのレベルが素人のレベルではなかったので、ネットで検索しまくりました。 シブい、シブすぎる。こんなジジイになりたい!

 

本編中のハリー・ディーンのスペイン語の歌「VOLVER, VOLVER」

 

 

オマケ。2016年に行われたハリー・ディーンのアワード・ショウにジョニデが乱入(≧▽≦)

冒頭でハリー・ディーンの肩をポンと叩いてハケる紳士は、ハリー・ディーンの友人で映画監督のデヴィッド・リンチです。

 

 

 

 

 

 

向井理の第二のふるさとがカンボジアと聞き・・・

  • 2020.01.31 Friday
  • 11:55

 

治療中、患者さまに暮れのカンボジア旅行のことを話していたとき、「たしか、向井理もカンボジアが大好きなんですよ」とTBSで放映された「世界ウルルン滞在記」のことを教えて下さいました。

 

彼は2007年と2011年の2回、この番組(兼映画ロケ)でカンボジアを訪れたようです。 内戦終結後、目まぐるしく変化し続けるカンボジア。 今から10年前のカンボジアはどんな様子だったのか見てみたくて、その2回の放映分のDVDと、その出演が縁で主演した映画「僕たちは世界を変えることができない」をレンタル。一気に観てしまいました。

 

2007年当時25才だった彼は、アンコールワット観光で有名なシェムリアップにある地雷博物館へ地雷除去の勉強に来ていた農家のお父さんと出会い、「畑を手伝わせてください」と直接交渉してホームステイします。

このお父さんの家があるタイ国境に近い地域にはまだたくさんの地雷が残っており、その地雷除去の危険な仕事を続けてでやっと手に入れた畑の開墾を一週間お手伝いするという内容です。

 

向井は地雷除去作業にも同行し、発見された地雷の爆破にも立ち会います。 彼が到着する2日前にもすぐ近所の40代の男性が地雷除去作業中に亡くなったばかり。 彼もその方のお葬式に同行するのですが、そこには残された奥さんと3人の子どもの姿が。「昼には戻るから」と出かけ、自宅から500m先の購入したばかりの土地を整地しているときに地雷に触れてしまったのだとか。

こんなことが日常にある地域ですから、ホームステイ先の家族はアイポ(クメール語でお父さんの意)に早く危険な地雷除去の仕事をやめてもらいたいと望んでいました。

 

長い内戦でジャングル様になってしまった畑の開墾。 もちろん最初は地雷探査から始めます。作業中の向井の顔は蒼白。 たいへんな作業でしたが向井の大活躍もあって整地までこぎつけ、撮影終了日には家族全員でマンゴーの苗を植えました。

この一週間は向井にもアイポの家族にも忘れられない時間になり、向井はカンボジアが第二の故郷であると公言するようになります。

 

遊び人の医大生が、ふとしたきっかけからカンボジアに小学校を作ってしまうという実話「僕たちは世界を変えることができない」が2011年に映画化されました。 監督に「彼しかいない」と主人公に抜擢された向井は、現地ロケを終えるとアイポの家に飛んでいきます。

 

生きて再会できた喜びから、向井はアイポにしがみついて号泣。 その後マンゴーの畑を見に行きますが、飲み水を含めてすべての水を雨水に頼るしかないこの地ですから、数か月続く乾季にほとんどの木が枯れてしまったそうです。アイポは向井の木だけは枯れせたくないと、溜め池の近くに植え替えて育てていました。

 

再会の翌日、アイポが作業に出かけている間に向井は娘を伴って近隣の町へ。井戸掘り職人の家を訪ね、作業費を自腹で払って作業開始。

1回目のボーリングは不発でしたが、翌日の再トライではアイポが水脈の存在を確信していた場所を掘り、みごとな水柱が。これでいつでも清潔な水が使えるようになりました。 向井自ら井戸の給水路の設計図を引いてセメントを練り、ちゃんと完成までこぎつけました。 前回同様家族と肉体労働を共にし、寝る時も高校生と中学生のふたりの娘と川の字。

この旅でますますカンボジアに惹かれて行った彼は、外務省の委嘱を受けて2011年に「日本・カンボジア親善大使」も務めたそうです。

 

「僕たちは世界を・・・」も良い映画でした。 大人になるかならないかの彼らの身の丈を越えた挑戦。 何度も挫折しそうになりながらも、ついにりっぱな小学校を作ってしまいます。 その原動力になったのは、同じ志を持つ学生仲間4人で現地を視察した際の衝撃的な光景や人との出会いでした。 家業の手伝いで学校へ通えない子どもの家への訪問。エイズ患者の療養所。私も訪れたトゥール・スレン(虐殺博物館)やキリングフィールド。 日本語の出来るガイド役のブティさんという方は俳優ではなく、実際に原作者の葉田甲太のガイドをした人。ポル・ポト時代の弾圧で実際にお父さんを亡くしたときのエピソードを話すときの表情や涙はもちろん台本にはありませんでした。もちろんそのブティさんを強く抱きしめる向井の行動も同じくです。

2年前、私もトゥール・スレンやキリングフィールドには行きました。 内戦の歴史が生々しく残る場所は、ふたたび映像で見るだけで自分の体が硬くなっていくのが分かります。

それでも、屈託のない子どもたちの笑顔を見ると、また行ってみたい気持ちが抑えられなくなります。

 

2年後にはまた行くから、待っててね〜♡

 

 

 

 

 

 

 

 

「予告された殺人の記録」ガブリエル・ガルシア=マルケス

  • 2020.01.14 Tuesday
  • 16:46

 

音大生の患者さまのウッシーとはもう10年以上のつきあいになります。音楽については、彼の本職であるラテンはもとより、ブルース・ジャズなど好みが合うのは分かっていたのですが、あるとき面白半分で私が読破に苦戦したフアン・ルルフォの「ペドロ・パラモ」を貸したところ、どうやらこれがドはまりしたらしく、彼まですっかり南米マジック・リアリズムの虜になってしまったのです。

 

先日のこと、その彼が治療に来た帰り際に「これどうぞ」と置いていったのが、ガブリエル・ガルシア=マルケスの「予告された殺人の記録」。140頁ほどの中編小説なので、ひまを見つけて読んでも2日ほどで読み切れました。

 

ガルシア=マルケスの「百年の孤独」については以前に書かせていただきました。私が今まで読んできた小説のなかでも強く印象に残っている作品のひとつです。

 

南米マジックリアリズムの最重要作家であるガルシア=マルケス。 しかし、今回読んだ「予告された殺人の記録」は、「百年・・・」にくらべるとマジック・リアリズム的な要素はかなり控えめ。 彼が若い頃に住んでいた、コロンビアのスクレという田舎町で実際に起こった殺人事件を題材に、事件発生から30年後に発表されました。事件には彼自身の身内や知人が事件に関係していたことから、関係者の多くが故人になってやっと小説にすることが出来たのだそうです。

 

ある兄弟が名誉を守るために知人の男を殺してしまいます。 その兄弟はコトを成し遂げるまでに、自分たちが何をしようとしているのかを何人もの人に予告します。しかしそれを聞いた人は冗談だと思ったり、ありえるハナシだと思っても被害者への警告を後まわしにしたりします。そしてほんとうに被害者の身を案じて駆けずりまわる人は、的外れな場所ばかりを探して当人の居場所にたどり着けません。

大勢の人に殺人が予告されていたにも関わらず、不幸な偶然が重なって殺人は実行に至ってしまったわけですが、そのたくさんの偶然には、妬み、差別意識、悪意や憎悪など、町の人々にゆるやかに共有されたさまざまな感情が反映していたのです。このような民衆感情の残酷さは、今現在を生きる私たちの中にも存在するもの。そこにあるブルースが乾いた文体で表現されています。

 

ガルシア=マルケスは生前、この「予告された・・・」を自身の最高傑作だと称していたそうです。もちろん自分の思う通りに書けた作品であったことに間違いはなかったのでしょう。しかし、同時に自身の作品群の中でも飛びぬけて「百年・・・」の評価が高いことも承知していたはず。

ここからは私の勝手な想像です。何かが降りてきて筆の赴くに任せて書けてしまった「百年の孤独」。作品を生み出すときも、生み出したあとの評価も自分ではコントロールできないバケモノになってしまったこの作品に、彼自身が恐怖を覚えていたのではないでしょうか。それにくらべて、自制が効いた「予告された殺人の記録」は、出来の良い息子のように思えたのかも知れません。

どちらも素晴らしいのですが、両作品を音楽に例えるなら「予告された・・・」はスタジオ盤で、「百年・・・」はインプロヴィゼイション要素に満ちたライブ盤という感じがします。

 

「百年・・・」と同じように時空を超えたトリップ感を期待するとちょっと肩透かしを食らうと思いますが、「百年・・・」がしんどくて読み切れなかった人でも、この作品からならスムーズにガルシア=マルケス沼にハマって行けるはず。ぜひ!

 

 

 

 

 

 

正月早々、スター・ウォーズ

  • 2020.01.06 Monday
  • 18:12

 

私は元旦に還暦を迎え、ついに映画もシニア割で観られる齢になりました。

さっそくその元旦に「スター・ウォーズ /スカイウォーカーの夜明け」を観ようと近所のシネコンへ。

 

スター・ウォーズ シリーズの最初の作品、エピソード4の日本公開は47年前、私が大学1年の夏休みのこと。 もはや遠い昔、遥か彼方の銀河系での思い出です。

SF小説やSFアニメで膨らんだイメージを、ハリウッドの最新技術で映画化したらどんな素晴らしい作品になるのだろうと、わくわくしながら劇場へ向かいましたっけ。

しかし、宇宙船内のオモチャっぽさや、ストームトルーパーの衣装や動きのショボさにがっかりして帰ったことを覚えています。その後は続編が公開されてもまったく食指は動きませんでした。

 

ところが1999年に「エピソード1/ファントム・メナス」が公開され、当時小学生だった長男にねだられたので、しょうがなく劇場へ付き合うことに。

この作品は、のちにダークサイドに落ちて、悪のカリスマ、ダース・ベイダーになってしまうアナキン・スカイウォーカーの少年時代のお話でした。 この作品を観た私は、アナキン役のジェイク・ロイドの純粋さと、クイーン・アミダラ役のナタリー・ポートマンの可憐さにやられて、すっかりスター・ウォーズの虜になってしまったのです。

 

もちろんすぐに貸ビデオ屋へ走り、旧作の「エピソード5/帝国の逆襲」、「エピソード6/ジェダイの帰還」をビデオで観たことは言うまでもありません。

ここまでのスター・ウォーズ シリーズ全般に通じるテーマは、ひとりの人間の中に善と悪の心が共存しているのは自然なこと。ただ、そのどちらにも偏らず、常に両者のバランスの維持を心がけることこそが正しい在り方であるという考え方。そこには東洋哲学的な要素が感じられてとても共感しました。

 

ところが、2012年にルーカス・フィルムがディズニーに買収されてから制作された続三部作と言われる作品群には、哲学的なメッセージはほとんど含まれておらず、観客が喜びそうなストーリーと派手な戦闘シーンに終始。 完結編にあたる今回の「スター・ウォーズ /スカイウォーカーの夜明け」も、予定調和的なハッピーエンドでした。

この三部作はジョージ・ルーカスが構想していたものとはかなり違った作品になったと言われています。 古いSWファンとしては、もうちょっと鑑賞者にモヤッとした気分を残し、思索にふけるためのタネを植え付けて欲しかったというのが正直なところです。

 

ただ、47年前、最初にエピソード4を観た10代の私がスター・ウォーズにそんな説教くさいメッセージを期待したかと言えば、ノーです。 約半世紀も経つと古くからのファン自身の感受性も大きく変化してしまいますし、興行的なことを考えれば若い世代にも受け入れられなければなりません。作る側からすれば、なかなかしんどい作業だったことでしょう。

 

ともあれ半世紀、作る側も観る側もおつかれさまでした!

 

 

 

 

 

 

 

 

今さらですが、石牟礼道子「苦海浄土」を読みました

  • 2019.12.05 Thursday
  • 12:12

 

「苦海浄土」。タイトルには”浄土”なんて言葉が含まれていますが、宗教の本ではありません。水俣病を題材にした石牟礼道子の小説です。

私の好きな池澤夏樹が「現代世界の十大小説」にリストアップしていたのは知っていました。 ただ、そのタイトルからしてもうしんどそうだし、なんたって作品の題材があの水俣病だしで、なかなか手に取ろうという気になれなかったのです。 しかし現役時代は新聞社に勤務されていた患者さまが最近読まれたらしく、「ぜひ」とお薦めして下さったので読んでみました。

 

作者の石牟礼道子は、地元の高校を卒業したあと数年間代用教員を務めたものの、その後はふつうの主婦として暮らしていました。

当時、彼女が住む水俣市の財政や雇用を支えていたのはチッソ水俣工場。 その工場の廃液に含まれていたメチル水銀が魚介類の食物連鎖によって生物濃縮し、それを日常的に食べた地元の人々がメチル水銀中毒症を発症しました。それが水俣病です。

 

水俣病については社会科の授業や鍼・柔整の専門学校の衛生学で何度か勉強しましたが、罹患した子どもたちの写真を見るたびに心がつらくなってしまい、表層をなぞるだけで自らすすんで水俣病のことを調べてみようとしたことは一度もありませんでした。

 

水俣病の被害者が増えたのは、チッソや行政が対策を打たなかったことが原因です。 原因物質の究明にもっとも近いところにいたのは工場内部の技術者や専門家。 工場内の動物実験で水俣病の原因が明らかになっていたにも関わらず、彼らはその事実を公表しませんでした。 熊本大学の研究班が会社側からの妨害を受けながらも原因物質を突きとめたのは水俣病が公式に発見された3年6ヶ月後の1959年。 しかし発病までのすべての因果関係が完全に証明されないことをいいことにチッソ側は対策を打たず、その後も9年間にわたり汚染された廃液を流し続けたのです。

 

水俣病発見当時の水俣市長は橋本彦七氏。その数年前までチッソ水俣工場の工場長だった人でした。 1968年1月になってやっと水俣病対策市民会議が発足しましたが、その段になっても市民の間では「水俣病ばこげんなるまでつつき出して、大ごとになってきた。会社が潰るるぞ。水俣は黄泉の国ぞ。水俣病患者どころかよ」という声が多かったようです。 そんな市民の声を後ろ盾に、橋本市長は市民会議の発足当時、会長に対して「線香花火のような市民運動ではネ」と言って、水俣病患者の身体の動きをマネてからかったと言います。 市民同士の感情対立もあり、その年の9月に初めて行われた市主催の水俣病死亡者合同慰霊祭には、なんと市民はただのひとりも出席しなかったとのことです。

 

同じ1968年の9月、政府ははじめて水俣病と工場排水の因果関係を認め、チッソの企業責任を明確に打ち出しました。 このとき政府は、それまで認定されていた111人の患者の見舞金を増額すれば問題は終わると考えていたようです。 しかし、それまで上記のような市民感情に配慮して申し出ていなかった人たちが認定を希望し始め、補償対象者は7万人に上りました。 罹患を申告しなかった人を合わせれば濃厚に汚染された人だけでも二十万人以上と言われています。

 

患者が多発したのは貧困層の漁民が住む地域。 社会全体の利益のために少数の弱者が犠牲になり、救済されないどころかあたかもその出来事がなかったかのように秘かに処理され、忘れ去られていくという図式は全体主義の国ではよくあることですが、終戦から十数年後の私が生まれた頃になってもまだ日本人の意識はこんな感じだったのですね、、

 

苦海浄土の本編を読了後、あとがきをつらつら読んで驚きました。 作品中に何度も出てくる被害者たちの声は実際に取材した聞き書きだと思って読んでいたのですが、かなりの部分は彼女が患者とふれあい、そこで手にした事実からふくらませていった創作だったというのです。 ふつうに考えると、このような被害に遭われた方のコメントを創作することはタブーの領域だと思います。しかし、この水俣に暮らすふつうの主婦であった石牟礼道子は、身近な人たちの身体や心や生活が壊れていくことをただ見ていることができず、自らの権利や意見を表象できない社会的な弱者であり少数者であった彼らの心の声を代弁したのです。

 

良い文の特徴は、読んだあとに世界が変わって見えてくることだと言った人がいますが、苦海浄土はまさしくそんな本です。

ご年配の患者さまから、目が疲れて年々本を読むことがおっくうになってきたとこぼされることが多いのですが、私も老眼の進行でその気持ちが分かるようになって来ました。読もうと思っていた本は先延ばししないで、少しづつやっつけていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

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