2回目でもやっぱり刺激的だわプノンペン(最終日)

  • 2019.12.28 Saturday
  • 16:12

 

カンボジアの旅もいよいよ今日が最終日。

5日くらいの滞在では忙しい旅になってしまってあとを引くので、けっきょくまた来ちゃうんだろうなあ(^^)

おなかの具合はほんの少しマシになりましたが、まだ予断を許さない状態です。

当初の予定ではこの日はPinさんのトゥクトゥクを借り切って遠くの田舎の方へ出かけて行き、土地の方たちの暮らしに触れる予定でした。しかしこの体調では、、

 

朝、Pinさんと連絡を取った際にはとても心配してくれて、日本の民間会社が運営する病院での受診を勧めてくれました。

心配な原因による不調ではないと確信していましたが、下痢止めのストッパでは腸自体の回復には効果が見込めません。香辛料の過剰摂取でむくんだ腸の調子を整えるお薬を処方して頂ければありがたいなと思い、その病院を受診することに決めました。この国の医療の現場を見てみたいという興味もありましたし、海外旅行中に病院を受診する機会もそうそうありませんしね。

 

 

ホテルのお隣は大きな寺院。右寄りの木のてっぺんに独立記念塔の頭が見えています。

 

 

 

 

カンボジアのホテルはだいたい朝食付き。洋食はもちろん郷土料理など多彩なメニューがいわゆるバイキング方式で供されます。

しかし、この日はパンと目玉焼きと紅茶だけにしておきました。カンボジアのパンがおいしいことは有名です。プレーンなものだけでも10種類以上。これだけでも十分幸せな朝食でした。

 

 

 

 

カンボジアでは食事中にネコがおねだりに来るのはふつうです。ときにはテーブルに上がって来たりすることも。

もちろん衛生的には好ましいことではありませんが、それをゆるす鷹揚さには癒されます。

 

 

 

 

このホテル、「・・・ブティック・ホテル」という名称を謳うだけあって調度や対応も気が利いていました。プールサイドではウェディングドレスの撮影なども。それでも宿泊料は50ドル以下です。

 

 

 

 

 

Pinさんが迎えに来てくれましたので、「Japan Sunrize Hospital」へ。

病院内の設備やサービスはすべて日本のスタンダード。とても清潔です。受付には日本語が話せる女性職員が居ますし、コンシェルジュ的な日本人女性も巡回しています。ドクターも日本人で、処方して頂いたのはツムラの「五苓散」と三共の「ビオスリー」。

清算は旅行保険の加入証明を見せてキャッシュレス。待ち時間も短くてストレスなしの受診でした。

 

内戦時代、医師や教師など知識階級から先に虐殺されましたので、内戦直後には国内の医師は43人しか残っていなかったとのこと。経済はどんどん発展していますが、医療の体制はいまだ整っているとは言えません。医大も国立2校、私立2校のみ。富裕層は健康診断を受けるときでさえタイやベトナムへ向かうのだとか。そんな中、2016年に開院したこの病院の地域の医療に対する貢献度はかなり大きいとのことでした。

 

 

 

 

今日行きたいところは昨夜のうちに決めていました。コーダッチ島の農村です。プノンペン市内から10kmしか離れていませんし、先日のサイクリングで通過した際にこの土地がすっかり気に入ってしまったのです。それはサイクリング中、ついPinさんに「住むなら いかほど?」と不動産の相場を訊いたほどでした。

 

 

体調的にレストランで食事できないので、地元民の間では有名らしい「Bayon Bakery」でパンを買って行きます。

山積みのバタールが飛ぶように売れて行きます。そらそうよ、おいしいもの(^^)

 

 

 

 

パン屋さんの目の前で巨大バッタとイモムシの佃煮を売っていました。カンボジアでは内戦時代の食糧難でタランチュラまで食べるようになったと聞きます。前回の旅行ではセントラル・マーケットでタランチュラ屋さんに行ったものの、たまたまその日はお休みでありつけませんでした。残念ですが今回も節足動物を消化できる自信がありませんでしたので遠慮しておきました(^^;

 

 

 

 

 

この旅で8回目のフェリー。となりに停まったカブ。こんなのがいっぱい走ってるんです(^^;

 

 

 

 

フェリーが接岸したところで、物売りのおじさんが乗って来て何か売ってます。近寄ってみると、まぁまぁいい感じのサイズの生きたヘビでした。おばちゃんがニコニコしながら3匹ほど買っていましたっけ。Pinさんに言わせれば鶏よりぜんぜん美味しいとのこと、、

 

 

 

 

 

コーダッチ島の村に着きました。そう、あんな家に住みたいんです。以前は、シアヌークビルというビーチリゾートが妄想移住先の第1候補でしたが、いやぜったいこっちだわ♡

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここでおみやげを買いました。お店で買う価格よりぜんぜん安くて、日本ならバンダナかハンドタオルの値段で質の高い手織りのシルクスカーフが頒けてもらえます。

 

 

 

 

 

 

機織りの手を休めてヤシの実を切ってくれる女性。「ココナッツジュースはおなかにやさしいですヨ」とのことでしたので、奥のテーブルで頂きました。ココナッツジュースについてあとで調べてみると消化時間は早いのですが、食物繊維量は多めだそうです。

マンゴーの木陰のテーブルでしばらくのんびり過ごさせてもらいました。時間を忘れてしまいます。

 

 

 

こんなおうちもいいなぁ。バルコニーでウクレレ弾きたいわー。

 

 

 

 

夕方プノンペン市内に戻り、ホテルで仮眠を取って22:50の便で帰国。

 

 

いろいろありましたが、今回も自分にとって意味のある旅になりました。

ものすごいスピードで変化するプノンペンに驚きも感じましたし、自分の状況への対応力のトレーニングにもなりました。

 

前回もそうでしたが、カンボジアから日本に帰って来て感じるのは、日本はいろいろちゃんとしすぎていてちょっと窮屈だということ。自分にも他人にも厳しすぎるような気がします。もう少しゆるく生きていきたい私には、コーダッチ島の空気は魅力的すぎましたねえ。日本が発展の過程で置き忘れてきてしまったものをカンボジアで見つけた気がしました。

 

最後になりましたが、今回の旅ではPinさんには本当にお世話になりました。また行くね♡

 

あ、おなかは丸一週間経ってやっと元通りに回復しました。遅ればせながら旅の成功を祝ってひとりで祝杯を上げました!(≧▽≦)

 

 

 

 

 

 

 

 

2回目でもやっぱり刺激的だわプノンペン(4日め)

  • 2019.12.26 Thursday
  • 11:53

 

それは深夜3時にやって来ました。まさに恐れていたことが起こったのです。

心地よい夜風に吹かれて蚊帳の中でスヤスヤ眠っていた私のおなかに急な差し込みが! 跳ね起きて蚊帳をめくるのももどかしくトイレへ直行しました。

その後は30分〜1時間おきに背中が伸ばせないほどの腹痛が断続的に襲ってきました。熱はないし嘔吐もなし。だるさもそれほどではありませんから、食中毒や感染症は除外できそう。思い当たるのはアレしかありません。今まで香辛料で下痢をしたことがなかったので油断しました。後悔で悶々としながらも、うつらうつらして朝を迎えました。嗚呼、私のカニはもうどんどん水揚げされている頃なのに、、(T_T)

 

 

本来、この日はクラブマーケットのほかに、ケップ国立公園のトレッキングロードを2時間ほど歩く予定でした。しかし私のおなかはとてもホテルを離れられるコンディションではありません。

じつは私が泊まっているホテルは山の斜面に建っており、山側の裏門はそのトレッキングロードに開いているので、気分だけでも味わおうと、すこし歩いてみることに。

 

 

 

 

ここもぜったい行ってみようと決めていた場所。トレッキングロードの途中にある「Led Zep Cafe」。ツェッペリン好きのフランス人オーナーの店です。オーナーと音楽談義をしたかったのですが、時間が早すぎてまだ開店していませんでした。

 

 

 

 

 

Cafeからは、遠くカンポットあたりまで望めます。

 

 

 

 

20分ほど歩いたところで、おなかが気になり始めたのでホテルへスタコラ。

写真は私のビラのドア前に咲く花とメダカの壺。ホテル内は隅々まで手入れが行き届いています。フロントの若い女性もなにかと私の体調を気遣ってくれました。

 

 

 

 

しかし、ホテル内の小径にはムカデが寝てるし、シャワールームには大きなクモや毛虫が出没しますので、昆虫苦手な方はこのホテルはやめといたほうが無難ですね(^^; ちなみに宿泊料は朝食がついて50ドル以下でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

そよぐ風、鳥の声、やわらかい陽射し。ここんちのプールサイドはほんとうに居心地が良くて、体調わるくて凹んでいた気持ちがずいぶん救われました。プールの右側は睡蓮の咲く池です。

 

 

 

 

ウクレレ持ってきてよかったです。たいくつしないで済みました。

演奏がひどいのは、楽器が弾きなれないソプラノサイズであることと体調のせいにさせてください。ほんとはもうちょっとマシなんだけどなー(^^;

 

 

 

 

 

バスは13:30発。 早めにバスステーションに着いたので、目の前のビーチでまたちょっとウクレレタイム。

地元の方はシャイなので近寄って来ませんが、ビキニのフランス人マダムが近くに来て演奏を楽しんでくれました。

 

 

 

 

プノンペンへの帰路は2,000リエル(0.5ドル)ほど余分に奮発してミニバンを予約していました。大型バスより1時間早く着く(約4時間)と聞きましたし、ミニバンならサスペンションはコイルなので乗り心地も良いんじゃないかと思ったのです。

甘かったです。車両はフォードのいわゆるマイクロバスでリーフサス。しかもボロボロ。ドライバーは英語がまったく通じず、もしおなかが緊急事態になったら、と考えるとスリル満点。

写真は道路いっぱいに広がって歩く牛の群れ。

 

 

 

 

大型バスより1時間早く着くということは、その分飛ばすということですよね。車内はこんな感じ。お尻がまったく落ち着きません(^^; 

ただ、おかげで交感神経が緊張した状態が保てたので消化器の活動は抑制され、ストッパの効果と相まってプノンペンまで一度もトイレに行かずに済みました。

 

 

 

 

この日のホテルはちょっと洒落たポンケンコンエリアにあります。歩いてすぐのバサックレーンには気の利いたバーが何軒もあると聞いて楽しみにしていたのですが、もちろんお酒はムリなので次回のために偵察だけ。

 

 

 

 

最初に泊まったホテルの近く、カンダルマーケットあたりのおねいさんが居る店が多い繁華街はこんな感じ。街によって棲み分けされているのは日本と同じですね。

 

 

さて、明日は最終日。私の旅はどうなっていくのでしょうか(^^;

 

 

 

 

 

 

2回目でもやっぱり刺激的だわプノンペン(3日め)

  • 2019.12.25 Wednesday
  • 17:01

 

3日めの朝は7時のバスで海沿いの街、ケップを目指します。

カンボジアのタイ湾沿いの地域、とくにケップやカンポットでとれる胡椒は、世界で最も質が高いと言われています。

今日はその胡椒農園を訪れてみるつもりです。そしてそこで前回の旅で食べそびれた「チャー・モッ・チァムォーイ・マレッ」(イカの生胡椒炒め)を食べるのです!

 

国道3号線は”酷道”でした。150km以上(約5時間)の行程のうち、おそらく1/4は不整路を走ります。ただ、それだけバスに乗っても料金は7.5ドルくらい。

 

 

 

このバスの外国人客はフランス人のフィリップと私の2人だけ。最前列の席が割り当てられていました。

同い年であることや、息子が2人いることなど、共通する話題が多くて気が合ったので退屈しないバス旅でした。

共通しないのは、彼は50才でリタイアしてその後は極楽トンボ生活。ケップに着いたら船で30分の離島カオー・トンザイで1ヶ月滞在するとのことでした。1泊だけの私とはぜんぜんちがう(T_T)

 

 

 

 

途中1回だけバス会社が運営する休憩所でトイレ休憩。出発が早すぎてホテルの朝食にありつけなかったので、ショーケースの中の炒め物を2種類とごはんを盛ってもらって掻き込みました。おなか一杯で2ドル。

 

 

 

 

ケップに到着しました。ここは胡椒のほかにカニ(ワタリガニ?)も名物。明日にはクラブマーケットに出かけて食べられるだけ食べる予定です。

左に見える島がフィリップが滞在するカオー・トンザイ。

 

 

 

 

 

ホテルのレストランからの眺め。左のワイヤーのあたりに海が見えています。敷地のほぼ中央にはプール。左下に見える屋根の小さなビラが今夜の私のねぐら。

 

 

 

 

中はこんな感じ。床も天井も壁も素通しなので、夜は天蓋に結んである白い蚊帳を下ろして寝ます。

 

 

 

 

 

フロントでレンタル・モトをお願いしました。業者が届けに来たバイクはホンダの125ccのスクーター。ちょっと期待したけどホテルの車庫に置いてあったこのロイヤル・エンフィールドではありませんでした。

 

 

 

 

 

日本とちがってレンタルしたバイクのタンクはほとんどカラですので、借りたらすぐガソリンを入れます。路肩に点在する露店ではコーラ瓶に入ったガソリンを売っていますので2L購入。おばちゃんが手際よく注いでくれました。

 

 

 

 

 

今日の相棒のオドメーターは67,000km。ドライブベルトさえ交換してあげれば、スクーターでも意外にもつんですよね。

 

 

 

 

 

カンボジアの鉄道はプノンペン⇔シアヌークビルだけしかないはずなんですが、地図にはない軌道が。レールの表面を見ると現役で使われていそう。興味はそそられるけど、通りかかる列車を待つほど時間の余裕はありません。

 

 

 

 

 

山手にある「Sothy's Pepper Farm」はもうすぐそこ。しかしこの道、その先にある採石場に往復するトラックが通るたび、ひどい土ぼこりで前がまったく見えなくなります、、

 

 

 

 

 

着きました。農場前の駐車場ではフニャフニャハンマーでじゃれ合う中学生男女。

 

 

 

 

 

左端のサングラスがここんちの番頭さん。彼のカンポット・ペッパーに注ぐ情熱と誇りは相当なもので、座学から始まり30分以上かけて農場内を案内してくれました。一緒に説明を聞くのはカナダ人青年3人組とスペイン人のカップル。

 

 

 

 

選別の様子。

 

 

 

 

農場のレストランでランチ。

2年越しでやっとありついた「チャー・モッ・チァムォーイ・マレッ」正確にはイカ以外にエビやタコも入っているので、呼び名はもっと複雑なはずです。

美味しかった〜♡  ただ推定70個以上の胡椒の粒を食べていますので、あとがちょっと心配(^^;

 

 

 

 

 

パパイヤ!

 

 

 

 

農場をあとにして、海沿いの道へ戻ります。道ばたの川で水浴びする子どもたち。しかしチミたちその水だいじょうぶなんか?(^_^;

 

 

 

 

木の上にはサル。顔つきはニホンザルに似てるけど、尻尾が長〜い。

 

 

 

 

明日の下見をしに、クラブマーケットに寄ってみました。その辺にカニかごを沈めておくだけで朝にはカニが満パイらしいです。

そして水揚げしている先からどんどんカニを買って、その場で茹でてもらえます。たのしみ〜♡

 

 

 

 

売れ残りのカニで小腹を満たすマダム。

 

 

 

 

 

ケップは緯度的には亜熱帯なのですが、1日を通して気持ちよく風が流れているので、エアコンなどは必要ありません。

ハンモックやプールサイドのベッドに横になってうつらうつらしていると、自分と自然との境目がなくなっていく感じ。

 

 

 

 

夕食はホテルのレストランで。夜風に吹かれてアンコールビールをおかわりしながらメニューを眺めていたのですが、ここで私は痛恨のミスを犯します。昼に生胡椒をしこたま食べたのに、カレーをオーダーしてしまったのです。

その後の顛末は4日めに〜。

 

 

 

 

 

 

 

2回目でもやっぱり刺激的だわプノンペン(2日め)

  • 2019.12.24 Tuesday
  • 11:37

 

未だ明けやらぬ5:20にホテル前にPinさんが迎えに来てくれました。 持参した灯火類を点けて今日のMTBサイクリングの出発地点である独立記念塔へ。

ここへ至るプレア・ノロドム通りは広い歩道が整備されており、こんなに暗い時間から多くのランナーやウォーカーが朝の運動を楽しんでいました。

2年前に訪れたときより確実に街のゴミの量は減っていますし、健康意識が向上したようでタバコを吸う人はほとんど見かけません。それどころかエクササイズを日課にする人が激増。あらゆる面で市民の意識が向上していることを実感します。もともとが勤勉なカンボジアの人々ですから、このままこの国はどんどん発展していきそうな予感がします。

 

私を含めて14人のメンバーで出発。言葉は通じなくてもお互いサイクリストであるという共通項があれば充分。みんな最高の笑顔と握手で迎えてくれました。

 

 

 

 

プレア・ノロドム通りに建つシハヌーク殿下の像。

 

 

 

 

ふたたびカンダールへ向かうフェリー。やっと朝日が昇って来ました。

 

 

 

 

 

カンダールへ着いて、メコン川沿いのダートを北上。1時間足らずで朝食のお店に。

Pinさんのおとなりに座っている方は私と同じ還暦世代とのこと。しかし、あのきびしい内戦時代をくぐりぬけて来た人ですから、高度成長期とバブルな時代をぬる〜く生きて来た私とちがって威厳があります(^^;

 

 

 

 

 

 

 

ヤシの実ジュースを飲んだあとのココナッツミルクを頂きます。例えれば、甘さひかえめのババロアかしら。

 

 

 

 

 

カンダールをもっともっと北上して、小さな渡し船でメコン川の巨大中州、コーダッチ島へ。

何の目印もない路地を曲がってたどり着く船着き場。地図にも載っていない航路です。

 

 

 

 

 

雨季にぬかった道路が、乾季になって不整な路面のままカチコチに固まったトレイルを30km以上。ド平坦ですので体型に余裕のあるメンバーも意外と(失礼)速かったです。GIANTのバイク自体に不満はなかったのですが、ステムが短すぎて窮屈なポジションがしんどかった。あと、土ぼこりがものすごくてボトルの水は飲む気になれませんでした(^^;

ちゃんと走った証拠に、メンバーが撮ってくれた写真を上げときます。 当初は40kmくらいのコースと聞いていたのですが、走ってみると約10km増し。「どこの国でもサイクリストはウソつきね〜」と言うと、みんな爆笑してましたっけ。

 

 

 

ここは古いお寺の敷地内。巨木がたくさん残されています。

 

 

 

 

高さ30mはあろうかという巨木。プノンペンあたりも、本来はこんな木が生い茂る森が広がっていたんだろうなあ。

 

 

 

ハーイ!♡

 

 

 

 

ダートコースのゴール、コーダッチ島北端。

 

 

 

 

帰路はみんなと別れ、Pinさんとふたりでコーダッチ島の農村の生活を見学しながらのんびりと。コーダッチ島の産業は畑と絹織物が主体。とてものどかな島です。高床式の住居の1階部分にはだいたい織機が置いてあって女性が作業をしています。

この日も気温は33℃くらいあったのですが、おかあさんてばウールのセーター(◎_◎;)

 

 

 

 

 

 

そしてその横ではお姉ちゃんが弟?のお守り。

 

 

 

 

この日は日曜日。ルート上で2件の結婚式が行われていました。

ルート上というのは、じつはリアルにルート上なんです。式場は公道を通行止めにして道路上に設営したもの。この辺りで自動車を所有しているおうちはほとんどありませんが、バイクは迂回。そして歩行者や自転車はなんと式場の列席者の席の間を押して通過、、

Pinさんに訊くと写真を撮っても失礼には当たらないというので、進み出て新郎新婦の写真を撮っていたら、変な格好のガイジンのほうが目立ってしまってキマリわるかったです(^^;

 

 

 

 

道ばたでナツメとトロバエク(グァバ)を売る少女。Pinさんはどちらも好物とのことでたくさん買っていました。

ナツメは私の実家の近くにもたくさん成っていたので子供のころにはよく食べたなあ。なつかしかった!

 

 

 

 

プノンペンに帰るフェリーの上でトロバエクを頬張るPinさん。私もひとつ頂きましたが、熟す前のグァバは硬いしシブいし(>_<)  でもPinさんに言わせれば、地元の人にはこの硬さと味がいいんですって。下痢止めの効果もあるのだとか。

 

 

 

 

Pinさんの自宅へ寄り道。奥さんのサランの手料理も2年ぶり。酸味の効いた魚系のディップと、キノコと牛肉をレモングラスで香り付けしたスープ。生野菜はおとなりのおばちゃんの差し入れ。空芯菜やバナナの木、カンボジアきゅうりのサラダなどが入ってます。Pinさんが「サランのスープはほんとうに美味しいんです」と自慢するだけあって、ほんとサイコーでした!

 

 

 

バナナの木。食感がおもしろかったです。

 

 

 

 

おとなりのおばちゃんはちょっと日本人的な顔立ち。ほんとは笑顔が素敵なのですが、カメラにキンチョーしてしまいました。

 

 

 

 

ごはん御馳走になったらもう、渋滞の市内を自転車で走るのがめんどくさくなって、PinさんのトゥクトゥクでMTBの返却へ。

 

 

 

 

ひとり息子のナサが一緒に行くと言って聞きません。Pinさんの膝の上に乗せて出発。

 

 

 

 

ホテルに送ってもらってシャワーを浴びたあとは市内をひとりでブラブラ。ここは「ワット・プノン」。

「ワット」は寺院、「プノン」は丘の意。ペンさんという未亡人が川に流れついた流木の中に4体の仏像を見つけ、その仏像を祀るためにこの丘に寺院を築いたことがプノンペンの街の名の由来なのだそうです。

 

 

 

 

ワット・プノンのすぐ北にあるアメリカ大使館前のオブジェ。銃で作られた平和の鳥です。このオブジェ、ガイドブックにもネットの旅情報にもぜんぜん載っていません。カメラを向けているうちに、ダジャレじゃないけど鳥肌が立ちました。もしプノンペンを訪れることがあれば必見です。

 

 

 

 

 

 

 

 

ずんずん南へ歩いて、セントラルマーケット脇のバスターミナルで明日のケップ行きのチケットを予約。

いつ来てもセントラルマーケットの活気はすごい!

 

 

 

 

 

 

 

夕食はプノンペンでいちばん気に入っているレストラン「Romdeng」で。

 

 

明日はバスで160km先の海沿いの街、ケップへ向かいます!

 

 

 

 

 

 

2回目でもやっぱり刺激的だわプノンペン(初日)

  • 2019.12.23 Monday
  • 12:37

 

2年ぶりにカンボジアを旅して来ました。

前回は深夜0時発という紛らわしい時間の飛行機を予約してしまったものですから、うっかり出発日をまちがえてしまい、深夜に羽田からトボトボ帰宅という羽目に。しかしどうしても行ってみたい気持ちが抑えきれずその1ヶ月後に執念でこの地にたどり着いたのでした。

前回の旅日記はこちら→http://blog.matsumoto-sekkotsu.com/?eid=333

 

もう、そうそう海外旅行することもないだろうと思っていましたが、この夏のある日、クレジットカード会社から利用明細が届いた際に何年ぶりかでポイント残高を確認してみたところ、なんとマイルに変換すれば余裕でプノンペン往復の飛行機代が出るではありませんか! そうなるともう気はそぞろ、さっさと乾季に入る12月の飛行機を予約してしまいました。

 

前回はロードバイクを持参して、家人が勤務していたNPOが運営する孤児院や、その途中にあるリハビリ病院や小学校の授業風景を見学したり、トゥールスレン(虐殺博物館)やキリングフィールドなど内戦時代の爪痕を訪れたりと、おもにお勉強的目的の旅でした。生きる意味を考える上でとても意味のある旅になりましたが、やはりメンタルはかなり削られましたので、今回は純粋に楽しむための旅にする予定。

 

飛行機は往復とも前回と同じ便で、席も往復同じ31ーGを予約しました。なにせ掛布ファンなもので(^^;

 

 

プノンペン国際空港には、上記のNPOの現地スタッフだったPinさんが迎えに来てくれていました。彼は今は自営のトゥクトゥク(バイクタクシー)のドライバーに転職していたのです。前回は持参した自転車を空港前で組み立てて走り出し、ほとんどの行程をひとりで過ごしましたが、今回はPinさんのアテンドでよりカンボジア

 

まずは、彼が懇意にしている自転車屋さんへ翌日のサイクリングに使うMTBを借りに行きました。そのショップがあるのはメコン川の対岸。乗船時間10分ほどのフェリーで渡ります。

ここで私は偶然2年前に果たせなかったある目的を果たすことになります。それはおばちゃんが頭に載せている”クロラン”を食べること。じつはこのクロラン、アンコールワットがあるシェムリアップあたりの名物でプノンペンで見かけたことはありません。

前回、当初の計画ではシェムリアップからプノンペンまでの約300kmをサイクリングして、途中の補給でこいつを食べるつもりだったのです。けっきょく再出発の旅程ではシェムリアップには行けませんでした。今回もプノンペン以北に行く予定はありませんでしたので、まさか出会えるとは!

 

 

 

クロランは、もち米、小豆、ココナッツミルクを竹筒に入れて真っ黒になるまで焼いて中身を蒸しあげた食べ物。焼いた後の外皮はあらかじめ剥がしてくれてありますので、てっぺんのフタ役の葉っぱをポイして薄皮を大まかに手で剥がしながらかじります。3000リエルでしたから75円くらい。素朴ですがとてもおいしい、というか、感慨が深すぎて味覚以外のところで味わってしまった気がします。

 

 

 

 

 

プノンペンの対岸カンダールからの夕焼け。

 

 


そしてそれを眺めてた美人さん。カメラに気づくと「あらひゃだ〜!♡」なリアクションいただきました。カンボジアの女性たちは若くてもご年配でも、表情や対応がとてもチャーミングです。

 

 

 

 

自転車屋さんの坊や。 まぁ元気! 店に"ガイジン"来てテンション上がってマス(^^;

GIANTのMTBが2日間のレンタルで12ドル。安っ! ひょっとしたらこの日は夕方からのレンタルだったので、オマケしてくれたのかも。

 

 

 

 

さっきクロランを食べたばかりなので夕食は軽めに。 トリップアドバイザーで評価の高かった「David's Noodles」へ向かいました。

 

 

 

店頭で若いあんちゃんがバッシバシに打った麺は沖縄そばっぽい食感と風味。しかしカンボジアのスープは何を食べてもほんとに美味しい。ハーブの使い方が絶妙なんだよなあ。

 

 

 

 

 

明日はMTBサイクリングで4:30起きなので、21時には夢の国でした。

 

 

2日めに続きます〜。

 

 

 

 

 

刺激的だわプノンペン♡ 最終日

  • 2018.02.04 Sunday
  • 10:04

 

 

この日も早朝豪雨。 乾季ちゃうんかい!(ーー゛)    残念ですがPinさんにはサイクリングのお断りを入れました。

しかし、こんなこともあろうかとバックアッププランは練っておきましたヨ。 きのう空振ったAAA(アプサラ・アート・アソシエーション)の先生から、「ふだんは日曜で休日ですが、明日はアメリカからのツアー客のために朝9時から練習を公開します」と聞いていましたので、まずはそこへ。

もちろん今日もトゥクトゥク移動です。 ホテルからは濡れるほどの距離でもないロイの奥さんの食料品店に走って、電話で彼を呼んでもらいました。

 

 

 

 

ロイの奥さんと赤ちゃん。そう言えば、きのうのランチは彼女が作る肉の麺でした(たぶん50円くらい。おいしかった)。 昨日今日といろいろ話すにつれ打ち解けてくれて、身の上話なんかも聴くことに。

彼女の英語はとても聞き取りやすかったので、そこを褒めたら「語学を学びに大学に行くはずだったけど子ども産まれちゃって、、」みたいなことから(^^;

彼女に限らず、カンボジアの女性はとてもひかえめでシャイなのですが、こちらが真剣に何かを伝えたがっていると分かると、まっすぐこちらの目を見て心をさぐってくれます。 若い男性ならその眼差しにやられちゃうかもね(≧▽≦)

 

 

 

ロイが来たのでAAAへ向かいます。ホテルはチェックアウトしましたので、自転車も一緒にトゥクトゥクに。 

 

 

 

途中線路を横切りました。 カンボジア唯一の鉄道は、プノンペンから南西方向へ250kmほどのビーチリゾートであるシアヌークビルまで週末に1本だけ。 7時間の旅だそうです。  時間的には東京へ帰るより遠いけど、こんど来たらぜひ乗ってみたいなあ。

 

 

 

 

今日は見れました、AAAの練習風景。 動きがとてもシルキーで見とれてしまいます。アメリカ人ツアーの現地ガイドが先生の解説を通訳するのをタダ聴き。 ロイの英語では今いちアレで、、(^^;

 

 

 

 

 

 

 

小一時間舞踊を観賞したあとは、家人と私からのおみやげを渡しにPinさんの自宅へ向かいます。 まもなく到着というときにまたロイの急停車グセが。

焼いたトウモロコシを鍋の中のスープに浸けて食べるみたいです。 日本のトウモロコシより甘みが少なくて歯ごたえがあります。 焼き目の香ばしさと、きっとプラホックが入ってるであろうスープの旨みの組み合わせは、わるくないかも(^^)

 

 

 

 

Pinさんのおうちに着いて、今日の予定を相談。「ゆっくりしていって下さい」とのことでしたので、2日間の相棒ロイとはここでお別れ。 しかしロイは空港まで走るはずの約束の金額を払うと言っても、「近くに親戚があるから話が終わるまで待ってる」と言って聞きません。「My Friend」と呼んで名残り惜しんでくれる気持ちがうれしかった。「こんど来たらまた君に頼むから」と言って、やっと帰ってもらいました。

 

 

Pinさんは家人が勤めていたNPOの現地スタッフだった人。 今は通信関係の会社に勤務しています。 カンボジアではもっとも優秀と聞く王立プノンペン大学の日本語学科を卒業されたとのことで、日常的な日本語はだいたい通じます。

生後9か月の息子さんは、少し熱があるようですが元気。 抱っこしてもぜんぜん動揺せず、状況把握するために脳がフル回転しているのが伝わって来ます。 まるで大人のこちらが見透かされているよう。 賢い人になるんだろうなあ。

 

 

 

Pinさんの奥さんも素敵な女性でした。 とつぜん押しかけたのに歓迎してくれてありがとー!

おみやげのキッズ用サイクルジャージは2〜3年後には着れるかな。

 

 

友人のじゅんろーさんが昨年フランスのグランフォンド世界選手権を走ったときのお土産でくれた、フランス自転車協会のボトル。今回の旅行のお守り代わりに持ってきたのですが、これもはずみであげちゃった。 じゅんろーさんごめんなさい(^_^;

 

 

 

突然おじゃましたうえに、ランチまでごちそうになってしまいました。 坊やも一緒にね♡

カンボジアの家庭ではテーブルを使わず、床に置いた料理をみんなど取り分けて食べることが多いようです。

 

 

 

夢中でおしゃべりして、気がつくとあっという間に3時間くらい経っていました。 Pinさんにトゥクトゥクを呼んでもらい、あらかじめ仮眠用に押えておいた空港ちかくのホテルまで。 明日は成田に6:30に着、そして午後からは仕事です。 22:50の出発まで少し寝ておこうと思いましたが、目が冴えてしまってまったく眠れません。

 

 

 

バタバタと寝返りを繰り返したあと、もうすっかり眠るのはあきらめました。 ヤケクソでホテル脇の路地を歩いてみることに。

この国でもサッカーは大人気。

 

 

 

奥へ進むにつれだんだんスラム臭が、、

 

 

 

 

 

かわええ♡

 

 

 

 

長屋のような建物のドアはどこも開けっ放し。 昼間っから酒盛りしてる部屋もありましたが、それほどヤバい感じはありません。 

まぁ、とにかくみんなフレンドリィ(^_-)

 

 

 

 

 

いよいよカンボジアとさよならです。 出発ロビーにはたくさんの日本人が。 そう言えば、滞在した4日間で日本人に会ったのは児童養護施設の理事長とIさん、あとはトゥールスレンの若い二人づれのバックパッカーだけ。 みなさんは世界遺産のアンコール・ワットを見に行ってたんでしょうね。 行きでお隣の席だった相馬市からのご夫婦、こんどは私の前の席でした。 「縁があるねぇ」なんて言いながら、おたがいのすばらしい旅に祝杯を上げました(^^)

行きは封切り直後のゴーギャンの映画でしたが、帰りはこちらも1月封切りの「ジャコメッティ 最後の肖像」をチョイス。 途中で寝ちゃいましたけど(^^;

 

 

今回の旅の動機のひとつは、言葉も通じない国に裸一貫で乗り込んで、間もなく還暦を迎える自分という人間がどう受け入れられるかを知りたい、という衝動でした。 ほんとうの自分の価値が量られる機会になる気がして、治安や衛生面よりもそこが出発前の私を緊張させていたのです。

杞憂でした。 レンズに向けてまっすぐこちらを見るその目に警戒心は感じられず、それは結果人としての私を励ましてくれることになりました。 もちろんそれは彼らの包容力によるもので、私自身の人間力によるものではないことは分かっています。 それでも私は褒められて伸びるタイプなので、思い込みでいいんです!(≧▽≦)

 

んで、つぎはいつ行こうかな(*^^)v

 

 

 

 

 

 

 

刺激的だわプノンペン♡ 3日め

  • 2018.02.02 Friday
  • 16:30

 

今日来院された患者さまに、「きのうのブログ長いよ」とツッコまれました。 ただ、このシリーズは自分用の旅の記録でもあるのでどうかご容赦くださいませ。 じつは今回も長くなります(^^;

 

きのうの朝はトロピカルな鳥たちの声で目覚めたのですが、この日は5時前から窓を打ち始めた雷雨にたたき起こされました。

もっとも今日は自転車はなし。トゥクトゥクドライバーに乗せてもらってあちこち見学に行きます。

バイクの3人乗りはふつう。子どもにもちゃんとヘルメットを被せてる人はめずらしいかも。

 

 

 

 

日本で使い倒されたあとも、こんなところで活躍を待つ”郵政カブ”。 

 

 

ご存知、世界のトップブランド「Keweseki」いや、よく見ると「Kewesekl」でした(≧▽≦)

なぜこんな中古バイク屋街に来たかというと、このあたりにトゥクトゥクドライバーのロイのお気に入りの弁当屋があるらしいのです。 彼はこのあともお腹が空くと勝手に寄り道を繰り返します(^^;

 

 

 

 

 

この日、最初の目的地は「アプサラ・アート・アソシエーション」。 カンボジアの伝統舞踊、アプサラ・ダンスの教室です。

ポル・ポト政権時代、伝統文化はすっかり破壊されてしまいました。 ここは内戦終結後に、貧困にあえぐ子どもたちの救済と伝統舞踊の復活を目指して立ち上げられたNGOです。

土曜日のこの日は7:30から練習が公開されるはずでしたが、門には鍵が締まっていました。 ロイが隙間からスルッと侵入して先生を連れて来てくれましたが、説明によると、たまたまこの日はアプサラ・ダンスのコンクールがある日だったようで、練習はお休みなのだとか。

残念ですが寄付だけして失礼しました。それにしてもさすが先生。立ち姿が美しかった。

 

”AAA” についてご興味のある方は↓をご覧になって下さいね(^_-)

http://apsaraaaa.web.fc2.com/

 


 

 

 

次なる目的地は「トゥール・スレン」。「S21」とも呼ばれ、ポル・ポト政権時代に極秘とされていた拷問・虐殺の機関をそのまま保存してある博物館です。

猜疑心の強かったポル・ポトは、彼の原始共産主義政権に敵なす可能性のある知識人たちをここに集めては拷問・虐殺を繰り返していました。

おもに密告によって逮捕され、収容された人の数は2万人とも言われています。そのうち生還できた人は7人だけ。

収容された人のほとんどは”濡れ衣”で、「外国語がしゃべれる」「メガネをかけている」「手がやわらかい」が逮捕の基準だったのだとか。

 

もともと”リセ”(エリートのための中等教育の学校)だった建物を拷問用に改造して使用していたようで、子どもたちがロープ上りで遊んでいたこの遊具は、逆さ吊りで頭を水に浸ける拷問具として使われていたそうです。

向こうに見えるA棟には、各部屋の中央ににマットレスを取り外されたベッドが1台ポツンと置いてあり、被尋問者を固定するための金具とともに錆びるにまかせて保存されています。 それぞれの部屋の壁にはベトナム軍が踏み込んだときにベッドに放置されていた、人のかたちを留めない遺体の写真が、、

 

 

 

 

 

上にも書いた通り、ここに収容されて生きのびた人は7人だけ。 職業が芸術家ということで、所長の”ドッチ”から「使い道があるかも知れないから生かしておけ」と処刑されなかったBou Mengさんはそのうちの1人。 当時のトゥール・スレンの状況を伝える絵を見たことがある人もいらっしゃるかと思いますが、おそらくそれは彼の手によるものです。 歴史を繰り返させないための使命感からなのか、サバイバーズ・ギルティによるものなのか、いずれにせよ毎朝ここに来るのはきっとつらいことでしょう。

写真は拷問による背中の傷を見せてくれているところ。

 

以前、ブログの題材にしたヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」では、ナチスの収容所などでも、サディスティックな形質が濃い個体がしかるべき部署にスカウトされるようだ、と書いてありました。 おそらくどこの国にも同じ形質の人間は一定数存在するのですが、「類は友を呼ぶ」で、必要とされれば同じ形質はあっという間に集まってくるのでしょう。 おとろしや(◎_◎;)

 

 

 

 

 

トゥール・スレンで刑が確定した受刑者は郊外のチューン・エックにある処刑場、いわゆる「キリング・フィールド」に連れて来られます。ここが今日の最後の目的地。

 

写真は女性や子どもが処刑された場所。

 

 

その東屋の横にある「キリング・ツリー」と呼ばれる木。 裸にした母親を処刑する前に、彼女たちの目の前で、子どもの両足を持った兵士がこの木に頭を叩きつけて殺していたのだとか。 後年、木に埋まった歯や髪の毛から、その実態が明らかになったそうです。犯した罪の重さを母親に知らしめるためだったのでしょうが、何とも、、

 

 

 

 

このような穴が無数に空いています。発見当時、この穴に埋められていた遺体の発するガスで地表は膨れ上がり、たいへんな悪臭が立ちこめていたそうです。

 

 

 

慰霊棟には発見された遺体の頭蓋骨が無数に安置さてています。

カンボジアにはこのようなキリング・フィールドが100ヵ所以上あるのだとか。

考えてみると一連の悲惨な出来事は、素朴でおだやかで真面目な国民性の国だからこそ起こったのではないかと思えてなりません。そんな皮肉は歴史のあちこちに散見されますもんね。

 

 

 

 

 

 

「キリング・フィールド」の駐車場で待っていてくれたロイは、おそらく蒼白だった私の顔を見て「Are You Happy?」と冗談をカマして来ました。そして帰りみち、頼みもしないのにパゴダ(仏塔のあるお寺)に寄ってくれたのです。彼なりの気配りなのでしょう。

師匠と問答する若い僧侶。まじめな顔して修行に励んでいるのかと思いきや、ちみジュース飲んでるやん、、

 

 

 

境内でたまたま見つけたタマリンドの木。じつは私がカンボジアに興味を持つきっかけになったのは、若い頃に’85年に公開された映画「キリング・フィールド」を見たことと、’91に書かれた池澤夏樹の「タマリンドの木」を読んだことでした。 どれだけこの木に逢いたかったことか。

ロイが「噛んでごらん」と若芽をちぎって渡してくれました。 かすかな刺激と爽やかに鼻に抜ける独特の香り。

実も食べてみたかったのですが、落ちていたやつは雨でグショグショ(>_<)

イケイケキャラなのに、寺院の中では帽子を取って僧侶に深々と頭を下げ手を合わせるロイ。 かわいいとこあるじゃん(^^)

 

 

 

 

 

渋滞でお子ちゃま爆睡中。

 

 

 

 

 

 

 

1時間ほどで渋滞を抜けてプノンペン市内に戻って来ました。あとはホテルで昼寝かな、なんて思っていたら、またロイが急停車。

途中でいろいろ話をしながら客の指向を読むのでしょう。 地雷被害者やポリオ後遺症、知的障害、視覚障害、難聴などの女性が裁縫技術を身につけて自立することを支援するNGOのお店に寄ってくれたのです。

店の奥には作業スペースがありました。みんな楽しそうに会話しながら作業していましたよ。

 

 

 

 

 

 

ロイと別れ、ホテルで30分ほど昼寝をしたあと、徒歩10分ほどの場所にあるセントラルマーケットへ。 ここでの目的はタマリンドの実を仕入れることと、タランチュラの唐揚げを食べること。

 

 

エビもカニもシャコも青みを帯びててフシギ。

 

 

 

 

見つけました、タマリンドの実。でも何かがちょっと違う気が。

 

 

この日はタランチュラ料理は作らなかったのだそう。がっかりしたような、ほっとしたような(^^;

 

 

 

 

マーケットをあとにして、リバーサイドに向けて歩いてみます。 ブラシ売りのあんちゃん。

 

 

 

結婚式? お葬式? よく分かりません(^^;

 

 

 

 

隣接する国立博物館と国立芸術大学の北側の通りは、通称”アートショップ・ストリート” 。 芸大の学生や先生の作品を売る店が並びます。 観光客向けに分かりやすくアンコールワットを描いたものが多く、とくに興味を引かれる作品には会えなかったかなー。

それでも、このモノクロの絵だけはちょっと気になって5分くらい眺めていました。 ほんとは載せてはいけないんでしょうけどゴメンナサイ(^^;

 

 

 

店番の学生。

 

 

 

 

トンレサップ川沿いに整備された公園シソワット・キーに出ました。 右手下流でメコン川と合流するのが見えます。

 

 

 

 

 

歩き疲れたので、帰りはトゥクトゥクで。 左下のソラマメ状のが熟成したタマリンドの実。干し柿のような風味でした。 左上はご存知マンゴスチン。 そのとなりのアルマジロみたいのは、おそらくサラク(スネークフルーツ)だと思います。 これは皮がかたくてけっきょくギブしました。

 

 

 

夜はまたお向かいの「Romdeng」。 今日もおいしかった。黄色いのはパパイヤ♡

 

 

 

ホテルに戻るとロビーが騒がしい。 何かと思ったら、テレビでU-23アジア選手権のベトナム×ウズベキスタン戦が放映されており、ベトナムからのツアー客がほっぺに国旗を描いて応援していました。 惜しかったね!

 

明日はフェイスブック友達のPinさんと、南方のトンレバティにあるタ・プロームという遺跡まで往復80kmのサイクリングを予定していますが、天気予報ががが(;_:)

 

 

 

 

 

 

 

 

刺激的だわプノンペン♡ 2日め

  • 2018.02.01 Thursday
  • 17:16

 

今日はついにカンボジアをサイクリングします。 目的地はコンポンスプー州のクロン・チバー・モンにある児童養護施設。 

家人が以前に3年ほどウェブデザイナーとして勤めていたNPOが設立した施設で、今は14人の子どもたちが暮らしているとのこと。

ちょうどこの日は、日本人里親のIさんを案内して同NPOの理事長も同じ日に施設を訪れるとのことでしたので、通訳してもらって子どもたちと話せればうれしいな、とわくわく。

 

 

ライトを点灯して薄暗いなか5時半に出発。いくら朝の早いカンボジアでも、ホテルの朝食は6時から。まぁどうにかなるでしょと漕ぎ出したら、2ブロックほど行ったところでおじさん2人が何やらもぐもぐしているのを発見。

 

 

 

 

ごはんの上に乗っているのは、すこし乾燥させた豚肉を炒めたもの。スープの中には、野菜と豚レバーなんかが入っています。あとセロリとにんじんの漬物。 このメニューで1$。

カンボジアでは、ほとんどの料理に「プラホック」という調味料が使われているのですが、これは琵琶湖の13倍の広さをほこるトンレサップ湖で獲れるコイ科の淡水魚を数ヶ月発酵させたもの。 この匂いが苦手でカンボジア料理を一切うけつけない人もいると聞いていました。 本来魚料理が得意ではない私ですが、言葉の通じない店で料理を頼んでもし食べられなかったら、日本男子として一生の恥。 苦手でも丸飲みするくらいの気持ちで挑戦しましたが、なんとこれがおいしい!

 

 

おばちゃんごちそうさま!  たぶん「あしたもおいでね♡」って言ってくれたと思うのですが、意訳です(≧▽≦)

 

 

 

 

クロン・チバー・モンへ向かう国道4号線沿いは工場が多く、市内へ流入する車両だけでなく市内から工場へ出勤する車両も多いため、プノンペンから20kmくらい離れるまでは気を抜けませんでした。

写真はオーバーパスの側道。もちろん車が正しい進行方向でなだれ込むバイクたちは逆走です(^^;

 

 

 

道路わきのあちこちで放牧されている牛。 フォトジェニックな佇まいなので、ついカメラを向けてしまいます。

 

 

 

午前中は幸いうす曇りでしたが、それでも気温は30℃近いので喉が渇きます。道端のあちこちではココナツジュースやドリンクの出店が出ていました。 クーラーボックスでほどよく冷やしてくれてあるので生き返る〜♡

 

 

ココナツジュースを飲み終える頃、おばさんの孫が登場。 カンボジアでは金のネックチェーンをしている子どもが多いのですが、きっとお守りなのでしょうね。

 

 

 

建築中の中国系の工場。

 

 

 

そしてまた牛。

 

 

 

国道沿いのところどころに市場があります。活気がすごい!

 

 

 

リュックに入れてたのでつぶれてしまいましたが、あちこちの屋台で売ってる「ヌンパン」。バゲットサンドです。3000リエル(75円)。おいしいです。

 

 

 

コンポンスプー州に入ってしばらく走ると、州立のリハビリテーションセンターがありました。 職業柄興味が止められず、ドクターにお願いして見学させてもらうことに。

 

 

 

運動機能に障害がある数人の子どもたちの機能訓練の写真も撮らせてもらいましたが、アップは自粛しておきます。

このおじさんはやはり地雷で左足を失ったそうです。カンボジア全土ではまだ600万個の地雷が埋まっているとのこと。 除去に励んでいる方たちの苦労が実って、早く子どもたちが野山で自由に遊べる日が来ることを祈ってます。

 

 

 

 

 

小学校も見学させてもらいました。どこかの学校に寄贈しようと日本から持参していた文房具も校長先生に渡せました。

カンボジアの子どもたちの明るさと純粋さにはほんとうに心を打たれますし、元気をもらえます。

 

 

郡部からの子どもたちでしょうか。 トラックの荷台で発車を待ちくたびれてこの表情。 きっとおなかも空いてたんだろうなぁ(^^;

今回の旅でいちばん気に入ってる写真です。

 

 

 

 

 

 

 

いろいろ寄り道しましたが、やっと施設に到着しました。 出迎えてくれた子どもたち。 中央の高校生のキンキャンが最年長。

シャイでやさしい彼が子どもたちのまとめ役なのかと思いきや、この施設でもやはり女性上位なのだそう。どこも一緒ね〜(≧▽≦)

 

 

 

マンゴーの花が終わって実がついたところ。奥には大きく育ってるやつも見えますね。

 

 

マンゴーにバナナやパパイヤ、野菜、ニワトリ。 自給できるものは自給。

 

 

 

 

 

 

明日、コンポンスプーの郡部に住む5人の里子に会いに行くIさん。 日本から釣り道具やエサまで持参して、施設内の池で子どもたちに釣りを教えていました。 コイやナマズまで居るのだそう。 20cmくらいの見たことのない魚が何匹かかかりました。

 

 

 

サドルを下げて、子どもたちにロードバイク体験講座。

 

 

 

まだ生まれて2〜3ヶ月と思われる子犬がおっぱいをもらっていたので、カメラを向けたらお母さんを驚かせてしまいました。

 

 

 

 

煮炊きは炭です。

 

 

 

右端の女性はこの施設で働く保母さん。 彼女自身の子どももここで育っています。 やさしくきびしく、素敵な女性でした。

料理や配膳もみんなでお手伝い。

 

 

 

私もご相伴に預かりました。 理事長は急用が出来てしまって施設をあとにしましたので、言葉が通じるのは片言英語の保母さんだけ。 それでも子どもたちとはおたがいの目を見ればちゃんと気持ちが通じ合えるような気がして、まったく気づまりはありませんでした。

ごはんに海藻のスープとひき肉の炒め物を乗せていただきました。おいしかったなあ。

 

ふだんは奥の右側に写る男性と保母さんの2人で施設を見ているようです。みんな両親が居ない子どもたちなのに、きちんと前を向いて育っていることが伝わって来ます。 日本人の里親さんの援助で大学まで進む子も多いのだとか。

 

 

 

もう少し子どもたちと話したかったけど、またあの洗濯機の中に放り込まれたような4号線の交通ラッシュに巻き込まれるのはいやなので、お昼過ぎには出発しました。

 

 

 

 

 

インドシナ〜、ってかんじの風景。そしてまた牛。

 

 

 

 

後ろに見えるお父さんの作業待ちの男の子。

 

 

 

帰りみちはお天気が良すぎて、サイクルコンピュータ読みで42.7℃まで上がりました。 注文してから絞ってくれる"さとうきびジュース"は干からびた身体にとって夢のようなおいしさ。 奥さんが入れようとしてくれた氷の誘惑に打ち勝つのには、かなり悶えました。 屋台の氷はポンポンピーになると聞いていたのでキケンキケン(>_<)

 

 

 

 

巨大タニシとナツメを売っていた女の子。 この国にはめずらしく笑わない子だった。 きっといろいろあるんだろう。 あなたから買ったナツメはおいしかったヨ(^_-)

 

 

 

ハイスクールも下校時間らしい。 やっぱりみんなシャイ。

 

 

かと思ったら、この子だけはポーズとってきた! やるなあ(^.^)

 

 

 

 

どうにかラッシュアワー前にプノンペンにたどり着き、シャワーを浴びてディナーへ。

今夜は私が泊っているタウンビューホテルの真正面にある「Romdeng」。  大きな木に囲まれた白い建物の階段を上がったところにある最高のテラス席に案内され、まずはアンコールビールの大びんで、ぷは〜〜♡

 

 

ここは何を食べてもおいしかった!  ワタリガニのフライと、キノコやタマリンドのサラダ。 ジャスミンライスもおいしく炊けていました。

 

 

 

 

ホテルに戻って洗面所でジャージを洗濯。 今日は105kmでした。 この水の色の分だけここんちの風土と触れ合えたんだな、と感慨もひとしおです。

 

 

ほんとはJazzを聴きにいきたかったけど、マウンテンバイクのほうが向いてそうな4号線の路面に体力を削られてヘトヘトなので、21時にはベッドへ。

明日はトゥクトゥクで内戦時代の爪跡を訪ねます。

 

 

 

 

 

 

 

 

刺激的だわプノンペン♡ 1日め

  • 2018.01.31 Wednesday
  • 18:15

 

暮れに未遂に終わったカンボシア旅行。 今度はちゃんと飛行機に乗れました。 ただ、成田まで次男に車で送ってもらうはずが、週あたまの大雪の影響で首都高の通行止め区間が多く、たっぷり荷物を詰め込んだ輪行袋を担いでヨロヨロしながら電車で移動することに。 おかげで出発前から身体はちょっとキツかったけど、暮れの精神的ダメージから考えればこんなのどうってことありません(^^)

 

旋回時にボーイング787の窓から見えた成田あたりの田んぼはまだ真っ白け。

 

 

 

機内では、この1月27日に封切りになったばかりの「ゴーギャンータヒチ、楽園の旅」を観たあと、うとうとしているうちに、あっという間に6時間が過ぎて、飛行機はほぼ定刻にプノンペン国際空港に到着。

自転車の荷解きを、最初は遠巻きにチラ見していた何人かのおじさんたち。 目があった際についほほえんでしまったものだから、タイヤやらサドルやらを触りに来て、なかなか作業がはかどりませんでした。

 

 

 

片側2車線の国道ですが、走行車線の路肩側は逆走車がふつうに突進してくるので、自転車は命がけ。

 

てな写真を撮っていると、野菜の屋台裏で酒盛りしていたおじさんが、「まぁ、こっち来て一杯やれよ」と、しきりに誘ってくれます。しかし、陽も傾きかけたことですし、暗くなってからこの国道をホテルまで走ったら、まちがいなく3回くらい死ねます。「わりぃ、またこんど!」と手を振ってプノンペンの中心部へ。

 

 

 

逆走、信号無視、ノーヘル、ナンバーなし、カブ4人乗り、何でもあり。125ccまでは運転免許も要らないとのことで中学生もふつうに運転してます。

 

 

 

めずらしく自撮り。 いやいや、この国の交通事情に馴れるまでは、きっと誰でもこんな顔になりますって(^^;

ただ、ルールはおおまかでも、ここんちの交通が思いやりで成立していることが分かってくると、回遊魚の群れのようなこのバイク集団の中でリラックスして走れるようになりました。 絶えずあちこちでクラクションは鳴っていますが、よく観察していると、鳴らした方も鳴らされた方にも怒りの表情はありません。注意喚起のためのものであることが多いようです。 ただ、ときおり見かけるLEXUS、V8のランクル、タコマあたりはオラオラ系の人が乗っているようで、渋滞した道をクラクションでかき分けながら走っていました。

てか、職場のクロゼットにサングラスを忘れて来てしまった(T_T)

 

 

 

宿はよく考えた末にシティホテルにしました(1泊33US$)。ほんとうはゲストハウスに泊まってほかの宿泊仲間から市内の情報収集をしたかったのですが、若い人たちの空気の中に加齢臭を持ち込むのもどうかと思い、遠慮しておきました。

 

 

 

トリップアドバイザーで評判の良かったレストランで食事を済ませたあとホテル前に戻ったら、路上でカードゲームに興じる人たちが。日が暮れるとそよそよと気持ちのよい風が吹くので、外で憩いのひとときを過ごしたくなる気分もわかります。

ちなみにレストランは地元料理のジャンルで選んだのに、白人シェフのこじゃれた料理の店でした(>_<) 明日はちゃんとリサーチしようっと。 アンコールビールはとってもおいしかったです!

 

 

明朝は5時起きで100km強のサイクリングなので、この夜は早めにやすみました。

 

 

 

 

 

 

 

カンボジアサイクリング未遂

  • 2017.12.22 Friday
  • 16:07

 

やらかしてしまいました。

 

じつは、乾季になったらカンボジアへサイクリングに行こうと8月に飛行機を予約。 プランはプノンペン経由でシェムリアップに降り立ち、観光客だらけの遺跡見物はほどほどにして孤児院や小学校を見学。 あと伝統工芸の工房「アーティザン・アンコール」も。

それからスープドラゴンかレッドピアノで ”生”胡椒と海鮮の炒め物「チャーモッチァ・ムオーイマレッ」をいただいて、そのあとはバックパッカーたちがたむろってるタケオゲストハウス泊。 

翌日から自転車旅をスタート。途中、竹筒で炊いた豆おこわやタランチュラのから揚げなどをいただきながら、コンポンクディ、コンポントム、スクン、プノンペンと泊まり、プノンペンでは家人が以前勤めていたカンボジアの子どもたちのためのNPO法人の元現地スタッフで、サイクリストでもあるPinさんに、自転車で街を案内してもらうのを楽しみにしていました。

 

20日の深夜出発の予定なので、必要だったのは21日の0時台の予約。 ところが私は20日の0:30を予約してあったらしく、どこを探しても羽田に私の飛行機は見つかりませんでした(>_<)

受け取っておいた海外Wifiルーターと両替したばかりのドル紙幣を持ったまま、自動チェックイン機にゴメンナサイされてハッと事態に気づき、そのまま1分くらい固まっていましたが、とつぜんどうしようもなく笑けてきてしまいました(^^;

車で送ってくれたり荷物を運んでくれたりと、いろいろ活躍してくれた次男のほうが私以上に凹んでしまったようで申し訳ないくらい。 我ながら気持ちの切りかえの早さにはちょっと驚きました。 

 

 

カンボジアは、1970年代にポル・ポト派が支配した5年間で800万人足らずの人口のうち120〜230万人(発表者によって異なる)が亡くなっていますが、そのうちの相当数が虐殺によるものでした。 当時中学生だった私は、父親が新聞を広げたときこちらを向いた国際面からやっとベトナム戦争の記事が少なくなったなと思った矢先、それと入れ替わるように取り上げられはじめたカンボジア内戦の記事をどう読み取ればよいのか、当時はまったく分からないでいました。

そこで何が行われていたのか、本当のことを知ったのは1985年に公開された「キリングフィールド」という映画を見たときでした。

 

23年間の長きにわたったカンボジアの内戦は、1990年に開催された「カンボジア和平東京会議」をもってようやく終結しました。

 

私が生まれたのは太平洋戦争の終戦から15年が経った年。すなわち日本の国民の多くが戦争を体験として知っている時代でした。 私たちの世代は 「何があっても戦争はダメだわ」 という確信を持った人たちに育てられたのです。 

 

もちろん虐殺の現場がそのまま保存されているトゥールスレンや、刑場となったキリングフィールドには行ってみるつもりでしたが、私がカンボジアを旅行したいと思った最大の理由は、1000年前の風化した歴史の見物ではなく、内戦の傷跡を見ることでもなく、厳しい時代を生きた大人たちや、彼らが育てた屈託のない子どもたちとふれあって、私自身が生まれ育った時代の空気感をもう一度肌で感じてみたかったからです。

 

まぁ、ちょっと意識高そうなことを言っても、大ヘマやらかしたあとじゃぜんぜんカッコつかないんスけどね(≧▽≦)

今回は未遂に終わったカンボジアサイクリング、そのうちもっかい企てようと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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