日野原重明さん

  • 2017.09.28 Thursday
  • 18:28

 

昨朝の食事中にNHKの「おはよう日本」を見ていたら、この7月に亡くなった医師の日野原重明さんのインタビュー(亡くなる半年前に収録)が放送されていました。 

 

印象に残ったのは 「人は病を得ると本当の自分があらわれてくる」 「本当の自分と出会えることはすばらしいことだ」 という言葉。

 

当院の患者さまでも大病を経験された方が何人もいらっしゃいます。 なかには日野原さんと同じような思いに至ったことを話して下さった方もありました。

 

ランス・アームストロングという自転車選手は25才のときにガンを発症。その後闘病生活を乗り越えて、有名な自転車レースのツール・ド・フランスを7連覇しました(後にドーピング問題で剥奪されてしまうのですが、、)。 そのランスはインタビューで、「もし次に生まれかわったとき、ツールを7連覇する自転車選手としての人生と、一人のガン患者としての人生。どちらかを選べるとしたらどちらを?」 と訊かれ、「迷わず一人のガン患者としての人生を選ぶ」 と答えたそうです。 それは日野原さんの言葉とまったく同じ理由からだったと記憶しています。

 

日野原さんはたくさん本も書いていますが、私は一冊も読んだことがありません。 しかしインタビューでの彼の言葉を聞けば、どういう人であったのかは何となく理解できる気がします。きっと共感できる部分がたくさんあるのではないかと。

 

終末期医療の普及に尽力された日野原さんでも自らにその時が近いと感じる日々に 「ただ恐怖でおののいている」 と告白していました。 だからと言って彼はけして死にたくなかったわけではないのだと思います。

 

いつか私にも必ずそんな日が来るわけですが、死を忌むべきものして遠ざけないで、自らにデス・エデュケーションを課しつつ生きていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

木の芽どき

  • 2017.02.09 Thursday
  • 11:52

 

ここのところ来院される患者さまの数が増えています。 外出するのがためらわれるくらい冷え込んだ朝でも、早くから多くの患者さまがいらっしゃいます。

日によって、あるいは1日の中でも昼夜の寒暖差が大きくなる春のこれからの時期を、昔の人は ”木の芽時” と呼びました。 「きのめどき」 と読んだほうが通りが良いので、ついそう使ってしまいますが 「このめどき」 が正しい読み方なのはいちおう知ってはいましたヨ(笑)

 

昔から、木の芽時にはおもに心が不安定になりやすいと言われています。  そしてもちろん、心と密接に関係し合っている身体も同じように調いにくくなるのは不思議なことではありません。

 

木の芽時が心や身体の健康に影響を及ぼすおもな原因は一般的に 「寒暖差によって自律神経のバランスが不安定になるため」 と言われています。 しかしそれは自律神経だけの問題ではないように思います。 この時期、動物が冬眠から覚めるように人間も身体全体のシステムが秋冬の自己保存モードから春夏の活動モードに切り替わり、その際に心身が消耗するではないでしょうか。 鏡に映った自分の顔は昨日までと何も変わっていないように見えますが、季節によって劇的に変化するのはまわりの植物や動物だけではないはずですよね。

 

木の芽時という言葉からは、心がふわふわと落ち着きがなくなる状態がイメージされがちですが、じつは ”うつ” の傾向も強調されやすい時期のようです。 実際、統計的にこの先3月から5月までの自殺者数はほかの月に比べて突出して多くなっています。 決算期であることや生活環境の変化が大きい時期と重なることもありますが、やはり気候的な影響も大きいのではないでしょうか。

 

都会で生活していると、この世界がきゅうくつな人間社会だけで出来ているような錯覚に陥ってしまいがちですが、日に日に増していくお陽さまの光の強さや公園の木の芽を観察していれば、自然の一部である自分自身に日々心身の変化があっても不思議なことではないと再確認する機会になるかも知れません。 寒くて多少身体はギクシャクしますが、お天気の良い日にはぜひ外に出かけてみましょう!

 

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NHKスペシャル 「ママたちが非常事態!? 最新科学で迫る日本の子育て」

  • 2016.02.16 Tuesday
  • 18:10

ちょっと前にNHKスペシャルで放映された 「ママたちが非常事態!?  最新科学で迫る日本の子育て」 を録画で見ました。

’タ唄間中の幸福感と出産後に突然襲ってくる不安や孤立感とのギャップ ∪屬舛磴鵑量覽磴 2〜3歳頃のイヤイヤ期 ぅ僉璽肇福爾悗離ぅ薀ぅ藉兇覆鼻⊃景謄泪泙燭舛絶望的な心に追い込まれてしまう原因となる現象を科学的に分析するという番組でした。

〇左紊良坩臓Ω瀕感・・・妊娠以降、出産に向けて急激なカーブを描いて増加する女性ホルモン (エストロゲン) が出産を機にガクンと分泌が低下するため。
人類はほかの霊長類とちがって、短いスパンで妊娠できるように乳児のうちから子育てを共同で行うようにできているそうです。 エストロゲンの急激な分泌低下による不安・孤立感も共同育児を促すためではないかとのこと。 しかし現代の都市部においては、母子が1対1で向き合い続ける時間が長くなりがちですよね。 今まで私はベビーシッターなどに任せる海外の子育てスタイルを少し否定的に見ていましたが、どうやら理に適っているらしいです、、

∪屬舛磴鵑量覽磴・・・妊娠中の胎児は絶えず深い眠りと浅い眠りを繰り返しているのですが、母体の負担にならないように母親が就寝中に浅い眠りの割合が高くなるのだそう。 出産後しばらくの間はそのリズムが変えられないことが夜泣きにつながるとのことでした。

イヤイヤ期・・・人類は二足歩行を獲得したために産道が細くなり、赤ちゃんが充分に発達した状態では通れなくなってしまいました。 衝動的な欲求に抑制をかける機能が育ってくるまでは、聞きわけがないのはしょうがないことなのだそうです。

ぅ僉璽肇福爾悗離ぅ薀ぅ藉・・・出産時から大量に放出されるオキシトシンは愛情ホルモンとも呼ばれるように、母子の絆を強めるためには無くてはならないホルモン。 しかし、子育てを阻害する対象となる人間に対しては攻撃性を現す性質を併せ持っているのだそうです。 パートナーが育児に対して非協力的であったり、作業は分担していても心の部分で寄り添っていなかったりすると、この攻撃性がイライラ感につながってしまうとのことでした。

自分の子どもがバブちゃんだった25年くらい前を思い起こしてみるといろいろ思い当たります。 かえりみてみると、自分なりにはベストを尽くしたつもりでしたが、作業の分担だけでは足りなかったんですね(汗)

当院にもときどき、妊娠中や産後の子育てで不調を感じて受診するお母さんがいらっしゃいます。 赤ちゃんの体重増加や授乳時の偏った姿勢が不調の直接の原因であるのは間違いないのですが、いろいろお話を伺ってみるとどうも原因はそれだけではなさそう。 

科学的な根拠も複合的に関わる要因のひとつに過ぎないとは思いますが、それでも苦しさの原因が少しでもあきらかになることは心の救いになるのではないでしょうか。


ここのところ何人もの友人に孫が生まれています。「孫もかわいいけど、子育てに真剣に向きあう我が子にキュンとする」 のだそうです。
ウチは息子ふたりなので孫はいつになることやら。 うらやましいなあ (*^^*)

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(写真はスタッフ女史が撮った彼女の孫です)







 

2016 あけましておめでとうございます!

  • 2016.01.05 Tuesday
  • 11:16

新年あけましておめでとうございます。

今年はおだやかなお正月でしたねえ。 お天気は良すぎるくらいでとても暖かく、のんきなテレビ番組で笑って三ヶ日を過ごしました。

さて、子どもの頃にはお年玉と同じくらい大きな楽しみだった年賀状。 最近は少しおっくうになって来ましたが、何年いや何十年会っていなくても、良い思い出を共有した人とのつながりは断ちがたいもの、年に一度の近況報告はいまでもやはり楽しみです。 みなさんもきっとそんな感じなのではないでしょうか。

暮れも押し詰まった頃、近所の本屋さんで年賀状の作成ソフトを物色していると、あるデザイン画に目が止まりました。 「三猿」をモチーフにしてはいるものの、内容が本来の意味とは正反対の 「観ようぜ!聞こうぜ!言おうぜ!」? に変えられています。

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三猿は大陸から伝わった教えのようです。 モチーフ自体は古代エジプトやアンコールワットにも見られるものの、教えの由来ははっきりしていないとのこと。 論語にも同様の一節があるらしいので、日本に伝わった直接のルーツはそのあたりでしょうか。

いずれにせよ、この教えは社会システムを維持するためには不都合なことに首を突っ込まずに過ごすのがよろしい。と言うことだと理解しています。 ADHD気味だった私は子どもの頃からこの教えが大きらいでした。 思ったことを黙っておけない形質の私にとってこの教えはとても窮屈で、空気を読むことよりも率直に意見を言うほうが誠実なのではないか? なんて毒づいていましたっけ(笑)
そんな私は、このデザインの三猿を見て思わず心の中で快哉を叫びました。 デザイナーさんもひょっとしたら同じ形質の仲間かしらん、なんて考えながら(笑)

個人のプライバシーに関することであれば三猿の教えはとても正しいと思います。 ただ、孔子の頃よりもずいぶんと社会が成熟した現代においては、さまざまなことに関心を持ち、浴びるように降ってくるおびただしい情報の中で感覚を研ぎ澄ませ、見て聞いてよく考え、本質を見出したと確信したときに自分の意見を発信することは、ひいては社会を正しい方向へ導くことに貢献することになると思います。

年初からこんな感じなので、おそらく今年もうっとうしい内容が多くなるとは思いますが、拙ブログをどうぞよろしくお願いいたします!






 

腰痛についてのテレビ番組を見て

  • 2015.07.21 Tuesday
  • 11:28

テレビ番組で何度も特集されたこともあり、最近では患者さまにおいても腰痛に対する認識が変わりつつあります。
私も週末に録画でNHKスペシャル 「腰痛・治療革命〜見えてきた痛みのメカニズム」 を見ました。

器質的な病変は無いのに強い痛みが3ヶ月以上も続いてしまう慢性腰痛の患者数は、全腰痛患者数の半分以上を占めるとのこと。
ギックリ腰(筋膜の炎症や椎間関節捻挫)など何らかの腰痛の原因が発生すると、脳の中に ”痛みの回路” が出来上がりますが、通常は治癒すればその ”痛みの回路” に抑制をかける脳の局在(DLPFC)が働いて、痛みを感じなくなるとの説明でした。 

ところが慢性腰痛の患者さまでは、いちど経験した強い痛みの再発に対する不安な気持ちがDLPFCの機能を働きにくくしてしまい、痛みの感覚だけが残ってしまうのだそうです。 そこで不安を取り去るために心理療法のひとつである「認知行動療法」を用いたところ、6割の例に改善が見られたとのこと。 病識についての動画を観る簡単な認知療法から、強迫性障害などに用いられる暴露反応妨害法のような行動療法まで、程度によっていろいろな治療法が紹介されていました。 


精神的な要因が痛みの閾値に影響を及ぼしていることは、ほとんどの治療家が経験的に知るところです。
私が精神分析や依存症についての本を読み始めたのも、画像診断や他覚的な臨床検査でも問題がないのに、症状の訴えだけがあるケースが非常に多いことに気づいたからでした。 ただ、具体的な根拠もなく心の領域に踏み込まれることに抵抗する患者さまが多かったことも事実です。 おそらく「痛みの原因は自分の心の弱さですよ」 と突き付けられているような気持ちになったのだと思います。

患者さまからすれば、痛みの原因となる脳の局在が見つかったことで、出来事を 「構造的な不具合に苦しめられている自分」 という図式に書き換えが可能となり、受容がしやすくなるのではないでしょうか。  このようなことからも、脳の局在の発見にはたしかに大きな意味があると思います。

ただ、腰痛を物理的な側面から考えると、椎間板ヘルニアや分離・すべり症、脊柱管狭窄などの器質的疾患を含めて、すべての腰痛の潜在的な誘因には重力的なバランスの乱れ、すなわち身体の使い方の問題があると考えています。

野生動物たちはインストールされたソフトウェアの支配が強いので、考えることよりも感じて反応することを優先して生きています。 重力バランスもしかり。 姿勢の悪いライオンなどは見たことがありませんよね。 二足歩行の人間はなおさら重力バランスを優先する必要があるのに、社会生活のためについつい前頭葉での情報処理を優先してしまい、姿勢が乱れがちです。 とくに、考えても答えが出ない想念を頭の中でぐるぐる巡らせる習慣がある方は、腰痛だけでなく、肩こり、膝痛も起こりやすいので要注意。

こう考えると腰痛には始まりから終わりまで、脳のはたらきが密接に関わっているんですね。 テレビでよく見る元十種競技選手のあの人のように、みなさんも野生に帰る努力をしましょう!










 

成長とか老化とか

  • 2015.07.03 Friday
  • 19:03

若いころは子どもが苦手でした。 わがままでうるさくて思慮が浅くて、、 

それが自分に子どもが出来たとたん、自分の子どものためなら迷わず死ねると思いましたし、仕事のストレスも半減しました。
そしておもしろいことに、他所のお子さんまでみんなかわいくてしょうがなくなったのには驚きました。

自分自身の脳の情報処理パターンに、それほど大きな変化が起こったのは初めてのことだったのでかなり戸惑いましたねえ。

人間も動物ですので、種の存続のためにはたくさんのエネルギーをつぎ込みます。
自身の知力・体力の向上を図り、同性・異性に対して優秀な遺伝子の継承者であること、また目的のために努力を継続できる個体であることを証明し、優秀な子孫を残していく。その目的を達成するまでは何よりも自分の事を大切にするべきで、その頃は自分以外の人に対してのやさしささえも、結局自分自身を生きやすくするための知恵によるものだと思います。

ただ、子に恵まれ、その子どもたちが自立したあとは、もう何かを証明するための努力に意味を感じるのは難しくなってきました。 ここから先、自分を大切にして生き残るための努力をすることは、自分のためにも社会のためにもかえって負担になるような気が、、
昔の人が早死にだったのも、医療技術の水準というより、隠居したあとの家族や社会からの疎外感や退屈が原因していたのでは? という説も頷けます。

最近では、選挙権年齢を18才に引き下げることが決まりましたね。 独身時代〜我が子が小さかった頃までは、子供たちが暮らす自分の国を守るためには戦争も致し方ないと考えていましたが、今は息子たちが戦場で人を殺してその罪悪感で苦しむような悲しい時代なら、無理に生き延びてくれなくてもいいよ、って言ってあげたくなります。 この思考パターンの変化にも我ながらびっくりです。

やはり政治の方向性は若い人優先で決めていくべきだと思います。 齢を取ってミョーにマイルドになったり、逆に過激になったり。 ぼんやりしたりした頭で考えても、現役世代にとって最善の政治判断が出来るとは思えません。 今の自分の劣化ペースから考えると、そうだなぁ、65才くらいで参政権を取り上げてもらえば、疎外感が感じられるようになり、現在の異常な長さの平均寿命も世界の平均に近くなれるのではないでしょうか ←これは完全に言いすぎましたね(笑)

今日はひどい雨で患者さまが少なかったのと、朝の通勤路でほどよく褪せた紫陽花の写真なんか撮ったものだから、くだらないことをつらつら書いてしまいました。 いつも以上に自分に向けたひとり言みたいなものです。 あんまりマジメに読まないでくださいね。

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空に向かって跳びはねてみませんか?

  • 2015.05.20 Wednesday
  • 14:05

5月4日に再放送されたNHKの 「君が僕の息子について教えてくれたこと」 を観ました。
重度の自閉症をもつ詩人で絵本作家の東田直樹さんと彼を支える人、そして彼の本に救われた人たちのお話しです。

連休明け、当院のスタッフ女史にその番組の感想を話したところ「彼の本、うちにあります」 とのこと。 すでに昨年の初回の放送を観ていた彼女は、そのあとすぐ東田さんの 「跳びはねる思考」 というエッセイ集を読んでいたのです。

成人しても自らの形質に気づかず適応に苦しみ、それを身体の症状として自覚して受診する患者さまも多いのですが、そんな彼らのことを知るために、すすんで自閉症スペクトラムについて勉強していた彼女には頭が下がりました。

さっそく私も借りて読んでみました。

ぜんぶで37のエッセイのうち、はじめの3タイトルは「僕と自閉症」「刺すような視線」「障害を抱えて生きること」 で、自閉症を生きることについて書かれていました。 これらはとても重要な内容なのですが、自閉症を紹介する本はほかにもたくさんありますので目新しくは感じませんでした。

4つめのエッセイのタイトルはとつぜん「夏が来るたび」。  ここからは彼が心を奪われるほど好きなもの、心が安らぐ時間や対象がいくつも紹介されます。 そのどれもが私の好きなものと重なるので、ついブログに上げてしまいたくなったのです。

「夏」「植物」「水」 どれも私がとくべつに思いが強いものばかりです。

「夏」 の強烈な陽射しや朝の草いきれは、故郷の室戸への郷愁を誘いますし、何より夏は、目に入るもの、耳に聴こえるもの、肌に感じるもの、そのすべてがにぎやかで、落ち着きのない自分の心を開放しても許される気がして安心できるのです。

「植物」 以前このブログにも書きましたが、もし生まれ変われるなら、湖を見下ろす斜面に立つ梢の高い針葉樹になりたいと思っています。 なぜか、と訊かれてもうまく説明できませんが、私にとって植物はとても純粋な命に思えるのです。 しずかな心で光や風や四季を感じて過ごしてみたいなあ。

「水」 これもやはり子どもの頃、川や磯や浜で海に潜ったときの身体の自由度や心の開放感は、今でも鮮烈な記憶として刻み込まれており、ふたりの息子にも水に関わりのある名前をつけたほどです。

こんな純粋で感性のゆたかな人と好きなものがいくつも共通するなんて、うれしいかぎりです。


最後に 「言葉」 というエッセイの一文を引用させていただきます。

「話ができず不便だったり、大変だったりすれば、どうしたら少しでも言葉が伝わるか、自分でも工夫し、何とかしようとするはずです。 これは、報われるためではなく、生きるための努力なのです」

一般に自閉症スペクトラムの人は、他人の心を理解するのが苦手なのですが、自らの心を記述するトレーニングをすることで、少なくとも他人に自分を理解してもらうことができるようになり、コミュニケーションの糸口がつかめる。 そんな達成感が自己肯定感につながるという意味だと思います。 共感能が心もとない私自身もまさしくそうやって対人関係を維持してきたので、彼が言わんとすることが痛いほど理解できました。

彼らと同じ 「形質」や「素因」 は、多かれ少なかれ誰にも存在するもの。 自閉症の人の心を知ることは、いわゆる 「健常者」 であるあなた自身の純粋な心を再発見することにつながるかもしれませんよ。

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薔薇と手

  • 2015.02.08 Sunday
  • 16:42

数日前の昼休み、患者さまから頂いた薔薇のしおれ方に魅かれ、カメラを構えたその自分の手背に目が留まりました。

普段わざわざ見ることもありませんが、何かのおりに鏡の中の自分と目が合ったり手に目が行ったりすると、ほんのわずかな時間ではありますが心が動揺します。 ずいぶん長く生きてきたものです。 
もちろん、平均寿命ちかくを悠々と過ごしている諸先輩からすれば洟垂れの戯れ言ですが。

40代までは、遠い昔に幼なじみと肝試しに飛び込んだ台風前の室戸の波のように、逆らおうとするだけ消耗してしまう暴力的な時間の流れに翻弄されて過ごしていました。 
ところが50をとうに過ぎ、この腕や脚や頚や心をさんざんにへし折ったものすごい力の波は遠く岸辺に砕けて、のどかなうねりに取り残されぷかりぷかりと浮かんでいる自分に気がつきました。


自慢ではありませんが私には若い友人がたくさん居ます。 下は中学生くらいから。 彼らはどうやら私のことを大人だと思ってくれていないようです。 ふつうは皆さん意識しなくても 「大人と子供」 「男性と女性」 「治療家と患者」 など、相手との関係性を明確にしてからコミュニケーションを取っていると思うのですが、裸一貫がデフォルトの私はそれが苦手なのです。 人を値踏みしない者同士だと仲良くなるのは簡単ですよね。

若い日々を生きる人たちは、毎日がほんとうに大変だと思います。 親や社会の期待に応える。さまざまな衝動や欲求を実現する。何もうまくいかず無為に日々を過ごす自分を受け容れる。など、大人の目からはもどかしく見えても、彼らは生まれてきた意味を証明するために毎日が必死です。 真摯に自分と向き合う彼らを見ていると、何の価値もなかった自分の若い日々もひょっとしたら少しは輝いていたのかもしれないと思えてきます。

自分や親や友人や社会やぜんぶが大嫌いで、ぜんぶ殺してぜんぶ死にたいと思った若い日々。
今、自らの老いの兆候はたしかにさみしくもありますが、若い頃の苦しさを思えばそれ以上にありがたくうれしいものです。
若い友人たちには、永遠に続きそうに思える不安で苦しい日々を過ごしていても、とくに何かを成し遂げられなくても、いつかきっと自分と同じように、いろいろ忘れっぽくなって受け容れが楽になり、おだやかな海をプカプカたゆたうように過ごせる日が来ることを、うそっぽくならないようにどう話したものか考え中です(笑)


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今年もお世話になりました

  • 2014.12.30 Tuesday
  • 18:02

タイトルは暮れのごあいさつなのに、カテゴリーを「身体や心のこと」に分類したのには理由があります。
じつは、今年を振り返りながら年賀状を書き終えた翌日、仲間たちと出かけたマウンテンバイクの走行会で鎖骨を骨折してしまったのです。

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恥ずかしい出来事なので、さらっと流したいところですが、紺屋の白袴ネタもおもしろがって頂けるかしらと、右腕のリハビリを兼ねて、出来事の顛末を書いてみようかと思います。


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このあたりまでは楽しかったっけなあ。。

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シングルトラックも終盤に差しかかった頃、どうということのない右ターンの際、前輪が枯葉に隠れた木の根を踏む角度がいけなかったらしく、息をのむ間もなく右肩から地面に叩きつけられました。 行程の後半はとくに油断禁物と自身に言い聞かせながら走っていたので、かえって精神的なショックは大きかったです。

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この写真はジャンプの着地失敗時のもので骨折時のではありません。 ただ、思い起こせばこのあたりから雲行きは怪しかった気もします。。


木の根にしたたか打ちつけた頭が像を結び始めるまで待って立ち上がり、どうやら頭は大丈夫そうだとホッとしながら違和感を感じる肩を動かしたとき、すっかり離断してしまった骨片どうしがきしむクリックを感じました。鎖骨骨折の典型的な受傷部位である中外1/3部に触れてみましたが痛みはありません。 覚悟を決めながら外端部を押してみると、はっきりと骨折特有の限局性圧痛がありました。 外端部は安定性が悪いため、ほとんどの症例が手術治療になってしまいます。 癒合期間も余分にかかるし、、自分の舌打ちが聞こえました。。

痛みで背中を丸くしたくなりますが、炎症症状が進んで痛みが大きくなる前に、気合を入れてバキボキ音もろとも鎖骨骨折の固定肢位まで胸を開きセルフ整復。健側の左腕で右腕を支えながら数キロを歩いて下山しました。 このとき あしびな の店長さんは、徒歩でもきついシングルトラックを2台押しで同行してくれました。 彼は自転車に乗るのも上手ですが、こんなすごいテクニックまでマスターしていたとは(笑) 

駐車場に着くと、仲間が三角巾と鎮痛剤を調達してくれてありました。 三角巾がどれほど有用かを思い知りましたねえ。患肢を吊るだけで痛みは半減。 三角巾は自転車乗りの救急セットにはマストだと確信しました。

都心方向に向かう全員が、私の職場の接骨院まで送ってくれました。 仲間に固定法を説明しながら専用の鎖骨ベルトを装着してもらったときには、またまた感動するほど痛みが激減。 休診のお知らせまで貼り出してもらい、当日するべきことはすべて完了することができました。 ほんとうに感謝感謝です。

翌日、懇意にしていただいている整形外科を受診しました。 レントゲンでは骨折面5cmほどの斜骨折でした。 幸い烏口鎖骨靭帯は部分断裂で済んだらしく、中枢骨片の跳ね上がりもほとんど見られません。 外端部骨折のわりには安定性が良さそうなので、先生と相談の結果保存療法で様子を見ることになりました。


受傷後2週間が経過し、固定性が良ければそろそろ骨折部の断端が線維性に結合し始める時期なので、ためしにベルトを外してみると、まだどうにも腕の重さが支えきれず数分でギブです。 骨折は骨に貯蔵されている血液がいっぺんに放出され、出血量もそれなりに多くなるので皮下溢血斑もしっかり残っています。 
通常ならレントゲンを撮って経過をチェックする時期なのですが、破骨細胞が骨折片の断端を地ならし中のこの時期にレントゲンを撮っても、画像上は骨折線の乖離が大きくなっているように見えるだけなので、仮骨が見え始める4週目まで診察は免除されており、経過の判断は臨床症状が頼りです。 可動域の訓練開始は3週目からかなあ。 患者さまの焦る気持ちがよく分かります。



受傷当初は、この1ヶ月を思索にふけって有意義に過ごす腹づもりでしたが、忙しい日々の就寝前のひと時とちがい、時間無制限で深く自分を見つめ直す試みは、ポッカリ口を開けた暗いほら穴の前に立ったような気持ちでとても恐ろしく、かと言ってテレビとPCを眺めながら「食っちゃ寝食っちゃ寝」生活も、それはそれで現実の社会から切り離されていくような寂しさが侵み入ってきます。 予定された療養期間も折り返し地点を過ぎ、この先心や身体がどう変化していくのか、得られるものや失うものが何なのか、観察して行きたいと思います。

ということで今年最後の更新は、なんとも辛気臭い内容になってしまいましたが、来年もどうか懲りずにおつきあいくださいませ〜






 

「名は体を表す」

  • 2014.10.06 Monday
  • 18:01

先日、親戚に新しい命が誕生しました。 私自身も初めてわが子を授かったときには大きな喜びに飛び上りましたが、同時にそれまで感じたことがないほどの責任感に身が引き締まったことを思い出しました。 まだ目も開かず子猫のように細い声で、それでも力いっぱい泣いて母親に自分の居場所を知らせるしわくちゃな顔を見つめながら、一所懸命名前を考えたことも。

よく 「名は体を表す」 と言います。 これは当たってるなあと感じることが多いのですが、いろんな人を見ていると、すっかり自我が確立してから、努力によって我が名に負けない人間になったとは思えないんです。

親が子に名前をつけるとき、どういう人間になってほしいかをイメージしてつけますよね。
「世のため人のためになるような人間になってほしい」 「 
競争社会を生き抜いて成功してほしい」 「 たくさん勉強して正しい判断が出来る人になってほしい」 「 目に見える成果を上げる人になってほしい」 「 目にみえないけれど大切なことを理解できるひとになってほしい」 「 哲学的に生きて本質を知る人になってほしい」 「 やさしい人になってほしい」 「幸せな人生を歩んでほしい」 「きれいな女性・かわいがられる女性になってほしい」 などの親の願いが込められた名前はすなわち、そういう人間に育てますという親自身の宣言のようなもの。
三つ子の魂百まで」 の教えの通り、幼少期に形成された価値観はその人の価値判断の基礎となり、大人になってさえいい意味でも悪い意味でも、人間性の形成にどこか誘導がかけられていくのではないでしょうか。

いろいろな個性の人が補い合って社会を形成しているわけですから、自分を優先しようが社会を優先しようが、あるいはスピリチュアルなものを優先しようが、どの個性も否定されるべきではありません。

昨今、流行っているキラキラネームも、漢字の意味なんかより ”音” のひびきなどの原始的な感覚が大切、という主張とも考えられますし、既存の価値観にしばられない独創的な人になってほしい、という親の愛が感じられますので、それはそれでアリかなと思っています。 ずいぶん世代が違うので、そりゃもちろん自分としては少しの違和感はありますヨ(笑)

ともあれ、名前による自己流の性格判断は、血液型占いよりはよっぽど当たると思っています。

あ、もちろん名前とぜんぜんちがう人格の人が居ないわけではありません。 そういう人に出会うと、この人はきっと、脳の中で誘導という磁場を発生し続ける親の幻影との厳しい闘いを乗り越えてきたんだろうな、などとろくに知りもしないその人の半生を、勝手に想像するのが私のひそかな愉しみです。


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