映画観るまでが長かったっておはなし

  • 2018.04.16 Monday
  • 19:00

 

土曜日の終業後、音楽評論家の患者さまから教えていただいた映画を観に行きました。

 

劇場は東中野ポレポレ。インターネット予約は受け付けておらず、劇場窓口で整理番号をもらう今やなつかしいシステムなので、封切日は混むかもと早めに出かけました。上映3時間前なのでさすがに若い番号でした。ちなみに午前中の上映は満席だったそうです。

 

整理番号を確保したあとは、時間つぶしを兼ねて古い機械式クロノグラフの修理を依頼するために西荻窪へ。 会社員時代の30年前に購入したのですが、そのあとすぐスーツと縁のない現在の仕事を始めてしまったので、オーバーホールもしないまま引き出しの中で眠らせていた時計です。

先週、入社式に向かう次男に使わせようと引っぱり出してみたものの、さすがにオイルが切れており、すこし動いたあとすぐに止まってしまいました。

 

ご店主の見立てでは修理費は私の予算を越えそうな雲行き。 ただ彼曰く「父親から息子へ引き継がれる時計を手入れするのは職人としてもうれしい話です。それにこのタイプは現在お客様の購入時の数倍の価格で取引されていますよ。ぜひ直して大切に使っていただきたい」とのこと。 そんなん言われたらねえ(^^;

評判の高い職人さんなので、正確な見積もりを出すまでにも2週間かかるとのことでしたが、もちろんお願いして来ました。

現在の取引き価格を聞いてしまったので、次男にはちょっともったいないなーと、、 さて誰の腕に巻かれることになるのでしょう(≧▽≦)

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(画像はトライフルのHPから拝借しました)

 

 

 

 

時計修理のお店から徒歩2分のところにあるジャズ喫茶JUHA。 時代にあわせてPOPでかわいいメニューなんか出してみても、このドアのしつらえが「ジャズ好きしか入るんじゃねえぞ」と主張してますよねえ(^^;

スピーカーはなつかしのDIATONE DS-77HRX 。 まだアナログレコードとCDの売り上げが拮抗していたころの普及品の名器です。もちろんレコードでアコースティックな時間を楽しんで来ました。

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お茶をしてもまだ少し時間があったので、阿佐ヶ谷のLAST GUITARでウクレレを数本試奏。 小金井在住のルシアー、濱田隆則氏によるインディアンローズ・シトカスプルースのコンサートサイズが素晴らしくてお持ち帰りしたくなりましたが、すんでのところで踏みとどまりました。 塗装はフレンチポリッシュでニカワ接着。ヘッドやブリッジの意匠は庭の柊の葉をモチーフにしたそうです。

クライマーでもある濱田氏の自然へのリスペクトがそのまま音に表れた繊細なトーンは、いつまでも弾いていたくなるほど魅力的でした。

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(こちらも画像はお店のHPから拝借)

 

 

 

 

前置きが長くなりましたが、肝心の映画はなかなか重い内容でした。 タイトルは「ラッカは静かに虐殺されている」。

ここのところに来てやっとISILの支配が終わりを迎えたシリアの街ラッカ。 ISILが首都と定め、外部のメディアが入れなくなったあの街で何が行われていたのか。 危険を覚悟でスマートフォンのカメラを武器にISILに立ち向かい、世界にラッカの惨状を発信し続けたR.B.S.S(Raqqa is Being Slaughtered Silently/ラッカは静かに虐殺されている)のメンバーたちを追ったドキュメンタリーです。

 

顔出しで登場するのは、ラッカを逃れトルコやドイツから現地メンバーの情報を発信する数人。 しかしその潜伏先でも次々にメンバーが暗殺されていきます。 恐怖に怯えながらも父親が処刑される動画を繰り返し見て、自らを奮い立たせるひとりのメンバーの目から、彼の心の動きを探ろうとしましたが、遠く離れた日本でぬるい日々を生きる私などに彼の心の闇の深さが理解できるわけはありませんでした。

それでもせめて、世界のあちこちで何が起きているのかを知ろうとする努力だけは心がけていきたいと思います。

 

あとから知ったのですがこの映画、封切り前からamazonプライムビデオで公開されていたらしいです。なんかビミョー、、(´Д`)

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ヒルクライムからの日本史のおさらい

  • 2018.04.11 Wednesday
  • 11:36

 

前々回の更新のネタにした秩父でのサイクリングは ”10年くらい前に走った「龍勢ヒルクライム」のコースをたどってみる” というものでした。

 

道の駅 龍勢会館の近くを流れる石間川に沿って遡上し、城峰神社の鳥居をくぐると、あとは10%を超える斜度がつづく区間。 そのきつい斜面にしがみつくように建てられた民家からなる集落があります。 もう一段上の集落からふり返って見おろしたのが下の写真。 写真のウデがアレで遠くに望めた両神山がまっ白けになってしまったのがザンネンです(>_<)

 

写真を撮っていたときには、「このあたりでは林業で生計を立てていたんだろうな」などと考えていましたが、じつはあとから調べてみると主産業は養蚕でした。 その養蚕業は、こののどかな集落にゆたかな暮らしをもたらしましたが、ある時代にはかなりきびしい局面に向き合うことになりました。

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その斜度がきつくなる手前の区間を走っているときのことです。 石間川沿いの道路端に「加藤織平の墓」という看板が立っているのが見えました。 「有名な人かも知れないけど、知らない名前だな」と思いながら通り過ぎましたが、帰宅してから検索してみると、上ののどかな集落や加藤織平が、歴史の教科書に載るような事件の舞台であり、登場人物であったことを知りました。

 

高校の日本史の授業では、歴史がまだ”歴史”として評価が確定していない近代史については、年度の終わりの授業で駆け足でなぞるだけでした。 なので、まさにこの写真の撮影時に私が立っていた半納集落が戦場のひとつになった「秩父事件」についても、私はその概要しか把握していませんでした。

 

秩父事件とは、明治17年にここ秩父で起きた農民による武装蜂起事件です。 このころ秩父地方では養蚕が主要な産業だったのですが、生糸価格の大暴落と大蔵卿 松方正義のデフレ誘導政策で農民は困窮を極めており、政府に対して雑税の減少や負債の延納などを要求したこの蜂起には数千人が参加しました。 事件の詳細は検索していただくとして、興味深いのは事件から130年以上経った現在でもこの事件の評価はさまざまで、政府の圧政に対する民衆の抵抗運動、当時で言えば自由民権運動の一形態として大きな意味があったとする声もあれば、当時の政府のアナウンスと同じく「火付け強盗・暴徒による暴動」と断ずる声もあります。 近年でも、TBSでは「菊池伝説殺人事件」というドラマで、秩父困民党軍の参謀・菊池貫平を悪逆の限りを尽くした大罪人として放映し、視聴者から抗議を受けたことがあったそうです。 昨夜、この事件を題材にした映画「草の乱」を見たのですが、困民党側から見た当時の状況はたしかに同情に値するものでした。 歴史上の出来事の中には、法的判断と民衆の心情的な受けとめ方が一致しないものがたくさんありますよね。

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じつは私が所属する自転車チームのメンバーのご先祖さまも秩父事件に関わっていたとのこと。 彼からそのことを聞いたのはお酒の席でしたが、これだけ時代が下っても、やはりそのことについて話すのは彼にとって少し酔いを醒ますほどの事だったのでしょう、心なしか声を潜めて話してくれたことが思い出されます。

 

それにしても、のどかな山里のほのぼのサイクリングが、まさか歴史の勉強につながるとは思いもしませんでしたっけ(^^;

 

 

 

 

 

 

山の花見も三年め

  • 2018.04.03 Tuesday
  • 18:47

 

私は根が天邪鬼なせいか、街に桜が咲き始めてもそれほど感慨はないのですが、3年前にある方のブログで見た「八徳の一本桜」の写真がとても印象的だったので、この時期になるとチームメイトでもある当院のスタッフ女史を誘って毎年必ず訪れます。

 

スタート地点は飯能市役所。都心より気温の低い飯能でも、もう桜は散り始めていました。今年の桜は何だかあっという間に満開を迎えたので、なんだかキツネにつままれたような気分でしたね。

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名栗みちでみつけたスケルトンなホウズキ。 繊細でしなやかで軽くて必要なだけ強くて、、 見習いたいです(^^;

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名栗みちをたくさんのブルベライダーが走っていました。 AJたまがわ主催の「定峰200」とのことでした。

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正丸峠のキフジの花。 光の当たり方でチェッカーフラッグみたいに見えておもしろかった。

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苔むしたコンクリートブロックにひっついたネコヤナギの花穂。

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刈場坂峠を上り切るやいなや、桜の根本にへたりこんですっかり根が生えてしまったスタッフ女史。 今日の上りはこれでおしまいなので気がゆるんだらしく、齧りかけのアンパンを振り回しながら肩の体操をしているところです(^^;

峠の桜はソメイヨシノよりも少しおそく開く種類のようで、やっと蕾がほころび始めたところでした。

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きついつづら折りの下り、杉林を抜けたところで突然開ける景色がこれです。 奥武蔵の山並みに映える八徳の一本桜。 昨年、一昨年は散り際に訪れましたが、この日はまさに「ようこそ! ちょうど今朝満開になったところです♡」というタイミング。

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この子があんまりかわいかったから、去年の写真も載せちゃおう♡

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一本桜からふと見上げた空。 ぶつかるわけはないのですが、ちょっとハラハラする交差を見せてくれた2機の軌跡。

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吾野まで下りて国道299号の手前。 ご夫婦を包むやわらかい空気に魅かれてつい声をかけてしまいました。

ちかくにあるご先祖のお墓までお参りに行くところでした。

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八徳の花見帰りはいつもここ。 高麗川にせり出したテラスでランチがいただける日月堂で、サーモンとクリームチーズのサンドイッチ。 おみやげに地元埼玉の粉を使ったライ麦パンとクランベリーのパンを買って帰りました。

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帰宅後は近所のシネコンで「ペンタゴン・ペーパーズ」を観てきました。

昨今、メディアの在り方がいろいろ言われますが、この映画のケースのように報道は、敵だとか味方だとか関係なく、世界中の命を救う ”正義の味方” であってほしいものです。 

劇場は満席でした。封切り日に出かけてもわりと空いているそのシネコンで、今までに私が満席を経験したのはスターウォーズくらい。 それだけ昨今の政治や報道に対する関心が高まっているということなのでしょうね。 

 

 

 

 

 

 

なつかしい峠へ

  • 2018.03.27 Tuesday
  • 16:19

 

先週に引き続きおとといの日曜日もいいお天気でしたので、自転車に乗って来ました。

 

数日前に自転車仲間と昔話をしていたときのこと、10年以上前にいちど走ったことのある「龍勢ヒルクライム」というレースが話題に上り、「そういえばあのコースはあれ以来走ったことがないなあ」「下りで見た紅葉の中の山里の風景がすばらしかったなあ」などと話しているうちに、どうしてもまた走ってみたくなり、さっそくひとりで出かけてきました。

 

10年以上西武沿線に住んでいながら、昨年はじめて乗ってすっかり気に入ってしまった西武池袋線のレッドアロー。 自宅から1時間ちょっとで、いつもの奥武蔵よりなおいっそう自然の濃い秩父周辺にワープできるのは魅力です。

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秩父橋の橋脚は脚を踏ん張った巨人。そしてその手から放射状に放たれるビーム!(≧▽≦)

右奥は秩父太平洋セメントの工場。

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梅の向こうは残雪の両神山。

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国道299号。なんか新しくなったらしい区間。

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龍勢ヒルクライムのコースの前半部は県道363号。 石間川に沿って上って行きます。 ヤマメ狙いのおじさんとのどかな陽気を喜び合いました。

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何を撮ったの? って言われそうな写真ですね(^^; 

こわれた屋根の影とトタンの折り目の線の重なりがおもしろくて。

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以前に参加したレースの下山時に印象的だった風景はここだったかも知れません。 光が強すぎて色が飛んでしまいましたが、遠くに両神山が望めます。 全戸南向き陽当たり良好(^^)

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標高700mを越え、民家もなくなった道路っぷちの側溝でガサゴソっと音がしたので、なんだろうと戻ってみたらトカゲでした。 排水口に逃げ込む寸前にやっとカメラの起動が間に合いました。

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峠が近づくと日陰にはまだ雪が。

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看板設置のときに付けられたのか、誰かのかわいいいたずら心によるものなのか、太田部峠の看板の上に小鳥のフィギュアが乗っかっていました(*^_^*)

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太田部峠からは土坂峠に続く稜線を西進。 同じ山並みでも奥秩父の連山は奥武蔵よりも険しく見えます。

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土坂峠。 次回は神流側に下りてみよう。

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正面中央に合角ダム。

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80kmで1300mアップと以前なら少し走り足りない行程でしたが、この齢になるとごはんの量と同じで八分目で充分。 早く帰ってウクレレが弾きたいので14:25発のレッドアローで帰宅。

新緑の頃になったらまた大血川林道や八丁峠を走りに来よう。

 

 

 

 

 

 

 

ひさしぶりに山方面へ

  • 2018.03.20 Tuesday
  • 12:05

 

日曜日には、そろそろ雪も解けた頃かと久しぶりに山方面へサイクリングに出かけて来ました。

 

 

梅林で有名な越生あたりは、あちこちで梅が満開。

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これはチッパーシュレッダーっていう機械らしいのですが、端材を食わせると肥料に使えるサイズのチップに破砕して吐き出してくれるというもの。 直径20cmくらいの丸太も難なく処理していました。 フシギおもしろくて近所の子どもたちと一緒に10分ほど見物。

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この日のメインディッシュは林道奥武蔵支線。 その道沿いで栽培されている北山杉は来るたびに背丈が伸びて、今ではまるでパームツリーのよう。

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もうすぐグリーンラインの稜線というところにある広葉樹の林。 あと1ヶ月ちょっとでこのあたりは萌黄色の世界になり、まさに今開く葉からこぼれ落ちる雫を頬に感じながらのパスハントが楽しめます。 それは一年の中でも私のいちばん好きな季節。 今日は、その晴れやかな日に向けて木々が忙しく準備しているのを見たくて上って来たのでした。

 

 

 

地元の狩猟クラブのおじさんたちが犬を運動させていました。 イノシシのマークが描いてありますが、実際にはイノシシは多くなくて鹿が中心だそう。 私のいなかの高知はイノシシ猟が主でした。 私は子どもの頃に山鳥や魚くらいしか猟をしたことがありませんが、実家には弟の猟銃が保管されています。

近年、ハンター人口は激減しているそうです。 殺生を趣味にすることに対する抵抗感や周りからの視線が原因なのでしょう。 しかし、人間は動・植物の命を奪わないで生きていくことはできません。 狩猟で感じる興奮と罪悪感がないまぜになった感覚はとてもリアルなもの。 そこには殺生をしないでお金で肉を買う人には理解できない何かがあるのです。

 

 

 

グリーンラインまであと50mくらいのところにある、お気に入りのビューポイント。 アズキ色に芽吹いた林の中の一本杉は、まるで川の流れに洗われる岩のようです。

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ムラサキハナナ ←てきとーに言ってるんじゃなくて、この花の本名です(≧▽≦)

※間違いをご指摘いただきました。ムラサキハナナもハナダイコンも通り名で、正式な名前はオオアラセイトウでした(^^;)

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刈場坂峠からR299に下りて、こんどは天目指峠。久通川の透明度はとても高くて、ウグイ?オイカワ?の稚魚の群も気持ちよさそう。

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スギ花粉で鉄錆色の山肌。 街にいると気になってしょうがない花粉ですが、山に来ると忘れてしまうんですよね(^^;) 

 

 

 

オオイヌノフグリ

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帰宅してみたら、なんだか家人がゴキゲンちゃん。 訊くとこの日は板橋シティマラソンを走って自己ベストが出たそう。ネットで4時間38分だったとか。

彼女は若い頃からスキーが大好きで、家族でも何度も滑りに行きました。 しかし何年か前にゲレンデで転倒して前十字靭帯を完全断裂してしまったのです。 私は保存療法を勧めましたが、今後もスポーツしたいからと再建術を選択。 さすがに息子たちにスキーは禁止されましたが、リハビリを兼ねて55才からランニングを始め、1年後にはフルマラソンを完走。 その後は年間何度もフルマラソンを完走するほどの本物のランナーになってしまいました。

 

そういえば、子育てやなんかでグラフィックデザインの仕事を何年も離れていた彼女は、ランニングを始めたのと同じ頃、あちこちに売り込みに行って、小さな出版社の書籍の装丁の仕事を掴んで今に至っています。

 

頑張って成果を上げるということが当たり前の彼女が支配する家で、頑張るのが何よりニガテな私はなかなか肩身が狭いのです(^^;

 

 

 

 

 

 

 

「いつかロロサエの森で」

  • 2018.03.13 Tuesday
  • 12:20

 

小学生の頃からおかあさんのお供で当院に来ては、待合いのベンチで漫画を読みふけっていたユウキくんも、いまや音楽療法を学ぶ音大生。 先日、打楽器の練習でバキボキに凝った肩甲間部をほぐしに来た際に一冊の本を貸してくれました。

「いつかロロサエの森で」。 報道写真記者の南風島渉という人が東ティモール独立前の7年間を現地で取材した手記です。

 

ずいぶん前にこのブログで「カンタ・ティモール」という映画のことを紹介させていただきました。 東ティモールが独立したあとの子どもたちの明るさや、25年間にわたってこの国を不法に侵略・占拠し続けたインドネシアをゆるしてしまう東ティモール人の気質の大らかさを描いた作品です。 その映画の監修を務めたのもこの南風島渉でした。

 

東ティモールは旧ポルトガル領。 おとなり同士とはいえ、旧オランダ領だったインドネシアとは400年以上にわたって言語も宗教もまったく違う過ごし方をして来たので、すっかり別の国になってしまいました。

1974年にポルトガルが植民地支配を放棄した直後にインドネシアの東ティモールへの侵攻が始まり、数年間で東ティモールでは人口の約1/3にあたる20万人が命を落としたとのこと。 この間はもちろん、その後も続いたインドネシア兵やインドネシアの支援を受けた民兵による拷問・虐殺・レイプなどはかなりひどいものだったようです。 民族浄化を目的として妊婦の腹を割き胎児を殺すなどということまでも、、

 

その後、東ティモールが独立を勝ち得るまでの25年間、独立派の兵士たちは山岳にこもってゲリラ戦で抵抗。 苦境にあっても彼らはテロ行為には走らず、インドネシア兵を捕虜にしても武装解除だけして本隊へ帰すということを繰り返しました。憎しみの連鎖は独立への道のりを困難にするという彼らの判断の正しさは、1998年のスハルト独裁終了時に新政権が急転東ティモール独立容認の立場を取ったことにも表れています。

 

 

インドネシアの不法な侵攻・占拠に対して国連はその行為を非難し、即時撤退を求める決議案を8回出しました(賛成国72、反対国10、棄権国43)。日本はそのほとんどに反対票を投じ、インドネシアに多額の援助を続けました。エネルギー源のほとんどを中東の石油に頼らざるをえない日本は、シーレーンの安全確保のため、またインドネシアからの地下資源や森林資源の安定供給のために、良好な関係を維持する必要があったのでしょう。

 

軍事はさておき、経済的には世界の中でも大きな影響力を持つ日本の国民で居る以上、その影響力がどう行使されているのかを知る義務があるのだと思います。世界情勢や政治の動向を追うことが好きな人にはあたり前のことでも、ふだんあまり政治に関心を持てない私などには、これがなかなか。 しかし25年間も虐殺を繰り返していた国を支持し、多額の援助さえ惜しまなかったと聞くとやはり無知の罪を感じずにはいられません。意識を改めねばと感じた次第です。

 

電車の中吊り広告みたいな帯のコピーが陳腐で逆効果な気が、、(>_<)

 

 

 

 

 

 

 

ひさしぶりにウクレレ弾いてます

  • 2018.02.27 Tuesday
  • 12:35

 

「マイブーム」って言葉はもう死語なんですよね? それに代わる言葉を知らないのであえて使わせていただくと、ここ一ヶ月くらい私のマイブームはウクレレです。 あ、もちろんカンボジア語学習も併行してますヨ(^_-)

 

学生時代は音楽サークルに所属して、ブルースやロック、フュージョンなどを演ってました。ヘタクソでしたけどね(^^;)

当時は肩より長い髪でエレキギターを背負って歩いてましたっけ。

 

↓素顔ははずかしいので、学祭の出し物でやったKissメイクの写真。

 

 

 

昨年のこと、その音楽サークルの先輩がLINEのグループを作ったのがきっかけで、今年11月に某ライブハウスで35年ぶりに同窓会ライブが開催されることになりました。 ドイツやイタリア在住の仲間もそれに合わせて帰国するのだとか(@_@)

 

学内ライブで演奏したオールマン・ブラザーズ・バンドの「ステイツボロ・ブルース」を覚えていてくれた先輩が、そのライブに向けて「またあの曲やろうよ」と声をかけてくれましたが、もう大音響でバンドをやるのもしんどいので「ウクレレで何かやります」と言ってしまいました。

 

思えば20年ほど前のこと、大学を卒業してからまったくギターを弾いていなかった私の前に、高校時代のバンド仲間のスーパーギタリストが現われました。 飲みに行ったあと彼のマンションで泊めてもらうことになり、その夜アコギでラグタイムをズビズビな感じで弾きまくられた私は完全にノックアウト。 1週間と経たずにマーチン00-18を手に入れ、デルタブルースやラグタイムを弾くようになりました。

 

しかし、マッサージや鍼の仕事が忙しくなるにつれ、右親指で6弦をスラップするブルーススタイルの演奏が仕事に障るようになり、5〜6年ほどでまたすっかり弾かなくなってしまいました。 同じころ自転車に乗り始めて時間が取れなくなったのも理由のひとつかも知れません。

 

そして2010年、ハワイ好きの自転車仲間に触発されてこんどはウクレレ。 これは指の負担も軽く、それなりに楽しめたのですが、やっぱり1年くらいしか持ちませんでした。 いろいろ理由をつけても、つまるところ飽きっぽい性格が災いして長続きしないということは認めざるを得ないようです(^^;)

 

 

まぁ、なにしろそんなことで7年ぶりにウクレレを弾き始めて1ヶ月。 11月の本番に向けて、ジェイク・シマブクロの曲やブルース、Jazzを何曲かYoutubeでコピーして弾いています。 夢中で弾いている間は、カンボジア移住計画の妄想も忘れられるので一石二鳥です(^^;

本番終わったら動画もアップしちゃおうかしらん(≧▽≦)

 

 

日曜には荒川をサイクリングして来ました。 カンボジアだウクレレだと浮かれている間にも季節は移ろっており、大好きな梅が咲いてるのさえ見逃してしまうところでした。

 

 

 

 

 

 

 

ひそかな野望

  • 2018.02.20 Tuesday
  • 11:46

 

早いもので、カンボジア旅行を終えてもう3週間。  旅慣れない私にとってはなかなかの大冒険でしたので、帰国後は抜け殻になってしまうのではないかと心配しましたが、自分に起こった変化は意外なものでした。

 

それまで以上に日々がとても充実しているのです。 現地の人々のひたむきな生き方に触発されたことがいちばんなのですが、あともうひとつ、ある妄想が私の頭を支配してしまって、その妄想がふくらむわふくらむわ(^^;)

 

その妄想とはカンボジアへの移住計画です。 いや、おそらく実現することはないと思いますが、いろいろシミュレーションするだけで毎日が楽しくなるのです。

 

住む街はシアヌークビル。 プノンペンの南西250kmの海岸線の街です。 近年ビーチリゾートとして脚光を浴びています。

 

カンボジアでビジネスビザを延長し続ければ長期滞在が可能です。 昨年の9月からはビジネスビザの更新に労働許可証の提出が必要になったようで、ほかの東南アジアの国々と同じく少しづつ審査が厳しくなりつつあるようですが。

 

経済的には、家賃や食費のほか娯楽の費用などいろいろひっくるめても、月に750ドルほどあればふつうの生活ができそう。私の場合は国民年金のほうが払込期間が長いので、その金額にはすこし足りません。 さてどう埋めましょう。

彼の国の定期預金の金利は2017年末で5〜6%。それも現地通貨のリエルではなくドル建てで預金できます。 ただ、いくら日本のメガバンクが出資しているとはいえ銀行の経営状態や政情に対して気を抜くことはできません(^^;)

さしあたって預けるお金がないので明日から500円貯金するし! $$$(≧▽≦)$$$

 

どうにか移住に関する条件面が調ったとしても、大きな日本人コミュニティが存在しないカンボジアでは、言語や文化を理解することはマストです。 東南アジアの国で年金生活を送ろうと移住して失敗するシニア層は、孤立が原因で帰国することが多いとも聞きますし。

 

なので、さっそくカンボジア語の教科書を取り寄せました。当院では診療時間以外はほとんどこのCDが流れていますので、配達に来た宅配便のお兄さんが目パチクリになってました。

 

 

先週末には神楽坂にあるクメール料理のお店「バイヨン」で情報収集。 たまたまこの日、現地への渡航歴は数えきれないというという人たちの集まりが開催されており、いろいろ刺激を受けてしまいました(^^)

 

 

もし野望が現実のものになったとしたら、もちろん現地に骨をうずめるつもりです。 比叡山の千日回峰行を2回成し遂げた酒井雄哉大阿闍梨の言葉に「行き道は いずこの里の 土まんじゅう」というのがあります。 この言葉が大好きな私は勝手に、これはただ死に方について語った言葉ではなくて「何にも執着しない生き方をする」という宣言ではないかとも思っています。 それはまさしく私が理想とする生き方なのです。

 

ただ、カンボジアで死亡した場合の処理については、ちょこっとググッても出てこないのでもうちょっと調べます。 ちなみにタイでは病院以外で死亡するとすべての死体は司法解剖されるようです(病院以外でも医師が看取った場合は除外)。 私は平気ですが「解剖? ムリ!」という方は気をつけましょうね(^_^;)

 

さっきも書いた通り移住計画は妄想で終わると思いますが、必ずまたカンボジアへ旅行に行きます!

 

 

 

クロン・チバー・モンへのサイクリング以来まったく自転車に乗っていなかったのですが、冷たい北風が吹いた日曜日に久しぶりに入間川サイクリングロードを走って来ました。 いやぁ、ツラかった。アラ還ともなると体力維持の努力はサボれないのですね。

サイクルコンピューターが衛星をひろうまでの数十秒、時刻表示がカンボジアの現地時間になっており、いまさらながらの旅愁を覚えてしまいましたっけ。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

刺激的だわプノンペン♡ 最終日

  • 2018.02.04 Sunday
  • 10:04

 

 

この日も早朝豪雨。 乾季ちゃうんかい!(ーー゛)    残念ですがPinさんにはサイクリングのお断りを入れました。

しかし、こんなこともあろうかとバックアッププランは練っておきましたヨ。 きのう空振ったAAA(アプサラ・アート・アソシエーション)の先生から、「ふだんは日曜で休日ですが、明日はアメリカからのツアー客のために朝9時から練習を公開します」と聞いていましたので、まずはそこへ。

もちろん今日もトゥクトゥク移動です。 ホテルからは濡れるほどの距離でもないロイの奥さんの食料品店に走って、電話で彼を呼んでもらいました。

 

 

 

 

ロイの奥さんと赤ちゃん。そう言えば、きのうのランチは彼女が作る肉の麺でした(たぶん50円くらい。おいしかった)。 昨日今日といろいろ話すにつれ打ち解けてくれて、身の上話なんかも聴くことに。

彼女の英語はとても聞き取りやすかったので、そこを褒めたら「語学を学びに大学に行くはずだったけど子ども産まれちゃって、、」みたいなことから(^^;

彼女に限らず、カンボジアの女性はとてもひかえめでシャイなのですが、こちらが真剣に何かを伝えたがっていると分かると、まっすぐこちらの目を見て心をさぐってくれます。 若い男性ならその眼差しにやられちゃうかもね(≧▽≦)

 

 

 

ロイが来たのでAAAへ向かいます。ホテルはチェックアウトしましたので、自転車も一緒にトゥクトゥクに。 

 

 

 

途中線路を横切りました。 カンボジア唯一の鉄道は、プノンペンから南西方向へ250kmほどのビーチリゾートであるシアヌークビルまで週末に1本だけ。 7時間の旅だそうです。  時間的には東京へ帰るより遠いけど、こんど来たらぜひ乗ってみたいなあ。

 

 

 

 

今日は見れました、AAAの練習風景。 動きがとてもシルキーで見とれてしまいます。アメリカ人ツアーの現地ガイドが先生の解説を通訳するのをタダ聴き。 ロイの英語では今いちアレで、、(^^;

 

 

 

 

 

 

 

小一時間舞踊を観賞したあとは、家人と私からのおみやげを渡しにPinさんの自宅へ向かいます。 まもなく到着というときにまたロイの急停車グセが。

焼いたトウモロコシを鍋の中のスープに浸けて食べるみたいです。 日本のトウモロコシより甘みが少なくて歯ごたえがあります。 焼き目の香ばしさと、きっとプラホックが入ってるであろうスープの旨みの組み合わせは、わるくないかも(^^)

 

 

 

 

Pinさんのおうちに着いて、今日の予定を相談。「ゆっくりしていって下さい」とのことでしたので、2日間の相棒ロイとはここでお別れ。 しかしロイは空港まで走るはずの約束の金額を払うと言っても、「近くに親戚があるから話が終わるまで待ってる」と言って聞きません。「My Friend」と呼んで名残り惜しんでくれる気持ちがうれしかった。「こんど来たらまた君に頼むから」と言って、やっと帰ってもらいました。

 

 

Pinさんは家人が勤めていたNPOの現地スタッフだった人。 今は通信関係の会社に勤務しています。 カンボジアではもっとも優秀と聞く王立プノンペン大学の日本語学科を卒業されたとのことで、日常的な日本語はだいたい通じます。

生後9か月の息子さんは、少し熱があるようですが元気。 抱っこしてもぜんぜん動揺せず、状況把握するために脳がフル回転しているのが伝わって来ます。 まるで大人のこちらが見透かされているよう。 賢い人になるんだろうなあ。

 

 

 

Pinさんの奥さんも素敵な女性でした。 とつぜん押しかけたのに歓迎してくれてありがとー!

おみやげのキッズ用サイクルジャージは2〜3年後には着れるかな。

 

 

友人のじゅんろーさんが昨年フランスのグランフォンド世界選手権を走ったときのお土産でくれた、フランス自転車協会のボトル。今回の旅行のお守り代わりに持ってきたのですが、これもはずみであげちゃった。 じゅんろーさんごめんなさい(^_^;

 

 

 

突然おじゃましたうえに、ランチまでごちそうになってしまいました。 坊やも一緒にね♡

カンボジアの家庭ではテーブルを使わず、床に置いた料理をみんなど取り分けて食べることが多いようです。

 

 

 

夢中でおしゃべりして、気がつくとあっという間に3時間くらい経っていました。 Pinさんにトゥクトゥクを呼んでもらい、あらかじめ仮眠用に押えておいた空港ちかくのホテルまで。 明日は成田に6:30に着、そして午後からは仕事です。 22:50の出発まで少し寝ておこうと思いましたが、目が冴えてしまってまったく眠れません。

 

 

 

バタバタと寝返りを繰り返したあと、もうすっかり眠るのはあきらめました。 ヤケクソでホテル脇の路地を歩いてみることに。

この国でもサッカーは大人気。

 

 

 

奥へ進むにつれだんだんスラム臭が、、

 

 

 

 

 

かわええ♡

 

 

 

 

長屋のような建物のドアはどこも開けっ放し。 昼間っから酒盛りしてる部屋もありましたが、それほどヤバい感じはありません。 

まぁ、とにかくみんなフレンドリィ(^_-)

 

 

 

 

 

いよいよカンボジアとさよならです。 出発ロビーにはたくさんの日本人が。 そう言えば、滞在した4日間で日本人に会ったのは児童養護施設の理事長とIさん、あとはトゥールスレンの若い二人づれのバックパッカーだけ。 みなさんは世界遺産のアンコール・ワットを見に行ってたんでしょうね。 行きでお隣の席だった相馬市からのご夫婦、こんどは私の前の席でした。 「縁があるねぇ」なんて言いながら、おたがいのすばらしい旅に祝杯を上げました(^^)

行きは封切り直後のゴーギャンの映画でしたが、帰りはこちらも1月封切りの「ジャコメッティ 最後の肖像」をチョイス。 途中で寝ちゃいましたけど(^^;

 

 

今回の旅の動機のひとつは、言葉も通じない国に裸一貫で乗り込んで、間もなく還暦を迎える自分という人間がどう受け入れられるかを知りたい、という衝動でした。 ほんとうの自分の価値が量られる機会になる気がして、治安や衛生面よりもそこが出発前の私を緊張させていたのです。

杞憂でした。 レンズに向けてまっすぐこちらを見るその目に警戒心は感じられず、それは結果人としての私を励ましてくれることになりました。 もちろんそれは彼らの包容力によるもので、私自身の人間力によるものではないことは分かっています。 それでも私は褒められて伸びるタイプなので、思い込みでいいんです!(≧▽≦)

 

んで、つぎはいつ行こうかな(*^^)v

 

 

 

 

 

 

 

刺激的だわプノンペン♡ 3日め

  • 2018.02.02 Friday
  • 16:30

 

今日来院された患者さまに、「きのうのブログ長いよ」とツッコまれました。 ただ、このシリーズは自分用の旅の記録でもあるのでどうかご容赦くださいませ。 じつは今回も長くなります(^^;

 

きのうの朝はトロピカルな鳥たちの声で目覚めたのですが、この日は5時前から窓を打ち始めた雷雨にたたき起こされました。

もっとも今日は自転車はなし。トゥクトゥクドライバーに乗せてもらってあちこち見学に行きます。

バイクの3人乗りはふつう。子どもにもちゃんとヘルメットを被せてる人はめずらしいかも。

 

 

 

 

日本で使い倒されたあとも、こんなところで活躍を待つ”郵政カブ”。 

 

 

ご存知、世界のトップブランド「Keweseki」いや、よく見ると「Kewesekl」でした(≧▽≦)

なぜこんな中古バイク屋街に来たかというと、このあたりにトゥクトゥクドライバーのロイのお気に入りの弁当屋があるらしいのです。 彼はこのあともお腹が空くと勝手に寄り道を繰り返します(^^;

 

 

 

 

 

この日、最初の目的地は「アプサラ・アート・アソシエーション」。 カンボジアの伝統舞踊、アプサラ・ダンスの教室です。

ポル・ポト政権時代、伝統文化はすっかり破壊されてしまいました。 ここは内戦終結後に、貧困にあえぐ子どもたちの救済と伝統舞踊の復活を目指して立ち上げられたNGOです。

土曜日のこの日は7:30から練習が公開されるはずでしたが、門には鍵が締まっていました。 ロイが隙間からスルッと侵入して先生を連れて来てくれましたが、説明によると、たまたまこの日はアプサラ・ダンスのコンクールがある日だったようで、練習はお休みなのだとか。

残念ですが寄付だけして失礼しました。それにしてもさすが先生。立ち姿が美しかった。

 

”AAA” についてご興味のある方は↓をご覧になって下さいね(^_-)

http://apsaraaaa.web.fc2.com/

 


 

 

 

次なる目的地は「トゥール・スレン」。「S21」とも呼ばれ、ポル・ポト政権時代に極秘とされていた拷問・虐殺の機関をそのまま保存してある博物館です。

猜疑心の強かったポル・ポトは、彼の原始共産主義政権に敵なす可能性のある知識人たちをここに集めては拷問・虐殺を繰り返していました。

おもに密告によって逮捕され、収容された人の数は2万人とも言われています。そのうち生還できた人は7人だけ。

収容された人のほとんどは”濡れ衣”で、「外国語がしゃべれる」「メガネをかけている」「手がやわらかい」が逮捕の基準だったのだとか。

 

もともと”リセ”(エリートのための中等教育の学校)だった建物を拷問用に改造して使用していたようで、子どもたちがロープ上りで遊んでいたこの遊具は、逆さ吊りで頭を水に浸ける拷問具として使われていたそうです。

向こうに見えるA棟には、各部屋の中央ににマットレスを取り外されたベッドが1台ポツンと置いてあり、被尋問者を固定するための金具とともに錆びるにまかせて保存されています。 それぞれの部屋の壁にはベトナム軍が踏み込んだときにベッドに放置されていた、人のかたちを留めない遺体の写真が、、

 

 

 

 

 

上にも書いた通り、ここに収容されて生きのびた人は7人だけ。 職業が芸術家ということで、所長の”ドッチ”から「使い道があるかも知れないから生かしておけ」と処刑されなかったBou Mengさんはそのうちの1人。 当時のトゥール・スレンの状況を伝える絵を見たことがある人もいらっしゃるかと思いますが、おそらくそれは彼の手によるものです。 歴史を繰り返させないための使命感からなのか、サバイバーズ・ギルティによるものなのか、いずれにせよ毎朝ここに来るのはきっとつらいことでしょう。

写真は拷問による背中の傷を見せてくれているところ。

 

以前、ブログの題材にしたヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」では、ナチスの収容所などでも、サディスティックな形質が濃い個体がしかるべき部署にスカウトされるようだ、と書いてありました。 おそらくどこの国にも同じ形質の人間は一定数存在するのですが、「類は友を呼ぶ」で、必要とされれば同じ形質はあっという間に集まってくるのでしょう。 おとろしや(◎_◎;)

 

 

 

 

 

トゥール・スレンで刑が確定した受刑者は郊外のチューン・エックにある処刑場、いわゆる「キリング・フィールド」に連れて来られます。ここが今日の最後の目的地。

 

写真は女性や子どもが処刑された場所。

 

 

その東屋の横にある「キリング・ツリー」と呼ばれる木。 裸にした母親を処刑する前に、彼女たちの目の前で、子どもの両足を持った兵士がこの木に頭を叩きつけて殺していたのだとか。 後年、木に埋まった歯や髪の毛から、その実態が明らかになったそうです。犯した罪の重さを母親に知らしめるためだったのでしょうが、何とも、、

 

 

 

 

このような穴が無数に空いています。発見当時、この穴に埋められていた遺体の発するガスで地表は膨れ上がり、たいへんな悪臭が立ちこめていたそうです。

 

 

 

慰霊棟には発見された遺体の頭蓋骨が無数に安置さてています。

カンボジアにはこのようなキリング・フィールドが100ヵ所以上あるのだとか。

考えてみると一連の悲惨な出来事は、素朴でおだやかで真面目な国民性の国だからこそ起こったのではないかと思えてなりません。そんな皮肉は歴史のあちこちに散見されますもんね。

 

 

 

 

 

 

「キリング・フィールド」の駐車場で待っていてくれたロイは、おそらく蒼白だった私の顔を見て「Are You Happy?」と冗談をカマして来ました。そして帰りみち、頼みもしないのにパゴダ(仏塔のあるお寺)に寄ってくれたのです。彼なりの気配りなのでしょう。

師匠と問答する若い僧侶。まじめな顔して修行に励んでいるのかと思いきや、ちみジュース飲んでるやん、、

 

 

 

境内でたまたま見つけたタマリンドの木。じつは私がカンボジアに興味を持つきっかけになったのは、若い頃に’85年に公開された映画「キリング・フィールド」を見たことと、’91に書かれた池澤夏樹の「タマリンドの木」を読んだことでした。 どれだけこの木に逢いたかったことか。

ロイが「噛んでごらん」と若芽をちぎって渡してくれました。 かすかな刺激と爽やかに鼻に抜ける独特の香り。

実も食べてみたかったのですが、落ちていたやつは雨でグショグショ(>_<)

イケイケキャラなのに、寺院の中では帽子を取って僧侶に深々と頭を下げ手を合わせるロイ。 かわいいとこあるじゃん(^^)

 

 

 

 

 

渋滞でお子ちゃま爆睡中。

 

 

 

 

 

 

 

1時間ほどで渋滞を抜けてプノンペン市内に戻って来ました。あとはホテルで昼寝かな、なんて思っていたら、またロイが急停車。

途中でいろいろ話をしながら客の指向を読むのでしょう。 地雷被害者やポリオ後遺症、知的障害、視覚障害、難聴などの女性が裁縫技術を身につけて自立することを支援するNGOのお店に寄ってくれたのです。

店の奥には作業スペースがありました。みんな楽しそうに会話しながら作業していましたよ。

 

 

 

 

 

 

ロイと別れ、ホテルで30分ほど昼寝をしたあと、徒歩10分ほどの場所にあるセントラルマーケットへ。 ここでの目的はタマリンドの実を仕入れることと、タランチュラの唐揚げを食べること。

 

 

エビもカニもシャコも青みを帯びててフシギ。

 

 

 

 

見つけました、タマリンドの実。でも何かがちょっと違う気が。

 

 

この日はタランチュラ料理は作らなかったのだそう。がっかりしたような、ほっとしたような(^^;

 

 

 

 

マーケットをあとにして、リバーサイドに向けて歩いてみます。 ブラシ売りのあんちゃん。

 

 

 

結婚式? お葬式? よく分かりません(^^;

 

 

 

 

隣接する国立博物館と国立芸術大学の北側の通りは、通称”アートショップ・ストリート” 。 芸大の学生や先生の作品を売る店が並びます。 観光客向けに分かりやすくアンコールワットを描いたものが多く、とくに興味を引かれる作品には会えなかったかなー。

それでも、このモノクロの絵だけはちょっと気になって5分くらい眺めていました。 ほんとは載せてはいけないんでしょうけどゴメンナサイ(^^;

 

 

 

店番の学生。

 

 

 

 

トンレサップ川沿いに整備された公園シソワット・キーに出ました。 右手下流でメコン川と合流するのが見えます。

 

 

 

 

 

歩き疲れたので、帰りはトゥクトゥクで。 左下のソラマメ状のが熟成したタマリンドの実。干し柿のような風味でした。 左上はご存知マンゴスチン。 そのとなりのアルマジロみたいのは、おそらくサラク(スネークフルーツ)だと思います。 これは皮がかたくてけっきょくギブしました。

 

 

 

夜はまたお向かいの「Romdeng」。 今日もおいしかった。黄色いのはパパイヤ♡

 

 

 

ホテルに戻るとロビーが騒がしい。 何かと思ったら、テレビでU-23アジア選手権のベトナム×ウズベキスタン戦が放映されており、ベトナムからのツアー客がほっぺに国旗を描いて応援していました。 惜しかったね!

 

明日はフェイスブック友達のPinさんと、南方のトンレバティにあるタ・プロームという遺跡まで往復80kmのサイクリングを予定していますが、天気予報ががが(;_:)

 

 

 

 

 

 

 

 

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