食事は年に一度ですむサメ

  • 2018.05.15 Tuesday
  • 15:13

 

NHKスペシャル「ブループラネット」を録画で見ました。

海とそこに暮らす生き物を追ったドキュメンタリーです。 昨年放映された「プラネットアース供廚汎韻犬BBCとの共同制作で、4年の歳月をかけて撮影されたそうです。 近年の水中撮影技術は飛躍的に進歩し、潜水時間は以前の5倍以上。 泡の音も小さくなったので、生き物たちを驚かせることなく決定的な瞬間をとらえることが出来るようになったのだとか。

 

番組の中で興味深い魚が紹介されていました。 それは「カグラザメ」という名の深海ザメ。 体長は6mほどで2000mまでの深海に生息。 Wikiにもその程度の情報しか載っていないナゾの多いサメです。

 

プランクトンがいないので生き物の個体数が少なく、捕食で命をつなぐ者にとって過酷な環境の大海原。 そこにザトウクジラの死骸が浮いています。 匂いを嗅ぎつけたホホジロザメやヨシキリザメが群がり、栄養価の高い脂肪を食べつくすと、比重が重くなった死骸は深海へ。 そこで待ち受けているのがカグラザメ。 脂肪分が剥ぎ取られたとはいえ、深海では貴重な食糧をしっかり食べたカグラザメは、その1回の食事だけで1年間も生きられるのだとか(@_@)

それを聞いた私は、「うらやましすぎる!」と心の中で叫びました。

 

子どもの頃の私は食べることが大嫌いでした。 いつもお腹が空くまえに食事の時間が来てしまい、憂鬱な気分になったものです。

世界のあちこちで食料が不足して困っている人には申し訳ないハナシですが、、(>_<)

当時ADHD気味だった私は、破裂音や閃光、皮膚感覚などの感覚過敏で苦しんでいました。 味覚も同様で好き嫌いが多く、肉・魚・ピーマンやトマトなどの香りの強い野菜はまったく食べられませんでした。 不思議と卵とエビ・カニ・イカ・タコ・貝は大好物。牛乳もキライだったなあ。

それでも中学の陸上部で長距離を走るようになると、成長期の身体が要求するのかやっと鶏以外の肉は食べられるようになりました。

 

大人になって形質がゆるんでくると感覚過敏はかなり軽くなりましたが、なかなか魚ぎらいは治りませんでした。  しかし結婚して子どもを授かると、魚を食べない父親で居ることはさすがにきまりが悪く、好きではなくてもどうにか食べられるようになって現在に至っています。

 

今でもふつうの人よりは食べることに対する執着はうすく、ふつうはおいしそう!♡となりそうなSNSのきれいな料理の画像も、スプラッター画像とあまり区別がつかないのですぐスクロールしてしまう始末。  自分で摂る食事も見た目を楽しむことなくさっさと胃袋に押し込むだけですから、つまらないことこの上ありません(^^;

 

子どものはげしい偏食が、ただのわがままだけではなく発達障害に由来することもあるということが分かってきたのは最近のこと。 子どもの感覚の特性に合わせたアプローチで好き嫌いが改善することも多いようです。 以前は親子それぞれが「きっと自分がいけないんだ」と苦しんでいたことが、脳の構造によるものであると理解できていればそれだけでずいぶん救いになる気がします。 もっと前に分かっていれば、ひょっとしたら私ももっと食事を楽しめる大人になれたかもしれません。

 

ほんとはカグラザメになんか憧れたくはないんですけどねー(^^;

 

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カグラザメの写真は「おもしろ生物図鑑」より拝借

 

 

 

 

 

 

 

 

関係人口って?

  • 2018.05.09 Wednesday
  • 11:36

 

いつもお世話になっている「サイクルショップあしびな」の自転車仲間にはおもしろい人がたくさん居ます。

「おもしろい人」とは、もちろんお笑い芸人的なおもしろさではなく、ライフスタイルや価値観が個性的で、ひとりひとりをもっともっと掘り下げて観察してみたくなるような人という意味です。

 

その、おもしろさん達の中でも私がいま最も注目しているのがM間くんです。 一流大学を出て一流企業に勤務するイケメン・アラサー男子なのですが、一旦仕事を離れるとこれがとんだ世捨て人で、自転車に乗らない休日には女っ気もなく、ひとりでフラフラと観光地化されていない離島へ旅して過ごすような極楽トンボです。

 

そのM間くんが紹介してくれたのが「関係人口をつくる」という本でした。

 

関係人口とは、旅行や物産のお取り寄せなど、何かのきっかけで人口減少に悩む農山漁村部に縁が生まれたあと、定住はしないまでもその地域との間に旅行者や消費者以上の関わりを持つ人々のこと。 その関係人口を増やして活性化に成功しつつある島根県の例について書かれたのがこの本です。

 

1950年の三大都市圏の人口は34.7%、その他の地方は65.3%。 これが2005年には前者50.2%、後者49.8%と比率は逆転してしまいました。 2015年の国勢調査では、日本の総人口は1920年の調査開始以来初めて減少に転じたのですが、減少したのは地方の39都道府県のみで、このままでは消滅していく自治体が増えていくことが予想されます。

 

しかし2014年の内閣府の都市住民へのアンケートでは、農山漁村部への定住願望がある人は31.6%に上り2005年調査時の20.6%から大きく増加。 中でも最も高い20代男性では43.8%でした。

 

数字だけ見ると「さっさと移住すればいいのに」と思いますよね。 しかし実際に地方に移住するとなると、仕事はあるの?現地のコミュニティに溶け込めるの?といった不安から、実際に移住を予定していると答えた人の割合は1%台でした。

 

これまでの行政の視点は、定住人口を増やす、あるいは旅行者などの交流人口を増やす。そのどちらに重きを置くかということに限定される傾向でした。 全国で2番目に人口が少なく「過疎」という言葉の発祥地でもある島根県の担当者は、そのような既存の取り組み方に限界を感じて雑誌ソトコトの編集長などを巻き込み、新しい取り組み方を模索しました。 そのソトコト編集長の指出一正さんは定住人口でも交流人口でもない関係人口を増やすことが地方の未来を開くことになると考えました。 具体的な例を挙げると、

 

|楼茲離轡Д▲魯Ε垢暴擦鵑如行政と協働でまちづくりのイベントを企画・運営するディレクタータイプ。

東京でその地域のPRをするときに活躍してくれる、都市と地方を結ぶハブ的存在。

E垈駟襪蕕靴鬚靴覆ら、地方にも拠点を持つ「ダブルローカル」。

ぁ岼掬歸にその地域が好き」というシンプルな関わり方。

 

なんだか楽しそう。

 

私が20代の頃はバブル経済の真っ只中で、本気で幸せがお金で買える物であると思っている人が多かったように思います。 若者は街の万能感に酔っていました。 そんな時代の価値観に違和感を感じたことも、私が会社員を辞めてちょっと浮世離れした今の仕事に転職した理由のひとつでした。

 

リーマンショックや東日本大震災など、日本人のそれぞれが深く自分と向き合う機会となる大きな出来事を経て、若者たちは固有の価値観に目覚め、経済的な豊かさ以外の生きがいを求めるようになりました。 筆者によると彼らは「足るを知る世代」。 たしかに自分の息子たちを見ても、物質的な豊かさに執着はなさそうです。 そんな彼らの中に、生きがいを感じられそうな場所として地方に目を向ける人が出てくるのは自然なことかも知れません。 

 

齢を取ることで出会う新たな発見に、「人生どんどんおもしろくなるもんだなあ」と思っていましたが、この本を読んでちょっとだけ若さに嫉妬しました。 いや、まだ何かできるかな。 てかカンボジアにも関わりたいしなー。 やっぱり齢なんか取ってられないじゃん(^^;

 

 

 

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G.ウィーク! いい天気!

  • 2018.05.01 Tuesday
  • 16:03

 

こないだの日曜も飽きずに自転車してきました。

この日はチームメイトのなりちゃん企画の奥武蔵サイクリングが開催されるとのことでしたが、私は午後に月末レセプト処理をする予定でしたので、サイクリングは午前中の短い時間だけにしようとお断りを入れてありました。

しかし当日の朝、身体が書類に向かうのを拒否したのかすっかり寝坊。 もう仕事のことは忘れて遊んで過ごすことに決めました。

 

飯能駅を走り出して最初の休憩でなりちゃんに連絡を入れたら、どうやら都幾川あたりで落ち合えそう。

ネギボウズの写真を撮ったりランドナーの方とおしゃべりしたりして、なりちゃんが合流してくれるのを待ちます。

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なりちゃんは早い時間に、これまたチームメイトのまあるさんと鳩山あたりで遭遇したらしく、上谷の大クスにお連れしたとのこと。

「寝坊したからやっぱりあそんでよ」という私のメッセージを確認しているなりちゃんを、たまたま大クスのテラスから、まあるさんが撮っていました(^^)

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午後に用があったまあるさんと別れたなりちゃんが追いついて来てくれたので、一緒に林道奥武蔵支線を上っているときのこと、風もないのに枯草が路面を蛇行していました。 なんだろうと立ちどまってみると、ミノムシが蓑を背負ったまま上半身だけの蠕動で道路を横断中。そのままだと轢かれてしまうので、しばらく這いつくばって眺めたあと彼の目的の方向へワープさせました。

 

ミノムシが蛾の幼虫であることは知っていましたが、その生態についてはよく知らなかったので、帰宅後に調べてみました。

「ミノムシの成虫が蛾になるのは雄に限られており、雌は無翅・無脚のまま蓑の中で一生を終える。 羽化した雄には口がなく、雌のフェロモンに魅かれて夕方飛行し、交尾を終えたら死ぬ。 その後雌は蓑の中に1000個以上の卵を産むが、それらが孵化する頃には自ら蓑を抜け出し地上に落下して死ぬ。」

だいたい以上のようなことが書いてありました。 写真を見ながらせつない気持ちになりつつも、「ん? ミノムシは落下したら死ぬんちゃうん? 、、歩いてるチミは誰れ?」となりました(^^;

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前回は広葉樹が芽吹いたばかりの頃に来たこの林道奥武蔵支線もすっかり新緑に覆われていました。 最高においしい空気の中、のんびりとパスハントを楽しみましたヨ。

なりちゃんは「冨士ヒルクライム、90分は切らないとなぁ」なんて言ってましたが、まだちょっと重そう(^^;

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いつものビューポイント。前回は全高の半分ほどがはっきり見えた写真中央の一本杉も、新緑に覆われてかろうじて梢だけが顔を出していました。

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刈場坂峠から下って国道に出ると、平成5年に廃校になった南川小学校の校庭で鯉のぼりが風に遊んでいました。

右の平屋の校舎は明治37年、左の2階建て校舎は昭和12年に建てられたもの。私が小学生だった50年前はこんな校舎がふつうでした。 なつかしい(*^_^*)

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交通量の多い国道299号を避けて名栗みちでのんびり帰るためには、もう1本峠を上らなければなりません。天目指峠をのそのそ上っていると、みごとな影絵に出会えました。

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影絵の写真を撮っているうちになりちゃんに置いてけぼりにされて、必死で追いかけているところ。

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(なりちゃん撮影)

 

 

 

 

 

アスファルトのすき間に根を下ろして自生するヤグルマソウ。

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連休前半は良いお天気に恵まれましたね。 連休後半、当院は日曜以外では3日の木曜日だけ休診させて頂きます。 よりによって、いや上手い具合にその日は雨予報なので、今度こそレセプト頑張ります(>_<)

 

 

 

 

 

 

 

 

トンネル抜けたら北アルプス

  • 2018.04.25 Wednesday
  • 10:42

 

日曜日には、サイクルショップあしびなの仲間たちとサイクリングして来ました。

長野までは北陸新幹線で列車輪行して、国道406号線を白馬方面へ向かいます。 今回はじめて北陸新幹線に乗ったのですが、大宮駅で乗車するとたった1時間で長野駅に到着。時刻は7:38でした。 ほんといろいろ便利になりすぎてちょっと混乱します(^^; 

車中ではとなりに座ったM間くんがテーブルのお弁当とにらめっこしていました。 どうやら昨日三浦半島をサイクリングしたあと、仲間たちと痛飲して二日酔いらしいのです。 かわいそうですが、ウサギ脚な彼のコンディション不良はカメ脚な私には好都合(^^)

 

荷ほどきを終えてみんなで自転車を組み立てていると、店長がリアエンドのあたりでなんだか思案中。どうやらクイックレリーズのナットを紛失してしまったらしいのです。 5円玉をワッシャーにしてインフレーターの口金ネジで応急処置。 その後念のため、5kmほど離れたホームセンターが開くのを待ってM5ネジでしっかり固定しました。

このタイムロスで予定の行程が短縮されることになり、これまた老骨には好都合でした(^^)

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裾花ダムのダム湖。

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いい天気!

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(店長撮影)

 

 

 

 

途中にあったお寺の看板。 「岑」の字は訓読みで「ミネ」と読むのは知っていましたが、音読みを知らなかったので重箱読みで不謹慎な読み方をしてしまいました(^^;   

正しくは「ぎょくしんじ」とのことです。

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長野から白馬へ抜ける街道筋にある鬼無里地区は、室町時代から「紅葉伝説」が語り継がれ、能や浄瑠璃、歌舞伎の題材になっているそうです。京都から配流された高貴な女性がどういうわけか鬼になり、都から派遣された平維茂(維盛)に退治されて、その後この里に鬼がいなくなったというようなお話し。 以前にも何度かこの地の伝説を聞いたことがあるはずのに、話の内容を覚えていなかったのは、大筋では鬼女 紅葉退治の話ですが、その内容が何種類もあるからでした。

紅葉伝説についていろいろ検索してみて驚いたのは、この地に伝わる紅葉像はエンタテインメントで伝えられた”鬼女”とはぜんぜん違っていたこと。 医薬・手芸・文芸に秀で、村民に恵を与える”貴女”であったというのです。 伝説ではない実際の歴史でさえ、見る角度によって同じ出来事がまったく違う伝わり方をするわけですから、むべなるかなではありますが。

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鬼無里の有名なおやき専門店「いろは堂」で休憩。 おやきはあちこちで食べたことがありますが、ここんちのははじめての食感でした。 小麦粉とそば粉の皮をかるく素揚げしてから窯焼きするのだそう。 地元産の具も素材の香りがきちんと残っていて、ものすごく美味しかったです。

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「ひがしきょう」と読むそうです。 加茂神社や白髭神社や春日神社もそうですが、紅葉伝説や天武天皇の遷都伝説とのつながりが数パターン伝えられています。 はたしてどれが本当なのか、、(^^;

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(店長撮影)

 

 

 

 

川面を眺める母子。

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白沢洞門を抜けたところが嶺方峠。 右のC-3POみたいのが私です。 M間くんが撮ってくれました。

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どうしてもこの風景を見たかったという店長は思いを遂げて満足そうでした。

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亀脚の私でも余裕があるくらいのんびりペースで上ってきてしまったので、この時点でとっくにお昼を過ぎてしまっていました。

ということで予定していた大望峠はパス。 往路をそのまま引き返すことになりました。 助かった〜(≧▽≦)

 

 

 

 

今日はほとんどの行程が裾花川沿いでしたので、なんとなくこの川のいろんな表情を見てみたくなり、往路ではスルーした裾花ダムにも寄ってみました。 雪解け水で水量が増えているので水門から放流中。

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嶺方峠あたりではまだ雪が残っていましたが、この日は長野でも30℃ちかくまで上がりました。 露出していた腕や脚の日焼けが帰宅後のお風呂でヒリヒリでしたっけ(>_<)

またあそんでください!

 

 

 

 

 

 

 

映画観るまでが長かったっておはなし

  • 2018.04.16 Monday
  • 19:00

 

土曜日の終業後、音楽評論家の患者さまから教えていただいた映画を観に行きました。

 

劇場は東中野ポレポレ。インターネット予約は受け付けておらず、劇場窓口で整理番号をもらう今やなつかしいシステムなので、封切日は混むかもと早めに出かけました。上映3時間前なのでさすがに若い番号でした。ちなみに午前中の上映は満席だったそうです。

 

整理番号を確保したあとは、時間つぶしを兼ねて古い機械式クロノグラフの修理を依頼するために西荻窪へ。 会社員時代の30年前に購入したのですが、そのあとすぐスーツと縁のない現在の仕事を始めてしまったので、オーバーホールもしないまま引き出しの中で眠らせていた時計です。

先週、入社式に向かう次男に使わせようと引っぱり出してみたものの、さすがにオイルが切れており、すこし動いたあとすぐに止まってしまいました。

 

ご店主の見立てでは修理費は私の予算を越えそうな雲行き。 ただ彼曰く「父親から息子へ引き継がれる時計を手入れするのは職人としてもうれしい話です。それにこのタイプは現在お客様の購入時の数倍の価格で取引されていますよ。ぜひ直して大切に使っていただきたい」とのこと。 そんなん言われたらねえ(^^;

評判の高い職人さんなので、正確な見積もりを出すまでにも2週間かかるとのことでしたが、もちろんお願いして来ました。

現在の取引き価格を聞いてしまったので、次男にはちょっともったいないなーと、、 さて誰の腕に巻かれることになるのでしょう(≧▽≦)

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(画像はトライフルのHPから拝借しました)

 

 

 

 

時計修理のお店から徒歩2分のところにあるジャズ喫茶JUHA。 時代にあわせてPOPでかわいいメニューなんか出してみても、このドアのしつらえが「ジャズ好きしか入るんじゃねえぞ」と主張してますよねえ(^^;

スピーカーはなつかしのDIATONE DS-77HRX 。 まだアナログレコードとCDの売り上げが拮抗していたころの普及品の名器です。もちろんレコードでアコースティックな時間を楽しんで来ました。

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お茶をしてもまだ少し時間があったので、阿佐ヶ谷のLAST GUITARでウクレレを数本試奏。 小金井在住のルシアー、濱田隆則氏によるインディアンローズ・シトカスプルースのコンサートサイズが素晴らしくてお持ち帰りしたくなりましたが、すんでのところで踏みとどまりました。 塗装はフレンチポリッシュでニカワ接着。ヘッドやブリッジの意匠は庭の柊の葉をモチーフにしたそうです。

クライマーでもある濱田氏の自然へのリスペクトがそのまま音に表れた繊細なトーンは、いつまでも弾いていたくなるほど魅力的でした。

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(こちらも画像はお店のHPから拝借)

 

 

 

 

前置きが長くなりましたが、肝心の映画はなかなか重い内容でした。 タイトルは「ラッカは静かに虐殺されている」。

ここのところに来てやっとISILの支配が終わりを迎えたシリアの街ラッカ。 ISILが首都と定め、外部のメディアが入れなくなったあの街で何が行われていたのか。 危険を覚悟でスマートフォンのカメラを武器にISILに立ち向かい、世界にラッカの惨状を発信し続けたR.B.S.S(Raqqa is Being Slaughtered Silently/ラッカは静かに虐殺されている)のメンバーたちを追ったドキュメンタリーです。

 

顔出しで登場するのは、ラッカを逃れトルコやドイツから現地メンバーの情報を発信する数人。 しかしその潜伏先でも次々にメンバーが暗殺されていきます。 恐怖に怯えながらも父親が処刑される動画を繰り返し見て、自らを奮い立たせるひとりのメンバーの目から、彼の心の動きを探ろうとしましたが、遠く離れた日本でぬるい日々を生きる私などに彼の心の闇の深さが理解できるわけはありませんでした。

それでもせめて、世界のあちこちで何が起きているのかを知ろうとする努力だけは心がけていきたいと思います。

 

あとから知ったのですがこの映画、封切り前からamazonプライムビデオで公開されていたらしいです。なんかビミョー、、(´Д`)

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ヒルクライムからの日本史のおさらい

  • 2018.04.11 Wednesday
  • 11:36

 

前々回の更新のネタにした秩父でのサイクリングは ”10年くらい前に走った「龍勢ヒルクライム」のコースをたどってみる” というものでした。

 

道の駅 龍勢会館の近くを流れる石間川に沿って遡上し、城峰神社の鳥居をくぐると、あとは10%を超える斜度がつづく区間。 そのきつい斜面にしがみつくように建てられた民家からなる集落があります。 もう一段上の集落からふり返って見おろしたのが下の写真。 写真のウデがアレで遠くに望めた両神山がまっ白けになってしまったのがザンネンです(>_<)

 

写真を撮っていたときには、「このあたりでは林業で生計を立てていたんだろうな」などと考えていましたが、じつはあとから調べてみると主産業は養蚕でした。 その養蚕業は、こののどかな集落にゆたかな暮らしをもたらしましたが、ある時代にはかなりきびしい局面に向き合うことになりました。

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その斜度がきつくなる手前の区間を走っているときのことです。 石間川沿いの道路端に「加藤織平の墓」という看板が立っているのが見えました。 「有名な人かも知れないけど、知らない名前だな」と思いながら通り過ぎましたが、帰宅してから検索してみると、上ののどかな集落や加藤織平が、歴史の教科書に載るような事件の舞台であり、登場人物であったことを知りました。

 

高校の日本史の授業では、歴史がまだ”歴史”として評価が確定していない近代史については、年度の終わりの授業で駆け足でなぞるだけでした。 なので、まさにこの写真の撮影時に私が立っていた半納集落が戦場のひとつになった「秩父事件」についても、私はその概要しか把握していませんでした。

 

秩父事件とは、明治17年にここ秩父で起きた農民による武装蜂起事件です。 このころ秩父地方では養蚕が主要な産業だったのですが、生糸価格の大暴落と大蔵卿 松方正義のデフレ誘導政策で農民は困窮を極めており、政府に対して雑税の減少や負債の延納などを要求したこの蜂起には数千人が参加しました。 事件の詳細は検索していただくとして、興味深いのは事件から130年以上経った現在でもこの事件の評価はさまざまで、政府の圧政に対する民衆の抵抗運動、当時で言えば自由民権運動の一形態として大きな意味があったとする声もあれば、当時の政府のアナウンスと同じく「火付け強盗・暴徒による暴動」と断ずる声もあります。 近年でも、TBSでは「菊池伝説殺人事件」というドラマで、秩父困民党軍の参謀・菊池貫平を悪逆の限りを尽くした大罪人として放映し、視聴者から抗議を受けたことがあったそうです。 昨夜、この事件を題材にした映画「草の乱」を見たのですが、困民党側から見た当時の状況はたしかに同情に値するものでした。 歴史上の出来事の中には、法的判断と民衆の心情的な受けとめ方が一致しないものがたくさんありますよね。

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じつは私が所属する自転車チームのメンバーのご先祖さまも秩父事件に関わっていたとのこと。 彼からそのことを聞いたのはお酒の席でしたが、これだけ時代が下っても、やはりそのことについて話すのは彼にとって少し酔いを醒ますほどの事だったのでしょう、心なしか声を潜めて話してくれたことが思い出されます。

 

それにしても、のどかな山里のほのぼのサイクリングが、まさか歴史の勉強につながるとは思いもしませんでしたっけ(^^;

 

 

 

 

 

 

山の花見も三年め

  • 2018.04.03 Tuesday
  • 18:47

 

私は根が天邪鬼なせいか、街に桜が咲き始めてもそれほど感慨はないのですが、3年前にある方のブログで見た「八徳の一本桜」の写真がとても印象的だったので、この時期になるとチームメイトでもある当院のスタッフ女史を誘って毎年必ず訪れます。

 

スタート地点は飯能市役所。都心より気温の低い飯能でも、もう桜は散り始めていました。今年の桜は何だかあっという間に満開を迎えたので、なんだかキツネにつままれたような気分でしたね。

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名栗みちでみつけたスケルトンなホウズキ。 繊細でしなやかで軽くて必要なだけ強くて、、 見習いたいです(^^;

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名栗みちをたくさんのブルベライダーが走っていました。 AJたまがわ主催の「定峰200」とのことでした。

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正丸峠のキフジの花。 光の当たり方でチェッカーフラッグみたいに見えておもしろかった。

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苔むしたコンクリートブロックにひっついたネコヤナギの花穂。

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刈場坂峠を上り切るやいなや、桜の根本にへたりこんですっかり根が生えてしまったスタッフ女史。 今日の上りはこれでおしまいなので気がゆるんだらしく、齧りかけのアンパンを振り回しながら肩の体操をしているところです(^^;

峠の桜はソメイヨシノよりも少しおそく開く種類のようで、やっと蕾がほころび始めたところでした。

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きついつづら折りの下り、杉林を抜けたところで突然開ける景色がこれです。 奥武蔵の山並みに映える八徳の一本桜。 昨年、一昨年は散り際に訪れましたが、この日はまさに「ようこそ! ちょうど今朝満開になったところです♡」というタイミング。

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この子があんまりかわいかったから、去年の写真も載せちゃおう♡

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一本桜からふと見上げた空。 ぶつかるわけはないのですが、ちょっとハラハラする交差を見せてくれた2機の軌跡。

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吾野まで下りて国道299号の手前。 ご夫婦を包むやわらかい空気に魅かれてつい声をかけてしまいました。

ちかくにあるご先祖のお墓までお参りに行くところでした。

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八徳の花見帰りはいつもここ。 高麗川にせり出したテラスでランチがいただける日月堂で、サーモンとクリームチーズのサンドイッチ。 おみやげに地元埼玉の粉を使ったライ麦パンとクランベリーのパンを買って帰りました。

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帰宅後は近所のシネコンで「ペンタゴン・ペーパーズ」を観てきました。

昨今、メディアの在り方がいろいろ言われますが、この映画のケースのように報道は、敵だとか味方だとか関係なく、世界中の命を救う ”正義の味方” であってほしいものです。 

劇場は満席でした。封切り日に出かけてもわりと空いているそのシネコンで、今までに私が満席を経験したのはスターウォーズくらい。 それだけ昨今の政治や報道に対する関心が高まっているということなのでしょうね。 

 

 

 

 

 

 

なつかしい峠へ

  • 2018.03.27 Tuesday
  • 16:19

 

先週に引き続きおとといの日曜日もいいお天気でしたので、自転車に乗って来ました。

 

数日前に自転車仲間と昔話をしていたときのこと、10年以上前にいちど走ったことのある「龍勢ヒルクライム」というレースが話題に上り、「そういえばあのコースはあれ以来走ったことがないなあ」「下りで見た紅葉の中の山里の風景がすばらしかったなあ」などと話しているうちに、どうしてもまた走ってみたくなり、さっそくひとりで出かけてきました。

 

10年以上西武沿線に住んでいながら、昨年はじめて乗ってすっかり気に入ってしまった西武池袋線のレッドアロー。 自宅から1時間ちょっとで、いつもの奥武蔵よりなおいっそう自然の濃い秩父周辺にワープできるのは魅力です。

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秩父橋の橋脚は脚を踏ん張った巨人。そしてその手から放射状に放たれるビーム!(≧▽≦)

右奥は秩父太平洋セメントの工場。

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梅の向こうは残雪の両神山。

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国道299号。なんか新しくなったらしい区間。

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龍勢ヒルクライムのコースの前半部は県道363号。 石間川に沿って上って行きます。 ヤマメ狙いのおじさんとのどかな陽気を喜び合いました。

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何を撮ったの? って言われそうな写真ですね(^^; 

こわれた屋根の影とトタンの折り目の線の重なりがおもしろくて。

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以前に参加したレースの下山時に印象的だった風景はここだったかも知れません。 光が強すぎて色が飛んでしまいましたが、遠くに両神山が望めます。 全戸南向き陽当たり良好(^^)

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標高700mを越え、民家もなくなった道路っぷちの側溝でガサゴソっと音がしたので、なんだろうと戻ってみたらトカゲでした。 排水口に逃げ込む寸前にやっとカメラの起動が間に合いました。

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峠が近づくと日陰にはまだ雪が。

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看板設置のときに付けられたのか、誰かのかわいいいたずら心によるものなのか、太田部峠の看板の上に小鳥のフィギュアが乗っかっていました(*^_^*)

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太田部峠からは土坂峠に続く稜線を西進。 同じ山並みでも奥秩父の連山は奥武蔵よりも険しく見えます。

2018.3.25秩父6.JPG

 

 

 

 

土坂峠。 次回は神流側に下りてみよう。

2018.3.25秩父7.JPG

 

 

 

 

正面中央に合角ダム。

2018.3.25秩父10.JPG

 

 

80kmで1300mアップと以前なら少し走り足りない行程でしたが、この齢になるとごはんの量と同じで八分目で充分。 早く帰ってウクレレが弾きたいので14:25発のレッドアローで帰宅。

新緑の頃になったらまた大血川林道や八丁峠を走りに来よう。

 

 

 

 

 

 

 

ひさしぶりに山方面へ

  • 2018.03.20 Tuesday
  • 12:05

 

日曜日には、そろそろ雪も解けた頃かと久しぶりに山方面へサイクリングに出かけて来ました。

 

 

梅林で有名な越生あたりは、あちこちで梅が満開。

2018.3.18奥武蔵9.JPG

 

 

 

 

これはチッパーシュレッダーっていう機械らしいのですが、端材を食わせると肥料に使えるサイズのチップに破砕して吐き出してくれるというもの。 直径20cmくらいの丸太も難なく処理していました。 フシギおもしろくて近所の子どもたちと一緒に10分ほど見物。

2018.3.18奥武蔵8.JPG

 

 

 

 

この日のメインディッシュは林道奥武蔵支線。 その道沿いで栽培されている北山杉は来るたびに背丈が伸びて、今ではまるでパームツリーのよう。

2018.3.18奥武蔵7.JPG

 

 

 

 

もうすぐグリーンラインの稜線というところにある広葉樹の林。 あと1ヶ月ちょっとでこのあたりは萌黄色の世界になり、まさに今開く葉からこぼれ落ちる雫を頬に感じながらのパスハントが楽しめます。 それは一年の中でも私のいちばん好きな季節。 今日は、その晴れやかな日に向けて木々が忙しく準備しているのを見たくて上って来たのでした。

 

 

 

地元の狩猟クラブのおじさんたちが犬を運動させていました。 イノシシのマークが描いてありますが、実際にはイノシシは多くなくて鹿が中心だそう。 私のいなかの高知はイノシシ猟が主でした。 私は子どもの頃に山鳥や魚くらいしか猟をしたことがありませんが、実家には弟の猟銃が保管されています。

近年、ハンター人口は激減しているそうです。 殺生を趣味にすることに対する抵抗感や周りからの視線が原因なのでしょう。 しかし、人間は動・植物の命を奪わないで生きていくことはできません。 狩猟で感じる興奮と罪悪感がないまぜになった感覚はとてもリアルなもの。 そこには殺生をしないでお金で肉を買う人には理解できない何かがあるのです。

 

 

 

グリーンラインまであと50mくらいのところにある、お気に入りのビューポイント。 アズキ色に芽吹いた林の中の一本杉は、まるで川の流れに洗われる岩のようです。

2018.3.18奥武蔵4.JPG

 

 

 

 

ムラサキハナナ ←てきとーに言ってるんじゃなくて、この花の本名です(≧▽≦)

※間違いをご指摘いただきました。ムラサキハナナもハナダイコンも通り名で、正式な名前はオオアラセイトウでした(^^;)

2018.3.18奥武蔵10.JPG

 

 

 

刈場坂峠からR299に下りて、こんどは天目指峠。久通川の透明度はとても高くて、ウグイ?オイカワ?の稚魚の群も気持ちよさそう。

2018.3.18奥武蔵5.JPG

 

 

 

 

スギ花粉で鉄錆色の山肌。 街にいると気になってしょうがない花粉ですが、山に来ると忘れてしまうんですよね(^^;) 

 

 

 

オオイヌノフグリ

2018.3.18奥武蔵6.JPG

 

 

帰宅してみたら、なんだか家人がゴキゲンちゃん。 訊くとこの日は板橋シティマラソンを走って自己ベストが出たそう。ネットで4時間38分だったとか。

彼女は若い頃からスキーが大好きで、家族でも何度も滑りに行きました。 しかし何年か前にゲレンデで転倒して前十字靭帯を完全断裂してしまったのです。 私は保存療法を勧めましたが、今後もスポーツしたいからと再建術を選択。 さすがに息子たちにスキーは禁止されましたが、リハビリを兼ねて55才からランニングを始め、1年後にはフルマラソンを完走。 その後は年間何度もフルマラソンを完走するほどの本物のランナーになってしまいました。

 

そういえば、子育てやなんかでグラフィックデザインの仕事を何年も離れていた彼女は、ランニングを始めたのと同じ頃、あちこちに売り込みに行って、小さな出版社の書籍の装丁の仕事を掴んで今に至っています。

 

頑張って成果を上げるということが当たり前の彼女が支配する家で、頑張るのが何よりニガテな私はなかなか肩身が狭いのです(^^;

 

 

 

 

 

 

 

「いつかロロサエの森で」

  • 2018.03.13 Tuesday
  • 12:20

 

小学生の頃からおかあさんのお供で当院に来ては、待合いのベンチで漫画を読みふけっていたユウキくんも、いまや音楽療法を学ぶ音大生。 先日、打楽器の練習でバキボキに凝った肩甲間部をほぐしに来た際に一冊の本を貸してくれました。

「いつかロロサエの森で」。 報道写真記者の南風島渉という人が東ティモール独立前の7年間を現地で取材した手記です。

 

ずいぶん前にこのブログで「カンタ・ティモール」という映画のことを紹介させていただきました。 東ティモールが独立したあとの子どもたちの明るさや、25年間にわたってこの国を不法に侵略・占拠し続けたインドネシアをゆるしてしまう東ティモール人の気質の大らかさを描いた作品です。 その映画の監修を務めたのもこの南風島渉でした。

 

東ティモールは旧ポルトガル領。 おとなり同士とはいえ、旧オランダ領だったインドネシアとは400年以上にわたって言語も宗教もまったく違う過ごし方をして来たので、すっかり別の国になってしまいました。

1974年にポルトガルが植民地支配を放棄した直後にインドネシアの東ティモールへの侵攻が始まり、数年間で東ティモールでは人口の約1/3にあたる20万人が命を落としたとのこと。 この間はもちろん、その後も続いたインドネシア兵やインドネシアの支援を受けた民兵による拷問・虐殺・レイプなどはかなりひどいものだったようです。 民族浄化を目的として妊婦の腹を割き胎児を殺すなどということまでも、、

 

その後、東ティモールが独立を勝ち得るまでの25年間、独立派の兵士たちは山岳にこもってゲリラ戦で抵抗。 苦境にあっても彼らはテロ行為には走らず、インドネシア兵を捕虜にしても武装解除だけして本隊へ帰すということを繰り返しました。憎しみの連鎖は独立への道のりを困難にするという彼らの判断の正しさは、1998年のスハルト独裁終了時に新政権が急転東ティモール独立容認の立場を取ったことにも表れています。

 

 

インドネシアの不法な侵攻・占拠に対して国連はその行為を非難し、即時撤退を求める決議案を8回出しました(賛成国72、反対国10、棄権国43)。日本はそのほとんどに反対票を投じ、インドネシアに多額の援助を続けました。エネルギー源のほとんどを中東の石油に頼らざるをえない日本は、シーレーンの安全確保のため、またインドネシアからの地下資源や森林資源の安定供給のために、良好な関係を維持する必要があったのでしょう。

 

軍事はさておき、経済的には世界の中でも大きな影響力を持つ日本の国民で居る以上、その影響力がどう行使されているのかを知る義務があるのだと思います。世界情勢や政治の動向を追うことが好きな人にはあたり前のことでも、ふだんあまり政治に関心を持てない私などには、これがなかなか。 しかし25年間も虐殺を繰り返していた国を支持し、多額の援助さえ惜しまなかったと聞くとやはり無知の罪を感じずにはいられません。意識を改めねばと感じた次第です。

 

電車の中吊り広告みたいな帯のコピーが陳腐で逆効果な気が、、(>_<)

 

 

 

 

 

 

 

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