ボン・イヴェール聴いてます

  • 2020.09.09 Wednesday
  • 11:38

 

音楽家の友人ヒロシくんに薦められて最近ボン・イヴェールを聴き始めました。

ヒロシくんは、アコースティックとエレクトロニカを融合させた音作りが得意。彼の音楽は、名前はクレジットされていなくても、有名アーティストへの楽曲提供やCMなどでほとんどの方が耳にされているはず。最近では大手映画配給会社の作品で音楽監督を務めたりしました。ボン・イヴェールも手法はヒロシくんに近い感じですが、より内省的でほとんどビョーキとも言えるほど手間をかけた作品が多いのが特徴です。

 

”ボン・イヴェール”は、アメリカのミュージシャン ジャスティン・バーノンによるソロ・ユニットです。2012年には「Bon Iver,Bon Iver」でグラミー賞 ベスト・オルタナティブ・アルバム受賞。その前後にも何度もノミネートされていますので、すでに愛聴されている方も多いと思います。

彼は2006年に伝染性単核球症に罹り、仲間たちと組んでいたバンドを解散。彼女とも別れてウィスコンシン州の片田舎のキャビンで冬の数か月間を過ごしました。失意の中、有り物の楽器と録音機材を使い、すべてをひとりで制作した「For Emma, Forever Ago」を自主制作で500枚プレス。その「For Emma・・・」は大手音楽メディアに絶賛されて世界的な評価を得ました。デビュー作から彼をリコメンドしまくってるカニエ・ウェストは、「ボン・イヴェールは生存するアーティストの中でいちばん好きだ」ともコメントしているようです。それから現在に至るまでに発表したアルバムは4枚だけですから、かなり寡作なミュージシャンと言えます。

 

彼の作品をジャンルで括ることは不可能です。「フォークやゴスペルの要素が、、」なんて語る人もいますが、そんな分析はあまり意味がない気がします。そこにあるのは、まったくもって彼オリジナルの音楽なのです。

外の世界と自分との関わり合いではなく、自分の心の深淵を覗いて観察し、それを音楽というかたちで表現できる人。「i,i」のアルバムジャケットにも表れているとおり、フレーズやノイズをコラージュして時間や空間の遠近感を表現。聴く者を彼の精神世界へ連れて行ってくれます。アルバムを通して聴くと、ひとつの長いお話を聴いたような気分になるのです。

 

ヒロシくんの言葉を借りると「これはぜったいシラフじゃ作れない音楽だわ」だそうです。シラフが何を意味するかはご想像にお任せしますね(^^; 飛びぬけた才能への彼の多少の嫉妬もあるのでしょうが、ある意味私も同感です。正常な状態ではトリップできない世界を見せられてる気がするんですよねー。知らんけど(≧▽≦)

 

高度すぎる音楽性を持った作品はだいたい”ミュージシャンズ・ミュージシャン”と呼ばれて、業界内での評価は高くても一般ウケしないことが多いもの。なぜこのボン・イヴェールの作品が売れ続けているのかは、ナゾなんだよなあ(-"-)

 

 

 

 

 

 

 

流れで「ワイルド・スワン」も。

  • 2020.09.02 Wednesday
  • 11:34

 

先日、「スターリン批判」について書いた際に、「マオ 誰も知らなかった毛沢東」についても少し触れました。

「マオ」は、毛沢東の粛清のやり口のエグさがしんど過ぎて、上巻を読み終えたところでギブしてしまいました。しかし、どうやら下巻には、張作霖爆殺事件がソ連特務機関の犯行であったという、ドミトリー・プロホロフの主張を裏付ける内容が根拠を持って書かれているとのことなので、いつかまた挑戦したいと思ってはいるのですが(^^;

 

現在、中国との関係について考えることはとても重要な意味を持ちます。しかし、中国の歴史に関する教科書の記述は断片的なものでしたし、メディアによる中国関係の報道もいろんな配慮からかなり限定されたもの。身近に感じる中国の人といえば、爆買いする賑やかな富裕層の観光客の姿くらいで、言論統制が厳しい彼の国のことを知る機会はあまり多くないように思います。機会があれば、一市民の目線で見た中国の姿を見てみたいと思っていました。

 

この「ワイルド・スワン」は、「マオ」の作者であるユン・チアンが、祖母から母そして自分につながる、中国の激動の時代を生きた女性三代の苦難と、彼女たちを支えた深い愛を描いた実話です。哀しさ切なさの表現は女性らしい筆致でこちらの胸も苦しくなりますが、理想に燃える闘士としての在り方は男顔負け。読むうちにどんどん引き込まれて行きます。

 

彼女は中国共産党高級幹部を両親に持ち、自身も文革の際には紅衛兵に志願。しかし、毛沢東による政策変更や地方政府の権力闘争などで、両親が「階級敵人」として迫害の対象になった際には、家族全員が別々の農村に何度も下放されました。

当時は、政治的な迫害にしろ大躍進政策に起因する飢饉にしろ、民衆の大部分は何が原因で誰を恨めばいいのか、さっぱり分からない状況だったのですが、両親が高級幹部であるがゆえに知りえる権力闘争の本質と政治的な矛盾。そして自身が下肥にまみれながら過ごした数年間で感じた農民の苦境。情報がコントロールされていた当時、社会の最上層から最下層までを自分の目で見た人だからこそ書けた本だと思います。

 

「毛沢東思想の中心にあったのは、果てしなく闘争を希求する論理であった」とユン・チアンは分析しています。人と人との闘争こそが歴史を前進させる力であるとし、嫉妬や怨恨といった人間の醜悪な本性をたくみに利用して社会の緊張感を維持。そうして党の規律を保ったのです。隣人同士を監視させ、密告させるシステムは充分以上に機能しましたので、ほかの国の独裁政権のような専門の弾圧組織は必要ありませんでした。密告によって「階級敵人」をどんどん量産した結果、文革時の死者数は統計によっては2,000万人に上ると言われています。たしかに人間は横着に出来ているので、生活が保障されれば楽をしようとします。共産主義国においては監視システムは生命線。しかし毛沢東は完全にやり過ぎでした、、

 

1990年代に中国を開放路線に導いた小平は、文化大革命をはっきり過ちであったと発言し、その後の教科書にも「毛沢東の誤った認識であった」と記述されていました。しかし、これが2017年の教科書検定においては、文革を肯定するような表現に改められたのです。また、まさしく文革世代の習近平は、「党政軍民学、東西南北中、党が一切を指導する」という文革時代に使われたスローガンを愛用することでも知られており、「毛沢東時代に過ちはなかった」と公言しています。

中国では王朝が変わるごとに、新王朝の都合の良いように正史を新たに編纂して来た歴史があるので、教科書の内容が変わるのは不思議なことではありませんが、ちょっと心配になる種類の変化です。

 

イデオロギーや宗教の違いはあっても、平和な世界の実現が世界中の人々の願いであることは間違いありません。それは大国同士が仲良くすれば、それほど難しいことではないように思えます。そこをあえて競い合い、憎しみ合うような構造を維持しているのも、緊張感がないと堕落してしまう人間が、あえて選ぶ道なのでしょうか。その問いはこの齢になっても解けません。個人的には堕落大好きなのですが(^^;

 

「ワイルド・スワン」は、世界中で1,000万部以上のベストセラーになりました。900頁を超える長編ですが、一気に読めてしまいます。次はハルビン出身で日本に帰化した女性、楊逸(ヤン・イー)が、天安門事件を題材に書いて芥川賞を受賞した「時が滲む朝」をポチりました。

 

 

 

 

 

 

 

ウッシーの成長に涙する

  • 2020.08.19 Wednesday
  • 15:36

 

小学生の頃から、お母さんのお伴でちょくちょく来院してたウッシー。

待合室の長椅子に正座して、ケロロ軍曹なんかを読んでは大声で笑ってましたっけ。

そんな彼もこの春には音大を卒業しました。ミュージシャンとして身を立てて行くのか、はたまた音楽の教員や音楽療法士の道を選ぶのか、いずれにせよ彼はこれからも音楽沼にどっぷり浸って生きていくことになるのでしょう。

 

そんな彼は、小学校の高学年には身長が170cmを大きく超えていました。どうしても長い手足を持て余してしまうので、身体の使い方が上手な方ではありませんでした。それなのに、中学高校あたりでは打楽器が好きになり、かなりレベルが高い自由の森学園のサンバ隊でも活躍。”好き”の力でどんどんハンデを乗り越えてしまう彼はとても逞しく見えましたっけ。

ウッシーのお母さんはプロのピアニストであり音楽療法士。ウッシーも学生時代からお母さんの音楽療法のお手伝いをして来ました。音大でも音楽療法を専攻。しかし打楽器の演奏者としての活動は続け、イベントがあるたびに高校時代の音楽仲間のハーモニカの龍英くんやギターのゲンタくんとベースのゆたかくん、大学時代に知り合ったピアノの小竹くんと活動して来ました。

 

ウッシーのお母さんは、音楽療法のサークル「音の輪」の活動の一環として、ときどき大泉学園にある区営”ゆめりあホール”でコンサートを行っているのですが、今回その活動外で、たまたまホールが予約できたので何かやろうと思いついたらしく、音楽仲間でのライブが開催されることになりました(入場料タダ、投げ銭)。そこにウッシーたちのバンドも出演。ベースのゆたかくんは仕事で地方に赴任中なので、音の輪コンサートのベーシストさんが助っ人参加。じつは生でウッシーの演奏を聴くのはこれが初めて。以前に院でちょこっと私のウクレレの伴奏をしてくれたことはありましたが、なかなか予定が合わなくて、ちゃんとしたホールには聴きにいったことがなかったのです。

いやぁ、素晴らしかったです。自粛ムードの中、リハも前日の一回だけだったと聞いていましたが、それを感じさせない息の合った演奏でした。

 

今回の演奏曲の中に、ジョー・サンプルの「カーメル」がありました。

私は学生の頃に発表されたこの曲が大好きで、卒業した翌年にはわざわざオートバイで西海岸の街 カーメルを訪れたほどです。

少し前のこと、いつものように身体のメンテナンスで来院したウッシーに、「こんなアルバム知ってる?」と聴かせたばかり。もちろん私のために選曲してくれたわけではありませんが、カーメルが生で聴けてほんとうにうれしかった! 小竹くんのピアノは、ジョー・サンプル節をしっかり表現出来ていて、とてもやっつけの練習で演奏したとは思えない完成度でした。

 

 

 

当日の「カーメル」の動画です。カメラの操作が間に合わず、テーマの数小節が切れてしまいました(>_<)  あと、手持ちでの撮影ですので画像が不安定なのはご容赦ください。

 

 

 

カーメルを聴いて、なつかしい写真を引っぱり出して来ました。これはカーメルからちょっと南へ下った、ラッコの海”ビッグサー”あたり。ヘルメット被りっぱなしで髪型がおぼっちゃま君になってる、、

カーメルがあるモントレー半島では、好きな作家であるスタインベックの「キャナリー・ロウ」の舞台となったキャナリー・ロウにも行って来ましたっけ。

 

 

 

その前々日、日陰で摂氏50℃を超えてたデスバレーへ向かう道。いっぺんやってみたかったビール片手で上裸にノーヘル。

あまりの高温で汗が昇華してしまうので身体が冷えず、このあとあわててウィンドブレーカーを着ました。

 

 

 

 

こちらもブツ切れの画像をつなぎ合わせてみました。ラテンが得意なウッシーの本領発揮!

 

 

 

インディアン・フルートの市村さん(音楽療法士)が入った「グリーンスリーブス」は、途中から5拍子になる凝ったアレンジでした。あ、ちなみにピアノはウッシー・ママです。

 

このライブ、また10月11日に開催されるのだとか。聴きに行かねば!

 

 

 

 

 

 

今さらですが「スターリン批判」を読みました。

  • 2020.08.12 Wednesday
  • 16:37

 

長い梅雨が終わったかと思ったら、やっぱり来ました厳しい暑さ。新型コロナで身体も心も休まらないところへ堪えますね(>_<)

 

日本の夏といえば、沖縄戦から原爆、終戦。家族や友人の誕生日や記念日はうっかり忘れてしまいがちな私でも、悲しい過去が繰り返されないことを祈ることは毎年忘れません。今も世界のあちこちの紛争地帯では辛い思いをしている人がたくさん居ますし、南の海では軍事的な緊張が高まっています。

 

私が生まれたのは太平洋戦争終戦の14年後でベトナム戦争の真っ最中でした。中学を卒業する頃までは新聞の国際面にベトナム戦争のことが載らない日はありませんでしたので、自然と共産主義に関心を持つようになり、中3の夏休みには友人のお父さんが営む建設会社でこっそり土木のアルバイトをさせてもらったお金で、ギターと一緒にマルクス・エンゲルスの「共産党宣言」を買ったりしました。難しすぎてほとんど読み進めなかった事しか覚えていませんが(^^;

 

そのベトナム戦争当時、ともに北ベトナムを支援した中国とソ連は、同じ共産主義の国なのに微妙な関係にありました。その原因になったのが、1956年のソ連共産党第20回大会における、「スターリン批判」と呼ばれたフルシチョフの演説だと言われています。レーニン亡きあと「ソビエト人民の父」と慕われて、29年間もソ連の最高指導者して君臨したスターリンの悪行の数々を暴露して彼を批判した演説。「一人の死は悲劇だが、100万人の死は統計」とうそぶいたスターリンの洗いざらいをぶちまけたのです。

フルシチョフはこのときの演説で、共産主義陣営と資本主義陣営が「平和共存」できるとも主張。この演説は世界中の共産主義国に衝撃を与えました。中でもスターリンと同じように粛清に次ぐ粛清で権力闘争を凌いできた毛沢東は、自らを批判されたように感じたのではないでしょうか。彼はフルシチョフの戦争不可避論の否定を、暴力の行使が原則のマルクス主義に反するものとして激しく非難し、それ以降中ソ関係は悪化して行ったのです。

 

たしかにこの本に書かれているスターリンの指示による拷問・処刑の数には驚きましたが、以前読んだユン・チアン著の毛沢東の伝記「マオ・誰も知らなかった毛沢東」はもっとエグかったです。毛沢東に忠誠を誓って彼の手足のように働いた者を、猜疑心から無実の罪で逮捕、拷問したうえ、サクサク殺して行きました。「マオ」は上巻だけ読んだだけであまりの内容に気分が参ってしまい、下巻はパスしましたっけ。大躍進政策の失敗による餓死者を含めると毛沢東の時代には2000万人〜7000万人が命を落としたと言われています。1997年のモスクワ放送によると、ソ連時代には体制維持のために6000万人が殺されたとか。平時に?自国民を?コワすぎ(◎_◎;) 理論としての共産主義には魅力を感じるのですが、何しろ運用するのが人間ですからうまく行ったためしがありません、、

 

マルクスやエンゲルス、そしてレーニンは共産主義が世界に波及していくものと信じていました。しかし、ヨーロッパにおける革命運動はことごとく敗北。スターリンの時代になるとロシア一国で社会主義建設が可能だとする「一国社会主義論」に変化。そしてフルシチョフが上記の「スターリン批判」の演説をした頃には、米ソ両陣営が核兵器で牽制し合う冷戦構造が出来上がってしまっており、彼は不毛な終末戦争を避けるために、共産主義と資本主義の「平和共存」が可能であると訴えました。

 

フルシチョフは小学校程度の教育しか受けておらず、20代の半ばまでは文盲であったといわれています。しかし、愛嬌のあるルックスと、多少粗野でありながらも人を惹きつける演説と実行力。昭和のむかし日本にもそんなキャラの政治家がいましたね。

 

めずらしく政治に関することを書きましたが、以前にもお話ししたとおり、私には政治的な信条も支持政党もありません。人気がカブり過ぎる候補者は傲慢な政治をする傾向ですので、だいたいその対立候補に投票します。

政治も食事と同じで好き嫌いで決まるもの。意見の違う相手をコキ下して自らの正当性を主張するのは、一種のヨゴレ仕事でもある政治家の役目です。一選挙民の立場なのに政治家気取りで「好き・嫌い」を「正しい・間違ってる」にすり替えて発信するような人は、右でも左でも上記のような悲劇に加担する可能性を秘めていると思います。

 

ともあれこの先も、現在のように言いたいことが言える世の中であり続けてほしいものです。

 

 

 

 

 

 

 

『ヒトは「いじめ」をやめられない』を読みました。

  • 2020.07.27 Monday
  • 12:03

 

テレビのバラエティ番組でときどき見かける、脳科学者の中野信子さん。頭の良い人にはめずらしく、人を見下ろすようなところがない素敵な人だなと感じていました。

 

先日何かの調べものをしていた折に、彼女の書いた『ヒトは「いじめ」をやめられない』という本がオススメに出てきたので、読んでみることにしました。以前から”いじめ”の根底には、あらかじめ脳に設定された構造的な問題があるのだろうな、ということは感じていましたが、それを分かりやすく解説してくれてあり、腑に落ちるところが多々ありました。

 

集団社会では、その集団を守るために、逸脱者を排除あるいは制裁しようとする傾向があります。その行為は利他的懲罰であり、ヒトの種としての存続を有利にしてきたと考えられていますが、ともすると過剰な制裁(オーバーサンクション)につながりやすい面も。いじめの対象になりやすいのは、身体が小さい、あるいは弱い、太っている、行動や反応が遅い、空気が読めないなど、身体的・あるいは性質的に他の人と少し違った特徴を持っている人。このような人はとくに集団維持に問題を起こすわけではないのに、異質な者・逸脱者と認識されてしまうことがあるのです。また、いじめる側がリベンジを受けるリスクが小さいことも、いじめの対象に選ばれやすい理由になっているようです。

 

いじめを過激化させる要因には、いくつかの脳内ホルモンが関わっている可能性があるとも書かれていました。

愛情ホルモンとも呼ばれるオキシトシンのはたらきの二面性。安心ホルモンであるセロトニンの不足による問題。異質な者を排除する行動が正しい行いだという認識から放出されるドーパミン(快楽物質)の作用。これらの問題が、いじめる側の脳内で複雑に絡み合って、いじめを過激化させているようです。

 

なかでも、愛情ホルモン・オキシトシンは、愛する人や仲間と認識している人と居るときに大きな幸福感をもたらしますが、それ以外の者に対しては排外感情を高めてしまう側面も持ち合わせています。仲間と認識していても、その仲間意識が強化され、規範意識が強くなりすぎると、かえってサンクションが起こりやすい環境が整ってしまうのです。団結がいじめを生む、愛情が強いほど攻撃的になる。認めにくいことではありますが、これが現実です。

 

ほかにも、いじめにつながる脳内のメカニズムについていろいろ解説してありましたが、結論としては人間がいじめを根絶することは不可能であろうということでした。とは言え、少しでもいじめを回避するための方策もいくつか提案されていました。中でもインパクトがあったのは学校内への監視カメラの設置でした。

先進国の中ではとくにいじめが多いとされる英国では、全中学校の9割に監視カメラが設置されたそうです。設置場所はいじめが起こりやすい「教室」「トイレ」「更衣室」など。これらの空間はある意味密室です。人は誰にも見られていないとか、自分が特定されないという条件がある場合、倫理的に正しくないことをする確率が高まります。これが「匿名化によるルシファー・エフェクト」です。ふつうの人が一瞬で悪魔=ルシファーのようになってしまう心理学の実験からそう呼ばれるようになりました。

 

たしかに、監視カメラは効果的だと思います。ただ、子供は清らかな心を持った天使でいて欲しいという大人の願望。教育・指導の監視に対する教員側の抵抗。カメラが設置されたことによる、いじめの巧妙化や陰湿化の懸念など、ちょっと考えただけでも設置を妨げる要因がいくつも浮かびます。「学校に対して、きれいで正しくあることを求めすぎるために、かえっていろいろな歪みが生まれてしまっているように見える。学校はもっと立体的に人間の在り方を学ぶ場であって良いのではないか。」というのが筆者の意見でした。

ある時期、警察によって繁華街にたくさんの監視カメラが設置されるようになったとき、市民活動家やマスコミからは「プライバシーの侵害だ」と批判されました。しかし、その後たしかに防犯効果は上がり、最近では批判の声は聞こえなくなったように思います。

 

私も学校への監視カメラ設置の是非について考えてみましたが、結論は出ませんでした。ただ、このことについては、自分の子供が被害者や加害者、あるいは傍観者でなくても、みんなで考えてもっと議論されるべき事案だと思います。

 

 

 

 

 

 

カンボジアが舞台の映画「音楽とともに生きて」。良かった!

  • 2020.07.15 Wednesday
  • 17:39

 

カンボジアが舞台となった映画が封切りされると知り、土曜日の午前診療を終えるや否や、もっとも近い上映館である"イオンシネマむさし村山"へカブ号を飛ばしました。

インターネットで座席の予約をしたときには私が一番乗りでした。予告編が始まった頃に劇場に着いて見まわしてみても、埋まっている座席は私を含めて6席だけ。感染リスクは低いものの、ちょっと寂しい鑑賞になりました。

 

上映されたのは「音楽とともに生きて」という映画。内戦時代に難民キャンプで生まれ、その後アメリカに渡った女性監督ケイリー・ソーと、プノンペンで活躍するヒップホップ・ユニット”Klap Ya Handz”のリーダーであるヴィサル・ソックの共同監督による作品です。

 

映画は、プノンペンのホテルの屋上で、朝焼けを眺めながらアメリカの自宅の母と電話で話す、ホープという名の若い女性の横顔から始まります。彼女の母はポル・ポトの時代を生き抜いてアメリカに渡り、彼女を産み育てた人。ホープは、母が生まれ育った地で、母と亡き父の出会いのきっかけとなった歌を歌うためにカンボジアを訪れたのです。

 

ホープが目にして驚くものは、私が2度のカンボジア旅行で驚いたものと重なりました。彼女が心動かされたものもまた同じ。道路にあふれる車やバイクの喧騒。日本語と同じように、自己をアピールするよりも相手の心を思いやる、おだやかな響きのクメール語の会話。人々の目に浮かぶ表情はやさしく純粋です。

 

全体の構成は、今のカンボジアと両親が青春時代を過ごしたカンボジアが交互に描かれ進行します。フランスの支配から独立したあとの、のどかな農業国だった1960年代後半のカンボジアで青春時代を過ごす若いカップル。彼らを引き合わせたのは、当時クメール・ロックの第一人者だったシン・シサモットの代表曲のひとつである「Champa Battambang」(バッタンバンの花)という歌でした。その後ふたりは、クメール・ルージュが支配する厳しい時代の波に飲み込まれてしまいます。強制労働のさなか男性は処刑されてしまい、いつものふたりの密会場所に現れません。彼女はおなかに女の子を宿したまま不安げな表情を浮かべたところで、過去のシーンは終わります。

その先彼女がどうなったのかは描かれていませんが、現在のシーンで娘のホープと電話で話せるということは、健在なのは間違いありません。

 

映画はシーンの切り替えがゆったりとしていて、人物の表情や風景の余韻が薄いベールの重なりのように心に残って行きます。

正直なところ、カンボジアが舞台の映画だから観に行っただけで、作品にはそれほど期待していませんでした。ところが、想像の何倍も素晴らしい映画でした。DVDかBDが出たら買ってまた観ます。

 

共同監督を務めたヴィサル・ソックのユニット Klap Ya Handzでは、現在クメール・ルージュの兵士の2世と、彼らから迫害を受けた市民の2世が混在しており、仲良くやっているそうです。恨みを水に流す国民性も日本人と共通しているのかも(^^)

 

 

 

 

 

 

 

「Champa Battambang」の歌い出しは、橋幸夫と吉永小百合が歌った「いつでも夢を」によく似ています。シン・シサモットはビートルズやサンタナなどのほかにも、三橋美智也、橋幸夫、森進一などの曲もカバーしていたようなので、作風に影響が出ても不思議はないのかも知れません。

こちらの動画は、カンボジアの女性アーティストが映画のロケ地めぐりをしながら歌うジャズバージョン。

 

 

 

 

「FACTFULNESS」

  • 2020.07.02 Thursday
  • 12:06

 

練馬区立図書館から「資料がご用意できました」とのメールが届きました。最近は何も予約した覚えがないので「???」な感じで開いてみると、その資料とは世界的なベストセラーで、昨年1月に日本版が出版されたハンス・ロスリングの「FACTFULNESS」でした。図書館ではこの本を10冊も蔵書しているのですが予約が相当数にのぼっており、通知が来るまでに1年以上が経過。とっくに予約したことを忘れていました。

 

結論から言うと、かなりおもしろい本でした。

 

冒頭には13問のクイズが用意されており、どれも現在の世界の状況についてのものです。このクイズはネットで公開されており、各国のテレビ放送でも取り上げられたようですから、内容をそのまま引用させてもらいます。

 

質問1.現在、低所得国に暮らす女子の何割が、初等教育を修了するでしょう?

A.20% B.40% C.60%

質問2.世界で最も多くの人が住んでいるのはどこでしょう?

A.低所得国 B.中所得国 C.高所得国

質問3.世界の人口のうち、極度の貧困にある人の割合は、過去20年でどう変わったでしょう?

A.約2倍になった B.あまり変わっていない C.半分になった

質問4.世界の平均寿命は現在およそ何歳でしょう?

A.50歳 B.60歳 C.70歳

質問5.15歳未満の子供は、現在世界に約20億人います。国連の予測によると、2100年に子供の数は約何人になるでしょう?

A.40億人 B.30億人 C.20億人

質問6.国連の予測によると、2100年にはいまより人口が40億人増えるとされています。人口が増える最も大きな理由は何でしょう?

A.子供(15歳未満)が増えるから B.大人(15歳から74歳)が増えるから C.後期高齢者(75歳以上)が増えるから

質問7.自然災害で毎年亡くなる人の数は、過去100年でどう変化したでしょう?

A.2倍になった B.あまり変わっていない C.半分以下になった

質問8.現在世界には約70億人の人がいます。世界の各大陸ごとの人口分布を正しく表しているのはどれでしょう?

A.アジア40億人・アフリカ10億人・ヨーロッパ10億人・アメリカ10億人

B.アジア30億人・アフリカ20億人・ヨーロッパ10億人・アメリカ10億人

C.アジア30億人・アフリカ10億人・ヨーロッパ10億人・アメリカ20億人

質問9.世界中の1歳児の中で、なんらかの病気に対して予防接種を受けている子供はどのくらいいるでしょう?

A.20% B.50% C.80%

質問10.世界中の30歳男性は、平均10年間の学校教育を受けています。同じ年の女性は何年間学校教育を受けているでしょう?

A.9年 B.6年 C.3年

質問11.1996年には、トラとジャイアントパンダとクロサイは絶滅危惧種として指定されていました。この3つのうち、当時よりも絶滅の危機に瀕している動物はいくつでしょう?

A.2つ B.ひとつ C.ゼロ

質問12.いくらかでも電気が使える人は、世界にどのくらいいるでしょう?

A.20% B.50% C.80%

質問13.グローバルな気候の専門家は、これからの100年で、地球の平均気温はどうなると考えているでしょう?

A.暖かくなる B.変わらない C.寒くなる

 

回答

質問1.C 質問2.B 質問3.C 質問4.C 質問5.C 質問6.B 質問7.C 質問8.A 質問9.C 質問10.A 質問11.C 質問12.C 質問.13A

 

2017年に14ヵ国、12,000人に行ったオンライン調査では、最後の地球温暖化の質問を除けば平均正解数はたった2問。全問正解者は1人もいなかったそうです。医師、大学教授、著名な科学者、投資銀行のエリート、多国籍企業の役員、活動家、政界のトップ、本職のジャーナリストの大多数までもがほとんどの質問に間違ったそうです。かえって、いわゆる ”意識の高い人” ほど思い込みの罠にハマりやすいのだとか。

 

私もこのクイズに惨敗して、事実を正しいかたちで認識するのは、じつはそんなに簡単ではないことを思い知らされました。

なぜそんなことが起こるのでしょう。どうやら私たちは本能的な、あるいは刷り込まれた思考のパターンや、その思考パターンを巧みに利用するメディアの偏った報道が原因で、事実をよりドラマチックに理解しようとしてしまうらしいのです。この本では、そのほかにも事実を誤認する原因として考えられるいくつかの理由と、その対策を紹介しています。

 

「FACTFULNESS」とは、「データを基に世界を正しく見る習慣」のこと。

著者のハンス・ロスリングはスウェーデン出身の医師で公衆衛生学者。医師として、アフリカでのコンゾやエボラ出血熱のアウトブレイクに力を注いだほか、インドその他でも活躍し、WHOやユニセフその他の機関のアドバイザーを務めました。

2012年には、”世界で最も影響力のある100人”に選ばれたりもしています。

その彼が、協力者でもある息子夫婦とこの本を書こうと決めたのは2015年9月。その翌年2月に彼は末期の膵臓がんを宣告されます。余命は2〜3ヶ月。彼は宣告を受けたその週のうちに、世界中で予定されていた67の講演をすべて断り、この本の執筆に集中しました。そこまでしてでも彼が世界中の人に伝えなければならないと感じていたことが、ここに書かれているのです。

読んでみて、この本の評価が高い理由が分かりました。

 

 

 

 

 

 

 

めずらしく、観光ツーリングして来ました。

  • 2020.06.23 Tuesday
  • 16:11

 

週末には他県への移動制限が解除されましたね。日曜日が父の日だったからということでもないのですが、ぎりぎり新緑に間に合うかと、次男とふたりでオートバイ・ツーリングに出かけて来ました。

とは言え、感染者数の推移から考えると東京からの訪問客は警戒されて当たり前。当日の行動は配慮を心がけたつもりです。

ルートは東北道→日光→金精峠→沼田→関越道で400km弱です。

 

 

日光あたりはツーリングで何度も通過しているものの、社寺を訪れたのは20数年前に私の両親が上京した際に案内した一度きり。そのときには次男も連れて来たのですが、彼はまだ小さかったこともあり、まったく記憶にないとのこと。アートとしての東照宮を見てみたいと言うので、久しぶりに参拝しました。

 

 

 

 

陽明門。細工よりも色のトーンに感性がザワザワします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参拝後はぐるなびを頼りに、日光の街はずれの公園に面した蕎麦屋「たくみ庵」で早めの昼食。”通”ではないので蕎麦をあれこれ語ることは控えますが、私たちにとっては充分以上に美味しかったです。窓から見える自然豊かな公園の風景もほのぼのとしていて、旅情をくすぐってくれました。

 

 

 

 

 

次男が楽しみにしていた「いろは坂」は10m先の先行車がやっと見えるくらいの濃霧で、のろのろライドに。

何も見えないであろう華厳の滝はスルー。中禅寺湖もご覧のとおりです。このあたりでは苦行のツーリングを覚悟しました。

 

 

 

 

ところが、戦場ヶ原の手前くらいから時おり霧が晴れて薄日が差す時間も。新緑のトンネルを抜けて走るのが気持ち良かった!

 

 

 

 

戦場ヶ原のレンゲツツジ。

 

 

 

戦場ヶ原から金精峠の先までは先行車がなく、前方がクリアな状態でしたので、ちょっとマジメに攻めました。なので写真はありません。本当は金精峠から湯の湖を振り返った風景が大好きなのですが、クリッピングポイントとコーナーの出口しか見てませんでした(^^;

 

 

 

 

群馬県側に下りると青空も。いつも素通りしていた吹割の滝にも寄ってみました。

梅雨のわりには水量が少なくて、ちょっとさみしい感じ。

 

 

 

 

次男が「あ、顔!」と言うので振り向いてみると、たしかに何かを叫んでいる人の顔のような岩が。

あとで検索してみると、どうやら有名な岩で「般若岩」という名前で呼ばれているようです。

 

 

 

 

こちらは「進撃の巨人」に出て来そうな顔。

 

 

 

 

どこかの秘密結社のマスクのようです。

 

 

 

 

 

吹割の滝を後にして、ほんの数キロ走ると老神温泉郷。

 

 

 

 

朽ちゆく昭和の温泉街の雰囲気が感傷的な気分を誘います。

 

 

 

 

スナック?「美人座」

 

 

 

 

14時くらいに「ホテル山口屋」に到着して日帰り入浴。私たちが一番風呂とのことでした。硫黄の匂いと渓谷の緑がサイコー!

ひとつだけ残念だったのは、風呂上がりのビールを飲めなかったことです(^^;

 

 

 

ホテルを出た15時くらいには予報通り雲が厚くなって来ました。関越道ではついにパラパラと弱い雨にやられましたが、本降りには遭わずに済んでなにより。

ふだんは観光地をめぐるような旅行をまったくしないので、今回の絵に描いたような観光ツーリングは新鮮でした。

また連れて行ってもらえるように、体力を維持せねばです(^^)

 

 

 

 

 

 

アマンダ号の復活

  • 2020.06.18 Thursday
  • 16:45

 

今から13年ほど前のこと、自転車に乗り始めて1年が経過し、そろそろ入門用の自転車からステップアップしたいなと思い始めたときに出会ったのが、自転車チーム「Beach」のメンバーたちが乗っていた”アマンダ”のバイクでした。

雑誌で見かけて一目惚れし、商店街仲間のラーメン店主”かず吉”と一緒にBeachに入会しました。そしてすぐさま念願のアマンダをオーダーしたのです。

 

”アマンダ”とは、自転車ビルダーの千葉洋三さんが制作するフルオーダーの自転車フレームのことです。

千葉さんは、50年近く前に世界でいち早く自転車フレームの構成材にカーボンを取り入れた人。そしてそのカーボンパイプとクロモリ鋼パイプとの組み合わせで、剛性を維持しつつも疲労しにくい乗り心地を実現。効率と感性を両立させた独特なフィーリングの自転車を生み出し続けて来ました。

今年で80才を迎えられる千葉さんですが、今でも現役です。私が初めて田端の工房を訪れた2007年当時、彼はまだ67才。今は亡き奥さまのみちほさんとふたり、工作機械がいっぱいの工房内で忙しそうに作業されていました。

入り口のドアを開けながら、おそるおそる「こんにちは〜」と声を掛けると、「どうしましたか?」と、まるで診察室のドクターのような威厳に満ちたお返事が返って来たことをよく覚えています。

 

フレームが出来上がるまでに細部の確認のために何度か工房を訪れたり、また当院のスタッフ女史も千葉さんにフレームをお願いしたりとお目にかかる機会が増えるにつけ、身体の構造のお話をさせて頂くことも多くなりました。とても真剣に聞いて下さって光栄に感じました。

 

完成して1年ほどはアマンダに乗りましたが、そのうち私は40時間で600km走ったりするブルベという長距離イベントにハマってしまい、雨中走行にアマンダを使用する気になれなくて、ベッドルームの壁のオブジェとして10年ほど休眠させてしまうことに。

 

ところが、50代半ばから身体の疲労回復が遅くなって、長い距離を乗ったり限界近くまで心拍数を上げる走り方が楽しくなくなってしいました。フロントバッグにカメラを積んで奥武蔵の山の中をのんびりと散策するくらいのサイクリングがちょうど良い感じ。そんなときに壁のアマンダが目に入ったのです。

 

アマンダ号を復活させるまでの時間は、とても楽しいものでした。

 

アマンダ号には1年も乗らなかったので、なるしまフレンドの小畑さんが組み上げ時に巻いてくれたバーテープがそのまま。ほどきながら、細部にわたる彼の仕事の丁寧さを実感しました。

 

 

 

ブラケットも適切なトルクで締めてくれてありましたが、やはり乗車中にストレスがかかるのでしょう、カーボンの表層部分が傷んでいました。峠の下りでポキンなんてのは御免なので、アルミハンドルに変更。

 

 

 

以前はヒルクライム用に軽さ重視の仕様でした。ブレーキは軽量なゼロ・グラヴィティ。下りではいつも制動力に不安を感じていましたので、コーラスに変更。

 

 

 

フレーム制作時に千葉さんに「軽く、軽く」とわがままを言ったものだから、シートステーも内径25.4mm。なかなか合うシートポストが見つかりませんでした。結局トムソンの25.0mmのパイプ部分の上下にカーボンを巻いてもらって解決。さすが千葉さん、完ペキな精度です。

 

 

 

10年ぶりにホイールも組みました。なんだか新鮮な気分で楽しかったです。

 

 

 

 

出来上がりました。

アマンダに乗るチームメイトはたくさん居ますが、私以外のメンバーは健脚すぎて、剛性優先の千葉さんの半ば強引な説得で重量級のフレームを背負わされて帰るのがふつうでした。しかし私は、あの手この手で千葉さんを説得して、完成車で6.9kgの軽量バイクに仕上げて頂きました。水平換算でトップ550mm。ダウンチューブは80t、トップとシートチューブは40tのカーボン。フォークと後三角はクロモリです。おそらく全てのアマンダ・ハイブリッドフレームの中でも最軽量の部類ではないでしょうか。

今回、パーツのアッセンブルを信頼性重視に変更しましたので、重量は8.0kgちょうどに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カメラや飲み残しのボトルの収納など、ゆるライドでは一度使い始めるとやめられないハンドルバー・バッグ。今回アマンダ号復活に合わせて新調しました。BLUE LUGで購入した、シアトルの手作り工房”SWIFT INDUSTRIES”の防水地のバッグです。

 

 

老後の友にぴったりなバイクに仕上がりました。今週末には他県への移動制限も解除されるとのこと、久しぶりに山方面へでも出掛けたいなぁ(^^)

 

 

 

 

 

 

映画「だってしょうがないじゃない」

  • 2020.06.10 Wednesday
  • 12:34

 

今年のはじめの頃、単館系映画好きの患者さまから薦めて頂いたのが、「だってしょうがないじゃない」という作品でした。。

自らADHD(注意欠陥多動性障害)の形質に苦しんでいた映画監督の坪田善史が、親戚のおじさんである広範性発達障害の「まことさん」との3年間にわたる交流を描いた作品です。

ただ、患者さまから教えて頂いたときにはもう各館とも上映が終了しており、残念ながら私は同作を観ることができませんでした。

ところが、先日その患者さまが久しぶりに来院され、コロナ禍の中で各映画館が通常営業できない中、ミニシアターの”ユジク阿佐ヶ谷”が「仮説の映画館」として同作をオンライン配信していると教えて下さったのです。

 

さっそく観てみました。

 

1957年生まれのまことさんは、中学を出てから職を転々としてきましたがどれも長くは続かず、20代の頃には最後の職業だった自衛官をやめて、以降は藤沢市辻堂の実家で40年間お母さんとふたりで暮らしてきました。そのお母さんが数年前に亡くなり、後見人となった叔母さんが彼の形質に気づいて精神科を受診して初めて広範性発達障害との診断を受け、障害年金や福祉の支援を受けられるようになりました。

 

彼とはそれほど近い縁ではない監督の坪田でしたが、まことさんの母の葬儀に参列した父から彼の存在を聞き、40才を過ぎて精神的な不調の苦しんでいた自分の生きるヒントを得ようと、まことさんに会いに行ったのがこの映画を撮るきっかけでした。

 

映画の冒頭、坪田がはじめてまことさん宅を訪れたとき、ふたりの距離感はまさしく初めて会う遠縁の親戚同士というビミョーなものでした。映像も坪田自身がスマホで撮ったプライベートな動画レベルのもの。しかしまことさんに会って、彼の中だけに流れる時間があり、彼だけに見える世界があることを知り、坪田はまことさんのもとを頻繁に訪れるようになります。もちろん映画監督として「これは作品として成立するな」という打算もあったでしょうが、まことさんに会うことが坪田にとって自分の人生を見つめ直すヒントになり、救いになっていったのです。まことさんにとっても坪田は色眼鏡なしに親身に話を聞いてくれる大切な友人となり、彼の訪問を心待ちにするようになりました。

 

まことさんのことは親戚の人々がいつも気にかけていますし、障害者基礎年金・相談支援専門員・掃除ヘルパー・買物ヘルパー・傾聴ボランティアなど、福祉やボランティアの助けもあって、どうにかひとりで暮らせてはいます。しかし、風の強い日にポリ袋をいくつも飛ばして、その動きを楽しんでいるうちに近所から苦情を受けたり、玄関先でマッチを擦ったときの火がおもしろくて何本も燃やしていることで周りをハラハラさせたり。身内やご近所からすれば心配なことが多いのも事実です。そして、坪田がまことさんの元を訪れるようになって3年目、土地の権利の問題で独居を続けていくことが難しくなり、ついに施設へ入居する相談を始めざるを得なくなりました。

 

映画では、まことさんの日常の大変さに寄り添いすぎて観客が少しつらい気持ちになりかけると、効果的なタイミングでちょっと調子っぱずれなトロンボーンのソロが流れて、気持ちがほっこりします。

 

 

発達障害の勉強をするにつれ、自分自身にも符号する要素が多いことに気づいた私は、発達障害児の音楽療法サークルを主宰されている患者さまにそのことを話したところ、「え!先生今ごろ気がついたの?」との反応。学生時代の先輩で、同じく発達障害児の施設を運営する方にも同じことを言われました。精神科を受診したわけではありませんが、ほぼほぼADHDでビンゴだと思っています。

振り返ってみると、たしかに子どもの頃から健常者のコミュニティの中ではちょっと”浮く”こともしばしばでした。しかし形質はそれほど強いものではなく、成長とともに発現が穏やかになって行ったこともあって、少しの生きにくさを感じつつも一般社会に受け入れてい頂いてどうにかここまで過ごして来れました。ほんとうにありがたいことです。

 

坪田はインタビューで「発達障害自体が、生活に支障をきたせば障害です。それが個性としてとらえられる部分もある。障害をひとつの特性、個性として、今まで自分がやってきた表現行為につなげて、オリジナルの世界観をつくっていきたい」と話しています。

私自身も、自分に固有の視点が存在することを感じています。この先も「ちょっと変わった人」としての人生を楽しんで行きたいと思っています。

 

最後に、評価の高かった坪田の前作「シェル・コレクター」に主演した俳優のリリー・フランキーが、この「だってしょうがないじゃない」に寄せたコメントが心に残ったのでそのまま引用させて頂きます。

「幸福というものを求めて、前に前にと歩んできた僕らは、もしかしたらとっくにその場所を通り過ぎていたのかもしれない。この映画を観て、何故だかそう思った。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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