恒例、秋のモンテラック・ツーリング

  • 2019.09.17 Tuesday
  • 18:04

 

先週末、私が所属する自転車チームのサイクリングイベントが開催されました。

我がチームの本拠地であるペンション・モンテラックをスタート・ゴールに富士山を一周する130km。

残念ながらサイクリングは土曜日の開催でしたので、私は午前中通常診療で参加できず。なんとか宴会だけでもと、片づけを終えるや否や息子のオートバイを借りて乾杯の時間を目標に出発しました。

 

私自身は走れなかったものの、サポートカーで併走したチームメイトでペンション・モンテラックのオーナー、はんくまさんの写真から当日の楽しかった雰囲気が伝わって来ましたので、拝借して載せさせていただきます。

 

先頭を走るのは、まもなく古希を迎えるエリック先輩。「まだまだ若いもんには負けんし!」感が伝わって来ます(^^)

このサイクリング、はんくまさんを入れると平均年齢は57才!  

 

 

 

 

この日いちばんの若手なりちゃんは、新加入のマナブくんに負けてなるものかと必死(≧▽≦)

 

 

 

 

 

 

途中、富士の裾野にあるチームメイトの竹仙人の秘密基地を訪問したとのこと。 写真下方、ドローンでこの写真を撮っている仙人さまは、パンケーキを焼いてみんなのことを待っていてくれたようです♡

 

 

 

 

夜はモンテラックのバルコニーでバーベキュー。 食べきれないほどの肉・肉・肉! エビ・サーモン!フルーツ盛!♡♡♡

はんくまさん&奥さま、ごちそうさまでした!

 

 

 

今年で開業30周年を迎えたペンション・モンテラックへ、先日チームの有志からプレゼントしたお酒もこの日開封。 美味しかった〜。 写真はシゲさんからいただきました。

 

 

 

 

食事を終える頃、仕事を済ませたつかぽんとタカトリ夫婦が到着。 この8月に夫婦で参加した1,200kmを90時間で走るイベント「パリ・ブレスト・パリ」のみやげ話を聞きながら、彼らが写ってたりする前回のPBPやLOL(ロンドンーエジンバラーロンドン 1400kmで制限時間116時間40分)のDVDを鑑賞。

 

モンテラック2階の歓談スペースは、自分ちのリビングのような居心地の良さ。 昼間のサイクリングの疲れから気持ち良さそうに寝息を立てる人もちらほら出始めたころ、玄関のドアを開ける人が。 闘病中のムッシュKの近況を知らせに道志みちをオートバイで走って来てくれたマダムKでした。 ムッシュの状況をいつも気にかけているメンバーたちは彼女の顔を見れたことだけで少し安心しました。 ムッシュはしんどい状況の中でも頑張っていると聞き、みんなで彼に届けと強く念を送りました。

 

 

 

 

モンテに泊まった朝、みんなが必ずや行う朝のルーティンは、カーテンを開けて富士山がそこにあるのかを確認する作業。

昨日は終日雲の中に姿をかくしてた富士山が、この日は朝から顔を見せてくれました。 初冠雪も間近、夏仕様の富士山もあと数週間です。

 

 

 

 

さて出発。 コケそうになってるのではありません。 キックスタートのみのSR、いつもはインジェクションのカブで通勤していますのでチョークを引く習慣がなくて空振り。あわてて引き直してるところ(^^;

 

 

 

この日は、以前から行ってみたかった場所へ向かいます。

 

 

 

 

途中、朝霧高原からの富士山。思えば西側から眺めるのは初めてかも知れません。 角度によってずいぶん表情が変わるものですね。

 

 

 

 

来てみたかったのはこの場所。「湯之奥猪之頭トンネル」です。  ほんとうはここへ至る林道湯之奥猪之頭線は自転車で走ってみたかったのですが、オートバイも気持ちよかったので、まぁ良しとします。 路面はかなり荒れていますので自転車ではかなり気を使いそうです。

 

 

その後は下部温泉に下りて富士川沿いの身延みちを北上。 ずっと下道で柳沢峠を通って奥多摩経由で帰宅しました。 柳沢峠から富士山の写真を撮ればコンプリート♡と思ってたのに、コーナリングのリズムが気持ちよくてそのまま通過してしまったことが痛恨です。 ひと様の投稿で富士山の写真を見ると「あー、はいはい( 一一)」と思ってしまうのに、ナマ富士を目の前にすると自分もつい撮ってしまうんですよねー(^^;

ともあれ、仲間たちとの夜もオートバイのライドも楽しかった!

ムッシュがんば!

 

 

 

 

 

益子。ちょっとかよってみたくなる町でした

  • 2019.09.10 Tuesday
  • 12:23

 

日曜日には台風が来るとの予報でしたので、なにか自転車以外のことをしようと、次男と一緒に益子町へ陶芸体験に出かけて来ました。

次男は小さい頃から創作が得意でしたので、彼も母親や兄と同じようにクリエイターとして生きていくのではないかと思っていました。しかしまわりの予想に反して彼が選んだのは文系大学から一般的な会社員という進路。 ただ、ときどき創作の衝動が湧き上がってくるようで、今回は私もお供で同行してみました。

 

この日お世話になったのは、工房「風和里」。 益子の町はずれ、山の手の行き止まりにある小さな工房です。

主催されているのは作家の佐藤仁思さんと大和知子さんご夫妻。 インターネットの体験講座のリストの中から、何の気なしに選んだ工房でしたが、いろいろな意味で大当たりでした。 まず、お二人の人柄がすばらしかった。おだやかでやさしいご主人と、テキパキと手順を示して下さる奥さま。 体験者が持つ作品のイメージを共有して、それをかたちに出来るようやさしく辛抱強く取り組んで下さいました。 あと、音楽の好みが私とドンピシャ。 ジャズドラマーのご主人と、ジャズ好きで何度もニューヨークを訪れたという奥さまは、音楽が縁で出会われたとか。 1987年に仙台で行われたマイルス・デイビスのステージでは、私とご夫妻が同じ客席にいたことも判明。 ほかにもお婿さんが次男と同窓であったりと、陶芸以外のことでもずいぶん話が弾みました。

 

 

 

 

 

奥さまが、手のおもむくままひねったという作品の数々。 それぞれの作品の、光の当たり方で変化する表情は見飽きませんでした。

 

 

 

 

ご主人の模範制作。 ふわっとしたオーラを纏ってロクロの前に座ったと思ったら、鈍色の土のかたまりがあっという間に器のかたちに。 どんなプロもそうですが、仕事に集中する瞬間の気の発散はすごいものだなあ、と見とれてしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

親子ふたりでロクロ初体験中。 オーラのオの字もありません(^^;  

 

 

 

 

次男はどうしてもかたちにしたいイメージがあるらしく、奥さまの指導で手びねりにも挑戦。

 

 

 

 

 

 

 

出来を採点されているわけではありません。 焼く前に釉薬の種類を選んで記入して頂いているところです。

 

 

 

 

名残惜しい気持ちで工房をあとにして向かったのは、人間国宝の陶芸家、濱田庄司の旧邸。

彼が生前に使っていたという登り窯が邸内に移設されていました。

 

 

 

 

 

 

この日、座敷ではお茶会が催されていました。

 

 

 

 

濱田庄司邸に隣接する陶芸美術館では、同じく人間国宝の島岡達三の作品展が開催されていました。次男は彼の作品に相当インスパイアされたようで、ゆっくり鑑賞したあとにもう一周していましたっけ。

 

その後、益子焼窯元共販センターで日用的な陶器を見学がてら次男は彼女のためにマグを購入。 お昼は栃木名物のそばをいただきました。 グルメサイトでリーズナブルな名店と紹介のあった「明水」はお店センターから車で数分。店内にはギャラリーも併設されています。 気になったのは什器やテーブル、椅子などがひとつひとつ違っていて、明らかに手作業による調度であったこと。訊いてみるとやはり金工作家さんによるものだとのこと。 毎年石神井公園のギャラリーで個展を開かれる木工作家の安彦年朗さんもこの町に移って創作活動を行っていると聞きましたし、自然とアーティストが集まってくる町のようです。 歴史的なこともあって町の人たちがアートへの感受性が高く、また多様性を尊重する風土があるのではないかと推察しました。

もちろん、明水のそばは美味しかったです。 陶芸教室の緊張が解けて自覚された空腹感がやっと満たされました。

 

 

 

 

 

数日前、院のスタッフ女史に益子行きのことを話したところ、彼女は小学2年までお父さんの仕事の都合でこの益子で暮らしたとのこと。 ちょうど通り道でしたので、彼女が通っていた星の宮分校の写真を撮って見せてあげようと立ち寄ってみました。

しかし予想通り今は廃校になっており、旧校舎だった左奥の建物は屋根が葺き替えられて地域の自治公民館になっていました。

それでも写真を喜んでもらえたので寄った甲斐がありました。

これでミッション・コンプリート。思ったよりも台風の足が遅くて帰りの車もほとんど降られずに帰宅。良い休日でした(^^)

 

 

 

 

 

 

 

タイムマシーンなライブ

  • 2019.09.04 Wednesday
  • 18:29

 

今年の夏はなかなかしぶといですねえ。それでも朝夕は、心もち凌ぎ易くなって来たような。

ライオンに追いかけられているときにちょっとした痛みやかゆみなど感じないように、命に関わる暑さをしのいでいる最中には感じられなかった不調が、すこしほっとする今頃に自覚されるようで、ここのところ来院される患者さまの数が増えています。

もっともらしいことを書いていますが、もちろんライオンには夢の中でしか追いかけられたことはありません(^^;

 

さて、先週末には2日つづけてライブを聴いて来ました。

土曜日は午前中の診療を終えたあと、ビルボード東京で ”ザ・ウェイト・バンド” のライブへ。 自転車チームのシゲさんに教えてもらってその日のうちに申し込んだ公演です。 このバンド結成の由来をお話しすると長くなるのですが、ひとことで言うと伝説のアメリカンロック・バンド ”ザ・バンド” の末裔です。 今回はゲストとしてリトル・フィートのフロントマン2人も出演するとのこと。

 

1978年の大学入学と同時に音楽サークルに入り、先輩に誘って頂いて最初にステージに立ったのはCSN&Yの「Teach Your Childlen」のコーラス隊としてでした。 高校生の頃の私はブルース色の強いロックが好きでしたが、それ以降はアメリカの広大な風景や人の懐の深さが感じられるカントリーっぽいアメリカン・ロックも聴くようになりました。 その年に公開されたザ・バンドの解散コンサートを記録した映画「THE LAST WALTZ」も観に行きましたっけ。

 

また同じ1978年の7月8日、まだ1年生でアルバイトもしていなかった私は、ぎりぎりでやりくりしていた生活費をつぎ込んで、オリジナルメンバーではただ一度きりしか実現しなかったリトル・フィート日本公演を聴きに行きました。 その公演は「On The Eastern Front」というCDにもなっています。 たぶん歓声の中には私の声も入っているはず。 今回のライブに出演したポール・バレアを見るのはそれ以来でした。

 

 

 

 

40年の歳月が流れて今はもう、クラプトンなどたくさんのビッグネームに影響を与えた音楽的な先進性は感じられませんでしたが、アメリカの原風景が見えるような大らかさと、心に沁みるハーモニーはすばらしかった。 とくにアンコールで演ってくれたリトル・フィートの「Dixie Chicken」を聴いたときには、18才で上京してからの自分の人生が、よくSF映画に出てくるタイムマシンの逆行シーンのように回想されて、齢でゆるくなった涙腺がヤバかったです。 やはり音とか匂いとかの刺激は直接古い脳に働きかけるんですね。

ライブがハネたあとは、シゲさんと六本木のジャズ・バーで一杯やってお開き。たのしい夜でした。

 

 

日曜日は学生時代の音楽仲間と「TOKYO JAZZ 2019」に出演するカマシ・ワシントンを聴きにNHKホールへ。

「TOKYO JAZZは2002年の第一回も聴きに行ったっけねー♡」なんておしゃべりしながら、数十年ぶりに仲間たちと公園通りの坂を歩きました。

 

こちらもサイコーなパフォーマンスでした。 昨夜の枯れ倒したシブいオジサンたちと違って、まだ30才代のカマシ。 精神的肉体的な熱量が圧となって伝わって来ます。 こちらもその圧に負けない力と感性をこれからも維持して行こうと決意を新たにしました。

 

夜は下北に流れて居酒屋からの、この日もジャズ・バー。 オートバイやら音楽やら、いろいろ悪だくみの相談もはかどりました(≧▽≦) 

 

 

 

 

 

 

 

ジャズ史動画(著作権的にそのうち削除されるかも)

  • 2019.08.20 Tuesday
  • 12:14

 

今夏の暑さは堪えますねえ。 若い頃は一年中夏でもいいと思うくらいの夏好きでしたが、齢のせいか温暖化のせいか、どうかもう許してください(´Д`)って感じです。 とはいえお盆も過ぎたことですし、あと1〜2週間もすればいくらか楽になると信じて頑張りましょう。

 

当院は14,15日の2日間、短い夏休みを頂きました。 ただ、台風の影響で自転車には乗れず、ひたすら家でのんびり。

たまたまお休みに入る数日前に、音大生の患者さんのウッシーから興味深い動画を紹介されていましたので、絶好の機会とばかりに43分×12本を全巻観てしまいました。それはBBCなどが製作したジャズの歴史を紹介する動画。 自分の好きな音楽のルーツがどこにあるのかきちんと辿ってみたことがありませんでしたので、近代アメリカ史とからめたこの動画はとても勉強になりました。 また、ルイ・アームストロングやベニー・グッドマン、ビリー・ホリデイなど、個々のミュージシャンたちのの生い立ちには感じるものがありました。

 

 

1800年代後期のニューオーリンズでは、南部の黒人のブルースと、クレオール(スペイン人やフランス時と黒人の混血の人たち)が身に着けた西洋音楽が融合して、ジャズの卵のような音楽が生まれました。 1917年に初めてジャズのレコードが発売されると、あっという間に大ヒット。ジャズという音楽が全米に知られるところとなりました。

 

 

 

その後、ジャズはビッグバンド、スウィングの時代を経て、1940年代にはチャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーなどが始めたビバップの時代に。 ビバップはそれまでの譜面にもとづいたジャズとちがってアドリブを主体とするスタイル。即興芸術としての色合いが濃い音楽でした。 ビバップ以降のジャズはモダンジャズとも呼ばれました。1950年代から’60年代にかけてはマイルス・デイビスのモード奏法やコルトレーンのスピリチュアルなアプローチ、オーネット・コールマンなどのフリー・ジャズなど、さまざまな方向へ進化を遂げます。また電子楽器の導入、ラテンやロック、ヒップホップなどとの融合も図られました。

 

私が好きなのは、ジャズが新しい表現を求めて苦悩し続けたモダンジャズ期以降です。「聴衆の前で瞬間的に創造する芸術は、いわば安全ネットなしの綱渡り。成功も失敗もそのぜんぶを見られてしまうことになる。」ときにはドラッグや酒に溺れなければならないほど身を削って表現されるスリルに満ちた音楽は、文学やアートと同じで聴いているこちらの原始の魂を揺さぶられるようです。

 

私とジャズの出会いは高校時代にさかのぼります。 家ではロックやブルースばかり聴いていた私でしたが、放課後に通い詰めた喫茶店「ヘリオス」でかかる音楽は、ジャズとバロック音楽だけでした。 お店は美大出のマスターの好みで当時まだ珍しかったコンクリート打ちっぱなしのシンプルなしつらえ。 店内にしずかに響くマイルスのトランペットは内省的な気分に誘導してくれるので、青春期の混乱した自分自身を見つめ直すためにとても大切な時間でした。「彼の音楽は人の心にひそむ孤独感に訴えてくる。そして誰もが同じ孤独を抱えているのだと語りかけてくる」「彼の繊細極まりないソロは薄い氷の上を歩くよう。恐ろしいほどプライベートな感じで、個人的なつぶやきを盗み聞きしているよう」 動画の中のある評論家のマイルス評ですが、まさしく当時私が感じていた印象そのものです。

 

元々、黒人奴隷の間で歌われていたブルースを起源に持ち、酒場や売春宿で育ち、長い間低俗な音楽として差別を受けていたジャズも、誕生してから100年以上が経って、今ではその芸術性がクラシック音楽と並んで評価されるほどになりました。 ちょっと痛快な感じがします。

 

ブルースやロックも同じですが、自分の成長にとって黒人由来の音楽は欠かせないものでした。 きっとこの先も「No Black Music,No Life」なんだろうなあ。

 

 

 

 

 

 

モンテ・トレッキング部。今年の部活は霧ケ峰!

  • 2019.08.06 Tuesday
  • 11:21

 

私が所属する自転車チーム「モンテラック」。 最近ではみんなでサイクリングする機会も少なくなってしまいましたが、なにせお酒好きが多い我がチーム、新年会だけは毎年欠かさず開催されています。その新年会において、チーム内の山好きメンバーを中心に毎年その夏のトレッキングの相談をするのも、楽しみな酒の肴のひとつなのです。

 

今年のトレッキングコースは、メンバーの中でももっとも山登りの経験が豊富なアオさんのリコメンドで車山〜霧ケ峰に決まっていました。 車山は私は学生時代に生まれて初めてスキーをした山。 ビーナスラインをオートバイでツーリングしたことはありますが、車山の頂上まで登るのはそのとき以来で約40年ぶりでした。

 

 

ぎりぎりニッコウキスゲに間に合いました。 下方に見える道路がビーナスラインです。

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左上に霞むレーダードームが車山の山頂。

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(M沢さん撮影)

 

 

 

山頂に到着です。 正面に八ヶ岳。山塊の中ほどに去年の部活で登った硫黄岳も見渡せました。

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山頂に着く頃にはリフトも動いており、普段着の方もちらほら。 白樺湖を見下ろすベンチで仲良くおしゃべりするミュージシャン風のカップルに写真を撮らせてもらいました。

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ナデシコ。

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ウスユキソウ。

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ホタルブクロ。

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すれ違ったカップルの女性に「スターウォーズに出てた方ですよね。写真撮らせてください!」とお願いしたら、快諾頂きました(≧▽≦)

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霧ケ峰の草原。 向こうの稜線から下りて来ました。

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そして向こうの稜線に上ります。

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その稜線のピークが物見岩。 今回の参加者はこの5人。主要メンバーのChellちゃんは都合が合わず参加できませんでしたが、アオさんのお友達のM沢さんがゲスト参加。 とても気さくな方でした。ぜひまたご一緒したいなー。2019.8.4車山22.jpg

 

 

 

「昭和の大スター 小林旭かよ!」な、すかしたポーズでM沢さんに写真を撮らせるアオさん。

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八島湿原へ流れ込むせせらぎ。

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お昼ご飯。 山行のトレーニングを兼ねて30kgくらい詰め込んだザックを担ぐアオさん。 ドラえもんのポッケのように、次から次へとどこでも生活できるセットが出て来ます。 その割にメニューはやっつけメシ。どうやらベーコン入りチャーハンとチキンラーメンの模様です。そのぜんぶが茶色いメニューでした(≧▽≦)

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(M沢さん撮影)

 

 

 

そうこうしている間に、東の空に雲がもくもく。 ほんとうは八島湿原の外周を回って帰る予定でしたが、山で雷雲に追われるのはカンベンなのでコースを短縮することに。

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案の定、大粒の雨がバラバラ落ちて来たので慌ててカッパを着込んだものの、10分もしないうちに上がってしまいました。 ほんと山の天気は読めません。

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スタート・ゴールの車山肩駐車場に着いた頃には、すっかり良いお天気に。

最後の上り区間を「ア、アイス、、 ソ、ソフトクリーム、、」と呪文のように呟きながら上りきったら、ゴールでこの人形が迎えてくれました(^^)

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M沢さんは信州りんごサイダー。 帽子の上でおねだりしているトンボにはまったく気づいていないようです(^^;

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K谷さんが帰路の道の駅で買ったおみやげはカブトムシのペア。 どうやら3才になるお孫さん(♀)が昆虫好きらしいのです。

分校育ちで野生児だったというおばあちゃんからの遺伝だろうなあ(^^;

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今年の部活も楽しかった! 来年はどこ行こうかな。

 

 

 

 

 

 

映画「アヤクーチョの唄と秩父の山」を観て来ました。

  • 2019.07.30 Tuesday
  • 17:36

 

土曜の夜には台風が接近する予報でしたが、とても楽しみにしていた映画はその週末の2日間しか上映されないと聞いていましたので、半ドン仕事を終えてアップリンク吉祥寺へ向かいました。

 

映画は「アヤクーチョの唄と秩父の山」。監督は写真家のホンマタカシ。 彼がギターを習うためにギタリストの笹久保伸の元を訪れた際に、笹久保の妻イルマ・オスノと出会い、彼女の半生を映画化する決心をしたのだそうです。 劇場は2日間とも予約の段階で満席でした。

 

'74年にイルマが生まれ育ったのは、ペルー南部の標高2,731mの街アヤクーチョから、さらに車で数時間上ったところにある人口100人足らずの小さな村。 アヤクーチョは毛沢東主義の急進派アビマエル・グスマンが率いた極左武装組織「センデロ・ルミノソ」の拠点となった街です。 とくに周辺の山岳農村部では政府軍とゲリラの激しい戦闘が繰り返され、毎夜どちらかの兵士が現れては村人を拘束して行き、拘束された村人は拷問を受けて二度と帰って来ることはなかったそうです。 そんな心休まらない状況の中、家畜の世話をしながら歌を歌って育った彼女は、12才になると故郷の村を離れて首都リマに移り、教員をしながらアヤクーチョ民族舞踊団の一員として活動をしていました。 そこでペルーの伝承音楽を研究しに現地を訪れていたギタリストの笹久保伸と出会い結婚。秩父へ移住することになったとのこと。

 

映画は、そんなイルマの現在の日常と、娘を連れて7年ぶりに訪れた故郷の村の様子を通じて、彼女の音楽的なルーツ、また人生そのもののルーツを辿ります。 母親や親戚の人たちに迎えられ、アルパ(アヤクーチョ・ハープ)やヴァイオリンに合わせて歌い、踊りながら再会を喜び合うのですが、母親は終始遠巻きにイルマのことを見つめながら涙を流し続けます。 幼かったイルマを暴力から守るために必死だった頃のことを思い出したり、せっかく再会出来てもまた遠い国へ戻ってしまう寂しさがこみあげてしまうらしいのです。 何より子供の幸せを祈りながらも、年老いて行く心細さからつい泣けてしまうのでしょうね。

どこに住んでいても、歌って踊ることは生きることと同じというイルマ。そんな生き方は娘のクシちゃんにも受け継がれていくことでしょう。

 

イルマの歌は、インカ帝国の公用語であったケチュア語で歌われる高いトーン。小魚のターンのようにクルクルこぶしが返る独特の歌唱法です。ただただヒステリックなだけのハイトーンだと、耳から入ってきても自動的に脳のシャッターが下りてしまうのですが、彼女の声や歌には彼女自身の人格と伝承されるスピリチュアルな要素が反映していて、なにか神秘的な気持ちにさせられます。

 

映画が終わったあと、ご主人の笹久保伸さんがステージで静かにギターを弾き始めたかと思ったら、劇場の客席からイルマが現れて1曲歌ってくれました。ギターも歌も鳥肌が立つほどすばらしかったです。

 

私はアフリカにルーツを持つ黒人の音楽が大好きなのですが、人類が誕生したアフリカと、彼らが太古の昔に自分の足でたどり着いたもっとも遠い場所である南米大陸。それぞれの地域でそれぞれに育まれた音楽にものすごく魂を揺さぶられることが、なんとなく興味深く、そしてまたうれしくもあるなあ、と感じた夜でした。

 

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イルマのアルバムの版動画。TAKIとはケチュア語で「歌」という意味だそうです。

 

 

 

笹久保伸のギター。

 

 

 

 

 

 

久しぶりにMerrillを連れてサイクリング

  • 2019.07.23 Tuesday
  • 16:56

 

身体中からキノコが生えそうだった梅雨も、やっと終わりが見えてきましたね。

この日曜日、午前中は降らなそうな予報でしたので、久しぶりに外をサイクリングして来ました。 夏になると足はやっぱり奥武蔵グリーンラインに向いてしまいます。

 

アプローチはいつもの ”林道 関の入線” から。 雨はまぬがれても陽が射すことはなかろうと、数年ぶりにシグマのデジカメを持参して来ました。 このカメラは強い光、暗いとこ、動くものがぜんぜん撮れないカメラ。こんな日に使わないと一生タンスの肥やしになりそうでしたので(^^;

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林道の真ん中にマムシ、、 雨上がり、体温を上げるために道路に出てきたのでしょう。 マムシはジャンプが苦手なので、ヤツの体長分だけ距離をとっておけば咬まれる心配はないのですが、キモチビな私は2mまで寄るのが限界でした、、

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関の入線途中にある情趣ある「五常の滝」。 ここ数年立ち入り禁止になっていましたが、最近になって有料で観覧できるようになったようです。 観覧料は200円とのことでした。

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いつもは眺望の良い顔振峠の平九郎茶屋も、この日はただただ揺蕩う霧の濃淡を眺めるばかりでした。

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グリーンラインの稜線から眺める名栗方面の雲が厚くなってきたように見えたので、高山不動でグリーンラインを離脱。 峠越えで名栗みちへ向かう予定でしたが、大幅にコースを短縮して国道299号で飯能駅へ帰ることにしました。

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吾野に下りた頃、やはりまぁまぁの粒の雨が落ちて来ました。 廃業したガソリンスタンドのひさしの下で少し雨宿りして、再スタート。そういえばこの日は第3日曜日。 東吾野の昼市が立つ日です。 雨も上がったようですし、のぞいてみることにしました。

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この市の存在を知ったのは4月の第三日曜日でした。 チームメイトのなりちゃんと、西川材(入間川・高麗川・越辺川流域で生産される木材)の良さを発信するアンテナショップ・カフェ「Kinoca」へランチをしに訪れて、たまたま同じ敷地にある材木倉庫で開催されていたこの市を発見したのです。

あの日、自転車を停めてカフェへ歩いていると、地元有志のおじさん・おばさん達が「いいから、まぁ寄ってけ〜」と熱心に誘ってくれるものですから、つい吸い込まれてしまいました。 手作りこんにゃくの田楽とか、イノシシのしぐれ煮とか、フキ味噌、花梨飴、オレンジピール、タケノコ汁、ほかにもいろいろ手作りの美味しいものが何でも百円!  カフェに入る前にお腹いっぱいになってしまったのでした(^^;

この日はフロントバッグにカメラが収まっていたのであまり荷物が増やせず、アンズジャムだけ買って帰りました。 もう3度目の訪問ですので、顔を見せるなり歓迎してもらえてうれしかったです(^^)

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昼の市とKinocaの間にある建物では、クライミング初心者向けのお教室があります。

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シグマ DP-2Merrillは、草木を撮るとその緑の重なりが、子どもの頃好きだったアンリ・ルソーの絵のような妖しい世界を描き出してくれます。そこが気に入って買ったのに、最近ではすっかり写真熱が冷めてしまってレンズがカビるのも時間の問題でした。

一時期いつも持ち歩いて時間を共にした遊び道具ですし、寝かせっぱなしではかわいそう。これを機会にときどき連れ出してあげることにします♡

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こんどはカマシ・ワシントン聴いてみたYo!

  • 2019.07.15 Monday
  • 11:36

 

ちょっと前の更新で、行きつけのバー”スプラウト”のバーテンダーのあべちゃんにロバート・グラスパーを教えてもらって、すっかりどハマりしていることを報告させていただきました。

先日、久しぶりにスプラウトへビールを飲みに出かけたところ、「いや、じつは最近のジャズシーンには、もっとヤバいやつが居るんですよ」とのお言葉。 それがカマシ・ワシントンでした。

 

さっそく、あべちゃんお薦めの3枚組CD「THE EPIC」をポチッて聴いてみました。

ジャケット写真の彼は、どう見てもナゾの教祖様。怪しさこの上ありません。しかし 1枚目からビッグバンドの圧がグイグイ。疾走感満点のアフロなグルーヴと、エレガントなクワイアのミスマッチがカッコいい!

数曲聴いて完全にカマされました。 風体同様、音もスピリチュアルな仕立てですが、’60〜’70年当時のコルトレーンほど深刻ではなく、サン・ラーほどぶっ飛んでいません。なので昔の御大たちのスピリチュアル・ジャズとちがって、消耗することなく何度でも気持ちよく聴けてしまいます。

 

ロバート・グラスパーもそうですが、最近の若手ジャズ・メンは、ヒップホップのミュージシャンとの交流が自然なことのようで、カマシもスヌープ・ドッグやケンドリック・ラマーなどとも共演しています。 ヒップホップ・ムーブメントが日本に上陸した頃、音楽的には魅力を感じたものの「マザーファッカー!」な感じの視野の狭い詞と、何より当時敏感に反応したのがいわゆるヤンキー層だったこともあり、これまであまり聴いて来ませんでした。 しかし、R.グラスパーとK.ワシントンの縁で、ケンドリック・ラマーの「To Pimp a Butterfly」を買ってみました。 いや、カッコいい!  詞はまるで内臓をぶちまけたような生々しい言葉の洪水ですが、音楽的にものすごくクールで、まさに「Fuck'n Dope!」って感じ。 実質’70年代で止まって化石化していた私の音楽的な感受性にちょっと血が通ったみたいです。 若い世代の音楽か知らんけど、ジイさんだって同じ時代を生きているんですから、共感したっていいじゃんね(≧▽≦)

 

さて、ハナシはカマシ・ワシントンに戻ります。 彼は9月の「東京JAZZ」に出演するとのことなので、学生時代のバンド仲間たちと聴きに行くことにしました。

「東京JAZZ」を聴きに行くのは、2002年の第1回を聴きに行って以来です。 その日、H.ハンコック、W.ショーター、O.ポルトゥオンドなどと共に出演した今は亡きマイケル・ブレッカーは、空が夕焼けに染まる頃ステージに立ち、東京スタジアム(味スタ)の銀傘を震わせるソロを吹いてくれましたっけ。そのソロでうっかり泣けてしまったを思い出しました。

今回の東京JAZZもそのとき一緒に聴きに行ったメンバー。楽しみです!

 

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「ビル・エバンス タイム・リメンバード」を観て来ました

  • 2019.07.03 Wednesday
  • 17:35

 

私と同世代のプロピアニストの患者さまから、「とても印象的な映画だったので観たほうがいいよ」と聞いたのは1ヶ月以上前のこと。自転車に乗れない雨の日曜日があったら観に行こうと思っていましたが、この日曜日、上映終了の週になってやっとチャンスが訪れました。

この映画、アップリンク吉祥寺でこの映画が封切られたのが4月27日なので、もう2ヶ月以上の長期にわたって上映され続け、この日も満席でした。

 

ジャズという音楽の進化に大きな功績を残したビル・エバンスですが、じつは私は彼の演奏は好きでも嫌いでもありません。 耳に心地よく知的(モードなんちゃら)でクール。 ジャズ初心者が受ける印象は美しく抒情的。超高度な音楽的感受性が備わった人は、その奥に秘められた狂気を感じるらしいです。 そのどちらでもない私には、何かすべてが整いすぎた彼のピアノはまったく響いて来ないのです。 世界中のジャズファンにこれだけ愛されたピアニストですから、彼が音に込めたものを感じ取れないのは、私の感性の問題なのはまちがいありませんが(>_<) 

 

以前にも書いたように、私が音楽や文学・アートに求めるものは、遺伝子のひだの裏の裏あたりにある、人類の祖先から刻まれた記憶を呼び覚ますスイッチとしての役割です。そう、もっとエモーショナルな激しさであり、美しさなのです。構築された”美しさ”は私が求めるものではありません。

 

映画は評判通りすばらしい作品でした。 才能が突出している分、何かが欠落した人の物語。同じく破滅的な人生を送ったジャズ・トランペッター、チェット・ベイカーの映画「Lets Get Lost」「ブルーに生まれついて」にも通づる切なさでした。

ビル・エバンス史上、最高の録音と言われた1961年のヴィレッジ・ヴァンガードの夜の直後に、盟友のベーシスト、スコット・ラファロが事故死。 仲の良かった兄は病気を苦に自殺。 恋人を苦しめて自殺に追い込み、自身はヘロイン中毒で45分に1回注射。 心身ともにズタボロな状態だった彼。 仲の良かった友人によると「彼の死は、時間をかけた自殺というべきものだった」とも。 CDから聴こえてくる、美しく繊細なタッチのピアノとの対比がますます皮肉です。

 

ビル・エバンスのピアノを聴きに行ったのではなく、ジャズの歴史の勉強のつもりで観に行ったこの映画。 結果、彼の音楽からは感じられないブルースを、彼の人生から感じることになりました。

 

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映画「パーソナルソング」を観て音楽療法の勉強

  • 2019.06.27 Thursday
  • 17:03

 

「パーソナルソング」 。2014年サンダンス国際映画祭ドキュメンタリー部門で観客賞を受賞した作品です。

もともとIT関係の仕事をしていた新米ソーシャルワーカーのダン・コーエンは、認知症患者も自分の好きな歌(パーソナル・ソング)を聞くことによって、音楽の記憶と一緒に何かを思い出すのではないかという着想を得ます。その着想に基づき認知症の方が入所する施設を回って、入所者に当人が若い頃に聴いたであろう楽曲をipodで聴いてもらいました。

 

娘の名前すら思い出せないほど認知症が進行していた94歳のヘンリーは生気がなく、車椅子の上でうなだれて過ごす日々。 ところが彼の好きな曲を聞かせた途端、目を見開いて陽気に歌いはじめ、仕事や家族のことまで饒舌に語りだすという効果が表れました。

彼だけでなく、この音楽療法によって劇的な変化を見せる入所者が何人も紹介されます。

おそらく映画では著効が見られた例のみを取り上げているのだと思います。 それでも入所者が音楽を聴く前と聴き始めてからの変化の大きさには驚かされます。 もし自分が現場に居合わせたら、まちがいなくハグしちゃうだろうなあ。

 

この試みを支持するドクターのコメントも多数紹介されます。 あるドクターによると、施設の認知症患者の肉体・精神活動がかなり抑制されているように見えるのは、薬の作用が大きいとのこと。 発症後、患者は自分の混乱した心を伝えようともがきます。 それを薬で抑え込んでしまうと、彼らは自分の問題を伝えられなくなって心を閉ざし、世界とのつながりを失ってしまう。 こうして彼らは選択肢を失い、人に管理されるしかない状況に陥ってしまうのだと。

 

施設内の安定した状況を維持するために、抑制的にはたらく薬の投与はやむを得ないのかも知れません。 音楽による刺激は脳の広範囲に及んで平和的な気分のまま高揚感が得られる刺激でもあります。 先のドクターはこうも続けます。「音楽は認知症患者に自発性を与えて、彼らが自分自身の世界で本来の自分を取り戻す助けになる」と。

 

この映画が製作されたのは2014年。 この映画を撮り始めたときには、音楽療法を導入してくれる施設はなかなか見つからず、各方面にipod購入のための寄付を依頼しても取り合ってもらえない状況でしたが、撮り終える頃には650もの施設に普及したとのこと。

第二次世界大戦で大量の傷病兵を出したアメリカの野戦病院で、音楽を流してみたら傷病兵の治癒が早まったことから、音楽療法に対する関心が高かったアメリカ。 そのアメリカでも現場レベルでは理解を得るのがたいへんな状況。 わが国でも認知症はもとより、発達障害者や身体障害者、不登校児、高次脳機能障害者などへのケアの一環として、音楽療法を取り入れる活動が活発化しつつあるものの、エビデンスが取れている方法論は限られており、医療として認められるにはまだ時間が必要なようです。

 

よくテレビで見かける脳科学者の茂木健一郎さんは「脳にとって音楽は食べ物です」と言っていました。 脳の報酬系は本来食べ物を食べたり、生きるために必要な刺激に対してのみ働くものなのに、なぜか好きな音楽を聴いたときにも報酬系が活動するのだそうです。


音楽は聴くだけでも認知症予防の効果がありますが、楽器の演奏を続けていると発症する確率がもっと低くなることはよく知られています。 私自身も次の誕生日が来れば60才。これからは次の世代の負担にならないように生きるのが最大のミッションです。 精出してウクレレ弾かねばです!(*^-^*)

 

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