晩秋すぎた奥秩父

  • 2017.11.14 Tuesday
  • 15:35

 

日曜日には4週間ぶりに自転車で出かけて来ました。 ルートはひさしぶりの奥秩父です。 新緑の頃に訪れた際に、紅葉も必ず見に来ようと心に決めていました。

 

秩父駅をスタートしてすぐのコンビニ。 駐車場のお地蔵様を守るケヤキの葉がほとんど落ちているのを見て、もうこの時点でいやな予感がムクムクと、、(^^;

 

 

 

道路をくぐって水圧鉄管が落ちこんで行く先は大滝発電所。 最大出力は4000kwとのこと。 実家近くにある奈半利川の長山発電所(最大出力37000kw)を見慣れている私にはミニチュアのセットのように見えます。

 

 

 

秩父往還(国道140号)は、二瀬ダムで出来た秩父湖のあたりで上ルートと下ルートに分かれます。 栃本集落を通りたくて旧道の上ルートを選択。 集落のお宅の納屋には薪が積まれていましたが、これはカクジツに見る人の目を意識した積み方ですよね。アートしてます(^_-)

 

 

 

のどかな風情が感じられる栃本の集落。平成22年の国勢調査では秩父市大滝字栃本には36世帯、60人の方が暮らしているそうです。

 

 

 

 

里ではまだ、空気の色まで秋色に変えてしまいそうなくらい見事な紅葉が見られました。

 

 

 

 

ところが少しづつ標高を上げて行くにつれ、すっかり落葉してしまった木が目立つようになります。 これから始まる厳しい冬に向けて彼(彼女?)は何を思うのでしょう。

 

 

 

 

今日の目的地はここでした。雁坂トンネル手前の黄色い雁坂橋と赤い豆焼橋。 他の人のブログで、その佇まいが紅葉と調和したこのふたつの橋の写真を見てぜひ訪れてみたいと頑張って来たのに、もうすでに山の木々はほとんど葉を残しておらず、チームメイトのイノッチの頭みたいな坊主刈りになっていました(T_T)

雁坂橋

 

 

 

豆焼橋

 

 

 

秩父市内でも朝は3℃まで気温が下がったこの日、標高が1000m近い山梨県との県境からの下りは、山影に入ると身体のふるえがハンドルに伝わって車体も一緒にプルプル揺れるくらいでした。 こんなところまで来てイノッチの頭しか見れなかった落胆が、よりいっそう寒さを厳しいものにしていたのかも知れません(^^; 

来年こそはドンピシャのタイミングで再訪するぞと固く決意した次第でございます(^^)

 

 

 

 

 

 

 

SRでモンテラック

  • 2017.11.07 Tuesday
  • 11:45

 

日曜日はチーム恒例の 「ペンション・モンテラック」 へのお泊りサイクリングでした。

私は土曜の仕事を終えたあと、高速バスで輪行して復路は道志みちをみんなとサイクリングする予定だったのですが、14才になる愛犬が急に具合がわるくなってしまい、私が獣医さんに連れて行くことに。

診察が終わったのは17時。 バスで向かうと宴会に乗り遅れてしまうので、納車間もない次男のSR(オートバイ)を借りて行くことにしました。

 

北西の強い風に凍えながら中央高速を走り、いよいよふるえが止まらなくなった藤野PAで、房総の友人宅から富士吉田の自宅へ帰るというライダーと "連れcoffee"。 夜のPAにはオートバイは2台だけでした。 オートバイに乗ることが生活の一部だった20代の頃にはこんなシーンがよくあったっけなあ。

 

 

1時間ほど遅参しましたが、気心の知れたメンバーなのであっという間に場のノリに追いつきます。 ディナーを1名分作り直してくれたオーナーのはんくまさんに感謝です!<m(__)m>

 

 

この日は先着メンバーで本館のベッドが埋まってしまったので、数人のメンバーとコテージでzzz

通路を歩きながら見上げた月を、酔っぱで撮れるかチャレンジしてみました(^^)

 

 

 

「朝メシだよ〜!」と起こされ、コテージ組のタカトリと一緒に本館ダイニングへ。 写真は 「パリ・ブレスト・パリ」(1200kmを90時間で走るイベント) を2回完走した彼のケツ(≧▽≦)

 

 

 

 

湖畔で記念写真を撮ったあと、みんなは道志みち組と箱根組に分かれて自転車で家路に。 ちょっとさみしいけど私はここから単独行動です。

(この写真ははんくまさんの投稿から拝借)

 

 

 

はんくまさんが教えてくれた御殿場のSR専門のカスタムショップ 「Stinky」 のウィンドウを覗いていたら、その横を 「ツール・ド・沖縄200km」 を来週に控えたイノッチがビュ〜ン!って駆け抜けて行きました。籠坂峠越えもあるのにオートバイに追いつくって、どんだけ(^^;

美術品のようなカスタムSRを、おもちゃ屋のプラモデルを眺める小学生のように貼りついて見ていたら、「コーヒーでもいかがですか?」 とオーナーさん。よろこんでお呼ばれしました。

年齢も近いので少年時代からのオートバイ談義に花が咲き、果ては音楽・文学の話まで。 気がついたら30分以上経っており、そろそろお仕事に障りが出そうなので慌てて失礼しました。

 

 

隅々にまで手の入った宝石のようなSRたち。 

 

 

 

その後は30年ぶりくらいに箱根スカイラインへ。 紅葉シーズンのわりには交通量が少なかったので、レッドゾーン付近を維持してスポーツライドっぽいことをしてみました。 もちろん年寄りの冷や水にならないようにほどほどにね(^_-) 

 

 

駿河湾までくっきり。左に見える伊豆半島の岬は大瀬崎あたりでしょうか。

 

 

 

 

 

 

月曜日に子宮と卵巣、あと乳腺の腫瘍を摘出する手術を受け、麻酔から覚めたミント。 幸い経過は良好とのこと。 おそらく家族の中でいちばん賢い彼女は、術後に家人が面会に行っても動揺を見せなかったとか。 見習うところが多いです(^^;

 

 

 

 

 

 

 

 

台風

  • 2017.10.30 Monday
  • 17:06

 

ここのところ週末は毎度毎度の雨降りで、ぜんぜん自転車に乗れていません。 この日曜日も次男のSRをいじったり、テレビで映画を観たりして過ごしました。

 

2週続きの台風も狙いすましたように週末でしたね。 先の台風21号は中心気圧が925hpで東海・関東に迫って来ましたので、上陸前には久しぶりに家の周りをいろいろチェックしました。 この台風は停滞していた秋雨前線をさんざん刺激してたくさん雨を降らせ、増水などで亡くなられた方もありましたね。 ただ、東京に来るころには勢力が衰えていて瞬間最大風速も30m/sくらい。 月曜の朝には台風一過、何事もなかったように出勤できました。

 

東京では台風の被害がまれだとはいえ、いちおう油断せず備えはします。 それは高校時代まで暮らした室戸での背筋が強ばるような恐怖の記憶があるからです。

 

ご存知のように、室戸地方は台風が上陸する頻度が高いので「台風銀座」と呼ばれています。 とりわけ凶悪だったのは、私の父が2才だった1934年の室戸台風。 あと私が1才だった1961年の第2室戸台風です。 室戸台風では室戸岬漁港の堤防が高潮で決壊。堤防近くにあった祖母の実家では祖母の家族が数人流されて帰らなかったと聞かされました。 その後も大きな台風が何度も上陸し、友人のお母さんが乗っていた車が土砂崩れに巻き込まれて亡くなったりしました。

 

下の写真の室戸岬灯台のすぐ近くには気象庁の気象観測所があります。 前身の室戸岬測候所が設置されたのは1920年。 室戸台風(上陸時の最低気圧911.6hpaは当時世界最低)の上陸時には風速計が壊れてしまい、最大風速を計測できなかったそうです。 第2室戸台風のときにも風速計は84.5m/sで振り切れてしまい、またしても計測不能だったのだとか、、

 

私の生まれた家は江戸時代の後期に建てられた、それはそれは古〜い家でしたので、60m/sクラスの台風が接近して来ると家族7人で別棟の風呂場に籠ってラジオに耳を傾けていましたっけ。 ときおり吹きつけるブロウの音や振動は、恐怖で鳥肌が立つほど暴力的で、自然が本気出したときの力を思い知りました。

 

台風の目の中に入ると一刻うそのように風がおさまります。 大人たちは家の様子を見に行ったりするので、子どもの私も非日常の外の世界が見たくて見たくてしょうがありません。「歩いて3分の海はどれほど荒れ狂っているのか、川は、大木は!」 

ただ、好奇心が強すぎる私のキャラを親はすっかりお見通しで、風呂場から出ようものならどこからともなく罵声が飛んで来ました(^^;

 

 

話は変わりますが台風な日曜の夜、前日録画しておいたNHKスペシャル「村田諒太 親子でつかんだ世界王座」 を見ました。 

以前からインタビューや練習への取り組み方を見て哲学的な人だなあと感じていましたが、どうやら追い詰められたときにお父さんから贈られた、ユダヤ人の心理学者ヴィクトール・E・フランクルの 「夜と霧」 の一節に救われたのがきっかけで、今や心理学や哲学の本が手放せないのだとか。その一節には私もハッとさせられました。

 

人生に意味を問うてはいけない

人生からの問いかけに

どう答えるかが大切なのだ

 

「人生という修行を楽しめ」ってことでしょうかね。しらんけど(^^;

 

 

室戸岬灯台。画像は「風景倉庫」さんから拝借しました

 

 

 

 

 

 

 

 

SRが来た

  • 2017.10.24 Tuesday
  • 11:47

 

「通学用にバイト代で原付を買う」 と言う次男にカブを勧めて一緒にカスタムしたのが1年半前。 それまではバイクのバの字も話題にしたことがなかったのに、このカブに乗り始めてからというもの、1年で1万キロも走るほどのカブ好きになってしまいました。「ちょっと出かけてくる」 なんて言って1日300kmとか。 どうやらひとりでのんびり走るのが好きなようです。 私の自転車の乗り方に似てるのは血なのかも知れません。

そんな彼が 「バイト代で中免をとって単気筒の250か400を買う」 と言い出したとき、流れの速いバイパスを原付で走る危険性を心配していた両親は反対できませんでした。

 

カブはスタッフ女史の長男くんの通勤用にドナドナされて行きました。 私もかなり気に入っていましたので、知ってる人が乗っててくれてうれしいです。

 

 

 

買ってきたのは2002年製ヤマハSR400の3型。 たまに借りる約束で私もすこし手伝いましたが、彼の予算だとこのへんが精いっぱい。 エキパイにシートカバーの焼跡がベットリ付いていたので安かったのですが、ほかは機外とも良好。エンジンはだいたいキック一発でかかります。

うちの親子がノーマルで乗るわけがなく、さっそくヤフオクでマフラーやらエキパイやらを落札して作業開始。 父親におまかせだったメカいじりも最近はだいたい自分で出来るようになりました。 

 

 

次男がさんざんいろんな動画を見て選んだのは  ”モーターガレージGOODS”  のテーパーコーン。 101dbでまぁまぁの音量です。家の前で始動するには気が引けるので、100mほど押して目白通りに出てからキックしてます(^^;

オートバイを下りて久しい私は法規を把握していなかったのですが、どうやらSRの3型は94dbを超えると騒音規制にひっかかるようです。 2000年まで生産された2型にしておけば法規上99dbまでオッケーだったので、バッフルを入れれば98dbになるこのマフラーでもクリアできたのですが、、

音質はものすごく気に入ってるものの、イタイ大人になるのは嫌なので規制内で良さげなものを物色中です。 ただ、アフターファイア対策で二次エアキャンセルの微改造くらいはゆるしてもらいたいところ(^^;

 

 

こんな感じの音色です。

 

 

 

週末は台風の影響でサイクリングはお休み。 合宿で二輪免許を取りに行ってる次男に代わってウィンカーを交換しておきました。

巨大なノーマルを外して

 

スモークレンズのPOSH71タイプに。

 

 

 

買って来た日のSR。 エキパイがきちゃない。

 

いちおう出来上がり。

 

 

 

キャブやエアフィルター、ステップ、ハンドルなどもいじりたいところですが、ほどよくノーマル臭を残して乗るのも悪くないかなとも思ってます。

ツーリングには最高の季節。 さてどこにでかけようか♡

 

 

 

 

 

 

 

 

自ら燃えなければどこにも光はない

  • 2017.10.17 Tuesday
  • 18:00

 

たった5分の通勤電車ですが、車内のポスターを目にするたび気になっていたハンセン病資料館。

雨降りで自転車に乗れなかった日曜日に出かけて来ました。

 

東村山市にあるこの場所は、「国立療養所 多磨全生園」 という1909年(明治4年) に設立されたハンセン病患者の療養施設です。

1907年、浮浪のハンセン病患者を強制隔離するために 「法律第十一号癩予防ニ関スル件」 が制定されて以降、国は在宅のハンセン病患者をも強制的に隔離するために法律を厳しくしていきます。 全国13ヵ所の国立療養所のうちいちばん最初に出来たのがここ全生園の前身の第一区府県立全生病院でした。

その後1943年に 「プロミン」 という薬の有効性が確認されてからハンセン病は治る病気になりました。 その後も治療法はどんどん進歩して行き1981年に確立された多剤併用療法によって完治した患者からの感染の可能性は全く無くなり、新たに発症する人も全国で年間数人という状況になりました。 しかし1996年に 「らい予防法」 が廃止されるまで隔離政策は続いて行きました。 

2001年、ハンセン病患者の強制隔離を定めた 「らい予防法」 が憲法に反していたとする判決が出て、当時の総理大臣であった小泉純一郎は患者および元患者に対して謝罪しました。

 

映画を観るにも60kmほどバスに乗らなければならない過疎の町で育った私は、中学生のころに公民館の体育館で上映された 「砂の器」 を見てはじめてハンセン病のことを知りました。 ただ、近隣の町で発症した人がいたということは聞きませんでしたし、映画を見たときこの病気についてどう感じたかも忘れてしまっていました。

 

 

資料館です。 

 

 

本来資料館の中は撮影禁止なのですが、たまたま受付に学芸員の方がいらっしゃって許可を下さいました。

フィギュアがリアルすぎてドキッとします。

 

 

 

重い、、

 

 

「深海に生きる魚族のように、自ら燃えなければどこにも光はない」。 どこかで聞いた言葉だと思ったら、これは学生時代から明石海人のファンだったという大島渚監督がときどき紹介していた言葉でした。 当時、大島監督は文学に溺れながらも文学に対して好意よりも嫌悪を抱いていたそうです。 なぜなら、深く文学の匂いの中にいるということは、すなわち死の匂いの中にいるということ。 若かった自分は死の匂いを嫌ったんだろうと後に自ら分析しています。 絶望の中においてもどこか生きるよすがを探していた大島青年に答えをくれたのが明石海人のこの言葉だったのだとも。

 

 

 

最後の展示ブースにはいくつものモニターとヘッドホンが置いてあり、70人以上の高齢になった元患者がそれぞれ自らの人生を語る動画を視聴できるようになっていました。 一人のお話しを聞くのに20分ほど。 おふたりの方のお話しを聞いたのですが、時間を忘れて聞き入ってしましました。

この日曜日、私が資料館に滞在した3時間に居合わせた方は2人だけでした。 かえって学校の社会科見学などで子どもたちが訪れる平日の方が来館者が多いのかもしれません。

 

 

 

 

 

全生園のほとんどの場所は、一般の人も自由に歩けるようになっています。

昭和3年に入所者たちの手で建てられ、昭和52年まで使われていたという男子独身寮 「山吹舎」 が復元されていました。

12畳半の部屋に多いときは8人が生活していたそうです。

 

 

 

全生学園跡のグラウンドの碑。 幼少期に発症し、一生をここで過ごした人もいたのでしょう、、

 

 

 

 

 

 

園内には真言宗、浄土真宗、日蓮宗のお寺のほか、カトリック、聖公会、プロテスタント、それぞれ宗派ごとの教会が建てられています。

 

 

軽症の方たちの住宅の各戸には自転車が。 今では外へもおつかいに行けるようになったんですね。

 

思えば私は社会人になってからの数年間、ここから3kmほどしか離れていない場所にあった社宅に住んでいました。1980年代のことですから、当時はまだここに住む方々は外の世界に出ていくことが許されていなかったのです。 

恥ずかしながら、20代の私は自分のことばかり考えていて、まったく人さまのことを思いやれるような人間ではありませんでした。

心弱くなる齢になってやっと少し人の痛みが分かるようになって来たのか、ここで生きた人々のさまざまな痕跡を見るたび激しく心が揺さぶられ、その夜はなかなか眠りに就くことができませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

ナリちゃんと奥武蔵サイクリング

  • 2017.10.10 Tuesday
  • 15:15

 

私と同じく奥武蔵をホームグラウンドにしているナリちゃんが、チームの掲示板でサイクリングに誘ってくれたので行ってきました。 まぁ、彼とはわざわざ待ち合わせをしなくても、ここいらへんの山中でばったり会うこともめずらしくないので、それはそれで楽しみではあったりするのですが(^^)

 

 

飯能市役所で待ち合わせして、まずはいつもの関の入線からグリーンラインへ。

 

 

昨日の雨で路肩の苔もしっとり。

 

 

顔振峠でひと休み。ナリちゃんは ”ちちぶコーラ”。

 

 

 

規制されていなかったのでうっかり上って来てしまいましたが、この日のグリーンラインでは1,200人規模のフルマラソンが開催されていました。

ちょいと銭湯にでも行くような支度でフルマラソンを走る青年。もう15kmくらい走ってるのに足取りは確かで余力もありそう。 しばらく並走しておしゃべりしたのですが、なにしろ陽気。 若いのに人生を楽しむコツを知ってるナイスガイでした。

 

 

 

ランナーのお邪魔になるのも気が引けるので、刈場坂峠まで行くはずの予定を変更して八徳で稜線を降りました。 毎年春になると写真を撮りに来る 「八徳の一本桜」。 すこしづつ深まる秋が葉の色を変え始めていました。

 

 

 

急坂を転がるように下ってきましたが、国道299号に出る手前で飛び込んできた光景に急停車。 言葉は要りませんね♡

 

 

 

吾野宿のあたりではお祭りの準備。

 

 

 

ここからもうひと尾根越えて名栗みちへ出たいのですが、どうせのんきなサイクリングだし走ったことのない道を行ってみようと地図を検索。 見つけた道は途中から未舗装路でした。 マウンテンバイクでのんびり上ったら気持ち良さそう。こんど来てみます(^^)

 

 

ルートを探すのがめんどくさくなって、結局ぜったい上りたくなかった 「子の権現」 の急坂を上ることに。 やっぱりここは年に一回でいいかな(^^;

 

 

ブキミな実(マムシグサ)

 

 

 

今日の目的地はここ 「ゆずの庄」。 中藤川上流のうどん屋さんです。 以前、やっぱりナリちゃんとサイクリングしてたときのこと、補給のタイミングをまちがえてハンガーノックでヘロヘロになった私を救ってくれたがこのうどん。 やっぱりおいしかった!

 

 

 

うどん屋さんで小一時間も休憩したのに、「やっぱメシのあとはコーヒーだな」 と  ”ウクレレ喫茶 やなぎコーヒー” に。 ほんの少しウクレレを嗜む私は、表の看板見るたびにいつも気になっていたのですが、めずらしく日曜日に営業していたので迷わず入ってみました。

寄居に住む松本美浩さんというビルダーさんのウクレレの販売もしていました。 ネックは接着ではなくてボディと一体の削り出し。材はケヤキだそうです。トップはスプルースと黒柿の合わせ。 コンサートサイズの音を出してみましたが、ハワイアン・コア材よりももっと透明感のあるキラキラとやさしい音色。これは弾いたらアカンやつでした。かなり欲しくなってしまいました(^^;

 

 

コーヒーも美味しかったです。この日のコーヒーはエチオピアはコケ村の豆だそう。味わったことのない不思議な香りでした。

仕事が忙しくて今年はほとんど自転車に乗れなかったというナリちゃんは、体重がアレでしんどそうでした。 彼が完調なら私はヒーヒー泣かされるに決まっているので、このままお太れ様のままでいてほしいところ(≧▽≦) また誘ってね。

 

 

 

 

 

 

 

日野原重明さん

  • 2017.09.28 Thursday
  • 18:28

 

昨朝の食事中にNHKの「おはよう日本」を見ていたら、この7月に亡くなった医師の日野原重明さんのインタビュー(亡くなる半年前に収録)が放送されていました。 

 

印象に残ったのは 「人は病を得ると本当の自分があらわれてくる」 「本当の自分と出会えることはすばらしいことだ」 という言葉。

 

当院の患者さまでも大病を経験された方が何人もいらっしゃいます。 なかには日野原さんと同じような思いに至ったことを話して下さった方もありました。

 

ランス・アームストロングという自転車選手は25才のときにガンを発症。その後闘病生活を乗り越えて、有名な自転車レースのツール・ド・フランスを7連覇しました(後にドーピング問題で剥奪されてしまうのですが、、)。 そのランスはインタビューで、「もし次に生まれかわったとき、ツールを7連覇する自転車選手としての人生と、一人のガン患者としての人生。どちらかを選べるとしたらどちらを?」 と訊かれ、「迷わず一人のガン患者としての人生を選ぶ」 と答えたそうです。 それは日野原さんの言葉とまったく同じ理由からだったと記憶しています。

 

日野原さんはたくさん本も書いていますが、私は一冊も読んだことがありません。 しかしインタビューでの彼の言葉を聞けば、どういう人であったのかは何となく理解できる気がします。きっと共感できる部分がたくさんあるのではないかと。

 

終末期医療の普及に尽力された日野原さんでも自らにその時が近いと感じる日々に 「ただ恐怖でおののいている」 と告白していました。 だからと言って彼はけして死にたくなかったわけではないのだと思います。

 

いつか私にも必ずそんな日が来るわけですが、死を忌むべきものして遠ざけないで、自らにデス・エデュケーションを課しつつ生きていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ミルカ」ミタヨ。(ネタバレあり)

  • 2017.09.19 Tuesday
  • 17:24

 

日曜日は台風が近づいているとのことで朝から雨。 週に一度のリラクゼーションなサイクリングはおやすみ。 家でのんびり過ごしました。 ごろごろしながら、ひさしぶりにamazonプライムビデオで映画鑑賞。 観たい映画もなかったので、”おすすめ” の欄に出てきた2015年日本公開の 「ミルカ」という作品を観ました。

 

主人公はミルカ・シンという1950年代後半から60年代前半にかけて活躍し、45秒8という当時の世界記録を出したこともある、いまでもご存命のインドの英雄です。

 

ミルカは1935年に現在のパキスタン領にあったシク教徒の村に生まれました。 1947年に英領インド帝国が解体されインドとパキスタンが分離独立する際、シク教団はインド帰属を決断。 しかし村の指導者的存在であった彼の父は土地を捨ててインドへ移り住むことを拒否。 彼と姉はかろうじて難を逃れましたが、一家は彼の目の前でパキスタン人たちに虐殺されてしまいます。

 

その日の食べる物にも事欠く難民同然の暮らしの中、泥棒はもとより生きるためには何でもしました。しかしある恋をきっかけに真っ当になろうとインド軍への入隊を決意。そこで陸上競技に出会い一気にのめり込みます。

 

世界記録を出したあとのローマ五輪で優勝が確実視されていた彼は、こともあろうにゴール直前で大きく後ろを振り返ってしまい、4着に沈みました。 何がきっかけになったのかは分かりませんが、少年時代のトラウマがフラッシュバックしてしまい、首を刎ねられる父をそこに見てしまったのです。 その後失意の日々を送っていた彼ですが、インド・パキスタンの親善競技会で数十年ぶりに故郷の村を訪れた際、独立時の混乱で死んだと思っていた幼なじみと再会します。 大人たちに物置にかくまわれて生き延びた幼なじみは、その後改宗して子供にも恵まれていました。その幼なじみはミルカに言います 「人じゃない。時代が悪かったんだ」。

 

高校で日本史を選択した私は、ニュースや映画鑑賞をきっかけにしてほかの国や地域の歴史を勉強することが多いのですが、今回はムガル帝国あたりからのインドの歴史を知る機会になりました。 そしてやっぱり、どこの国いつの時代でも歴史とは ”悲しみ” なのだと再認識した次第です。 人間はいつか悲しみを繰り返さずに済む、今よりましな世界を作ることができるのでしょうか。 う〜ん、悲観的にならざるをえないなァ、、

 

 

あとから知ったのですが、この映画にはブレイク前の武井壮が端役で出演しています。 日本選手役を探してした製作スタッフは、フェイスブックに「英語が話せて単身インドに来れる陸上と芸能に通じた人募集」と投稿。 もちろん選ばれたのは彼。 当時お金がなかった彼はマネージャーから1万円借りて飛行機に乗ったものの、両替を忘れて一文無し。マーケットのコブラ使いのおじさんの横で逆立ちで踊って2万円ほど稼ぎ、滞在期間をしのいだのだとか。 もう一度本編のそのシーンを見ると、しっかり彼の個性的なフォームが写っていました。

ミルカと武井壮の縁の話には続きがあります。 ミルカ・シンの息子のジーブ・ミルカ・シンは現役のプロゴルファーでジャパン・ツアーにも参戦しており、その際に武井壮がコーチングしていた市原選手とプレーオフで優勝を争ったのだとか。 結果は市原選手の勝ちだったようです。

 

インド映画特有の出演者たちがとつぜん踊り出すシーンや、ちょっと大げさな感情表現が気にならなければ、かなり楽しめる映画だと思いますヨ (^^;

 

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あしびなに花が!

  • 2017.09.12 Tuesday
  • 19:22

 

日曜日には、”サイクルショップあしびな”に集う仲間たちと奥武蔵へサイクリングに出かけました。

と言うのも先週のこと、あしびなの店長から 「 ”上谷の大クス” を生で見てみたいのでルートを作成してほしい」 と依頼され、どうせならとアテンドも買って出たのです。

 

前々回の更新でI井くんの送別サイクリングについて書きましたが、あの日ゲリラ豪雨を食らって1時間ほど雨宿りを余儀なくさせられた際に、あしびなサイクリングに最近ある女子が高頻度で参加しており、チーム員たちの空気がざわついていることを聞いていました。

 

もしやとは思っていましたが、今回飯能駅に集合した大クスサイクリングのメンバーの中に、その女性が居るではありませんか! 20代半ばのとのことですが、失礼ながらまだ ”可愛らしい” という表現がぴったり。 おじさん耐性もバッチリで、それほど緊張しなくてもお話しできそう(^^)

 

 

8台積みの男臭いキャラバン。

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まずは林道 関の入線からグリーンラインへ上ります。 いつもはひとり静かに味わう滝の音もこの日は大勢でガヤガヤと。 これはこれでけっこう楽しい(^-^)

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いつもは素通りしてしまう天文岩でも停車して観光。

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目の不自由なランナーが40才くらいの女性のサポートランナーとともに気持ち良さそうに距離を踏んでいました。 休んでばかりの私たちを「タッタッタッタ」と軽快な足取りで追い抜いていく姿がカッコよかった。 視覚以外の感覚は健常者より研ぎ澄まされているはずなので、きっと私たち以上に森の心地よさを味わっているんだろうなあ。

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私と同年輩のMさんがM原さんのストレッチをお手伝い。 いやらしくならないように片手で押す姿がいじらしい(≧▽≦)

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野末張展望台。 いい笑顔なのですがカメラマンが上手ならもっと本来のキラキラ度が表現出来たはず。 ごめんね〜。

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大クスへの上りにある民家。このシュールな画に興味をひかれてお宅の庭先にまわってみると、ほかにもヤギやバーニーズ・マウンテンドッグが同居しているようでした。 人間は二階部分で生活されているのでしょうか。 けっこう賑やかですが、きっとここにはほのぼのとした暮らしがあるのでしょうね。

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訊いてみると、M原さんはロードを購入して1ヶ月そこそこしか経たないとのこと。 ギアはリア28T。 どうやら店長は、みんなから 「初心者にこんなコースってスパルタ過ぎでしょ」 と責められることを見越して、自分のリア32Tのバイクを彼女に貸与するバックアッププランを用意していました。 身長差があるのに乗車ポジションがほぼ同じであることを目にしたメンバーたちは、そこには触れず他の話題をさがすのに必死(≧▽≦)

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彼女より少し前にロードバイクデビューしたのS藤さん。 若く見えるのでまだ学生かと思ったら、大学で法律を教える先生でした。いや失礼しました。 もうみんなと同じペースで走れていましたっけ。 どうやら勉強できる人はすぐ速くなるようです。 きっと頑張る才能があるんでしょうね。うらやま〜(^^;

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着きました「上谷の大クス」。 

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(この写真は店長ブログから拝借)

 

 

「大クスを見てみたい」という思いを遂げ、みんながデッキから降りたあとも名残惜しそうに写真を撮る店長。

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その店長を見上げながら待つみんな。

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(これも店長ブログから)

 

 

 

ほんとうは高麗の阿里山カフェでランチの予定でしたが、観光と休憩が過ぎて時間が押してしまったので、こともあろうにレディを満州餃子へアテンド。 女子ながらチャーハン&ギョーザをペロリと平らげる食欲や良し!

と言うか、考えてみれば今は彼岸花の真っ盛り。 名所である巾着田の入り口にある阿里山カフェはきっと混雑してたはずなので、かえってこれで良かったのかもです(^^;

 

あしびなのみなさん、またあそんでくださいね〜(^_-)

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サッカーW杯出場決定おめ!

  • 2017.09.06 Wednesday
  • 16:47

 

サッカーワールドカップ。 予選の最終戦はサウジアラビアに負けてしまいましたが、日本代表は今回も本選出場を決めましたね。 ホームでのオーストラリアとの試合はテレビで観戦しました。 浅野・井手口などの若い選手が躍動して、胸のすくような試合でしたね。

 

とくに私が興味を引かれたのは井手口選手です。 失礼ですが、ふだんJリーグの試合を観ない私は彼のことをまったく知りませんでした。 ニッカボッカ&半キャップヘルでスクーター転がしてそうな、気のいいガテン系あんちゃん的風貌。 顔はたしかにちょっと中田(英)に似てますよね。 なにしろびっくりさせられたのは彼の運動量でした。後半になっても猟犬のようにしなやかな身のこなしで相手にチャージしていく姿にはほれぼれしました。 

 

ほとんど忘れかけていたのですが、じつは私も高校時代サッカー部でした。 そんなにサッカーが好きなわけでもなかったのですが、音楽仲間の南海くんがサッカー部で、彼が楽しそうに練習しているのを見ているうちにちょっとやってみたくなり、1年生か2年生の頃に1年間くらいまじめに練習したのを覚えています。

 

小学4年から中学2年までは柔道、2年次の途中からは陸上部で長距離走をやっていましたので、「コンタクトや走力はどうにかなるだろう」と高を括っていましたが、その両方をいっぺんにやらなければならないサッカーはそれまで経験したスポーツとはぜんぜん別物で、まったくオハナシになりませんでした。 集団の中で発揮しなければならない闘争本能は柔道とは全く違う種類のもので、面食らったのを覚えています。

 

それから20年くらい経って、次男が小学校低学年の頃、仲のよい友人に誘われて地元の少年サッカーチームに入りたいと言い出し、試合を観に行ったところ、ボールの周りの密集から離れてぽつねんと立ち尽くす次男。 彼の姿に数十年前の自分が重なりましたっけ。 血は争えないものですね(^^;

 

運動や勉強がイマイチなところがばっちり私に似てしまって、ちょっと「悪りぃな」とも思いますが、どうやら毎日を楽しむ才能も似てくれたようなので、まいっか(≧▽≦)

 

20170904-00229597-footballc-000-1-view.jpg

(ばっちりヤンキー風味が効いたこの写真はフットボールチャンネルより拝借)

 

 

 

 

 

 

 

 

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