「密林の語り部」マリオ・バルガス・リョサ

  • 2019.11.13 Wednesday
  • 15:48

 

私がやっと「文学」が存在する意義に気づきはじめたのは、1980年代中頃のこと。 池澤夏樹の「夏の朝の成層圏」という小説を読んだとき、それまで読んで来た小説とはまったく違う感覚が呼び覚まされました。

それまでにもときどき、海外・国内問わず、いわゆる”純文学”と呼ばれる作品を読んだりしていましたが、生き方や人間同士の関わり合いについて書かれたものは、お説教臭く感じられて「あー、はいはい」てな読後感しか残りませんでした。 自分自身の未熟さのせいで、もうひとつ作品の本質に近づけていなかったのだと思います。

 

そんな私でしたが、多分にスピリチュアルな要素が含まれ、文明を告発するような表現が随所に見られる池澤夏樹の作品には強く惹かれました。

ヒッピームーブメントが下火になり、まだ”エコロジー”という言葉が浸透する前のこと。 それまで自分が夢中になっていた、テクノロジーの産物がもたらす麻薬性に気づき始めたタイミングに重なったのかも知れません。 スピリチュアルな伝承が日常のそこここに感じられるような田舎の風土に嫌気がさして、最先端を感じられるキラキラした東京に出てきたのに、当時は自分の変化に自分自身が戸惑ったものでした。 現在の仕事に転職したのもその変化がきっかけでした。

 

あの頃、仕事へ向かう電車の中で何冊も読んだ池澤夏樹の小説。 その後、彼が南米マジックリアリズム、とくにガブリエル=ガルシア・マルケスに大きな影響を受けたと知り本屋さんへ。 残念ながらそのお店にはガルシア・マルケスの「百年の孤独」は置いていなくて、やはり南米マジックリアリズムの名著と名高かったバルガス・リョサの「緑の家」の上巻を買って帰りました。 しかしその作品では私が求めていたものを感じられなくて下巻まで読み進むことはありませんでした。

 

 思えばリョサはアルベルト・フジモリとペルーの大統領選を闘った人。 アマゾンの原住民のことも、現代社会に存在する問題を読者に認識させる題材のひとつに過ぎなかったのでしょう。 同じ南米マジックリアリズムに括られていても、フアン・ルルフォやガルシア・マルケスの作品は作者自身がトランス状態にならないと書けそうにないぶっ飛んだ物語です。 彼ら自身が現実世界とスピリチュアルな世界をつなぐ「語り部」のようなもの。 私は文明人としての立ち位置で今ある世界に評価を下すような作家より、同じ世界で生きていながら私自身には見えていない世界が見えていて、そこに存在する真実に気づかせてくれる作家に強く惹かれてしまうのです。

 

「密林の語り部」。 リョサは自分の好みではないと知りつつ、そのタイトルと文庫版の装丁の魅力に抗えなくて、先日ついポチッてしまいました。 彼はこの作品を書くにあたり、長い時間をかけてアマゾンの原住民を取材したとのこと。 原住民のスピリチュアルな部分についての記述にはとてもリアリティがあります。 ときには人間として、ときにはアマゾンの野生動物として直感で生きる彼らに伝承をもたらすのが、広いアマゾンを放浪する「語り部」。 読んで私が感じたのは、何よりアマゾンの民はバランスを大切にする人たちだということ。”共存するための知恵”とも言えるでしょうか。それはたとえばアイヌの人々にも通じる賢さ。そこに触れられただけでも、この本を読んだ意味があった気がします。

 

正しい方向に向かっていると信じて突き進み、どんどん文明を進化させた我々の世界は果たしてほんとうに正しい方向に向かっているのでしょうか。 イデオロギーや宗教や民族主義やナショナリズムなどという思い込みで成り立ち、大きな力を持ちすぎてバランスの取りようがなくなろうとしている文明社会。そんな自分たちが、自分の命よりもバランスを優先する賢さを持った原住民たちに何を教えようと言うのでしょう。 私自身もその文明社会に身を置いているわけですが、せめてバランスの重要性は感じて生きて行きたいと思います。

 

 

 

 

※余談ですが、同じ南米マジックリアリズムの作家で、共にノーベル文学賞を受賞しているガルシア・マルケス(1982受賞)とリョサ(2010受賞)は大親友だったのですが、1976年にリョサはガルシア・マルケスにグーパンチを食らわせたとのこと。 青タンが痛々しいですね。 どうやらリョサ夫婦の問題にガルシア・マルケスが口をはさんだのが原因のようです。 てかチミたちバランスどないしてん(^^;

 

 

 

 

 

 

早すぎたチームメイトの死

  • 2019.10.28 Monday
  • 17:41

 

自転車チームの仲間が40代半ばで召されました。

 

彼が最初に咳による胸部の疲労で来院したのは3年前の秋のこと。

何件かの病院で検査してもらったものの、咳の原因はなかなか特定されませんでした。 その後長く闘病生活を送ることになる相模原の総合病院で肺がんの診断が確定したのは翌年の6月。 その間にも、絶え間ない咳による胸の痛みを訴えて何度も当院へ治療を受けに来てくれました。 何件もの総合病院での検査で心配な病気が除外されているという思い込みから、半年ちかくの間漫然と対症的な治療に終始してしまい、けっきょく不穏な気配を察知してあげられなかったことが悔やまれます。

 

病名が確定しないうちは、繊細なところもある彼のメンタルに由来する症状ではないかと疑うこともありました。 闘病中の彼の頑張りを考えると、天国に向けて何度でも謝りたい気持ちです。

 

彼が奥さんと共に我らがモンテラックに加入したのは、たしか2013年頃。 古参のメンバーの自転車熱があやしくなって来たタイミングで、あきれるほどの自転車熱とチーム愛を持つ彼が加入してくれたおかげで、チームに活気が戻りました

 

彼はとても家族を大切にする人でした。 ひとり息子を含む彼ら家族とは、ヒルクライム・レースや山岳サイクリング、あるいはペンション・モンテラックへのお泊りツーリングなどで、何度も楽しい時間を一緒に過ごしました。 もともとうらやましいほど仲の良かった家族ですので、彼の亡きあともやさしくてタフな奥さんと、だんだん頼もしくなってきた息子で支え合って、しっかり生きて行けると確信しています。 とは言え、お通夜の御焼香の際に母子に黙礼したときには、こちらがこらえきれずに涙があふれてしまいました。

 

まもなく還暦を迎える私自身はもう十分人生を楽しみましたので、人間という縛りから解放されて宇宙と同化できる瞬間を心待ちにしています。しかしそんな風に気持ちが変化したのはここ数年のこと。 彼の年齢の頃には石にかじりついても生きていたいと思っていました。 何度か病院へお見舞いに伺った際には、身体は消耗して行きつつも家族のため、自分のために生き続けることへの強い執着が伝わって来ました。 明るく振舞ってはくれるものの、「夜には泣けちゃうこともあるんじゃないの?」と問いかけると「そりゃ泣けますよ〜」と笑いながら答えてくれましたっけ。

 

我がチームのジャージはまぁまぁ派手め。レース会場では映えますが、今はもうのんびりサイクリングしかしない私にはちょっとオーバースペック(?)です。 なのでここのところはあまり着ていませんでした。 しかし、昨日の日曜日にはちゃんとチームジャージを着て、彼も走った名栗みちを追悼サイクリングして来ました。

チームジャージ、次回のオーダーからは彼のことを象徴する何かがプラスされたデザインになるとのこと。 チームジャージを着てお棺に入るほどチームのことが大好きだった彼の思いを乗せて、これからもみんなと一緒に走り続けたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりのボランティア

  • 2019.10.22 Tuesday
  • 10:58

 

台風19号の通過から1週間が経ちましたね。

河川が氾濫した地域や山間部の道路などは、まだ復旧にはほど遠い状況で心が痛みます。

すこしはお役に立てないものかと、お隣の県の埼玉県災害ボランティアセンター設置状況を見てみましたが、募集条件が自治体内に在住・在勤・在学の人に限られている市町がほとんど。 ただ、人口の少ない小川町はよそからのボランティアを受け入れてくれていましたので、日曜日の朝次男とオートバイで出かけて来ました。

 

それほど意識が高くない私が、最初にボランティアに参加したのは2011年4月。 東日本大震災のあと爆発した福島第一原発のあった双葉町の方々が避難されていた埼玉スーパーアリーナ、そして避難所移転後の加須市の騎西高校へ治療ボランティアでうかがいました。 帰宅してボランティアへの参加をSNSにアップしたものの、なんだかいい子ぶってるようで気恥ずかしく、すぐ削除してしまいましたっけ。しかし、被災した方からの心からの感謝の言葉を頂いたとき、ちょっと胸が熱くなるこんな気持ちを友人たちにも知ってもらいたくて、その後はブログに書くようにしています。

 

 

小川町の町内で合流して都幾川に流れ込む槻川と兜川はどちらも氾濫しましたが、その二河川が合流する場所のすぐ下流はこんな感じ、、

 

 

 

表札っぽい。

 

 

 

 

朝9時、町の社会福祉協議会にあるボランティアセンターでのブリーフィング。50人ほどの参加者が、被災された町内各地の家の濡れた畳の搬出や泥の撤去など、いくつかのチームに分けられます。

参加させてもらえるかどうか分からないまま受付に並んだので、弁当を持参していませんでした。ところがセンターの女性担当さんときたら「足りないかもですが、よろしかったらおふたりで私の自分用のお弁当を食べてください」。もちろんお気持ちだけ頂きましたが、こんなん言われたらそら気合い入るっしょ!(^^)

 

 

 

 

まず私と次男が振り分けられたのは、民間の介護施設前の側溝。 泥が詰まってしまい、水が噴き出して駐車場への出入りが困難になったという現場。 いや、これふだんから定期清掃しとこうよ。施設の担当者は最後まで一度も顔見せてくれないしさー、、作業自体はみんなで仲良く助け合って楽しく出来たのですが、そこがちょっとザンネンでした。

 

 

 

側溝に居たカンタロウミミズ(シーボルトミミズ)。 日本最大のミミズで北限は中部地域までのはずですが、こんなところにも温暖化の影響が出ているんですね。 子どもの頃、天然ウナギを獲るワナを仕掛けるときのエサにするために、よく山に捕まえに行きましたっけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

介護施設の側溝がキレイになったので次の現場へ。 最初の写真の二河川合流地点のすこし下流です。 床上まで浸かったお家から道路までの小道に槻川の泥が入り、ぬかるんだらお年寄りが歩けなくなってしまう箇所の泥撤去です。 時間に追われていたので、現場の状況をうまく撮れた写真がないのですが、この泥地はもともと畑があった場所。 左奥の写真に写っているコンクリートは塀ではなく土台です。その土台の上の住居の床上まで水が上がったそうです。

そのお家のご主人と高齢のお母さまにお茶をごちそうしてもらい、繰り返し感謝の言葉を頂いて疲れが吹っ飛びました(^^)

 

 

 

 

上の写真の反対側。 向こうに見えている林は槻川の向こう岸です。 川が大きく蛇行する箇所なのに護岸だけで堤防はありません。川底のしゅんせつは、このお家のご当主が小学生だった40年前が最後だったとのことですので、かなり氾濫のリスクが高くなっていたと思われます。

 

 

 

 

撤去した泥は土嚢に詰めて次の災害のために保管しておくそうです。この場所では、軽トラの荷台が沈むくらい積んで2車分の作業でした。

 

 

 

 

いちおう働いてきた感出してみました(≧▽≦)

 

朝から夕方まで慣れないスコップ作業と土嚢運び。 情けないハナシなのですが、翌日は身体中がバキバキ。自分で全身に鍼をしてほぐしました(^^;

台風20号から変わった熱帯低気圧の影響で、昨夜からまた雨量が多くなっていますね。被災地の復旧の妨げにならないと良いのですが、、

 

 

 

 

 

 

台風

  • 2019.10.16 Wednesday
  • 19:59

 

先週末は台風、こわかったですねえ。

 

前にも書いたかもしれませんが、私が生まれた室戸の実家では、私が中学2年まで江戸時代に建てた家屋で暮らしていました。 ご存じのように台風の上陸地点にご指名を受けることが多い室戸ですので、ちょくちょく風速60m/s以上の台風の直撃を受けることがあり、そんなときには家族7人で別棟のお風呂場でやり過ごしましたっけ。 たいしたもので時代物の母屋は建て直すまで壊れることはありませんでした。

 

それに引きかえ、いま暮らしている東京の家は狭い敷地に無理やり立てた半地下の3階建て。 30m/sくらいで家が揺れますので、925hPaくらいの強さで近くまで迫ってこられると背中のあたりが涼しい気分になります。

ただ、同居している長男は私より防災意識が高く、あっという間に半地下車庫前に水嚢をならべて水害対策をしてくれたり、飛びそうなものを片付けてくれたり。今回の仕切りは彼にお任せでした。 こうやって年寄りはだんだん存在感が薄くなっていくんですね。それはそれでありがたいことです(^^)

 

21時過ぎにスマホのアラームが鳴り、練馬区と板橋区に名指しで大雨特別警報が出たと知らせてくれましたが、そのとき練馬区ではもう雨は峠を越えた感じでした。 結果自宅、職場とも無事でした。

しかし、テレビでは各地の河川の切迫した状況を伝えており、氾濫が懸念される大きな川の近くに住む友人のことが気がかりで、夜半まで落ち着かない時間を過ごしました。

 

明けて日曜、被害の状況が少しづつ明らかになるにつれ、水害の恐ろしさを再認識した次第です。

ご家族を亡くされた方、また被災された皆様、心よりお見舞い申し上げます。

 

 

 

土曜日の午後はずっと家でテレビにかじりついて過ごし、心がふさぎ気味でしたので、日曜の朝には少し自転車で出かけて来ました。 いつもの山方面や荒川に近づいてご迷惑になってもアレなので、何年ぶりかで多摩湖サイクリングロードをのんびり1周。

 

突堤ではまだ、カメラを持つ手があおられるくらいの強風が吹いており、湖面には白波も立っていました。

翌日はまた雨の予報でしたので、この写真の1時間後には富士山はすっかり雲に覆われてしまいました。

 

 

 

 

この日、西武ドームでは午後からパ・リーグのクライマックスシリーズ第4戦が行われました。 朝10時くらいに通過したのですが、ライオンズ・ユニを着た気の早いファンがもう何人も到着していました。

 

 

 

 

多摩湖サイクリングロード。 路面はドンコロな箇所があったりしますので慎重に。

 

 

 

 

 

 

 

 

仲良くおしゃべりしながらお散歩を楽しむご夫婦。

 

 

 

 

多摩湖の突堤の、湖と反対側はこんな風景。多摩湖は多摩川の水を地下の導水管で運んで来て貯めた貯水池なので水位はコントロールされており、氾濫することはないようです。 西武園遊園地の観覧車が見えます。

 

 

 

 

 

 

まだ風が強かった帰り道、道路の真ん中でカマを路面に引っかけたまま動けなくなっているカマキリが居ました。 道路に出てみたものの、風の強い場所があってにっちもさっちもになったのでしょう。 追い風でしたので私の自転車は30km/h以上で走っており、助けに戻ろうかと思ったときにはもう数十メートル先。後続の車が近づいていて断念しました。 もう少し早く決断していれば、、と重い気分で帰宅しました。 みなさんにもそんな経験ありません?

 

 

まもなく自宅という所、路肩で風に遊ぶキバナコスモスがしょんぼり気分を慰めてくれました。

 

 

 

オレンジ色の花と言えば、名前を調べないまま先日拙ブログに写真をアップした荒川土手の花。 植物に詳しい患者さまに教えて頂いて名前が判明しました「キクイモ」というのだそうです。

その患者さまは地下に出来る塊茎を味噌漬けにして食べるとのこと。 含有されるイヌリンには血糖値を抑制する働きがあるのだとか。 へぇ〜!(@_@)でした。

 

 

被災地のみなさまのご健康と、一日も早い復興をお祈りしております。

 

 

 

 

 

 

 

魅力的な声はD?

  • 2019.10.09 Wednesday
  • 16:03

 

最近youtubeのおすすめでちょくちょく出てくる「Char meets 〇〇〇〜TALKING GUITARS〜」という動画。 私も昔すこしだけギターを弾いていたことがありますので、つい見てしまいます。 CSのフジテレビONEで放送されたものをアップしてあるようですが、著作権的なことはよく分かりません。

 

番組はギタリストのCharが、同じくギタリストのゲストを招いて楽器や音楽についておしゃべりしたり、セッションを楽しんだりする内容。 昨日見たのはウクレリストのジェイク・シマブクロがゲストの回でした。 収録は2007年のようですのでCharも若いしジェイクもまだ初々しい感じ。

 

ムッシュかまやつや布袋寅泰など古くからのミュージシャン仲間とのおしゃべりは、古いエピソードやギョーカイの裏話などが面白おかしく語られるのですが、ジェイクとはステージでの共演はあったものの、じっくり話すのは初めてのよう。

 

私はウクレレを再開してまもなく2年。以前は1年で飽きてしまったのですが、今回はまだウクレレ弾きの端くれですし、ジェイクのアレンジも何曲かコピーさせてもらっていますので、正座する気持ちで見させてもらいました。

 

ジェイクの音楽のルーツであるハワイの伝統音楽について、また自らの音楽観についての話は引き込まれました。 言葉の選び方や表情から人間性が伝わって来ます。

 

ふたりの会話の中で、二つほど印象に残ったやりとりがありました。
最初のセッションのあと、ジェイクが「音楽はコミュニケーションをより親密にしてくれる」と切り出し、「音楽を介すると親友だと思えるのに一緒にコーヒーを飲んだりしてもほとんど会話が弾まない」と音楽の不思議さを語り始めました。 するとCharも、15年続けたバンド(たぶんJohnny,Louis&Char)の頃、音楽での意思疎通は問題がなかったのに、あるとき音楽論をぶつけあったら大モメな事態になって解散してしまった例を挙げ、言葉でやりとりすると話の流れから思ってもいないことを口にしてしまったり、誤解が生じたりするけど、音楽でのコミュニケーションには齟齬が生じにくいという話を返しました。

 

音楽の授業で「マイナーの曲では悲しい気持ちになりなさい」なんて教わらないのに世界中の人が同じように悲しい気持ちになるのが不思議。 きっと音楽は”第六感”みたいなもので感じ取っている気がする、なんて話も。

 

言葉は主に前頭葉で処理されますが、音楽は情動を処理する辺縁系との関わりがより大きいので、より深いところで理解し合えるのかも知れませんね。 とは言え、情動を言葉に変換する際の不自由さで悶々とするのも、それはそれで”M”っぽい楽しみではありますが(^^;

 

 

あともうひとつ私が興味深く感じたのは、ジェイクの「ベートーベンは”Dmの響きはもっとも悲しい音だ”と言った」という話。 それを聞いたCharは「俺もマイナーに限らずDの音はスピリチュアルで官能的だと感じてた」と同意。

私も時おり、話の内容ではなく声の質やトーンに魅力を感じる人に出会います。私は音感の無さには自信がありますので、今まで人の声の音階なんて考えてもみませんでしたが、ぜったいD音成分が多いんだわ(≧▽≦)

 

自分は声には自信がないので、せいぜいウクレレで良い音が出せるように頑張ります!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

のんびりと荒川から入間川サイクリングロードへ

  • 2019.09.23 Monday
  • 17:24

 

この連休には台風が来るというハナシでしたので自転車はあきらめていました。 ところが日曜の朝起きてみたらまったく雨の気配がありません。 それでもこんなときに山方面に行ってエラいめに遭ったことは1度や2度ではありませんので、この日は荒川→入間川のサイクリングロードをのんびり流してきました。

 

いわし雲。この雲を見ると味噌汁を思い出します。 いわし雲は雲の下の気温が高く、雲の上の気温が低いときに出来る雲。 子どもの頃、理科の授業で先生が「いわし雲は火にかけた味噌汁の鍋の中に似てるでしょ? 底の方が熱くて上の方が熱くないときの対流で起こる現象という意味では同じようなことなんだよ」みたいな事を話してくれたのを思い出すんですよね。

 

 

 

 

花の名前はわかりませんが、道ばたのあちこちに咲き誇っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そ〜っと近寄りましたが、こちらの姿が見えていない訳はありません。悪かったな〜(≧▽≦)

こんなシーンが目に留まるくらいのスピードで走っていたことがバレますね(^^;

 

 

 

 

何が写っているかお分かりになるでしょうか。 検索してみたらおそらくセスジスズメの幼虫。体長8cmくらい。 巨大イモムシをそのままアップするといろいろ障りがありそうなので、草むらに潜ったところを撮りました。それでもダメな人にはダメなのかしら(^^;

 

 

 

 

朝は涼しかったのですが、陽が高くなるにつれて気温が上がって来ました。 路面の水滴は汗ではなくて、買った水をボトルに入れた際にこぼれたものです。

 

 

 

 

オートバイのトライアル練習場で休憩するおじさん。頭髪の具合から私と似たようなお齢かと推察しました。

ほかにも、ゴルフ、サッカー、野球、ソフトボール、モーターパラグライダー、モトクロス、アメフト、ラクロス、もちろん自転車やラン。 荒川サイクリングロード沿いを10kmも走れば、ほんとうに多様なスポーツを楽しむ人を目にします。

 

 

 

それでも、いちばん魅力的に映るのはこのおじさんたちの時間の過ごし方かな〜♡

 

 

ちょっと道草を食い過ぎました。 下赤塚のブーランジェリー・ケンのカスクート(バゲットサンド)はお昼過ぎには売り切れてしまうので、ここからは必死で漕いで帰ることになってしまいました(^^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恒例、秋のモンテラック・ツーリング

  • 2019.09.17 Tuesday
  • 18:04

 

先週末、私が所属する自転車チームのサイクリングイベントが開催されました。

我がチームの本拠地であるペンション・モンテラックをスタート・ゴールに富士山を一周する130km。

残念ながらサイクリングは土曜日の開催でしたので、私は午前中通常診療で参加できず。なんとか宴会だけでもと、片づけを終えるや否や息子のオートバイを借りて乾杯の時間を目標に出発しました。

 

私自身は走れなかったものの、サポートカーで併走したチームメイトでペンション・モンテラックのオーナー、はんくまさんの写真から当日の楽しかった雰囲気が伝わって来ましたので、拝借して載せさせていただきます。

 

先頭を走るのは、まもなく古希を迎えるエリック先輩。「まだまだ若いもんには負けんし!」感が伝わって来ます(^^)

このサイクリング、はんくまさんを入れると平均年齢は57才!  

 

 

 

 

この日いちばんの若手なりちゃんは、新加入のマナブくんに負けてなるものかと必死(≧▽≦)

 

 

 

 

 

 

途中、富士の裾野にあるチームメイトの竹仙人の秘密基地を訪問したとのこと。 写真下方、ドローンでこの写真を撮っている仙人さまは、パンケーキを焼いてみんなのことを待っていてくれたようです♡

 

 

 

 

夜はモンテラックのバルコニーでバーベキュー。 食べきれないほどの肉・肉・肉! エビ・サーモン!フルーツ盛!♡♡♡

はんくまさん&奥さま、ごちそうさまでした!

 

 

 

今年で開業30周年を迎えたペンション・モンテラックへ、先日チームの有志からプレゼントしたお酒もこの日開封。 美味しかった〜。 写真はシゲさんからいただきました。

 

 

 

 

食事を終える頃、仕事を済ませたつかぽんとタカトリ夫婦が到着。 この8月に夫婦で参加した1,200kmを90時間で走るイベント「パリ・ブレスト・パリ」のみやげ話を聞きながら、彼らが写ってたりする前回のPBPやLOL(ロンドンーエジンバラーロンドン 1400kmで制限時間116時間40分)のDVDを鑑賞。

 

モンテラック2階の歓談スペースは、自分ちのリビングのような居心地の良さ。 昼間のサイクリングの疲れから気持ち良さそうに寝息を立てる人もちらほら出始めたころ、玄関のドアを開ける人が。 闘病中のムッシュKの近況を知らせに道志みちをオートバイで走って来てくれたマダムKでした。 ムッシュの状況をいつも気にかけているメンバーたちは彼女の顔を見れたことだけで少し安心しました。 ムッシュはしんどい状況の中でも頑張っていると聞き、みんなで彼に届けと強く念を送りました。

 

 

 

 

モンテに泊まった朝、みんなが必ずや行う朝のルーティンは、カーテンを開けて富士山がそこにあるのかを確認する作業。

昨日は終日雲の中に姿をかくしてた富士山が、この日は朝から顔を見せてくれました。 初冠雪も間近、夏仕様の富士山もあと数週間です。

 

 

 

 

さて出発。 コケそうになってるのではありません。 キックスタートのみのSR、いつもはインジェクションのカブで通勤していますのでチョークを引く習慣がなくて空振り。あわてて引き直してるところ(^^;

 

 

 

この日は、以前から行ってみたかった場所へ向かいます。

 

 

 

 

途中、朝霧高原からの富士山。思えば西側から眺めるのは初めてかも知れません。 角度によってずいぶん表情が変わるものですね。

 

 

 

 

来てみたかったのはこの場所。「湯之奥猪之頭トンネル」です。  ほんとうはここへ至る林道湯之奥猪之頭線は自転車で走ってみたかったのですが、オートバイも気持ちよかったので、まぁ良しとします。 路面はかなり荒れていますので自転車ではかなり気を使いそうです。

 

 

その後は下部温泉に下りて富士川沿いの身延みちを北上。 ずっと下道で柳沢峠を通って奥多摩経由で帰宅しました。 柳沢峠から富士山の写真を撮ればコンプリート♡と思ってたのに、コーナリングのリズムが気持ちよくてそのまま通過してしまったことが痛恨です。 ひと様の投稿で富士山の写真を見ると「あー、はいはい( 一一)」と思ってしまうのに、ナマ富士を目の前にすると自分もつい撮ってしまうんですよねー(^^;

ともあれ、仲間たちとの夜もオートバイのライドも楽しかった!

ムッシュがんば!

 

 

 

 

 

益子。ちょっとかよってみたくなる町でした

  • 2019.09.10 Tuesday
  • 12:23

 

日曜日には台風が来るとの予報でしたので、なにか自転車以外のことをしようと、次男と一緒に益子町へ陶芸体験に出かけて来ました。

次男は小さい頃から創作が得意でしたので、彼も母親や兄と同じようにクリエイターとして生きていくのではないかと思っていました。しかしまわりの予想に反して彼が選んだのは文系大学から一般的な会社員という進路。 ただ、ときどき創作の衝動が湧き上がってくるようで、今回は私もお供で同行してみました。

 

この日お世話になったのは、工房「風和里」。 益子の町はずれ、山の手の行き止まりにある小さな工房です。

主催されているのは作家の佐藤仁思さんと大和知子さんご夫妻。 インターネットの体験講座のリストの中から、何の気なしに選んだ工房でしたが、いろいろな意味で大当たりでした。 まず、お二人の人柄がすばらしかった。おだやかでやさしいご主人と、テキパキと手順を示して下さる奥さま。 体験者が持つ作品のイメージを共有して、それをかたちに出来るようやさしく辛抱強く取り組んで下さいました。 あと、音楽の好みが私とドンピシャ。 ジャズドラマーのご主人と、ジャズ好きで何度もニューヨークを訪れたという奥さまは、音楽が縁で出会われたとか。 1987年に仙台で行われたマイルス・デイビスのステージでは、私とご夫妻が同じ客席にいたことも判明。 ほかにもお婿さんが次男と同窓であったりと、陶芸以外のことでもずいぶん話が弾みました。

 

 

 

 

 

奥さまが、手のおもむくままひねったという作品の数々。 それぞれの作品の、光の当たり方で変化する表情は見飽きませんでした。

 

 

 

 

ご主人の模範制作。 ふわっとしたオーラを纏ってロクロの前に座ったと思ったら、鈍色の土のかたまりがあっという間に器のかたちに。 どんなプロもそうですが、仕事に集中する瞬間の気の発散はすごいものだなあ、と見とれてしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

親子ふたりでロクロ初体験中。 オーラのオの字もありません(^^;  

 

 

 

 

次男はどうしてもかたちにしたいイメージがあるらしく、奥さまの指導で手びねりにも挑戦。

 

 

 

 

 

 

 

出来を採点されているわけではありません。 焼く前に釉薬の種類を選んで記入して頂いているところです。

 

 

 

 

名残惜しい気持ちで工房をあとにして向かったのは、人間国宝の陶芸家、濱田庄司の旧邸。

彼が生前に使っていたという登り窯が邸内に移設されていました。

 

 

 

 

 

 

この日、座敷ではお茶会が催されていました。

 

 

 

 

濱田庄司邸に隣接する陶芸美術館では、同じく人間国宝の島岡達三の作品展が開催されていました。次男は彼の作品に相当インスパイアされたようで、ゆっくり鑑賞したあとにもう一周していましたっけ。

 

その後、益子焼窯元共販センターで日用的な陶器を見学がてら次男は彼女のためにマグを購入。 お昼は栃木名物のそばをいただきました。 グルメサイトでリーズナブルな名店と紹介のあった「明水」はお店センターから車で数分。店内にはギャラリーも併設されています。 気になったのは什器やテーブル、椅子などがひとつひとつ違っていて、明らかに手作業による調度であったこと。訊いてみるとやはり金工作家さんによるものだとのこと。 毎年石神井公園のギャラリーで個展を開かれる木工作家の安彦年朗さんもこの町に移って創作活動を行っていると聞きましたし、自然とアーティストが集まってくる町のようです。 歴史的なこともあって町の人たちがアートへの感受性が高く、また多様性を尊重する風土があるのではないかと推察しました。

もちろん、明水のそばは美味しかったです。 陶芸教室の緊張が解けて自覚された空腹感がやっと満たされました。

 

 

 

 

 

数日前、院のスタッフ女史に益子行きのことを話したところ、彼女は小学2年までお父さんの仕事の都合でこの益子で暮らしたとのこと。 ちょうど通り道でしたので、彼女が通っていた星の宮分校の写真を撮って見せてあげようと立ち寄ってみました。

しかし予想通り今は廃校になっており、旧校舎だった左奥の建物は屋根が葺き替えられて地域の自治公民館になっていました。

それでも写真を喜んでもらえたので寄った甲斐がありました。

これでミッション・コンプリート。思ったよりも台風の足が遅くて帰りの車もほとんど降られずに帰宅。良い休日でした(^^)

 

 

 

 

 

 

 

タイムマシーンなライブ

  • 2019.09.04 Wednesday
  • 18:29

 

今年の夏はなかなかしぶといですねえ。それでも朝夕は、心もち凌ぎ易くなって来たような。

ライオンに追いかけられているときにちょっとした痛みやかゆみなど感じないように、命に関わる暑さをしのいでいる最中には感じられなかった不調が、すこしほっとする今頃に自覚されるようで、ここのところ来院される患者さまの数が増えています。

もっともらしいことを書いていますが、もちろんライオンには夢の中でしか追いかけられたことはありません(^^;

 

さて、先週末には2日つづけてライブを聴いて来ました。

土曜日は午前中の診療を終えたあと、ビルボード東京で ”ザ・ウェイト・バンド” のライブへ。 自転車チームのシゲさんに教えてもらってその日のうちに申し込んだ公演です。 このバンド結成の由来をお話しすると長くなるのですが、ひとことで言うと伝説のアメリカンロック・バンド ”ザ・バンド” の末裔です。 今回はゲストとしてリトル・フィートのフロントマン2人も出演するとのこと。

 

1978年の大学入学と同時に音楽サークルに入り、先輩に誘って頂いて最初にステージに立ったのはCSN&Yの「Teach Your Childlen」のコーラス隊としてでした。 高校生の頃の私はブルース色の強いロックが好きでしたが、それ以降はアメリカの広大な風景や人の懐の深さが感じられるカントリーっぽいアメリカン・ロックも聴くようになりました。 その年に公開されたザ・バンドの解散コンサートを記録した映画「THE LAST WALTZ」も観に行きましたっけ。

 

また同じ1978年の7月8日、まだ1年生でアルバイトもしていなかった私は、ぎりぎりでやりくりしていた生活費をつぎ込んで、オリジナルメンバーではただ一度きりしか実現しなかったリトル・フィート日本公演を聴きに行きました。 その公演は「On The Eastern Front」というCDにもなっています。 たぶん歓声の中には私の声も入っているはず。 今回のライブに出演したポール・バレアを見るのはそれ以来でした。

 

 

 

 

40年の歳月が流れて今はもう、クラプトンなどたくさんのビッグネームに影響を与えた音楽的な先進性は感じられませんでしたが、アメリカの原風景が見えるような大らかさと、心に沁みるハーモニーはすばらしかった。 とくにアンコールで演ってくれたリトル・フィートの「Dixie Chicken」を聴いたときには、18才で上京してからの自分の人生が、よくSF映画に出てくるタイムマシンの逆行シーンのように回想されて、齢でゆるくなった涙腺がヤバかったです。 やはり音とか匂いとかの刺激は直接古い脳に働きかけるんですね。

ライブがハネたあとは、シゲさんと六本木のジャズ・バーで一杯やってお開き。たのしい夜でした。

 

 

日曜日は学生時代の音楽仲間と「TOKYO JAZZ 2019」に出演するカマシ・ワシントンを聴きにNHKホールへ。

「TOKYO JAZZは2002年の第一回も聴きに行ったっけねー♡」なんておしゃべりしながら、数十年ぶりに仲間たちと公園通りの坂を歩きました。

 

こちらもサイコーなパフォーマンスでした。 昨夜の枯れ倒したシブいオジサンたちと違って、まだ30才代のカマシ。 精神的肉体的な熱量が圧となって伝わって来ます。 こちらもその圧に負けない力と感性をこれからも維持して行こうと決意を新たにしました。

 

夜は下北に流れて居酒屋からの、この日もジャズ・バー。 オートバイやら音楽やら、いろいろ悪だくみの相談もはかどりました(≧▽≦) 

 

 

 

 

 

 

 

ジャズ史動画(著作権的にそのうち削除されるかも)

  • 2019.08.20 Tuesday
  • 12:14

 

今夏の暑さは堪えますねえ。 若い頃は一年中夏でもいいと思うくらいの夏好きでしたが、齢のせいか温暖化のせいか、どうかもう許してください(´Д`)って感じです。 とはいえお盆も過ぎたことですし、あと1〜2週間もすればいくらか楽になると信じて頑張りましょう。

 

当院は14,15日の2日間、短い夏休みを頂きました。 ただ、台風の影響で自転車には乗れず、ひたすら家でのんびり。

たまたまお休みに入る数日前に、音大生の患者さんのウッシーから興味深い動画を紹介されていましたので、絶好の機会とばかりに43分×12本を全巻観てしまいました。それはBBCなどが製作したジャズの歴史を紹介する動画。 自分の好きな音楽のルーツがどこにあるのかきちんと辿ってみたことがありませんでしたので、近代アメリカ史とからめたこの動画はとても勉強になりました。 また、ルイ・アームストロングやベニー・グッドマン、ビリー・ホリデイなど、個々のミュージシャンたちのの生い立ちには感じるものがありました。

 

 

1800年代後期のニューオーリンズでは、南部の黒人のブルースと、クレオール(スペイン人やフランス時と黒人の混血の人たち)が身に着けた西洋音楽が融合して、ジャズの卵のような音楽が生まれました。 1917年に初めてジャズのレコードが発売されると、あっという間に大ヒット。ジャズという音楽が全米に知られるところとなりました。

 

 

 

その後、ジャズはビッグバンド、スウィングの時代を経て、1940年代にはチャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーなどが始めたビバップの時代に。 ビバップはそれまでの譜面にもとづいたジャズとちがってアドリブを主体とするスタイル。即興芸術としての色合いが濃い音楽でした。 ビバップ以降のジャズはモダンジャズとも呼ばれました。1950年代から’60年代にかけてはマイルス・デイビスのモード奏法やコルトレーンのスピリチュアルなアプローチ、オーネット・コールマンなどのフリー・ジャズなど、さまざまな方向へ進化を遂げます。また電子楽器の導入、ラテンやロック、ヒップホップなどとの融合も図られました。

 

私が好きなのは、ジャズが新しい表現を求めて苦悩し続けたモダンジャズ期以降です。「聴衆の前で瞬間的に創造する芸術は、いわば安全ネットなしの綱渡り。成功も失敗もそのぜんぶを見られてしまうことになる。」ときにはドラッグや酒に溺れなければならないほど身を削って表現されるスリルに満ちた音楽は、文学やアートと同じで聴いているこちらの原始の魂を揺さぶられるようです。

 

私とジャズの出会いは高校時代にさかのぼります。 家ではロックやブルースばかり聴いていた私でしたが、放課後に通い詰めた喫茶店「ヘリオス」でかかる音楽は、ジャズとバロック音楽だけでした。 お店は美大出のマスターの好みで当時まだ珍しかったコンクリート打ちっぱなしのシンプルなしつらえ。 店内にしずかに響くマイルスのトランペットは内省的な気分に誘導してくれるので、青春期の混乱した自分自身を見つめ直すためにとても大切な時間でした。「彼の音楽は人の心にひそむ孤独感に訴えてくる。そして誰もが同じ孤独を抱えているのだと語りかけてくる」「彼の繊細極まりないソロは薄い氷の上を歩くよう。恐ろしいほどプライベートな感じで、個人的なつぶやきを盗み聞きしているよう」 動画の中のある評論家のマイルス評ですが、まさしく当時私が感じていた印象そのものです。

 

元々、黒人奴隷の間で歌われていたブルースを起源に持ち、酒場や売春宿で育ち、長い間低俗な音楽として差別を受けていたジャズも、誕生してから100年以上が経って、今ではその芸術性がクラシック音楽と並んで評価されるほどになりました。 ちょっと痛快な感じがします。

 

ブルースやロックも同じですが、自分の成長にとって黒人由来の音楽は欠かせないものでした。 きっとこの先も「No Black Music,No Life」なんだろうなあ。

 

 

 

 

 

 

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